第3章 聖者の選択
013:祈りの果て
王都に戻ったサンたちは、アルマンディンに一連の出来事を報告した。
「なるほど。そんなことがあったのか」
フロー一行が軍人の住んでいない小さな村を焼き討ちしたこと、魔王軍の進軍が早かったのは、その村を救おうとしたからではないかという推測も交えながら伝える。
一通り話を聞いたアルマンディンは、考え込むように顎に指を当て腕を組んだ。
「なるほどな……魔王側の進軍理由はわかった。フローの言い分もわからんではない。まぁ、好きにやれと命令を出したのは私だ」
「……あんまり気分の良いもんじゃないぜ。魔族とはいえ、立って歩けるかどうかもわからない子どもの死体を埋めるってのは」
「埋める? そうかお前たちが埋葬してきたのか」
アルマンディンの玉座の脇に立つパイロープは努めて表情を消し、グロッシュラーは苦い顔をしている。
「すみません女王陛下、次の命令はありませんよね? 報告は以上ですので、俺はこれで失礼します」
「ああ。御苦労」
数日はしっかり休養するようにと伝えるアルマンディンに一礼し、珍しい事にフェナカイトは真っ先に退室する。
同じことをラリマールも疑問に思ったらしい。気遣わしげにその背を見守りながら口を開く。
「珍しいな。フェナカイトがあんな態度をとるなんて。……そう言えば彼は、ユークたちと別れて魔族の村の埋葬を行ったり、女王様の思惑とは少し理念が違うようだが……」
「ああ、まぁ、あ奴はな」
アルマンディンはその辺りの事情をすでに承知済のようで、フェナカイトの行動について疑問を覚える様子もなければ、彼女の意図の埒外だと諌めるような素振りもなかった。
その態度は恐らくフロー一行にもそう告げたのだろうと思われる「好きにやれ」だ。
「フェナカイトはとある事情で、今まで自分が尽くしてきた全てに裏切られたのさ。だから魔族も人間も、争いを巻き起こす総てを憎んでいる」
「総てを?」
「そう、自分自身の存在さえも」
「……」
フェナカイトは確か、女王が勇者に推薦したと言う話をサンは思い出した。
「それがユークのような魔族への激しい嫌悪から来る激情とは違うので誰も気づかないだけだ。見た目の軽薄さ程軽い人生を送ってきたわけじゃないぞ。まぁ、この時代だ。人に言えない事情のある者など一人二人ではないが」
誰もが過去を持っている。勇者たちも、女王とその部下も、冒険者一行も、そして……魔族たちも。
スーの弾劾の叫びがサンの耳にこびりついて払えない。今の自分の立場からすればあまり気にしても良いことはない。わかっているのに。
何のために戦うのか。取り戻すべき平和は、一体誰のためのものなのだろうか。
――いや、いいのだこれで。サンが勇者になったのは、父を殺した暗殺者・天空を殺して復讐を果たすためだ。それ以外の理由なんていらない。
いらないのだ。
「まぁ、お前たちもよくやってくれた。次の依頼があるまでしばらくゆっくり休め」
「次はこんなトラブルじゃなくて、魔王を倒すために自分たちからこの城を出発したいもんだけどな」
「そうだな。城の兵士の訓練用施設を優先的に使えるよう権限を与えておくから、せいぜい今のうちに鍛錬してくれ」
「了解」
サンとラリマールも王堂を辞した。
◆◆◆◆◆
「あれ? あなた方の報告はもう終わりですか?」
「ユーク」
王都へは先に戻ったが、サンたちとは別の意味で今回の任務の事後処理に追われていたユークと王堂の入り口で鉢合わせた。
四人の中で宮廷人と言えるのはユークだけなので、必然的に王城内での細々とした手続きは彼が一手に引き受けることになる。
「後始末は終わったのか? でも報告ならすでにパイロープ閣下がしていたぞ?」
「だからって女王陛下の御前を素通りする訳ないでしょうが! 勅命を受けたのに帰還の報告をしないなんてことがありますか!」
「あーはいはい、お前が真面目なのはもう十分わかったから」
「まったくお前たち二人は……って、フェナカイトさんは?」
いつの間にか呼び方が「あなた」から「お前」というぞんざいなものになっているのは気にしない方がいいだろう。
「先にさっさと引き上げた」
ラリマールの言葉に、ユークがきょとんと瞳を丸くした。
「それは珍しいですね」
付き合いの短いサンやラリマールだけでなく、やはりユークにとっても珍しいと感じるようなことなのだ。
「ユークはフェナカイトの行きそうな場所に心当たりはあるか?」
「ないことはありませんけど、今は行かない方がいいと思いますよ。放置されますから」
「……どういうことだ?」
ユークは廊下の窓からある方向へ視線を向けて言った。
「フェナカイトさんがいるとしたら、多分王宮の敷地内の隅にある聖堂です」
「聖堂……?」
「これまでも何度か一緒に出撃したんですけど、あの人は戦いが終わるといつも聖堂で何かを祈っているんです」
「祈り……?」
サンとラリマールは顔を見合わせる。
「随分信仰熱心なんですね、と思わず言ったことがあるんですが、笑って否定されました。『そんなことはないよ』」
ユークの言葉は、そのままフェナカイトの台詞なのだろう。この言葉を口にした時、彼は一体どんな表情を浮かべていたのだろうか。
今のサンとラリマールには、そこまではユークの様子からは掴めない。
「『もしも俺が本当に信心深かったら、今勇者としてここに立ってないよ』って……どういう意味なのか、正直僕にはよくわからなかったんですが……」
けれど二人の少年は、魔族の村で墓を作り、丁寧に花を供えていたフェナカイトの姿を思い出した。
「確かに、フェナカイトが祈りを捧げているのだというなら邪魔をしない方が良さそうだな」
「ああ。信仰だのなんだのっては、俺にはよくわかんないけど」
三人は少しだけ話をしてそのまま別れた。ユークはアルマンディンへの報告に行き、サンは体を休めるために自室へ戻る。
そしてラリマールは――行かない方がいいと言われた聖堂へと向かった。
◆◆◆◆◆
「祈っているのか? 殺された魔族のために」
聖堂の中。十字架の前で跪き祈りを捧げているフェナカイトの後ろ姿に、ラリマールは尋ねかけた。
あえて気配は消していないので、しばらく前から彼もこちらに気づいてはいるだろう。
「……神の前では、みんな平等だよ。大人も子どもも、王も平民も、そして人間も魔族も――」
立ち上がりはしたものの、こちらを振り返らないままでフェナカイトはそう口にする。
「俺には祈ることしかできない。今も昔も……」
「……」
ラリマールは少し考えた後に、もう一歩彼に踏み込んでみることにした。
「なぁ、何故お前は勇者などしているんだ?」
「その台詞、そっくりそのまま君にお返しするけど?」
ようやくラリマールの方を振り返ったフェナカイトは、すでにいつも通りの様子に戻っている。
「私は既に言った通りだ。魔王を止めたい。サンを助けたい。それだけ」
「じゃあ質問を変えようか」
ラリマールが踏み込んだお返しとばかりに、今度はフェナカイトの方が、立ち入った質問を投げてくる。
「ラリマール、君にとって“魔王”って何?」
「……私とは永遠に相容れない存在」
ラリマールは静かに答えた。
恐らくフェナカイトが尋ねているのはそういうことではない。わかっている。だがまだ、それをはっきりと口に出すのは躊躇われた。
「彼を倒したい。それは嘘じゃない」
「別に君の正体や事情を知ったからって、俺にはそれでどうこうする気はないんだ。正直な話をすると」
自分たちの関係は寄せ集めの勇者だ。
心の全てを明け渡して話せるほどの信用も信頼もない。
けれど、出来る限り嘘をつきたくはない。
沈黙によって相手の思考の方向を誘導するのを騙しているととられれば、それに関してラリマールは言い訳できないが……。
「どうだっていいんだ。人が魔族を殺そうと、魔族が人を殺そうと」
今の今まで神の前で祈っていた者とは思えない台詞を、フェナカイトは淡々と口にする。
「この世界が滅びることさえ、どうだっていい」
ラリマールは一瞬きょとんとした顔を見せる。意外な話を聞いたと言うように。
それでもあからさまに動じたり嫌悪を見せたりしないところは、さすがに「訳有り」同士だ。
「世界が滅びてもいいのか? でもそうするとフェナカイトも死んじゃうんじゃないのか?」
「そうだね」
フェナカイトはまるで普通ではないことを言いながら、彼にとっての普通である穏やかな顔で笑っている。
「女王陛下は全てを失った俺に仰った。『お前の好きにしろ』と」
「そうなのか」
「多分あの人もどうでもいいんじゃないか。世界が滅びようと」
「アルマンディン女王はそれでも支配者だ。彼女は盛大な博打を打つが、賭けに負ける気は毛頭ない」
「そのための勇者だもんね」
勇者と言う存在がその名に人が見る幻想程美しくないことは、彼らも理解しているのだ。
「でも普通の駒で勝負することは分が悪いともわかっているから、私たちのような駒を受け入れたのだろうな」
「そうだね……」
「先程のお前の問いではないが……」
ラリマールは静かに目を伏せる。詮無い問いを口にして、返らない答を虚空に求めて、むなしい沈黙だけが聖堂の壁に跳ね返った。
「何のために戦うのだろうな、私たちは」
勇者として選ぶべき答は、本当にこれで良いのだろうか?