第2章 神の刃は黄昏に砥がれる
7.神の刃黄昏に砥がれる
037
傷だらけで帰ってきた載陽たちを朔は不思議そうに出迎えた。
彼が載陽から言い渡された桜魔王としての務め――その第一歩は、何故か「留守番」だった。別に積極的に載陽の命令を聞きたいわけではないが、この展開は正直拍子抜けだ。
だから彼らが実際に人間たちの国で何をしてきたのかを帰ってきたら聞こうなどと珍しく殊勝に考えていたのだが、帰還した一行の様子はこの状態を最初から想定していたとは到底思えない惨状だ。
「おー、随分苦戦したみたいじゃないか」
「申し訳ありません。予想外の事態に気を取られました」
厳格な男のあっさり謝る様に、何か余程のことがあったのだろうと朔は目を細める。
「予想外の事態?」
「……朔陛下」
いくら朱櫻国が現在桜魔王を目指す退魔師たちの本拠地と言っても、載陽とその部下二人に早花と夬まで揃って出て痛手を負う程の規模とは信じがたい。
名を呼んだまま朔をじっと観察するように睨み続ける載陽の視線に、意味もわからず困惑する。
「奴らですよ。前回花栄国でやりあった、最強の退魔師とその仲間。更に華節の部下でこちらを裏切った桃浪も加わった一団が、朱櫻国に来ていたんです」
「! ああ、そういうことか……」
夬の説明で、ようやく納得がいった。
あの男は恐らく強いだろう。載陽よりも。苦戦するのは仕方がない。
「――私が苦戦したのは、白髪の男ではありません」
「そうなのか?」
他にいたのは桃浪に少年と少女くらいだったように記憶しているが、その中に載陽程の手練れを下すような者がいるのだろうか。
「桜魔です。人間の退魔師たちと、何故か桜魔がつるんでいたのです」
「その言い方だと、桃浪のことではなさそうだな」
育ての親、華節を殺されたために朔を恨んでいる桃浪ではない桜魔があの集団の中にいる。確かに桜人を含めて何人かいたとは思うが……。
「前回はまだ桃浪自身がこちら側だったので、あいつが幾人か相手をしていました。ただの少年二人と思っていましたが、そのうちの一方、このぐらいの子どもが恐ろしく手練れの桜魔だったのです」
このぐらいと、夬が手で示したのは、かなり低い位置だった。人間の子どもでそのぐらいの見た目ならば、十にも届かないだろう。
「確か金髪の子どもだったな。そんなに強かったのか?」
「ええ。お師様がほぼ一方的にぼろぼろにされていました」
「夬、そろそろその口を閉じろ」
「はいはい」
載陽と夬の師弟関係について深く尋ねたことはないが、どうやらここは華節と桃浪とはまた違った関係のようである。
「あの少年は、何故か私のことを知っていたのです」
「お前を?」
桜魔の年齢に関し、見た目は当てにならない。だがまったく影響がないわけではない。
桜魔王である朔は見た目と年齢が等しい型で、外見通り、二十六、七年しか生きていない。他の個体も多少の差はあれど、人間型の高位桜魔になればなるほど、見た目と実年齢が近くなる。
ただし最初から人間のように言葉も喋れぬ赤子として生まれるわけではない。桜魔にとって重要なのは自我と言う名の死者の妄執だ。だから生まれる時は大体誰しも、十に満たぬ子どもの姿として発生する。
稀に桜魔が桜魔を生むこともある。その時は親が子を育てるため、特に容姿が幼い場合もある。
蚕と呼ばれていたあの子どもは前者だろう。あの見た目ならまだ生まれたばかりのはずだ。
「それは珍しいな。だが中身が老人というわけでもあるまい」
「ただの子どもではありませんでした」
ではいったい何だと言うのだろう。たまたま幸運にも才能と妖力を持って生れついただけの桜魔ではないのか。
朔には載陽があの子どもをそれ程警戒する理由が実感できなかった。何せ面識自体が少ない。
それよりも、結局これからどうするかだ。
「――で、俺に桜魔王として動けと言う割に、今回俺を置いてきぼりにした成果はあったのか」
「ええ、もちろん」
載陽が笑う。酷薄なその笑みは、まさしく人を喰らう桜魔の笑みだ。
「次で、奴らと決着をつけましょう」
◆◆◆◆◆
「本当に桜魔が襲撃してきたのはこの辺りなんだろうな?」
退魔師協会に入れられた報告によって現場へと赴いた鵠たちは、不審な表情で辺りを見回した。
そこには桜魔の気配がない。
「待ち伏せということですか」
常に真正面から仕掛けるだけが戦いではない。今は桜魔側も退魔師側もそれなりに数を揃えてお互いに策を練っている。
今回も依頼こそ受けたものの、協会はこれが桜魔の罠ではないかと疑っていた。
襲撃を受けたのは人気のない地区。先日も襲撃を受けて、すでに住民たちが避難をしている地区がもう一度桜魔に来襲されたというのだ。
前回のような高位桜魔との戦闘になることが予期され、退魔師協会の面々と共に鵠たちにも出動要請がかけられた。
連れだって目的地にまで辿り着いたのだが……。
「見事に瓦礫の山ですね」
人気どころか桜魔の気配すらなく、死んだ街が無残な姿で横たわっている。
「待ってください、何か聞こえませんか?」
配下の桜魔たちに指示して情報を集めていた朱莉が真っ先にそれに気づいた。ある方向を指差し、一行はそろそろと歩き出す。
しばらくすると他の者たちの耳にも、どこからか子どもの泣き声が聞こえてきた。
鵠たちは半壊した建物の焼け跡や瓦礫に身を隠しながら、その声の発信源にまで近づく。
「あれは……」
木を簡単に組んで作った粗末な台に、小さな子どもが吊るされている。
「まさか、桜魔が子どもを攫って……」
「いや、待てこれは罠だ」
桜魔襲来の報が入れば、退魔師たちは必ず動く。桜魔たちは先に現場に潜んで待ち伏せを狙うが、他に被害が出なければ退魔師たちもわざわざそれに付き合う義務はない。
しかし、救出しなければならない相手がいれば別だ。
「と言うか、そもそもあの子どももグルなのではないですか?」
如何にもな罠の様子に、朱莉が指摘する。
今回はまだ桜魔たちは特に被害を出したという報告は受けていない。
この罠のためだけに、別にどこかから人間の子どもを攫ってくるなどするだろうか。
「まぁ、蚕みたいにちびっこいってだけの桜魔なら結構いるしな。この歳でこいつ並に戦えるかどうかとなったら別だけど」
朱莉と桃浪は、あの子ども自体桜魔を使った罠だと言う。
「あんたたちはどう思う?」
「全然わからないよ。まぁ、強いて言えば顔や髪型が絶妙に隠されているのが怪しいとは思うね」
蝶々たちに尋ねてみるも、怪しいけれど断定はできないという調子だった。
罠であることはわかるのだが、問題はどこまでが罠で、どこまでが「本物」かということだ。
「まぁ、桜魔が人間の子どもを囮にするなら、ここぞとばかりに死体を晒していくのが普通ではないでしょうか」
葦切の冷静過ぎる発言に、神刃がびくりと震える。
「だが、相手が死体だとわかっていればこちらも動かない。以前から桜魔たちの目的は退魔師を誘き出すことだったろう。もしも本当の人間だとしたら助けないわけにはいかないし、助けてからも子どもを守るのに手を割く分戦力を削れる」
「……そう言われればそうですが」
「しかしよ、あっちがそれを読みきって、人間と思って助けに来たところを桜魔の子ども自身がぐさりと行く手筈かも知れんぜ」
兵破がまた別の見解を告げる。
要するに作戦としてはどちらもありえるのだ。足手まといを増やすための人間か、刺客として使うための桜魔か。
「あ、あの」
神刃は迷いながらも、結局口を開いた。
「確かに俺たちからすれば、相手が本当に人間かどうかはわかりません。でも」
相手が人間の子どもか桜魔の罠か。他の者も迷っているように、神刃にもその真偽はわからない。けれど。
「もしもあの子が、本物の人間だとしたら、助けなかった時、俺たちは……少なくとも俺は、一生後悔します!」
「……」
周囲の退魔師たちが沈黙する。
桜魔ヶ刻と呼ばれるこの時代だ。助けられる者がいれば助ければいいが、それよりもまず先に自分の命。いかな退魔師と言えどそこは変わらず、他人より自分を優先したところで責められまい。
けれど、それだけでは生きていけない人間もいるのだ。
「……そうだな」
鵠が溜息と共に頷く。
「神刃ならそう言うと思っていたぞ」
蚕の笑顔が、彼の内面を代弁してくれた。
「ま、あれが相手の罠だとしても、俺たちがその上を行けばいいだけだ」
あの子どもはとりあえず助けるということで決着した。
そして肝心なことを朱莉が問いかける。
「で、誰が行くんですの?」