第3章 桜の花が散り逝く刻
9.悪い夢が燃え盛る刻
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王都の廃墟に剣戟が響く。桜魔の襲撃を受けて一度放棄された地帯の一部は、退魔師たちの訓練場として活用されていた。
鵠、神刃、桃浪、蚕の四人は王都から遠い瓦礫の山の一つで戦闘訓練を重ねていた。
退魔師協会の一般的な退魔師たちに混じるには、桃浪や蚕の存在が厄介だ。葦切に桃浪と神刃の鍛錬を見られて面倒が起きたことを考えれば、訓練には他の人間を近づけない方がいい。
四人は乱戦の訓練のため、二対二から三対一、たまに朱莉を交えて三対二など、組み合わせを変えて組手を行っていた。
今は鵠と神刃、桃浪と蚕という最も基本的な組み合わせで戦っている。
「どうした坊や、もっと全力でかかって来いよ! ほら!」
桃浪は得意の剣を振るって、神刃に斬りかかってくる。彼の身体能力を思えば神刃が弓の間合いを取るのは難しい。小太刀で応戦しているが、どうしても桃浪の剣技の隙を見つけられない。
「神刃も大分成長したな。なぁ鵠」
「そうだな」
一方、鵠は蚕と戦っている。お互いに全力で戦っているはずなのだが、会話はいつも通りの世間話がほとんどだということが、まだ目の前の戦闘にいっぱいいっぱいの神刃からしてみれば恐ろしい。
鵠と蚕は体格が大きく違う。上背のある鵠と十にも満たぬ子どもの蚕ではまるで鵠が蚕を苛めているかのようだが、実際には二人の実力は拮抗している。
「しかし、こうした組手もよりけりだな。桜魔王の体格は、お前自身と近いだろう?」
「そうだな。その辺りは桃浪の方が近いが、あいつは戦闘の型が俺たちとは違うからな」
剣を使う桃浪と違い、鵠と蚕は基本的に素手で戦う。蚕はその気になれば桜魔の特殊能力でいくらでも中距離で戦えるが、普段は殴りかかる方が早いと言う。
桜魔王の名に、鵠は束の間、先日の葦切との話を思い返した。彼に預けられた母の手記を、ここ数日寝る前に何度も何度も読み返しては夢の中で彼女の真意を探る日々が続いている。
「おっと!」
考えに没頭していたせいで、蚕の一撃を避け損ねた。頬を掠めた拳の感触に、気合を入れ直す。
「油断大敵。どうした鵠、集中できていないようだが」
「悪い」
こちらを気遣ってくる蚕になんでもないと首を振って、鵠は戦いを続ける。
鵠と蚕の力は拮抗している。
ならばその膠着状態が崩れるのは、彼らではなくもう一方。
神刃と桃浪の戦いが大詰めだ。
桃浪の罠に乗って、神刃が体勢を崩す。
均衡が崩れた、その一瞬。
「神刃!」
追撃をかけようと踏み込んだ桃浪に、神刃があらかじめ仕掛けておいた罠――朱莉から借りた霊符を発動する!
そして桃浪が動きを止めている間に、鵠と二人がかりで攻撃を叩きこんだ。
「でぇえ!」
「よし、撃破だ! 行くぞ!」
「はい!」
鵠と神刃は合流し、今度は二対一で蚕に向かう。
「む。さすがにきついな」
鵠だけで拮抗していたところに神刃の加勢もあって、蚕もそれから程なくして「倒される」ことになった。
敗北した桜魔二人は、軽やかに笑って話しかけてくる。
「やー、負けた負けた」
「試合前にお前たちがこそこそ打ち合わせしていた作戦はそれか」
「そういうことだ」
戦闘前に鵠が授けた心がけを、神刃は復唱する。
「“戦いは均衡が崩れた一瞬が勝負。不利になっても焦らず、仕掛けてくる相手の隙を見極めて反撃に転ずる”」
「攻撃を仕掛ける瞬間が最も隙だらけだ。大技であればあるほどそうなる。二対一でその隙を突けば、一対一で相手を崩すよりも確実だ。そして一人撃破したならば、すぐに他の仲間の加勢に行く」
「うむ、見事だ」
蚕が教え子の成長を見守るかのように、笑顔で頷く。
「いやー、坊やもここ最近で随分成長したねぇ。遂にいろいろ吹っ切れたのかい。ま、俺に比べたらまだまだだけど」
「余計なお世話だ」
撫でるように頭に手を置いてくる桃浪を、神刃は嫌そうな顔で押し遣る。
「でも本当に強くなりましたわよ、神刃様」
「朱莉様まで」
「まぁまぁ。はい、皆さん」
組手に混ざらず少し離れた場所で一息つくための飲み物を用意していた朱莉が、ころころと笑って声をかけてくる。反論は軽く封じられ、神刃の手にも冷たい飲み物が入った木製の椀が押し付けられた。
ここに流れる時間は穏やかだが、いくらのびやかに過ごしているように見えても今も刻一刻と大陸は滅びに近づいている。
「最終決戦についても、そろそろ考え出す頃だな」
鵠は桜魔たちの本拠地がある方角を遠く見上げた。
◆◆◆◆◆
鍛錬場と定めた廃墟から王都へ戻る帰り道。
「しかし、戦い方は本当に良くなったぞ、神刃」
「……本当?」
蚕が神刃に声をかける。見た目にそぐわぬ実力者である蚕の目から見てもそう思うならば、神刃の気のせいでもなく実力は上がっているのだろう。
「ああ。随分強くなった。これなら連携にも組み込めるし安定した戦力として見込めるだろう」
「うん……前回みたいなことにはならないように、努力する」
神刃を庇って怪我をした鵠を思い、表情を引き締める。
桜魔側の戦力、王に継ぐ力の持ち主である載陽を蚕が撃破したことで、退魔師側は大分楽になった。だが桜魔王が自らの側近をあれ以上増やさぬとも限らぬし、決して油断はできない。
鵠としても神刃としても他に戦力となりそうな人間を簡単に見つけられない以上、退魔師側がいざ桜魔王討伐に向かう時はこの面子で何とかしなくてはならない。
それには、他の四人に比べてまだ未熟な面のある神刃が実力をつけるのが一番の近道だった。安定した実力の成人男性である鵠や桜人として変質した朱莉、二人の桜魔に比べ、人間の少年である神刃が一番伸び代があるのだから。
蚕はそれからも幾つか言葉をかけて、神刃を安心させるようだった。
鵠、朱莉、桃浪の三人は、彼らの後方を歩きながらその会話を聞くともなしに耳に入れていた。
「やれやれ。蚕の奴は本当に坊やに甘いな」
「そうだな」
神刃の実力が上がったことは確かだが、鍛える余地もまだまだ残っている。鵠と桃浪の見解はそう一致している。
「お前が一々余計なことを言って怒らせるから、蚕の奴がとりなしているんだろう」
「おや、人のせいにする気かい? 鬼教師」
「私から見ればどっちもどっちです」
鵠と桃浪のくだらないやりとりは、更に辛辣な朱莉の言葉に一刀両断された。
「でも、前回の蚕の活躍と神刃様の成長により、こちらが大分有利になったのは事実です。……次に当たる時は誰がどの桜魔を相手するか、決めておくべきでしょうか?」
「向こうの戦力的にはあの祓って子どもが一番弱そうなんだが」
年齢的にも性格的にも神刃に近い、生真面目な少年桜魔の姿を脳裏に思い浮かべる。
「ですが戦闘の相性としては、彼は私が担当した方が良いでしょう」
「……頼む」
単純な実力だけではなく、戦い方の相性も考慮した方がいいだろう。
「鵠は桜魔王だろ、夢見の奴は俺が抑えるよ」
「大丈夫か? あの女、ふざけた言動に見えてかなり強いぞ」
「それでも桜魔王陛下程じゃない。それに、この俺様をわざわざ弱い相手にぶつけて無駄遣いするなんて言わせねーぜ」
桃浪が獰猛な獣の本性を見せて笑う。
「と言いますか、ほぼ全員強いので誰かは多少無理をしてでも当たる必要があるでしょう。ならば残る二人は……」
「神刃が早花とかいうあの女、蚕が夬とかいうもう一人の側近だな」
いつの間にか名前まで憶えてしまった桜魔王の側近二人の名を口にしながら、鵠は険しい表情を浮かべる。
今の神刃の実力からすると、早花の相手は厳しいだろう。けれど戦闘の相性的には、それらしい組み合わせが限られる。
「夬の奴はなんだかんだでいつも最後まで残されるよなー。ないとは思うが、あいつが変な奥の手持ってたらどうするんだ?」
「蚕ならそれにもそつなく対抗できるだろう」
剣士であることがはっきりしている早花に神刃を当てる理由はそれだ。夬の手札が読めないので、いざ不測の事態が起きた場合、神刃だと対抗手段が限られる。
「それにさ、鵠。お前、一つ重要なことを忘れてないか?」
「重要なこと?」
桃浪がにぃと笑う。
「俺も蚕も桜魔なんだぜ? いつお前らを裏切るとも限らないのに、本当に信用していいのかよ?」
感情を読ませない笑みで、彼はいつだって笑い続けていた。