Pinky Promise 157

第7章 黄金の午後に還る日まで

27.ハートの女王の命令 157

 ――出発数時間前。
 各自パートナーと打ち合わせし、作戦決行前の最後の確認に入る。
「こんなことになっちゃったけど、よろしくねヴェルム」
「正直言って、俺はもう色々なことについて行くので精一杯だよ。一日でどれだけ話が進んだんだ?」
「頼りにしているわよ」
 明かされたダイナのコードネーム、ハートの女王の素性に始まり、潜入作戦の段取りまで、ギネカは白の王国と話し合った全てをヴェルムに説明した。
「ギネカこそ……本当に“料理女”なのか?」
「そうよ。私はほとんど現場には出なかったけど、いつもサポート役としてヴェルムと怪盗ジャックの攻防を見守っていたわよ」
「ジャックが苦戦したら俺を後ろから殴る役目を負ってた訳だな?」
「ごめんなさいね、探偵さん」
 ヴェルムの言葉を暗に肯定し、ギネカは悪びれもせずころころと笑う。
 料理女の“胡椒玉”にも、探偵であるヴェルムは何度か苦しめられた。怪盗ジャックの窮地にどこからともなくぶつけられた大量の胡椒に、いつまでもくしゃみが止まらなかったものだ。
 ふいに、ギネカは真剣な顔になってヴェルムへと尋ねる。
「あなたはやっぱり、怪盗ジャックを赦せない? 探偵にとって、犯罪者は皆一律同じ?」
「……」
 ギネカは正体を明かしたものの、怪盗ジャックの素性に関してはまだ説明されていない。
 その意図はヴェルムにもわかっている。
「……俺から、君たちにとって都合のいい答を引き出そうとしても駄目だぞ」
「あら? バレてた?」
「でも、俺もこの数年で……特にアリスが来て、君たちと出会ってから色々と学んだよ」
 一人で戦わなければならないと思っていたヴェルムに、様々な道を示してくれた人々がいる。
 ヴァイス、アリス、シャトン、幼馴染のエラフィ、今一緒に暮らしているジェナー。
 このギネカもアリスを通じて知り合ったうちの一人で、エラフィ誘拐事件の時のように、その行動力には酷く驚かされたし救われた。
「不思議の国には必要なんだよ、イモムシも料理女も。主人公だけで作られる物語なんてない。どんな役にも意味がある」
 パイ泥棒の存在は、アリスがハートの女王と対峙する一幕の入り口だ。彼の存在なくして物語は決して成立しない。
「まぁ、それと怪盗ジャックを赦すかどうかは別の話だけどな。俺の探偵としての仕事をいつもいつもいつも! 邪魔してくれやがって!」
「それに関してはこっちも色々言いたいことあるんだけどね……ま、いいわ」
 頭の固いヴェルムは、決して怪盗の罪を許すことはない。どんな理由があろうとも、窃盗は犯罪だ。
 誰もがそう思っている。ヴェルム自身もそうだ。
 けれど、今この瞬間は怪盗と探偵ではなく、睡蓮教団の悪事を止め、悲劇の連鎖を断ち切る者同士として。
「私はジャックの両親を殺した教団を止めたいの。あなたの力を貸して」
「俺も、自分の両親を殺した教団は絶対に潰すと決めている。――そのために、君の、君たちの力を貸してくれ」
 二人は手を握り合った。

 ◆◆◆◆◆

「ダイナ、私は君と」
「ええ」
「あと我もな」
 エイスの発言に、二人は視線を彼に移した。
 容姿だけならまるで少女とも見紛うような可憐な少年だ。
 しかし今回彼の役割は、最も戦闘が激しくなる教団根拠地中枢への殴り込みである。
 エイスはこう見えて、白の王国の中でも一番の武闘派らしい。武闘派と言っても軍人や傭兵のような戦闘のできる人間とは意味合いが異なるらしく、その体つきはジグラード学院の生徒たちに比べても随分華奢で、まるで筋肉などついていない。
「ハートの女王はそちらに任せるが、向こうには赤騎士と白兎と名乗る輩がいる。あの二人の相手は、我しかできない」
「あいつらは、そんなにヤバい連中なのか」
 ヴァイスは白兎や赤騎士と面識があり、何度か対峙もした。
 しかし彼らの全力を見たことはない。
 それでも、彼らの容姿が十年前から全く変わっていないことは知っている。
 聞けば白の王国の者たちも同じ体質だと言う。
 彼らは人間の姿をしているが、もう人間ではないのだと。
 不老不死の人外同士なら、確かに相手を任せてしまった方がいいかもしれない。
「我よりあの二人の方がずっとヤバい。我はただの神だが」
「神?」
「今、神と仰いました?」
 ちょっと待て、何かさりげなく重要な話をしなかったか?
「あの二人は神話が生まれるより前の存在だ」
「意味がわからないんだが」
 神より以前の存在? 確かに今の神族が造られる前にも文明があったとは聞くが、それはどういう……。
「あまり深く考えぬ方がいいぞ。アリオス……ゲルトナーがお前に十年前それ程事情を明かさなかったのは、聞かせてもどうにもならないからだ」
 だが今回は、その辺りの話を気にしてでも決着をつけねばならない。
 エイスに関してはともかく、敵である睡蓮教団に属する超人たちの動向だけは可能な限り把握して対策を練りたいところだ。
「あの二人がばらばらに行動してた場合は?」
 あまり考えたくないことだが、考えねばならない。赤騎士と白兎、そのどちらもが生半な魔導士では手も足も出ない強さだ。一カ所に固まっていてくれればまだ対処法もあろうが、分散して事に当たられると単体戦力の弱いこちらが不利である。
 尋ねたヴァイスに、エイスは重々しく口を開く。
「その時は」
「その時は?」
「運を天に任せよう」
「貴様やっぱり神様とか嘘だろう」
 いくら彼らが日常から嘘に嘘を重ねたとはいえ、ここにきてその言い様はあんまりだ。

 ◆◆◆◆◆

「ザーイエッツは怖くないの?」
 アリスは、最後の確認として、十年来の友人に尋ねた。
「何が?」
「時間を取り戻すこと」
 アリスが知るザーイエッツは、ずっと自分と同じ年頃の少年だった。
「怖い訳ないだろう、この十年ずっと望んでいたことだ」
「でも……」
 彼はアリスたちと違い、不完全な禁呪をかけられた上に時間を盗まれてから時が経ち過ぎている。
 時間を上手く取り戻せないかもしれない。
 取り戻しても何も変わらないかもしれない。時を盗まれて変化した七歳の姿に、こうして過ごした十年分の時間を重ねても十七歳だからだ。
 そして、時間を無理矢理取り込むことで、無事ではいられない可能性まである。
「この十年間、ザーイエッツと言う人間はこの世界から完全に消えていたよ。今の俺は、亡霊でしかない」
 ザーイエッツ=マルティウス本来の姿ではなく、消えたはずの弟の名を名乗り。
「盗まれた時間を取り戻して、ようやく俺は生き返れるんだ。嬉しくないはずがないだろう」
 時間を取り戻したいのはアリスとシャトンも同じだが、ザーイエッツのそれは、自らの存在そのものをかけた戦いなのだ。
「それに、アリスが時間を取り戻すってのに、この“時間殺し”のマッドハッター様が行かない訳にはいかないだろう?」
『不思議の国のアリス』にて時間を殺したとされる帽子屋の名を彼が怪人として名乗っていたのは、永遠を謳う睡蓮教団へと対抗する意志を示すため。
 その目的がようやく叶うと言うのに、臆して逃げるわけには行かないと。
「絶対に成功させような。お前たちの時間を取り戻すためにも」
「……ああ」
 そうだ。アリスたちだって、元の姿を取り戻さねばならない。
 帰らなければならない。アリスではなく、本物のアリスト=レーヌを取り戻して。
 アリスが覚悟を決めたところで、怪盗ジャックが芝居がかったどこか陽気な声をかけてくる。
「さぁて、皆さん準備はよろしいですか?」
 彼と、処刑人以外の白の王国の面々は、陽動のために思い切り正面から突入する役回りだ。
「ようやく教団相手に大立ち回り、大暴れできますよ」
「今までも結構してたじゃないのよ」
 ギネカが幼馴染に対し呆れた顔をする。
「でも、これで最後だ」
 怪盗ジャックが晴れ晴れと笑い、彼の仇敵であるマレク警部もうんうんと深く頷いた。
「その通り」
 今度こそ戦いを終わらせるのだ。
「よし――行こう!」

 子どもたちにとって、最後の夜が始まった。

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