Pinky Promise SS01

秘密の秘密(高等部編)

 それはとある日の清々しい朝だった。空は青く晴れ渡り、鳥の鳴き声が心地よく耳に染みわたる。
「おーっす、アリスト」
「おはよ、フート」
「みんな、うぃーす」
「ムースもおはよ」
「おはよう、アリスト君、レント君」
 中等部時代から仲の良い友人関係であるフート、アリスト、レント。そしてフートの幼馴染であるムースの四人は、ちょうどジグラード学院の校舎前で顔を合わせた。
 昇降口のロッカーで彼らが授業の準備をしている中、それは起きた。
「あれ? 何か落ちましたよ」
 ひらりと足下に舞い落ちてきた封筒を、三人より先に準備を終えて待っていたムースが拾い上げる。
「誰のですか?」
「俺じゃねーよ」
「っていうか何それ」
「ピンクの花柄封筒……ってことは女物か?」
 ムースの位置からは、それが誰のロッカーから落ちたものであるかまではわからなかった。そして三人ともそんなものを自分のロッカーに入れた心当たりはなかった。
 知らぬ間に三人のうちの誰かのロッカーに入れられていて、開けた拍子に落ちたものなら気づかなくても仕方がない。
「手紙みたいだな」
 フートが幼馴染の手元を覗き込む。
「……宛先も差出人も書いてないのですけど」
 ムースがそれの表と裏を確かめて眉根を寄せた。
 男子生徒のロッカーから少女趣味な封筒が落ちてくる。そのしちゅえいしょんが意味するものはただ一つ。
 問題は、その宛先が結局のところ誰なのか、封筒の上から見てもわからないことだけだ。
 男三人は一度お互いに視線を見合わせると、ムースへ――正確には彼女の手元へと再び注目する。
「よし、別に透視能力者でも接触感応能力者でもない俺たちがここで話あっていても埒が明かない。三人の同意の下、ムースに今開けて中身を読んでもらおう。それで本来の受取主が判明するはずだ」
「私が開けるんですか? うう、なんかいやだなぁ……」
 フートの結論にムースが微妙な表情になる。男友達が受け取ったラブレターの中身を、仮にも異性である自分が開けていいものかと。
 フートもアリストもレントも互いの恋愛事情を下世話にからかう性格ではないが、それでも微妙なものは微妙なのである。
「えーと、では行きますよ。『あなたの秘密を知っています。口外してほしくなければ、本日の昼休みに図書館の裏手に来てください』……え?」
 全文を読み上げたムースがぽかんと口を開ける。男三人も思いがけない内容に一様に目を丸くしていた。
 結局内容を読んでも宛先も差出人も判明はしなかった。だが問題はそこではない。
「ちょ、それって!」
「ラブレターなんていう甘酸っぱいもんじゃなく」
「ただの脅迫状じゃねーか!」
 そう、事件は、朝の昇降口で起きたのである。

 ◆◆◆◆◆

 一時間目と二時間目の間の休憩時間。

「はぁ? それで四人共今朝のHRに遅刻したの?」
「そうなんですよ~、私なんか完全にとばっちりです」
 フート、アリスト、レント、ムースの四人は、いつもつるんでいるメンバーの中では唯一あの場にいなかったギネカに事情を話して意見を求めた。
 乙女チック脅迫状の威力に驚いてうっかりHRに遅刻した四人は、担任に怒られながら慌てて授業の支度をし、とりあえず一時間目を無事に終えた。
 そして問題のピンクな手紙を呼び出し刻限である昼休みまでにどうするか決めなければいけないことに思い至ったのである。
「でさぁ、ギネカはどっちだと思う? この手紙、フート宛? レント宛?」
「ちょっと待てアリスト、さらっと自分を外してんな」
「そうだぞ、内容はともかく形式はラブレターっぽいし、お前宛てかもしれないじゃないか」
「えー、だって俺、秘密なんてねーぞ」
 手紙の内容は秘密を盾に相手を脅すものとなっている。自分に秘密などないと確信しているアリストは、この手紙が自分宛だとは露とも考えていなかった。
「というか、お前らは秘密って言われて何か思い当たるもんあんの?」
「え、そ、そりゃ」
「男ならちょっと人には言えないあれやこれやの一つ二つ……」
 フートとレントの二人は思わず顔を見合わせる。
「まぁ、疾しいことではなくとも、ちょっと人に知られたくないことの一つや二つ、誰にでもありますよね?」
「そ、そうだよな! さすがムース」
 笑顔でフォローを入れた幼馴染に、フートが勢いよく賛同する。
 先程から動揺のあまり吃りっ放しのフート=マルティウス。挙動不審を隠せていない通り、彼には秘密がある。
(フート、万が一とは思うけれど)
(ああ、そん時はそん時だ。どんな手を使ってでも誤魔化してみせるぜ)
(あなたが世間を騒がす怪盗であることを、こんなところで知られるわけにはいかないわよ)
 こっそり幼馴染同士で交わす言葉は、間違っても余人には聞かせられない本物の「秘密」だった。
 おかげでフートはアリストのように、この手紙は自分に関係あるはずがないと単純に切って捨てることはできない。
 幸いにもこの場では、正真正銘の世間一般的な高校生男子であるレントがフート寄りの意見であるため、そう疑われることもないようだが。
「アリストにだって秘密の一つや二つあるだろ?!」
「ねぇよ。俺に秘密なんてあるはずねーだろ」
「いーや、あるね! ないはずがない! 健全な男子高生たるもの、部屋の中にエロ本の一つや二つ、他の本のカバーと付け替えて隠し持っていたりするはずだろ!」
「レント、あんた今自分で自分の秘密を堂々暴露したわよ」
「はうわ……ッ!」
 勢い余って思わず本来隠しておくべきことを口にしたレントにギネカが容赦なく突っ込みを入れる。この際エロ本を持っているのはおいておくとして、何故隠し方までバラしたし。
 崩れ落ちるレント=ターイルを放置して、他三人の視線は話題の主であるアリストへと向けられた。
「で、どうなんだよ」
「だからないって」
「え? 本気で一冊も?」
 女性陣の冷たい目を気にしつつ、フートが尚もアリストに問い質す。この場合の目的語は「エロ本」だ。
「ない。そんなもんをうっかり姉さんに見つけられて軽蔑されるくらいなら、俺は性欲なんぞ捨てる!」
「「「「(この、シスコンが……!)」」」」
 周囲の心の声は、無言にも関わらず音が聞こえてきそうな程に一つだった。
 ジグラード学院高等部においてアリスト=レーヌのシスコンっぷりはあまりに有名である。なまじ姉のダイナが教師として勤めている関係で、誰もが彼女を知っているので始末に負えない。少なくとも学院内で見るダイナ=レーヌは、「こんなお姉さんがいたらいいなぁ」と男女共に憧れる理想的な姉なのだ。
 そんなシスコンはさておき、本題は手紙の差出人と送り先である。
「……ちょっと現物見せてくれる?」
 ギネカがムースからピンクの封筒を受け取った。男三人はそれを渡されたら最後、全ての対応を他二人から押し付けられそうだと戦々恐々として扱いを決めかねている。その間は折悪しく手紙を拾ってしまった女子のムースが預かっているという、何とも形容しがたい状況だ。
「へぇ……」
「何かわかったのか?」
 フートが横から彼女の手元を覗き込む。
「いいえ。ただ、私に言えるのは、こんな文面で恋の告白をしようなんていう輩と付き合うのはよした方がいいわよってことだけ」
 男子三人は頷き、アリストが代表して口を開く。
「HR前にロッカーの前で俺たちもそれを話し合ってた。送り主が誰で宛先が誰であろうと、こんなことをする相手からの申し出は断ろうって。まだ告白と決まったわけではないけれど」
 明言こそされていないがそれ以外の内容でピンクの花柄の封筒を使うとは考えにくい。けれどもしかしたら何か困ったことを頼まれたり恐喝される可能性もあるので、いっそ三人で行くか? とも彼らは考えた。
「そうね」
 ギネカは素っ気なく言いながら、ムースに手紙を返した。そして溜息と共に視線を一方向に向ける。
「手紙の宛先は多分、アリストなんじゃない?」
「なんで?」
 当の本人は、思いがけないことを言われたとばかりにきょとんとする。
「アリストが一番顔がいいし、中身を知らずに惚れられる確率は高いでしょう」
「でもそれならフートだって」
「ええ、フートもいい男よね。レントは……まぁ、うん」
「ギネカ酷い! そこはお世辞でも俺もいい男って言って!」
「はいはい、あんたもいい男よ。この二人よりは常識人で」
 そんなくだらないやりとりをしている間に、次の授業の時間を告げる鐘が鳴ってしまった。
「……なぁ、マギラス」
 担当教師が入ってきてもしばらくはざわめきの残る教室で、後ろの席からフートがギネカにこっそり尋ねる。
「お前はあの手紙を見て何かわかったんじゃないか? あれの宛先がアリストだってこと、確信を持っているんじゃないか?」
 アリスト本人は納得していなかったが、フートはギネカの口ぶりからそういう印象を得た。彼女自身は常にはっきり物を言うが、時折その時には確証がないはずの物事を推測ではなく断定することがある。
「……人に知られたくないことの一つや二つ、誰にでもあるんじゃなかったの?」
「……わかった。今は聞かねーよ」
 それを合図にフートは乗り出した身を戻し、ギネカは体の向きを正面へ直す。
 日直が号令をかけ教師が口を開く。前回の続きだと教科書のある頁を開くよう指示が飛んできた。
(秘密と言う程のことではなくても、言いたくないことはいくらでもある)
 ギネカが他者に言いたくないのは彼女自身が持つ力。接触感応能力者、サイコメトラーであること。
 普段は制御装置によって抑えているが、彼女はその気になれば人や物体に触れただけでその過去を見通すことができる。
(ま、秘密が秘密にならない人間もいくらでもいるけれど)
 ギネカは自分よりいくつか前の席に座るアリストの背を見つめながら、これから予測される展開に再び溜息をついた。

 ◆◆◆◆◆

 二時間目と三時間目の間。

「何をやっとるんだ、お前ら」
「あ、ヴァイスせんせー」
 教室移動の際に廊下で、彼らは魔導学の講義で縁深いヴァイス=ルイツァーリ講師とすれ違った。
 選択する人間が少ない講義の受講者という縁だけではなく、ヴァイスはアリストの家の隣に住んでいるということでもこのメンバーと関係が深い。
 顔馴染みの面々が額を突き合わせながら歩いている異様さに、ヴァイスの方でもついつい声をかけてしまったらしい。
「それが……かくかくしかじかで」
 一時間前にギネカにしたのと同じ説明を四人は繰り返す。
「ほぉ」
 内容は脅迫文とはいえ、手紙の体裁はラブレターだ。フートたちも普通の教師相手なら晒し者と言わんばかりにこんな話をしないのだが、相手はヴァイスである。
 ヴァイスは世間一般の人格者とは似ても似つかない性格である。しかしだからこそと言うべきか、彼に向ける生徒たちの信頼は投げ遣りかつ絶大だ。何かおかしい評価だがこれで合っている。
 どうしようもなく真面目から程遠いところにいる、それがヴァイス=ルイツァーリ。彼が頭の固い教師らしく不純異性交遊について生徒たちを説教したりしないということを、フートやアリストたち生徒の方でも確信している。
 この講師は間違いなく、自分が興味を持てばなんにでも首を突っ込み、気を惹かれなければ見向きもしない。
「――で、宛先がわからないもんで、結局誰が呼び出しに応えればいいのかわからなくて困ってるんですよ」
「宛先なぁ……」
 ヴァイスはピンク封筒を手に取りしげしげと眺めた後、左手に持った封筒に右手をかざすように――しかけてやめた。
「やめておくか。相手のレベルによってはこれによって逆に残留思念が破壊される可能性があるからな」
「ヴァイス?」
「あ! それってもしかして以前の講義でちょろっとだけ説明してた、物体に宿った残留思念を引き出す魔導ですか?!」
 訝るアリストを押しのけて、フートが確認する。
 現在ジグラード学院高等部一年において、フートは学年成績一位、アリストは二位。実力的に拮抗していると言われる二人だが直観力や閃きは圧倒的にフートの方が上だ。アリストはひたすら真面目に勉強して良い成績を得た生徒というだけの秀才であり、フートは本物の天才と呼ばれる。
「その通り」
「やってはもらえないんですか?」
「今言った通りだ。できないことはないが、失敗する可能性も高い。私としては下手に魔導で手を出すよりも、接触感応能力者に視てもらった方が確実だと考える」
「えー」
「何事にも向き不向きがある。この場合高位の魔導と低レベルなサイコメトラーが同じ結果を出せる。なら無理に魔導なんぞ使う必要はない」
「ちぇー」
 魔導と超能力は根本を同じくして似て非なるもの……というのが一般的な認識らしい。アリストたち学生が魔導をかじるぐらいの知識では両者を上手く説明することは難しいが、わかるものに言わせればその二つは同じ力でありながら、まったく別の能力であると。
「それに別に残留思念なんぞ読み取らなくても、内容である程度宛先は判別できるだろう」
「どういう意味だよ、ヴァイス」
「たぶんこの手紙はお前宛てだ、アリスト」
「だからなんで? ギネカにもそう言われたけどさ、俺に脅迫を受けるような秘密なんてないぜ」
「だからだ」
「は?」
 額面通りに受ければまるで矛盾するヴァイスの言葉に、アリストは目を点にした。
 秘密を盾に脅迫する手紙なのに?
「この面子の中じゃお前が最も『秘密』という言葉から縁遠い。だからこの手紙の宛先はお前で、差出人は恐らく――」
 ヴァイスが詳しく説明をしようとしたところで、次の授業の始まりを告げる鐘が鳴りだした。
「うぇええ! 急げ! もう鐘鳴ったぞ!」
「先生ありがとう!」
「失礼します~!」
「ちょっと待て、それで結局どういうことなんだよ~!」
「聞いてる暇ないわよ! 行くよアリスト!」
 教室移動の目的地にさえ辿り着いていないというのに、随分話しこんでしまった。鐘が鳴る間にダッシュで滑り込めばセーフだと、五人は一斉に駆けだす。
 話の途中で腰を折られたことに関しヴァイスはさして気にしない。それよりもこの場面で彼に言えることはただ一つ。
「廊下は走らない!」

 ◆◆◆◆◆

 三時間目と四時間目の間。

「はぁ……随分熱烈なラブレターね。文字通り」
「熱意の方向性が間違っているけどね」
 再び教室に戻ってきたアリストたちは、今度は他の友人たち、エラフィ=セルフとヴェイツェ=アヴァールに聞いてみた。
 もう後がない。四時間目の授業を終えたら、すぐに昼休みである。何とかこの時間内に結論を出さねばならない。
「もう正直に三人で行けばいいじゃん。落としちゃったから誰宛てかわかんなかったてへぺろって」
 アリストたちが誰と付き合おうが好きあおうが突きあおうが興味ないとばかりに、エラフィはそう言った。彼女の言葉の内容からも封筒を指先で抓む態度からも、これでもかと「てきとー」感が溢れている。
 中の便箋に書いてあった短い文章を一読したヴェイツェは、いつも通りに落ち着いた態度でこう言った。
「そうだね。僕もそれでいいと思う」
「え? セルフはともかくヴェイツェまでそう言うのか?」
 ヴェイツェがエラフィの意見に同意したことに、フートは目を丸くして驚いた。エラフィとヴェイツェは比較的気が合うがそれはお互いマイペースな個人主義同士というだけで、常にべったり同じ意見という訳ではない。
「でも相手は秘密を知ってるとか言うんだぜー、気味悪いじゃん! 変な対応して秘密をばらされたり、あることないこと変な噂を流されるとかさぁ」
 レントが唇を尖らせて抗議する。ヴェイツェはともかくエラフィは確実に適当に言っているだけなので、後のことを考えると簡単には納得しがたい。
 ただし、エラフィは適当だが、彼女と同じ結論を出したヴェイツェの考えはまた別のようだった。
「こんなもの、無視したって大したことにはならないよ」
「おいおい……」
 呆れ返るアリストに、ヴェイツェは熾火のような緋色の瞳を細めて笑いかける。
「そもそも、学院内で女の子が好きな男を手に入れるために握れる程度の秘密なんて……。簡単に尻尾を捕まれる程度の秘密なんて、秘密でないも同然だ」
「まぁ、一理あるな」
 フートがふむと頷く。
 帝都を騒がせる怪人マッドハッターとしての顔を持つフート。その重大な秘密は徹底的に隠してあって、普通の手段で探られることなどありえない。
 万一と思って慌ててしまったが、考えれば考える程、一般人にそれを知られる機会などなさそうだ。そして――。
「こういった形で使おうと思える程度の秘密なんて、別にばらされても痛くも痒くもないちゃちなもんだろう?」
「そうだな」
 ヴェイツェの第三者的冷静な意見を聞いて、フートも考えがまとまった。
 確かに彼の言うとおり、このような脅迫じみた恋文に使われる程度の秘密、ばらされたところで大したダメージになるはずもない。
「本当に重大な秘密は、知られた者だけでなく、知ってしまった方が困るようなものだよ」
 もしも学内で誰かが、フートがマッドハッターであることを知ってしまったら、それこそ相手の方が困るだろう。警察に駆け込んで同級生を売るべきかどうか、そもそも信じてもらえるかどうかひたすら頭を悩ませるはずだ。
「テレビドラマで通りすがりに殺人事件を目撃してしまった人間は何故殺される? それは彼らが知ってしまったからだ。怪談話で幽霊や妖怪の姿を見てしまった者は何故その後死んだり行方不明になったりする? やはり、彼らが知りすぎてしまったからだろう?」
「おっかねーこと言うなよ!」
「でも、ヴェイツェの言うとおりだよな」
 レントとアリストの二人も具体例を聞いて考えを纏め始めた。ヴェイツェの話は極端な例だが、秘密を知る者にもリスクがあるというのは尤もだ。
「だから手紙を無視しようとどんな対応をしようと、大きな問題にはならない。以上が僕の意見だ」
「おぉー、ヴェイツェすげー」
「格好いいー」
 成績で言えばこの学年の男子ではフートとアリストが飛びぬけているはずなのだが、純粋な頭の良さというのはそういった数値に換算できないものである。
「じゃ、休み時間には三人で行くか」
「そうだな」
「ああ」
 ようやく後腐れのない結論が出たところで、しばらく我関せずと飴を舐めながら話を聞いていたエラフィがにやりと笑う。
「ま、それで相手に逆上されてもせいぜいあんたらがホモだとかロリコンだとか適当な噂を学内に振りまかれるくらいでしょ? 細かいことは気にしないで、ガツンと言ってきなさいよ」
「「「全然細かくねーよ!!」」」
 手紙の送り主に会うのが、やっぱり不安になってきた三人であった。

 ◆◆◆◆◆

 そして問題の昼休み。

 図書館裏手に佇み人待ち顔でいたのは、清楚で大人しそうな可愛らしい少女だった。制服の様子からすると中等部らしい。普通の男子だったら少しは心が動きそうな相手だ。
 ところがどっこい、この三人は普通ではなかった。否、レントは少し顔を赤らめているが、フートとアリストはそうではない。幼馴染に振られ続けの学年首席と天下無双のシスコンにとっては、多少可愛らしいだけの女子に興味はない。
「で、どうすんの」
「行くしかないだろ」
 フートが残り二人を引きずる形で少女の前に姿を現した。
「この手紙の差出人はあなたですか?」
「え、あの……」
 確かに一人で来いとは書いていなかったが、こんな場面に友人連れで来るものでもない。思いがけず三人もの男子がやってきて、少女は動揺したようだった。
 三人でやってきた経緯を、フートが代表して説明する。
「……と、言う訳なんで、悪いけど三人で来ることにしたんだ。まぁ、元々俺たちは友人同士で互いの動向は基本的に把握しているし、こういうことになったからって君のことを遊び半分で茶化すような悪趣味な真似はしないと約束する。――君が呼びだしたのは誰だ?」
「れ、レーヌ先輩です」
「アリスト、御指名だってよ」
「え? 俺?」
 来たはいいものの本気で自分に関係のある話だと思っていなかったアリストはぱちぱちと目を瞬いた。
 ないと堂々宣言した通り、アリストはこの期に及んでも本当に自分の「秘密」とやらが思い当たらなかった。レントのようにエロ本の隠し場所一つにすら困るようなことはしていない。品行方正とはまた違うが、他人に握られて困るような秘密など持つような日常は送っていない。
「レーヌ先輩は、お姉さんのことが好きなんでしょう……?」
「あ、うん、そうだけど」
 少しは否定しろよ、というフートとレントの心の声を無視して僅かな躊躇いすらなく頷くアリスト。
「そ、それを学院内に噂として流されたくなかったら、私と付き合ってください!」
「ほへ?」
 あらゆる意味で思考回路がショートしたらしいアリストが妙な声を上げる。
(というか、この子、告白の言葉まで脅迫じみてるんだけど)
(ああ、もはや突っ込むのも疲れるな)
 恋愛の駆け引きに相手を脅すことがどれだけ有効かは知らないが、とりあえずこの子の場合はなんか駄目だと、フートとレントはアイコンタクトを交わした。
 脅迫じみた手段を取った割にそれを告げるやり方はストレート。まだ名前すらも名乗っていない。
 だがまぁ、変な搦め手を使われるよりも話はすぐに済みそうだ。
「あのさ……口を挟んで悪いんだけど」
 レントが恐る恐る、アリストを指差しながらその事実を告げる。
 アリストのシスコンは有名だ。ただし、高等部では。
 高等部以上の生徒ならともかく、編入生が多い中等部以下の生徒は知らない人間がいてもおかしくはない。そういう相手は大概アリストの外見だけで好青年だと思い込む。
 それでも学院内全体では、知っている人間の方が圧倒的に多い。
「こいつのシスコンっぷりなんて、高等部中心に多くの人が知ってるよ」
 アリストの同級生たる高等部生、ダイナの同僚たる教師陣はもちろん、食堂のおばちゃんに図書館の司書さんに学院内に住みついた野良猫、果ては講義の幾つかで顔を合わせる外部の受講生まで。
「え?」
「マジだから。試しに高等部の知り合いとか、部活の先輩とか、高等部に知り合いがいる同級生とかに聞いてみなよ」
「まず間違いなく『アリスト? ああ、あのシスコンね!』って返ってくるぞ」
「こいつ、俺らの学年のモテない男ナンバーワン。残念なイケメン界不動の王者だから」
「嘘だと思ってちょっと観察してみてもいいけど、たぶんそのうち君の方がこいつのシスコンぶりに幻滅すること請け合いだぜ?」
「お前らなぁ!」
 アリスト本人の抗議もなんのその、レントとフートの二人がかりで、困惑する下級生にいかにアリストのシスコンが知れ渡っているかを教えこむ。
 アリストの外見は確かに突出している。その分シスコン成分による彼の残念度は外見の麗しさに反比例する。
「……とにかく!」
 改めてアリストが、少女の目の前に立った。
「そういうわけで、別にそれ、俺の秘密でもなんでもないから。君とは付き合わない」
「そんな……」
「それに、こういうやり方はやめた方がいい。他人に自分を好きになってもらう努力を放棄して脅迫じみたやり方をしたって、幸せな結果を得られることはないよ」
 アリストは少女をきっぱりと振った。彼にとってこの状況には何の浪漫も未練もない上に、今回はかなり振り回されたので過剰に優しさを振りまく気などなかった。
 俯いて泣きだす少女にそれ以上かける言葉はない。
 本校舎の方で予鈴が遠く鳴り響く。
「……行くか」
 こうして彼らを振り回した騒動は一応の決着をみたのである。

 ◆◆◆◆◆

 その後の話。
「やはりそういうことだったか」
 今日の脅迫ラブレター相談をした面子が集まって、一緒に夕食を取っていた。
 本日の最終講義がヴァイスの授業で、そのまま全員アリストの家に流れた形だ。アリストの隣はヴァイスの家なので、そういう事情ならば彼も誘うと姉のダイナが言い出した。
 結局のところあのピンクな脅迫状はアリストへの間違った熱意によって綴られたラブレターであることが判明したので、その相談に乗ってくれたみんなにお礼をするという形だった。
 夕食のメニューは焼き肉である。ヴァイスの家のホットプレートを借り出して二台で肉や野菜をひたすら焼く。これだけ人数がいるとそう言ったメニューでなければ、料理をする方も手が回らないためだ。
 アリストもダイナも人と食事をするのが好きなので、高等部の友人連中がこうして家に押しかけるのはよくあることだった。
 アリストとダイナの姉弟にヴァイス、そしてフート、レント、ムース、ギネカ、エラフィ、ヴェイツェ計九人の、賑やかな光景だ。
「そういうことって……ヴァイス、やっぱりわかってたのかよ」
「当然」
 次の授業が始まるので聞き損ねたヴァイスの説明。その中に、昼休みにアリストたちが少女と会話した全てがあった。曰く、アリストについてよく知らない中等部の生徒が、外見だけ見て好きになったのだろう、と。
「アリストは見た目はいいって評判ですし」
 同じく手紙の宛先はアリストだろうと予想していたギネカが頷く。
「そう言えば、中等部での編入当初はアリスト君って人気あったんでしたっけ」
「まぁ、見た目は典型的な王子様だからな、アリストは」
 ムースとフートの幼馴染コンビが過去を振り返り。
「でも、僅か数か月でその重度のシスコンぶりが明らかになって」
 エラフィが後を引き継ぐと。
「女子連中の目がとっても生温くなったんだよな!」
 レントがトドメを刺す。
「今では学院内に所属している時間が長い人間で、アリストのシスコンを知らない人間はいないからねー」
「報復に関しては大丈夫そうだった?」
 肉を焼きながら適当に言うエラフィとは違い、ヴェイツェは一応その後の影響を確認した。だが彼も最初から無視しても問題ないと言い切っていた通り、あまり真剣な様子ではない。
「まぁ、大丈夫じゃないか? 食い下がる様子はなかったし」
「多少の未練があっても改めて校内でアリストのシスコンの噂を集めたら無事に幻滅して興味をなくすだろうよ」
 その時現場にいた、本人以外の二名が答える。レントもフートもアリストの外見だけは人気があることを知っているので、ある意味慣れっこだ。
 一方事情を聞いた女性陣は、男たちより遥かに手厳しい。
「これ以上やらかすようなら、その時は改めて潰せばいいんじゃない」
 エラフィが提案し。
「そうね。物知らずで迂闊な中等部生なんて相手にもならないし」
 ギネカが同意し。
「いくら好きでも、今回のやり方はちょっとどうかと思いますしねぇ」
 ムースですら止めなかった。
 脅迫的ラブレターには男連中も随分振り回されたが、女子たちもあまり愉快な気分ではなかった。
 あくまでも男が女に振り回されていた形なので今回は余計な手出しを控えたが、彼女たちは自分に対しそういう手段をとられたらそれこそ問答無用で相手を潰している。
「こらこらお前ら、その辺にしておけよ。お前たちが本気になったりしたら洒落にならん」
 ヴァイスが一応釘を刺す。しかしそのヴァイスもやる気なさ気であった。
 今回は相手がアリストだったので不発だったが、同じことをされたら傷つく相手はいるだろう。それを考えるとギネカたち女子連中の過激な報復作戦を本心では止める気にもならない。
「まぁ、一応その生徒の動向は私たちの方でも見張りますから、みんなはしばらく気にしないで生活していていいわよ」
「姉さん、なんで」
「ダイナ先生……知ってたの?」
 昼間の学院では事情を相談されず、この夕食を取りながら初めて聞かされたはずのダイナ。しかし全てを理解し対処するというその返答に、生徒たちは怪訝な顔をする。
 アリストたちは結局相手の少女の名を聞きそびれて、中等部のどのクラスの生徒だかもわからないのだが――。
「ここ最近中等部でやけに視線を感じるな、って思っていたの。今ようやく納得したわ」
「姉さん……」
 相手も敵が強すぎた。アリストの最愛の姉ダイナは、伊達に世界一の学校で教師として勤めていない。幼い少女の浅はかな恋心から来る嫉妬などとっくに把握済である。
「ま、私とダイナである程度はその生徒を見張る。変な行動に出ようとしたらその時はちゃんと報告してやるから、先走って後輩に先制攻撃を仕掛けたりするなよ?」
「はーい、ヴァイスせんせー」
「わっかりましたー」
 生徒たちは一様に、やる気なく良い子の返事をかえした。

 ◆◆◆◆◆

「それに、こういうやり方はやめた方がいい。他人に自分を好きになってもらう努力を放棄して脅迫じみたやり方をしたって、幸せな結果を得られることはないよ」

 少女は知らなかった。アリストにとって最も秘密を作りたくない相手はダイナ。彼女にだけは嘘をつきたくないし、つかない。
 心配をかけたくないなら心配はないと嘘を吐くよりも、心配そのものがなくなるように努力するほどに。
 確かにこの時ダイナの存在は、アリストの全てだった。

 そしてアリストも知らない。
 この先自分が“白兎”という怪人と出会い、あまりにも非現実的な運命に直面し、最愛の姉に嘘をつき続けなければならない事態に陥ることを。

 ◆◆◆◆◆

「“他人に自分を好きになってもらう努力”か……」
 アリストが少女を振った時の言葉を思い出して、フートは独りごちる。否、独り言のつもりだったがしっかり聞かれていて、聞き返された。ギネカに。
「なあにそれ」
「今日アリストが言った言葉だよ。“他人に自分を好きになってもらう努力を放棄して脅迫じみたやり方をしたって、幸せな結果を得られることはない”ってさ」
 レーヌ家で夕食を御馳走になった帰り道、フートたちアリストの友人一同は、道幅を占領しないよう二人ずつ並んで歩きながら、今日の出来事を振り返る。
「ああ……アリストなら言いそうね」
 アリストのシスコンは学院内でも有名だ。
 そして、レーヌ姉弟が親の再婚による義理の姉弟だということも。
 その両親が、再婚して僅か一ヶ月程で事故により亡くなったことも。
 庇護してくれる両親が亡くなった時、ダイナは二十歳、アリストは十二歳だった。二人には碌な親戚がおらず、血縁上ではもはや天涯孤独と呼んでも差し支えない。
 ダイナはようやく自活を始めたばかりで、アリストはまだ小学生。元々一ヶ月前まで赤の他人だった者同士だ。いっそここで他人に戻ると言う選択肢すらあった。
 けれどダイナとアリストの姉弟は、その道を選ばなかった。
 あの二人は、努力して「姉弟」の関係になったのだ。本来なら二人の親を通じて自然に育むはずだった関係が壊れた時、一から自分たちの手で作り上げることを選んだのだ。
 アリストの行きすぎた姉への愛情は、事情を知らぬ者が見れば今回のように異常なことと認識されるだろう。
 学院内でアリストがシスコンとからかわれることはよくある。けれど悪意を向けられることが少ないのは、あの二人がどれだけ努力して今の「姉弟」という形になったかを、長年付き合ってきた学院の人間たちは知っているからだ。
 血縁上では赤の他人。けれど姉弟。だからアリストは「シスコン」なのだ。姉であるダイナを弟として誰よりも愛している。
 まぁ、それが行きすぎて、中身を知ると途端にモテない男となるのは事実だが。
「それにしても、秘密と言う言葉から一番縁遠いアリスト君がそんな誤解をされていたとは本当に不思議ですね」
「誤解なんてそんなもんじゃない? 後から確認したら『なーんだ』の一言で終わるようなことばっかりよ」
 ムースとエラフィが今日の騒動を引き起こした例の一言に着目する。脅迫以前に、脅迫内容である「秘密」の存在が、問題をややこしくしていた気がする。
「秘密、ねぇ……男子連中は今日の騒動で御覧の通りって感じだったけど、ムースは何か秘密あるの?」
「あったとしても、言いませんよ。何せ秘密ですから」
「そりゃそうだ」
 けらけらと笑うエラフィは知らない。
 フートは最近帝都を騒がせている泥棒、怪人マッドハッターであり、ムースはその相棒であるドーマウス、“眠り鼠”のコードネームを持つことを。
「ギネカはー?」
「ムースに同じく。さすがにアリストみたいに秘密なんてないと言い切ることはできないわね」
 ギネカは隠している。
 彼女自身が接触感応という超能力を持っていること。そして幼馴染のネイヴ=ヴァリエートが怪盗ジャックであり、ギネカ自身は少しだけ彼の仕事を手伝うコードネーム“料理女”であることを。
「で、そのエラフィは」
「私? 私に秘密なんてないよん」
 エラフィは二重人格だ。もう一人の人格のことはエラフィ自身よく知っており、 しょっちゅう脳内で会話をしているが、誰も気づかない。
 もう一人の人格は男性で、彼女は彼に「エイセル」と言う名をつけた。
 しかしこれらはエラフィにとって秘密でもなんでもなく、特に隠している気はない。 単に気づかれていないだけだ。
 聞いたヴェイツェがくすりと笑う。
「そういうところ、エラフィってちょっとアリストと似ているかも」
「えー、あのシスコンと?」
「不満そうだね」
 エラフィが今日の手紙と同じものを受け取ったら、その反応はアリストと同じになるに違いない。
「私のことはもういいよ。それよりヴェイツェはどうなのさ。あんたも本棚にカバーを付け替えたエロ本を隠してるの?」
「ああ、秘密が、俺の秘密が白日の下にぃいい!!」
「うるさいわよレント」
「諦めろレント、これに関しては自爆したお前が悪い」
 昼間のうっかり発言を蒸し返されて頭を抱えるレントをマイペース二人が追い抜いていく。ギネカとフートが道端に立ち止まった迷惑な物体を引きずっていた。
 背後の喧騒を置き去りに、ヴェイツェはエラフィの隣に並び直して告げる。
「僕の秘密なんて、聞いた方が困ると思うよ。秘密ってのはそういうものでしょ?」
「そうかもね」
 ――彼らは知らない。
 ここ数年の付き合いであり、日常的に仲良く話をする友人たちの姿の一部を。
 意図的に隠している者、積極的に偽る者、隠してはいないが気づかれていない者、抱える事情はそれぞれだが、その誰もが他人に知られざる一面を持っていることは確かな話。
 秘密を持っていても友人でいられるのか、だからこそ友人関係が成り立つのか。
 隠された「秘密」が暴かれる時、何が起きる――?
「でも私、ヴェイツェがどういう秘密を持っていたとしても、たぶん普通に友達でいると思うよ。みんなも」
「ありがとう、エラフィ」
「なんならアリストとダイナ先生がよくやってるみたいに、小指を絡めて約束してもいいけれど」
「ピンキー・プロミス……指切りだね。別にそこまでしてくれなくてもいいよ」
 もうすぐ春休みに入る。兎も狂う三月の終わりは短く、そこからすぐに新学期が始まり、彼らは高等部二年生になる。
 約束のない未来がやってくることを、今はまだ、誰も知らなかった。

 了.

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