劫火の螺旋 02

第2章 反撃の契機

7.主従

 黄金と呼ばれる大陸の南部地域は幾つかの帝国領と砂漠地帯に存在する無数の小国から成り立っている。この地方を表だって支配するシャルカント帝国は現皇帝の祖父の代に近隣の国々を征服してその所領を広げた。
 この世界ダードリア・アーシェナータには遥か古に一人の魔術師が神々に反逆し、創造の女神からその名を奪ったという伝説がある。人類最強にして最悪のその魔術師は女神からその名と力を奪ったことにより、“創造の魔術師”と呼ばれるようになった。神々がこの地上で暮らしていた頃より生きているとされる、神話的な存在だ。
 そしてこの黄の大陸の北部は、かつて創造の魔術師が渡ったという伝説があるため、魔術師を忌み嫌う傾向がある。
 一方同じ大陸でも、砂漠と運河に沿った交易によって独自の文化を発展させた南部地域では事情が違った。南部における魔術はただの便利な技術にすぎない。砂漠越えには欠かせない技術と魔術が持ち込まれてからの砂漠地域は、交易によってもたらされた富により帝国に支配されることもなく渡り合ってきた。
 かの砂漠地域を治める国の一つベラルーダ、その王が代替わりしたのは、五年前のことである。
 当時は摂政任せの政治を行う子どもでしかなかったラウルフィカ王。それから五年の歳月を経て、彼は十八歳の少年王となっていた。

 ◆◆◆◆◆

 薄暗い室内に湿った息づかいが響く。
「ん……ぅ、ふ、む……」
 一つだけ灯された燭台の明かりが室内にいる人影を浮かび上がらせていた。浮かび上がる姿は二人分。しかも、下半身の部分が重なり合うようになっている。
「ん……ん、んっ」
 蝋燭の橙色の炎の影で白い肌を晒している人影のうち、一人は三十代とみられる男性で、もう一人はまだ若い少年だった。
 男の方も整えられた髭が似合うなかなかの美公だが、それにも増してハッと人目を引くのは男の下にいる少年である。
 うなじまで届く艶やかな漆黒の髪、銀砂漠と呼ばれるこの地方特有の白い肌。
 潤んだ瞳は、オアシスの碧をしていた。この地方では直接目にする者も少ない海の色をした瞳だ。
 造作は少女たちが好む本に出てくるような麗しさで、男と言われても女と言われても通じる、不思議な中性的な美貌を湛えている。
 彼こそがこの国、ベラルーダのラウルフィカ王。早くに父王を失って玉座についたまだ十八歳の少年王である。
 しかしその王の麗しい尊顔も、今は憂いを湛えて歪んでいる。
「んっ……ん、ぅ」
 ラウルフィカの口には今、柔らかい布で猿轡が噛まされていた。同じ布が今度は両手首をも後手に縛りあげている。
 拘束を除けば、今のラウルフィカは全裸だった。匂い立つような白く滑らかな肌は、そこかしこに汗を浮かべている。
「ん……!」
「いかがですかな、陛下」
 ラウルフィカを縛り上げ拘束しているのは、彼の上にいる男。
 ベラルーダの宰相、ラウルフィカが十三歳の幼君として即位した暁には摂政を名乗っていたゾルタである。今年三十五歳になるこの男は、歴代の宰相を務める由緒正しい貴族の子息であった。
 昨今の風潮では余程の事情がない場合一人の王に一人の宰相が終生仕えるのが慣例となっている。ゾルタはラウルフィカよりも年上だが、生まれたその時からラウルフィカのための宰相となることが決まっていた。
 しかし十七歳も下の少年に仕えねばならないという決まりきった未来に、野心家の宰相家後継ぎは反発した。そして彼はラウルフィカがあまりにも早く玉座に就くこととなった五年前、その叛意を明らかにしてラウルフィカを裏切った。
「んっ!」
 猿轡を噛まされてくぐもった声しかあげられないラウルフィカの声が一際強く跳ねる。
 うつ伏せで腰だけをあげた彼の中には今、そそり立ったゾルタのものが挿入されている。じゅぷじゅぷと卑猥な水音をさせながら温く行き来していたそれが一点を突いた瞬間、声と同時にラウルフィカの白い背ものけぞった。
「そう、ここ、というわけですか」
 ゾルタは嘲けるように笑う。半身を捩じってこちらを見るラウルフィカの青い眼に涙が盛り上がっているのを見て、彼の中のものをますます硬くした。
「んー! ん、んー!」
 猿轡を噛ませ、手を縛り上げ、この状況はどう見てもゾルタがラウルフィカを強姦しているようにしか見えない。しかしゾルタに言わせれば、これは合意の上の行為である。
 五年前ゾルタは四人の男たちと共に、ラウルフィカを裏切った。まだ十三歳だった穢れのない少年を犯して弱みを握り、本来の上下関係を逆転させた。
 いくらラウルフィカが聡明な少年とはいえ、十三歳の少年が王になってすぐに国を動かすことは不可能である。ゾルタたち五人の有力者はラウルフィカに力を貸すことと引き換えに、ラウルフィカの身体を求めた。男色は貴族階級ではありふれた遊びの一つとはいえ、主君である王を犯すことなどそうはできない。
 ゾルタにとって、生まれる前から自分の主になると定められていた少年を組み敷き服従させるのは何よりの快楽だった。
 ラウルフィカの縛られた手首の片方には、金の精緻な細工の腕環が嵌まっている。その内側には、ラウルフィカがゾルタのものであるという屈辱的な一文が刻まれていた。それがゾルタによるラウルフィカ支配の証だ。鑑札をつけられる家畜のような扱い。
「ん……ん、む、ぅう。う」
 五人の男たちによって代わる代わる抱かれて開発された後ろも、今ではゾルタのものを受け入れるのにちょうどよく馴染んでいる。
最も感じる場所を突いてやるたびに、十八になってもまだ細い腰が、華奢な肩が震えた。
「んぐぅ!」
 乱暴に腰を突き入れれば、猿轡に阻まれてひしゃげた苦鳴が零れる。白い喉をのけ反らせ、自らを犯す男に与えられた快感を拒絶するラウルフィカの仕草にゾルタは一層魅入られた。
「わかっておいでですかな、陛下」
「んん! んん――!」
 ガツガツと腰を突き入れ肉を打ちつけながら、ゾルタは恍惚として語る。
「あなたの嫌がるその様こそが、私を誘っているのだと。いつまで経っても慣れてしまわないその清純さが、征服したくてたまらなくさせる……!」
「んん――!」
 ゾルタはラウルフィカの中に欲望を思う存分ぶちまけて、更に耳元に口を寄せて囁く。
「あなたは私のものだ。これからも、永遠に」

 ◆◆◆◆◆

 王国の宰相として完璧に身なりを整えゾルタが部屋を出て行った。ラウルフィカの口元にされていた猿轡と腕の拘束も勿論解いている。
「もう出てきていいぞ、ザッハール」
 気だるげな顔つきで髪をかきあげ、ラウルフィカは部屋の奥へと声をかけた。寝台を隠す薄布の天蓋の向こうに、人影が現れる。
「まったく……」
 杖を持って腕を組んだ不機嫌面の魔術師青年が薄布をかきわけて顔を出した。
「惚れた相手が別の男と寝ている声を聞かせられる俺の身にもなってくださいよ」
「惚れた相手と言うならば、別の男と寝ている時点でなんとかしろ」
 杖を床に下ろし、さっさと勝手に寝台の端に腰かけた銀髪の青年にラウルフィカは意地の悪い笑みを向ける。 
 彼の名はザッハール。王国の宮廷魔術師長だ。元はと言えばゾルタと共謀してラウルフィカを凌辱し脅迫した五人のうちの一人だったが、その後更にラウルフィカの懐刀として寝返った。
 一度裏切った相手を説得した、ザッハールの口説き文句は単刀直入なものだった。
「俺は、あなたが好きなんですよ。陛下」
「ああ、はいはい。わかっているさ。お前がどれだけ私のことを好きなのかはな。だからゾルタの奴が出て行くのを律儀に待っていたわけだろう?」
 毒のある妖艶さで微笑んだラウルフィカは、寝台の上でザッハールに見せつけるべく足を開く。ゾルタに抱かれた後まだ処理もしていない後ろの穴からは、とろりと白い液体が零れ出していた。
 しかも伸ばされた細い指が、それを殊更広げて見せるのだ。
 その構図は、あまりにも卑猥。
「ちょ、その体勢は!」
「ふふふ。お前もさっさと服を脱げ。今ならちょうど慣らす必要もない」
 起きあがりザッハールの首に腕を絡めて抱きつき、ラウルフィカはザッハールの耳元で囁く。若い欲求に勝てなかったザッハールは素直に長衣の前を寛げた。
「どうやら勃たせてやる必要はなさそうだな」
 先程から目にしているラウルフィカの媚態に、ザッハールの分身は正直に反応を示していた。すでに硬くなっているものをそっと片手で包むと、ラウルフィカはもう片手でザッハールの肩を押すようにして、彼の上にゆっくりと腰を下ろす。
「ん……ふ」
 あえかな声に、されるがままラウルフィカの行動を見ていたザッハールはああ、と嘆く真似をしてみせた。
「昔はあんなに可愛らしい子だったのに、いつの間にこんな高級娼婦も真っ青ないやらしい方になってしまわれたのか」
「白々しいぞ、ザッハール。いつの間にも何も、私をこうしたのはお前だろう」
 ほぅ、と熱い息を吐きながら、ラウルフィカは向かい合ったザッハールの唇に自らの唇を重ね合わせる。
「ん……っ」
 しばらく声も忘れてお互いに動いて、欲望を弾けさせる。
「は……来た甲斐がありましたよ」
 風除けに上着一枚だけを羽織ったザッハールが、ラウルフィカを恋人のように抱き寄せながら言った。
「ぬかせ。こんなことをせずとも、私の顔を見たいがためだけに毎日毎日部屋までやってくるくせに」
「そりゃあ、まあね」
 体つきはまぎれもなく男だがぱっと見の細さで見る者に少女か少年かと惑わせるラウルフィカは、細身には細身だが自分よりも多少背が高く筋肉もついたザッハールの身体に身をもたれさせる。甘えるようにしなだれかかりながら尋ねた。
「例の件は上手くいきそうか?」
「ええ、もちろん。俺に不可能はありませんよ」
「ふん、大層な自信だ」
「そりゃあ愛するラウルフィカ様のためなら、不可能だって可能にしてみせますから」
 言葉だけを聞けば事後の甘いやり取りと無理矢理言えなくもないが、その内容を知る者が耳にすれば間違いなく青ざめるようなやり取りを二人は交わす。
 ベラルーダの少年王ラウルフィカ、宮廷魔術師長ザッハール。
 二人の関係は、強いて言うならば共犯者だ。
 五年前の「あの日」から、ザッハールは仲間たちを裏切り、ラウルフィカの手足となって働いている。
「ああ、そうそう。先程のいやらしいという話だが」
「いきなり何です?」
「ゾルタが今日言っていたんだ。私は“清純”らしいぞ」
「……はーん」
 自分の前にラウルフィカを抱いていた男の話をされて、ザッハールがなんとも言えない微妙な顔になった。ラウルフィカはくすくすと笑いながら続ける。その皮肉げな笑みはここにいるザッハールではなく、すでにこの部屋を去ったゾルタに対して向けられたものだ。
「宰相殿は、よほど“穢れない無垢な王子様”がお好きらしい。本当の私は、こんなに淫乱なのにな」
「あの人らしい趣味ですね。ま、処女好きってのは男の一種の病気ですから」
「本当にな。馬鹿な男だ。五年もお前たち五人に抱かれ続けて、いつまでも清純でなどいられるわけないだろうに」
 三日に一度と空けずに男のモノを咥えているのだ。身体の酷使に対してはザッハールが癒しの魔術で調整をかけているが、精神が変容しないはずはない。
 本当に穢れの一つも知らない清純なままの少年だったならば、ラウルフィカはとっくに手首を切っているだろう。
 そう、五年前のあの日、ザッハールに止められたあの時のように。
「穢れのない王子様は死んでしまったんだよ。五年前のあの時に」
「……陛下」
「今ここにいるのは、復讐にとりつかれた鬼だ」
 紅い唇の両端を吊り上げ、ラウルフィカは暗く笑う。
「ザッハール、あの時お前が私に教えた。こうして乱れ狂うことを。高潔など悪魔に引き渡して、堕落した獣になり果ててしまえばいい。そうすればこの程度のことなど気にならなくなる」
 所詮はただの肉欲。ただの性欲処理の方法の一環。
 ラウルフィカは腕を伸ばし、ザッハールの首に抱きつく。ザッハールはラウルフィカの腰に腕を回して抱きしめた。
 まるで恋人同士の甘い抱擁のような構図だが、二人の間で交わされる言葉はあまりにも禍々しく毒を含んでいる。
「ああ、そうだ。話ついでに教えてやろう。ナブラの最近の趣味は女装だぞ」
「女装?」
 怪訝な顔をしたザッハールに、ラウルフィカはにやにやしながら自分を抱く他の男たちの弱みを笑い話として口にする。
「奴は爵位と評判に騙されて娶った奥方の性格が思うような大人しいものではなくて随分落胆しているようだ。私に女物の衣装を着せてせめてもの慰めとしているんだ」
「うっわ……」
 ザッハールが頬を引きつらせた。彼はラウルフィカの女装というところにはなんとも思わない。むしろ中性的な美貌の持ち主であるラウルフィカならば似合うだろうと思う。単純に着せてみたいという気持ちならばむしろわからないでもない。
 問題なのはそういう方法で夫婦間の抑圧を解放しようというナブラの行動にだ。彼は男として非常に情けない行動をとっていることに気づいているのだろうか。ラウルフィカよりはもちろん、ザッハールにとっても年上の色男で知られる貴族に対して不安が増す。
「奴らは忘れているようだな。本来私の方が立場が上だということを」
「ですねぇ」
 凌辱され脅迫されたラウルフィカが彼らに従順で何でも言うことを聞くのをいいことに、ナブラはこれでは自らの弱みをさらけ出したのも同然だ。
「最初はあいつの妻を寝取ってでもやれば復讐になるかと思ったが、このままの方が面白いからその案はなしだな。せいぜい不仲の妻と一生添い遂げるがいいさ」
「地味な嫌がらせですけど……ま、あの人にはそれで十分ってことなんでしょうね」
 やれやれとザッハールも溜息をつく。貴族の政略結婚が上手くいくはずもないということは聞くが、夫が策謀の果てに手に入れた国王にわざわざ妻の代わりに従順な大人しい女性を演じてもらうなど情けなさの極みだ。こんな貴族が国の中枢を担っていて大丈夫なのだろうか。
「この五年で奴らの手の内は大分読めたな」
 ゾルタにナブラ、ミレアスにパルシャ、ザッハール以外にラウルフィカをはめた四人の男たち。
「ゾルタが求めているもの、私に演じさせているのは清純で無垢な“穢れのない王子様”だ。あの男を凌ぐような、せいぜい腹黒い戦略を練るとしよう。自分に才能があると酔っているナブラが望むのは、“都合のいい相手”だな。ゾルタが望むような偶像ですらない、あの男が欲しいのはただのお人形だ」
 一人一人名前をあげ、ラウルフィカは彼らの自分に対する態度からその傾向を分析していく。
「ミレアスはお前たちが最初から言っている通り加虐趣味だ。この男は陥れるのは簡単そうだが、それまでが面倒な相手だな。泣き叫んで大仰に苦しがって見れば煩いと言うし、かといって反抗してみせれば生意気だと言うし、結局殴れればそれでいい男というのは面倒なものだな。いちいち痛い。それに引き換えパルシャは楽だ。奴は善人では決してないが、子どもだった私を痛めつけて喜ぶようなサドでもない。むしろ奴の変態的な道具の数々に感じきっている振りをすれば喜ぶのだから単純だ。世の女にとってあれほど騙しやすい相手もいないだろうな」
 辛辣な言葉で相手を評しながら、ラウルフィカは四人の男たちの弱点を露わにする。
「俺はどうなんです? 陛下」
「お前は一番難しいよ、ザッハール。いつも飄々としていて、ゾルタとは違い権力など本当にどうでもいいという顔をしている。何を考えているのかさっぱりわからない」
 間近にある深い色の瞳を見上げながら、ラウルフィカは言った。
「もしも敵にまわっていたら、お前が一番読みづらかっただろうな。何を望んでいるかがわかりにくくて」
「俺ってそんなにわかりにくいですかね? でも今ならわかるでしょう、俺が何が欲しいのか」
 ――あなたが欲しい。
 五年前、よりにもよってこの男は、自殺しようとしていたラウルフィカにそう言って引きとめた。
「ああ……そうだな……」
 ザッハールの胸に手をおき、ラウルフィカはほんの少し上体を伸ばす。ゆっくりと目を瞑りながら、幾度目かの口付けを交わした。
 この男も憎い相手の一人には変わりないが、五年前彼が引きとめたからこそ今の自分があるのは真実だ。
 ゾルタが望むように純粋なラウルフィカ王子はあそこで死んで、今は復讐を望む「ラウルフィカ王」が残された。
 五年前は無力なただの子どもだった。だが今は違う。
「そろそろいいと思わないか、ザッハール。もう奴らを追放してしまっても」
 ゾルタたちを斬り捨てても国を維持できるだけの能力を、今のラウルフィカならば持っている。
「あなたのお心のままに、陛下」
 ザッハールの頷きを受けて、ラウルフィカはにっこりと微笑んだ。
 そう、もういいのではないか。
 全てを壊してしまっても。
「反撃の手駒は揃ってきている。あとはきっかけさえあれば……」
 盤上の趨勢がひっくり返るその時を夢見て、ラウルフィカは恍惚の笑みを浮かべた。