第1章 勇者
001:英雄の息子
「だーかーら、断るって言ってるだろうが!」
少年の怒号が荘厳な王宮に響く。その声に負けじと吼える女性の声もまた、装飾の施された壁に思い切り反響した。
「だーかーら、その断るのを断ると言っておるだろうが!」
「ガキかよ!」
「本物のガキに言われたくないわ! ……サン! お前、それが十三歳にもなって自国の女王に対する態度か?」
「アルマンディン、それが今年三十歳になる女王の態度なのか?」
どっちもどっちだ。
見ている周囲はそう思ったが、二人の激しい怒鳴り合いに口を挟むこともできず、喉が枯れそうな勢いでやりとりするサンとアルマンディンを見守るしかできなかった。
見守る。つまりは何もしないということである。
――サンは、銀髪に碧眼の少年だ。年齢は十三歳。癖のない端正な顔立ちをしているのだが、浮かべている表情は日頃からかなり険しい。人を寄せ付けない雰囲気を持っている。
以前は王宮に住んでいたが、五年前に父クオが亡くなったことを切欠に王都を離れていた。
しかし今回、使者にわざわざ放浪中のサンの居場所を突き止めさせてまで、女王は彼を王宮に呼び寄せたのだ。
昔馴染みの女王の要請。本人の性格を知っているだけに嫌な予感しかしないサンだったが、使者に鬱陶しいくらい粘られて仕方なく王都までやってきた。
案の定アルマンディンの要請は、サンにとっては快諾できるような案件ではない――。
「どうしても嫌か?」
「嫌だね。そもそも俺は、それが嫌で王宮を出たんだ」
「ふん、お前がそんな繊細な性格だったとはな。“英雄”の息子」
「!」
二人は再びぎりぎりと、音を立てて火花が飛びそうな強さで睨み合う。
――グランナージュ王国の女王アルマンディンは、今年三十歳になる。赤葡萄酒のように鮮やかな紅い髪と瞳の、迫力ある美人である。
世界中に魔獣が跋扈した時代を乗り越え、今度は魔族と睨み合うこの時代に女王として国を支配するだけあって、彼女の威勢はかなりのものだ。
アルマンディンが今回、サンを王都に呼び寄せたのには理由がある。サンにとっては理不尽な命令、けれど女王としては大陸を救うために必要なことだと断言するに足る理由が。
「やれやれ、どうしたもんかねこれは」
謁見の間の入り口近くに佇んで控えていた青年が苦笑いしながら言う。
「……フェナカイトさん、本当にあんな奴を認めるんですか?」
彼の隣に立つ少年は、眉間に皺を寄せながら尋ねた。
「女王陛下の御望みじゃ仕方ないでしょー」
不満そうな少年ユークの言葉に、青年フェナカイトは真意の見えない飄々とした口ぶりで返す。
今回サンを王都に――この王宮にまで連れてくるよう命令された使者は彼ら二人だった。
そしてユークとフェナカイトは、立場的にこれからのサンと同じ存在でもある。
「彼が、三人目の“勇者”だ」
◆◆◆◆◆
創造の女神が創り給いし世界フローミア・フェーディアーダ。
かつて世界には数多の神々がいたが、驕り高ぶる一人の魔術師が邪神と手を結んで神々に反逆し、創造の女神から名を奪った。
創造の魔術師・辰砂と呼ばれたその魔術師は破壊神に倒される。しかし、彼はそこで滅びなかった。地上で何度でも蘇り、世界各地に邪悪なる魔術師の伝説を遺すこととなる。
――そして数千年後、魔術師と邪神の間に何があったものか、今度は邪神が世界を滅ぼそうとした。
創造の魔術師は自らの棲む世界を壊されてなるものかと、邪神と戦った。
その結果、神と魔術師、二つの魂は無数に砕けた欠片となって、世界各地に飛び散った。
まるで空一面に黒い流れ星が振り注いだようだと、今も「黒い流れ星の神話」として伝えられている。
そしてここからが問題だった。
世界各地に飛び散った邪神の魂――黒い流れ星は、あらゆる場所、もの、生き物の上に降り注いだ。
黒い流れ星を注がれ邪神の魂の一部分を引き継いだ生き物は、破壊衝動に狂わされ暴走する“魔獣”になってしまう。
世界中を跋扈する魔獣は人々を襲い、人類は魔獣の手に寄って滅びの危機に瀕した。
この時、各地で魔獣に立ち向かった存在を、人々は勇者と呼んだ。
世界各地に現れた魔王に、幾人もの勇者が立ち向かう。
千年以上に渡り幾度となく繰り返された戦いは、五年前、ようやく人の勇者が最後の魔獣の王を倒したことで終わりを迎えた。
中央大陸と呼ばれるこの地に平和をもたらした英雄の名はクオ。勇者クオである。
――しかし、永い戦いは大陸に新たな火種をもたらした。
人間と魔獣との戦いは終わった。
そして今度は、人間と魔族との戦いが始まったのだ。
かつてこの地上で神々の庇護の下、共に暮らしていたはずの二つの種族はいつしかすれ違い憎み合い始めた。
切っ掛けは魔獣の存在。地上で最も数が多い人類に比べて魔族は数が少なく種族が多い。能力や外見が魔獣に似ている者も多く、人間はその力を恐れて彼らを排斥する。
そうなればもちろん魔族の方も黙ってはいない。魔獣と言う共通の敵を失った二つの種族の摩擦は熱を生み、憎悪の炎となって一気に燃え上がった。
今では魔王と言えば魔獣ではなく、魔族の王のことを指す。人間は現在、魔族と戦う必要に迫られている。
――勇者クオの息子、サンは魔族の王を討つ次の勇者とさせられるために、女王アルマンディンに王都へ呼ばれたのだった。
◆◆◆◆◆
かつて、勇者クオはグランナージュ国王の後見を受けて戦っていた。享年二十八歳、生きていれば今年三十三になる男だ。ちょうど当時の国王の娘、現女王でもあるアルマンディンと似たような年頃である。
クオとアルマンディンは親しく、クオの息子・サンもアルマンディンとはかなりの付き合いになる。当時の勇者が当時の魔王を倒すまでに、八年近い歳月がかかっている。
サン自身は王族でもなんでもないが、そういう事情で王宮で育ったため、顔馴染みも多い。
「相変わらずだな、お前も」
「パイロープ」
女王の傍らに侍る女騎士、パイロープが言った。
肩口まで伸ばした褐色の髪に真紅の瞳。装飾的な革鎧が良く似合うすらりとした立ち姿。
長く公式に発表されていなかったが、パイロープはアルマンディンの異母妹である。先王が手を付けた平民の侍女から生まれた娘で、アルマンディンに仕える使用人として育てられていた。
彼女の境遇を知ったアルマンディンは、幼い頃からこの歳の近い異母妹に目をかけ己の騎士となるよう教育させた。姉の期待に応えたパイロープはその辺りの男などものともせずに戦士としての腕を上げ、アルマンディンが玉座に着くと同時に王の護衛騎士となった。
そして彼女は、サンに基礎的な剣技を叩きこんでくれた師匠でもある。
「まぁ、元気そうで何よりですよ」
「グロッシュラー……」
グロッシュラーは今年二十三歳の青年。
緑髪に橙色の瞳、それよりも彼を特徴づけるのは、今も着ている研究者らしい白衣だ。
パイロープと同じく彼もアルマンディンの異母姉弟。グロッシュラーは幼い頃から神童の片鱗を見せていた。
彼の才能の方向は王の資質ではなく、学者向きのものである。異母弟の才能を知った、当時王女として力をつけ始めていたアルマンディンは、彼がその頭脳を最大に発揮できる環境を整えることにした。
今ではグロッシュラーは、王国一の科学者と呼ばれている。
サンはアルマンディンとも昔馴染みだが、剣の師であるパイロープと、幼いサンの面倒を主だって見てくれたグロッシュラーとも親交が深い。
「あんたたちは正気か? 魔族と戦争をするために、わざわざ父さん以来の勇者を『作る』なんて」
勇者の傍にいたからこそ、この二人は誰よりも勇者の苦悩も理解していたはずではないのか。
「……最近は魔族の襲撃が頻繁になり、国軍だけで被害を抑えるのも厳しくなってきた。限界が近い、と誰もが感じているんだ」
「……彼らは本気で僕ら人間を滅ぼす気なんだって。そういう宣戦布告があったんだ」
混乱を避けるため民衆に発表はされていないが、魔族側から宣戦布告があったと言う情報は、各国の上層部で交換されている。魔族は藍の大陸中全ての王国に布告をしたのだという。
だから。
救いが、希望が、人類にはそれらを体現する勇者が、必要なのだと。二人は言う。
女王がそれを強いる。
「それで」
話を聞いているうちにサンは怒りが湧いてきた。ここ数年、あえて人と最低限しか関わらないために殺してきた感情が蘇る。
アルマンディンもパイロープもグロッシュラーも、知っているくせに。勇者からすぐに死した英雄と変わったクオの末路を。
「今度は俺に、父さんの代わりに生贄になれっていうのか? 大陸に平和をもたらして、役目が済んだらもう必要はないと言わんばかりに暗殺されるだけの勇者に」
「暗殺……?!」
「何の話だ? クオ様が暗殺されたなんて、聞いたことがない」
サンの言葉に、ユークとフェナカイトが顔色を変える。彼らももちろん英雄クオのことは知っていたが、英雄が暗殺されたなどと聞いたことはない。
公式にはクオは、魔王を倒してすぐの五年前、その時の傷が元で亡くなったとされている。
「陛下」
ユークが玉座の女王を見上げる。アルマンディンは誤魔化すことなく、次の勇者となるべくして集められた者たちに告げた。
「事実だ。英雄クオは、五年前に暗殺された」
それが、サンがこの王宮から離れ、一人で生きていくことを選んだ理由だった。