第2章 望みの先
007:王の望み
「本当に良かったのですか? これで」
勇者たちが去った王堂。グロッシュラーが静かに尋ねた。
魔族の脅威を抑えるためとはいえ、彼らのやり方は決して綺麗なものではない。そのツケを、サンやユークのような少年たちに背負わせることになるなんて。
「あまり奴らを侮るな、グロッシュラー。あいつらだってそのぐらいのことはわかっている。あるいは、大人になると共にその辺りの感覚が鈍ってしまった私たち以上にな」
先を見て何かを切り捨てることになど、とっくに慣れてしまったのだとアルマンディンは悲しく自分自身を嘲笑う。
彼女は勇者にはなれない。
「しかし……クオ様を殺した暗殺者が、本当に見つかるとは」
「サンの強運か執念か……それとも、悪運という奴かな?」
クオを殺したという事実から予想されていた通りだったが、相手はかなりの凄腕だ。
「フェナカイト辺りを後でまた呼ぶか。もう少し詳しく話を聞きたいな」
「またそうやって、彼だけ悪巧みに付き合わせる」
「子どもを巻き込むなとお前が言うから、唯一の成人男性が矢面に立たされるんじゃないか」
「けれど適任でしょう。年齢を置いて考えても、彼が一番公平で中立な視点の持ち主です」
「さすがの自制心だな。やはり奴をユークたちと組ませて良かった」
「クラスター将軍は陛下に忠実なのはいいんですが、少しその……」
「頭が固い。融通が利かない」
ユークは実力も確かだし信用はおけるのだが、たまにそれ以上に問題視されている部分がある。
「先程の会話からすると、ラリマールもある程度公平な性格をしているようですが」
「さすがに得体が知れなさすぎる」
「それに、そのラリマール自身がサンの味方を公言したからな。ああいうタイプは腹を決めてしまえば絶対に意志を変えない。一体サンとどこで出会ったのだろうな?」
既存の権力の枠組みに近く、しかしそこから外れた場所で育てられたサンには女王の威光などと言うものは効かない。そのサンに肩入れするラリマールも相当なものだろう。
「彼は……何だと思います?」
「恐らくお前と同じことを考えているよ、グロッシュラー」
ラリマールの素性について、戸籍と言う明確な証拠を伴って照会はできないが、アルマンディンたちは一つの推測を立てていた。
「だが私は気にしない。使えるものは何でも使えばいい。それが人間であろうとなかろうと」
普通ならば嫌悪を示すかもしれないその予想も、アルマンディンはまるで気にした様子もなく受け入れる。
「ようやく魔王に対抗できるだけの勇者が揃ったのだ」
現在人類が魔族と敵対しているからと言って、全ての人間が味方同士という訳ではない。争いはむしろ、同族同士の中でこそ熾烈になるのだと、彼女はその玉座に着いた時に知っている。
そして自らは誰よりもこの大陸に争いを広げる王になるのだと。
「―これでようやく、戦いを始められる」
◆◆◆◆◆
その城は燕の巣のように岩壁に張り付く形で存在していた。
空中城塞と呼ばれる、岩塊の上に建つ城は尖塔と窓が多い優美な外観だ。
魔王は翼を持つ一族で、彼の眷属であり配下でもある無数の鳥たちが周囲を飛び交っていた。
しかし現在、その優美な城の中では青年の怒号が響いている。
「天空、てめぇ! よくも俺の部下を使い潰しやがったな!」
「何の話だよ、スー」
メルリナの魔導で本拠地である魔王の居城に戻った天空は、早速同僚の一人に捕まっていた。
魔王の城と言うが、その様子は人間の王の城とさして違いはない。魔族とは言っても、人間と見た目や身体能力がほとんど変わらない者も多いからだ。
この城の主は、鳥のような翼を持つ有翼人と呼ばれる種族だ。そのためいくつか必要な階段がなかったりするのだが、元々暗殺者としてどこにでも忍び込めるよう鍛えている天空には、特に不便は感じられなかった。
天空という通り名の暗殺者は、あらゆる意味で魔族側の人間である。その超人的な戦士の実力としても、人間を殺すことに躊躇いの一つ、情けや容赦の欠片もない姿勢としても。
けれど敵対種族の一員である彼女を良く思わない魔族も勿論大勢いる。その一人がこの青年――魔王配下の一人、スーだった。
緑髪緑瞳。外見上はどこにでもいる、少し粗暴な人間の青年にしか見えないだろう。年齢は十九歳。
けれど彼は生粋の魔族であり、人間嫌いの魔族の筆頭である。
人に近い見た目故に、昔は人の近くで暮らしていた。しかし魔獣と魔族を混同した人間から、彼が家を空けている間に家族が皆殺しにされてしまった。
スーは家族を殺した人間を殺し、それでもまだ怒りが収まらないと、人間と言う種族そのものの殲滅を望んでいる。
人間と敵対する魔族の中でも最も過激な思想の持ち主だが、それ故に人間に恨みを持つ同胞からの支持は絶大だった。
魔王の懐刀とも言うべき将軍の一人である。
「お前に貸した俺の部下が五人も死んだと報告を受けた! てめぇ、その場にいやがったんだろ! なんでそんなことになった! 俺の部下が殺されるところを、黙って見てやがったのか?!」
「人聞きの悪いことを言うなぁ」
「人じゃねぇよ! 魔族だ!」
「ただの言葉の綾だっての。私の実力を買ってくれるのは嬉しいが、そう言われてもこちらにもできないことはある。向こうの勇者三人のうち一人がまったく容赦のない殺し振りでね。止める暇もなかったんだよ」
「む……」
「聞かなかったかい? 人狼五人を殺したのは、全部同じ奴だって」
「そう言えば、みんな赤毛のガキに殺されたと……」
「向こうも二人は極力怪我をさせずに叩きのめすに留めていたんだよ。隊長には勇者の方から撤退を促していたしね。だから殺された奴ら以外はメルリナが回収することができた。しかし即死させられた奴らに関しては、私にもどうしようもないよ。天空が悔やみの言葉を述べていたと、お前の部下たちに伝えておいてくれ」
「……」
単純なスーは天空の言い分を半ば信じてしまった。まだ疑心暗鬼の部分はあるが、直情径行ながら相手の言い分に一理あると思えば強く出られない性格でもある。
「なあ、メルリナ」
気配も感じさせず楚々と近づいてきたはずの魔導士の存在に気づき、天空は話題を振った。
「メルリナ、こいつの言うことは本当か?」
同じ魔族であるメルリナのことはスーもそれなりに信用しているらしく、天空の言葉の確認をとるように尋ねた。
「ええ。大体は彼女の言った通りですよ。私が闇の顎(あぎと)を開く間もなかった。彼らには可哀想なことをしてしまいましたわ。勇者などという、正義と言う名で己を修飾した野蛮な相手の矢面に立つのを自ら引き受けた、勇敢な者たちでしたのに……」
「そうか……」
メルリナの補足を聞いて、スーは沈痛な面持ちを浮かべる。しかし彼が威勢を失ったのは一瞬だった、次の瞬間には緑の瞳に劫火のように燃え滾る激しい憎しみの色を浮かべている。
「おのれ、人間共め……!!」
人間嫌いの感情が強い分、彼は仲間に対する情に厚い。魔王からの任務とはいえ、命を失った部下たちを想い、また新たに人間への恨みを新たにした。
生き残った部下たちを労い、死者を弔いに行くのだろう、彼はメルリナに一言礼を言うと踵を返した。
その後ろ姿が広間から消え去り閑散とした静寂が戻ったところで、メルリナが口を開く。
「それで? 本当に天空の腕でも彼らを救うことはできなかったのですか?」
「やれたとしても三人くらいかな? 最初に即死させられた二人は無理として、次の一撃より前にあの赤毛を抑えこめば。でもあのタイミングで出るのはちょっとねぇ」
あまりこちらの計画が狂うのも困るのだ。天空はそう言って肩を竦める。
スーが聞けば再び烈火のごとく怒り狂うだろう本音だった。
「そういうメルリナこそ、本当に奴らを憐れだと思っているのかい?」
「彼らが一般的な評価で可哀想な立場であったことは間違いないでしょう。私自身がそう思ってはいなくても」
メルリナは今もにこにこと、陽だまりのような笑顔を浮かべている。
彼女は邪神と呼ばれし背徳の神、この世に魂の欠片を鏤め無数の魔獣を生み出した存在でもあるグラスヴェリアの信者だ。
邪神と謳われる神を崇めるだけあって、その冷酷さは暗殺者である天空に匹敵する。
どちらの女が真に冷酷なのかという問いは、二人の間では意味をなさないものであった。
「やれやれ、酷いことを言うな。二人とも」
「アンデシン」
城の主がようやく帰還する。
「お帰りなさいませ、魔王陛下」
「ただいま、メルリナ、天空。君たちも御苦労だった」
赤髪赤瞳の、一見して爽やかな雰囲気の青年だ。程良く鍛えられた長身に、簡素ながら最高の計算を施されて作り上げられた防具。年齢はまだ二十歳かそこら。
けれど彼こそが、人類を再び恐怖に陥れ、その殲滅を目論む魔王アンデシン。
人間に虐げられた同胞たちの強い願いによって選出された、地上の魔族の王である。
「勇者と戦って来たんだって? 何か変わったことはあったかい?」
二人の女はちらりと目配せを交わし合った。
「なんだ、随分意味深だな」
「それが陛下、実は、報告すべき事柄がございまして……」
天空とメルリナは、先の戦いの結果を報告する。
人が魔族を滅ぼそうと画策する間、こうして魔族たちも人間を絶滅させるために真剣に策を重ねるのだった。