Pinky Promise 150

第7章 黄金の午後に還る日まで

25.赤の女王の夢 150

「久しぶりだね。――“赤の女王”よ」
 レジーナの言葉に、アリスたちは物陰に隠れながらダイナを凝視する。
「赤の女王……?」
「聞いたことのないコードネームだ」
 それでもコードネームと判断できるのは、『鏡の国のアリス』にそのキャラクターが登場するからだ。
 同じ場所に留まるためには走り続けなければならない、とアリスを諭す赤の女王。
 アリスは以前ヴァイスが作成した通信機を使い、シャトンに連絡を取る。
「シャトン……“赤の女王”って知ってるか?」
『知らない。教団内にそんなコードネームを持つ人物はいなかったわよ。何があったの?』
「待ってくれ。後で報告する」
 聞くことと話すことを同時にはできない。ひとまずアリスたちは、ダイナとレジーナのやりとりに耳を傾ける。
「うわぁ。派手にやったねぇ、いい歳こいて何やってるのさ」
「いい歳は余計よ、同期の桜のくせに」
 対峙する二人の女は、一方は薄く笑みを浮かべ、一方は酷く真剣な表情だ。
「……レジーナ」
 口火を切ったのはダイナの方だった。
「私との約束を守ってくれなかったのね」
「何のことだい?」
「とぼけないで」
 ダイナは険しい眼差しをレジーナに向ける。
「あの“物語”は、あなたが少しでも楽になれるように二人で考えたものでしょう。……それが、他人を傷つけるようになるなんて聞いていないわ」
「傷つける?」
「“ハンプティ・ダンプティ”」
 アリスたちは再び目を剥いた。
 確かにダイナはヴェイツェの死の現場に駆け付けた。彼の事情も薄々察していたことだろう。
 しかし、何故それを、この場で彼女に?
 アリスたちにはまったく意味がわからなかった。
 レジーナ=セールツェはダイナの友人。そして。

「“ハートの女王”よ」

「あなたが、彼の首を斬れと命じたの?」
「そう言えば、あの少年は君の学校の生徒だったね」
 復讐鬼ハンプティ・ダンプティ。彼の死は闇の中の世界を動かす。
 物語の終わり、定められていた終焉へと。
「……そうだと言ったら、どうするんだい?」
「!」
 息を呑んだダイナが即座に魔導の炎を放つ。
 しかしそれを、レジーナもまた簡単に受け止めた。
 ダイナの炎に対しレジーナが展開したのは、水のように透き通り流動する黒い液体の盾だ。
 ただの魔導防壁と違い、その水自体が攻撃手段にもなる上級魔導である。
「ダイナ、ハンプティ・ダンプティは殺人者だよ? それなのに君は、彼を庇うのかい?」
「それでも彼は、私にとって大切な生徒であることに変わりはないわ」
 ――ダイナは後悔している。
 彼の苦悩に、慟哭に気づいてやれなかった。
 それをヴェイツェ自身が望んでいなくても。
「もしもそれが運命だと言うのなら、悲しいけれど受け入れましょう。けれどこの事件は違う。レジーナ=セールツェ。いいえ、ハートの女王。あなたとあなたの父上がやったことでしょう?」
 答をもはや確信している様子でダイナは問いかけた。
「半分はずれ」
 けれどレジーナは肩を竦め、ぺろりと舌を出しながらそう答える。
「お父様はお眠りになっているからね。……もう永遠に」
 父親の死に関し、先日の電話とは違いもはや笑みを隠すこともなく告げる。その意味するところを直感し、ダイナは息を呑んだ。
「自分の父親を殺したの……?!」
 レジーナの父親――“赤の王”が亡くなったとは確かに聞いていた。けれどそれ自体がレジーナの仕業だったとは。
 驚くダイナの隙に、今度はレジーナの方から容赦ない攻撃が放たれた。
「!」
 黒い血のような水を蒸発させていく紅い薔薇のような炎。レジーナが水を黒い鞭状に縦横無尽に伸ばせば、ダイナもまた炎を無限に這う荊へと変える。
 二人の魔導士のやりとりは、この現代の出来事だとは思えぬほどに高度な戦いだ。
「レジーナ、あなたはどうして……」
「どうして? 君ならわかっているだろう? 僕とお父様が不仲だったことくらい」
 そうして攻撃を仕掛け合いながらも、二人の女は会話をやめなかった。
「……私のせいね。私が“不思議の国”なんていう玩具をあなたに与えたから」
「選んだのは僕だ。でもだからこそ、それを理由に君に譲りはしない」
 懐かしい日々が血塗られ、音を立てて壊れていく音が聞こえるようだと、ダイナは一瞬、強く目を閉じる。
「どうやら交渉の余地はなさそうだね」
「そうね」
 諦観、そして決断。
「レジーナ、あなたにどんな事情があろうと、私の大切な生徒に手を出した。あなたを見逃す訳にはいかないわ」
「やれやれ。今更君が敵に回るとは。困ったことになったな」
 今までのやりとりは肩慣らしに過ぎない。本格的な攻撃の構えを見せたダイナに、レジーナもさらに魔導防壁を展開し応戦の様子を見せる。
 しかし、二人の女が全力を出して激突する前に、制止の声がかけられた。
「そこまでにしとけ、女王様」
「グリフォン」
 その男は、怪盗たちの『女神に捧ぐ首飾り』の件でアリスやギネカと対峙し、あの廃ビルでテラスやヴェイツェとも関わった者の一人だ。
「どうやら援軍がいるようだぜ」
「援軍?」
 ダイナとレジーナ、二人分の怪訝な声が重なる。
「まずい!」
「伏せろ!」
 ヴァイスとネイヴが咄嗟にアリスとギネカを庇って身を伏せた。その頭上をグリフォンの撃ちこんだ銃弾が跳んでいく。
 どうやらレジーナとは別の場所に待機して周囲の様子を窺っていたグリフォンには、アリスたちの居場所がばれていたようだ。
「ルイツァーリ先生?! それにみんな……」
 ダイナがアリスたちに気づき驚いた顔になる。だが動揺しているのは、アリスたちの方も同じだ。
「へぇ、これはこれは……もしかして全部聞かれていたかな?」
「あんたが俺たちの女王様だってことがな」
 皮肉っぽく笑いながらも油断なく警戒するグリフォンを傍らに、レジーナはアリスたち一行を眺め回す。
「アリス」
 ハートの女王が目に止めた相手は、他の誰でもないアリスだった。
「白の騎士としてお父様が恐れていたヴァイス=ルイツァーリ。その男が手元に置いて“アリス”と名乗る子どもが、やっぱり普通の子どもな訳ないよね」
 彼女は不思議な眼差しをアリスに向ける。
 そこに宿るのは敵意でも憎悪でもない、もっと別の何かだ。
「君こそが僕らの夢を壊す“アリス”って訳だ」
 前に何度か顔を合わせた時、彼女はアリスに興味を示しているようだった。気のせいではなかったが、その理由はアリスが想像していたものとはまったく違った。
「アリスが目を覚ませば、不思議の国はみんなおしまい。目覚めたアリスは優しい“姉さん”と猫の“ダイナ”が待つ現実に帰るだけ」
「……!」
 レジーナの言葉に、アリスはどきりとする。
 彼女が言うのは単に原典である『不思議の国のアリス』の話なのか、それとももうすでに自分はアリスの素性を知っていると言う意味なのか。
 ハートの女王は告げる。
「ならば僕は不思議の国の法廷で君と争うだけだ。“証人アリス”よ」
 アリスは不思議の国の中で、様々な役割や立場を経て、最終的にパイ泥棒のジャックの罪を立証する裁判で最後の証人として呼ばれるのだ。
「帰るよ、グリフォン」
「いいのか? 殺さなくて」
「この戦力じゃさすがに勝てないよ。君一人であの四人を倒せる訳?」
「残り三人は何の変哲もないガキに見えるが違うって訳か?」
「白騎士の実力は御存知の通り、そして隣の少年は“パイ泥棒のジャック”だよ」
「何?」
「……?!」
 正体を見破られたネイヴが息を呑む。
「何度か見た怪盗ジャックと魂の色が同じだからね」
 魂の欠片を持つ者は同じように白い星、黒い星を見分けられると言う。
 けれどそれらの人々も、流石に魂だけで一人一人の相手を完全に識別することはできない。
 そんなことができていたら、ヴァイスやダイナは自らの魂を削る苦行の果てに復讐を決行したヴェイツェの変化にもっと早く気づいていたはずだ。
 しかしレジーナは、やすやすとそれをやってのけたのだ。彼女は相手の魂の細部まで見分けられるらしい。
「伊達に女王と名乗ってはいない訳か。厄介さが段違いだな」
「君がわかりやすいんだよ」
 ネイヴも余裕の笑みを浮かべはするが、内心ではハートの女王の鋭さに焦っている。
「一度退いて体勢を立て直す」
「了解」
 それでも今回は睡蓮教団側は下っ端団員たちの被害が大きいためか、彼らの方が引く様子だ。
 グリフォンは倒れた男たちを追加の手勢を使って次々に回収していたが、人手はそれだけだった。
 学生が交じっているとはいえ、その多くが魔導士でもあるこの集団とまともにやり合うのは分が悪い。ハートの女王は魔導士としてそう判断したようだ。
「じゃあね、ダイナ。長年の友人として、次に会う時は楽しく殺し合おう」
「――いい歳して少しは落ち着きなさいな」
「いい歳は余計だよ、竹馬の友」
 そしてハートの女王はグリフォンを引きつれて去り、後には彼らが残された。
「姉さん……ダイナ」
「ダイナ先生」
「ダイナ」
 ヴァイスが彼女の前に立つ。
 ダイナも決意して、一人一人の顔を見つめた。
「少し、あなたたちと話し合う必要がありそうね」
 赤の女王はそう告げる。

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