劫火の螺旋 04

第4章 皇帝

19.疑惑

 ミレアスが去り、パルシャが去ると執務室には二人の男が残された。
「どう思う? ナブラ」
 宰相ゾルタの執務室、先程まで国王ラウルフィカにはめられたと、上級大将ミレアスが喚いていたところだった。その時は冷淡に相手を追い返したゾルタだったが、あとになってからナブラに意見を求めた。
「パルシャの様子もいささか普通ではなかったようだ」
「つまり、王子は何か企んでいるということだな」
 ゾルタはすでに国王となったラウルフィカに対し、自らにとって呼びなれた王子という呼称を時折使う。
「かもしれん。もっとも、暴力男と肉だるまを遠ざけたくらいでは、判断がつかんが」
 生まれたその時より高等な教育を受け、純粋な貴族として育てられたゾルタやナブラにとっては、ミレアスの無駄な暴力やパルシャのいやらしさは忌避に値するものだった。同じように生まれながら王子であったラウルフィカがあの二人を遠ざけた理由が、単に嫌だったからなのか、五人全員を貶める復讐の足掛かりなのかはわからない。
「ミレアスは明らかにやりすぎだったからな。あれでは王子の方で我慢の限界が来て、どんな手を使ってでも遠ざけられたところでおかしくはない」
 実際ゾルタたちにとってミレアスの身に起きたことなどは大したことではなかった。しかし、ミレアスが遠ざけられたようにいずれは自分たちもラウルフィカの罠にはめられるのではたまらない。
「怪我の報告はザッハールだけでなく、御殿医からも時折入っていた……陛下にパルシャの息子がなついたというのが、実質的にパルシャにとってどれほどの打撃なのかは置いておくにしても、ささやかな嫌がらせには間違いない」
 ゾルタは先程のミレアスの言葉、パルシャの態度などなどから、要点を抜き出して推論を進めていく。そこにナブラが口を挟んだ。
「しかし、ラウルフィカ王とて五年前のような右も左もわからぬ子どもではないのだ。ある程度の抵抗は仕方がないのでは?」
「そうだな」
 ゾルタは頷いた。パルシャがミレアスに指摘した通り、彼らはラウルフィカの弱みを握って脅迫しているとはいえ、手足を拘束して監禁しているわけではない。国の実権はほぼゾルタが握っているような状態であっても、ミレアス程度の男なら国王としてのラウルフィカの力で遠ざけるのは容易い。ゾルタたちに彼を助ける気は一切ないのだから尚更だ。
 もっとも、ミレアスを遠ざけることができたからと言って、ゾルタやナブラまで同じように排除できると思ったら間違いだが。
「ザッハールの奴もすっかり王子の言いなりのようだ」
 それこそ騎士と紛うような頻度で、いつもラウルフィカのもとにぴったりと張り付いている魔術師の姿を思い返してゾルタは溜息をつく。あの銀髪の魔術師は、よほどラウルフィカ王がお気に入りらしい。表向きにはラウルフィカがザッハールを重用しているそぶりなど見せることはないが、ゾルタにはお見通しだ。
「まぁ、どちらにしろ我らには関係のないことだな」
 腕を組み、興味の欠片もなさそうに言いきったナブラにゾルタは目を向ける。
 確かにミレアスやザッハールがどうなろうと、ナブラにもゾルタにも関係はない。だが、もしもこれがラウルフィカ王の五人全員への復讐だとしたら、次に狙われるのはナブラであろう。
 平静を装ってはいるが、ゾルタはナブラにも疑惑の目を向ける。この男は、下手をすればザッハールに匹敵するほどラウルフィカに入れ込んでいるのだ。
「ナブラよ、貴殿はどうだ」
「? ……何がだ」
「ミレアスのように、切り捨てられたとしたら」
「それはないだろう」
 根拠のない自信でもって、ナブラはゾルタの言葉をあっさりと否定する。そして逆に問いかけた。
「ラウルフィカが私を貶めようとするならば、その時は間違いなく貴公も切り捨てられるだろうな。宰相閣下こそどうなのだ」
 ミレアスやザッハールのように、その分野の人間として個人の能力は高いが、多くの人間の生活を預かり影響を与える存在ではない相手はラウルフィカも貶めやすいだろう。しかしナブラとゾルタのような大貴族二人をもしもその役職から引きずりおろすようなことがあれば、その時はベラルーダ国中に影響が出てしまう。国王として、国を荒らすことはラウルフィカの本意ではないだろう。
 だが、ゾルタもナブラもミレアスと同じく、ラウルフィカにとって遠ざけたい男には変わりない。ゾルタはそう考える。しかしナブラはそうは思わないようだ。
「ミレアスの馬鹿がお払い箱にされたのは当然だ。あいつは私の――」
「ナブラ」
 宰相は椅子から立ち上がり、部屋の中にいたもう一人の男のもとへと歩み寄った。そして不意打ちでその唇を奪う。
「! 何をするっ!」
 ナブラが驚いて椅子を蹴倒し立ち上がった。その瞳が嫌悪と怒りに燃えている。
「男に口づけられるなど気持ち悪い……! 悪ふざけが過ぎるぞ、宰相殿!」
「ラウルフィカ王も男だが?」
 中性的な容姿を持つとはいえ、ラウルフィカも男だ。その男と関係を持っている男が、今更男同士は気持ち悪いも何もないだろう。
 ナブラはその気になれば男も抱くことができるとはいえ、基本的には女の方が好きだ。
「あれは……あれは、いいのだ」
「貴殿は陛下に女装させて楽しんでいるようだな」
「……間諜でも放っているのか、宰相殿」
「当然だ。貴殿もそうであろう」
 ゾルタは知っている。
 ナブラはラウルフィカに女物の衣装を着させ、まるで妻を扱うかのように丁寧に接しているそうだ。この男は、本物の妻と不仲であるがために、美しい少年の女装姿に自らの理想を重ねて楽しんでいるらしい。
 先程も、「私の」なんだと言おうとしたのだろうか。ラウルフィカ王はナブラのものでも、彼の妻でもない。ザッハールのことを笑えない入れ込みようだ。
「入れ込み過ぎて、自分を見失うなよ、ナブラ閣下。いくら美しくともあれは男。貴殿のそれもただの遊び。ただの男色。相手が自分の言いなりだからと油断していると、足元をすくわれるぞ」
「……わかっている」
 ちっともわかっていなさそうな不満げな顔でナブラは頷いた。
「では、今日は私に替わってもらおうか」
「何?」
「寝所へ行く順番だ。今日は私が行く」
「な! 私の番だぞ!」
 ラウルフィカを抱く機会を替われと告げると、ナブラは反発を露わにした。しかしゾルタは、その反論さえも封じ込める。
「ミレアスのことで探りと、揺さぶりをかけにいくだけだ。それとも貴殿がやってくれるのか? 第一、我らの真の目的はあんな小僧の身体ではなく、この国そのものだろう。何を怒ることがある?」
 ゾルタの言葉に、ナブラはついに異を唱える機会を見つけられなかった。
 仕事を終えて部屋を出る際、悔し紛れのようにナブラは宰相に尋ねた。
「宰相殿、貴公の言う通り、私は男よりも女が好きだ。だから女性的な容姿の美しい少年も愛することができる。あなたもそうだと思っていた。手を出したのは、彼があまりに美しいからだと。しかし違うのだな。ではあなたが愛するのは彼の“何”だ?」
 その問いにゾルタは唇を歪めて笑う。
「私は男も女も愛しはしない。私が愛するのは、心身ともに無垢な少年王が踏みにじられて絶望する様だ」
 抱きたいのではなく、ただ苦しめたいだけだと。王たるラウルフィカという存在を。
 ゾルタの笑いにうすら寒いものを感じながら、ナブラはひそかに積る不満を胸に部屋を出た。

 ◆◆◆◆◆

 寝室で今日も気鬱な行為をするための相手を待っていたラウルフィカは、予定と違う姿を見て目を瞠った。
「ゾルタ? 今日はナブラが来る予定ではなかったのか?」
「私では不服ですかな? 陛下。それほどナブラをお気に召しているとは存じませんでした」
 本日、ラウルフィカを抱く順番は貴族のナブラだったはずだ。しかし、部屋に現れたのは宰相ゾルタ。蓄えた美髯の下で薄く笑い、彼の息のかかった侍女を遠ざけて寝台の上、ラウルフィカの横に座る。
「……どういうつもりだ?」
「ナブラに順番を変えてもらったのですよ。少し陛下に聞きたいことがありましてね」
 ゾルタはラウルフィカの手首に目を落とし、冷たい笑みを浮かべた。少年王の手首には、五年前彼の手によって無理矢理つけられた、外れない金の腕環がはめられている。それはラウルフィカにとって、自身が逃れることのできない家畜だという忌々しい証。
 敵意のこもった眼差しで睨まれ、ゾルタは笑みを絶やさずにラウルフィカに命じた。
「どうしたのです? 早くお召物をお脱ぎください」
 丁寧な口調ながら紛れもない命令の言葉に、ラウルフィカはいつまで経っても慣れることのない悔しさとともに寝台を降りて服を脱ぐ。
 ゾルタは間違いなく有能であり、ラウルフィカの政権において必要な人材だ。今はともかく、昔は間違いなくそうであった。彼の才能を失うわけにはいかなかったラウルフィカは、寝所の中でゾルタに命じられれば抗うこともできず屈辱的な命令を聞くしかない。
 薄手の布地を何枚も重ねた艶やかな衣装を袖から落とし、宰相の前に裸身を晒す。染み一つない白い肌、細い腰。薄笑いを浮かべた宰相の視線は、瑞々しい少年の裸身を、その視線で犯すようにねっとりと観察する。
「こちらへおいでなさい」
 招き寄せたラウルフィカの腰を抱き寄せ、ゾルタは少年の薄い腹を撫ぜた。ぴくりと震える身体の僅かな動きさえも楽しみ、へその下に唇を寄せる。そのまま囁いた。吐息が下腹部を撫で、ラウルフィカの背が不快に粟立つ。
「ミレアスを追い詰めたそうですね」
「……だからなんだ」
 この話題に関しては当然聞かれると身構えていたのだろう。ラウルフィカは素っ気ない声を出す。
「奴があなたに鞭で打たれたと報告に来ましたよ。とはいえ……カシム・レガインを上手く使ってミレアスを遠ざけたその手腕自体は褒めて差し上げましょう」
 やわらかな腹のすぐ下、ラウルフィカの髪と同じ黒い茂みを指に絡めるようにして撫でながらゾルタは言う。
「もともと我らの最大の強みは、あなたにはない力でこの国を支えると言うこと。あなたが我らの力を上回るのであれば、退けられ報復されるのも当然のことだ。しかし」
「――ッ!!」
 ラウルフィカは悲鳴を堪えた。ゾルタが彼の茂みを握っていた指に力を入れたのだ。
 ぶち、と嫌な音がして、無理矢理下の毛が数十本まとめて引き抜かれる。普通に生活をしていれば味わうこともないその痛みに、ラウルフィカは下腹を抱えるようにして蹲った。
 危害を加えられた内容が内容だと、悲鳴も上げられないラウルフィカを見下ろしてゾルタは愉悦の笑みを浮かべる。蹲る少年王の肩を足で踏みつけ、宣告した。
「この私をも、ミレアスと同じような手段で遠ざけられるとは思わぬことだ。ああ、あなたがザッハールを引きこんだことも、息子を引きこんでパルシャを動揺させていることも知っておりますよ。いずれは私にも牙を剥く気でしょう」
 顔を上げて涙目で睨みつけてくるラウルフィカの憎悪を心地よさそうに受け止めて、ゾルタは常に浮かべているその笑みを深くする。
「だがあなたは、まだ力不足だ。あなたの能力や手駒程度では、まだ私をこの地位から追い落とすには至らない。そうでしょう?」
 答えようとしないラウルフィカの頬を、ゾルタは少年の肩に置いたその足で蹴り飛ばした。ラウルフィカの身体が床に横倒しになる。
「う……!」
「人の質問には答えるものですよ、陛下」
 決して声を荒げることなく、あくまでも涼しげな態度でゾルタは言った。ラウルフィカの腕を無理矢理掴んで、その身体を再び寝台の上へと投げるように上げさせる。疲れた身体を優しく受け止めるはずの寝台は、ここにあっては柔らかな檻のようだった。
「こちらに尻を向けて、四つん這いになれ。獣のようにな」
 それまでの形ばかりの丁寧さをかなぐり捨て、ゾルタは傲然とラウルフィカに命じた。
 ラウルフィカは大人しく言うことを聞き、四つん這いの姿勢を取る。ゾルタの方に尻を向けた恥ずかしい姿勢で、触れられる瞬間を待った。先程蹴られた頬が腫れて痛みと熱を持ち始める。
 ミレアスのように、暴力そのものにそれほどの力があるわけではない。しかしゾルタはラウルフィカにとって最も逆らいがたい相手であるのをいいことに、少年王が確実に羞恥と屈辱を感じる命令をくだす。
「では……後ろを自分でほぐすんだ」
「な……」
「やりたくないと言うのであれば、私がこのまま突っ込むだけだな。ふふ、この五年で男に慣れ切った陛下であれば、前戯もなしにいきなり突っ込まれても大丈夫かもしれませんね。――さぁ、どうします?」
 迷いがラウルフィカの瞳に走る。ゾルタの言うことを素直に聞くのも癪だが、翌日動けなくなるような無茶をするのも御免だった。
「それとも、この私にイかせてくださいと頼んでみますか? あなたが私を“ご主人様”と呼んで、“この淫らな家畜に慈悲をお与えください”と哀願するのであれば、その頼みを聞かないこともありませんよ?」
「っ……! 誰が!」
 ゾルタの台詞が挑発とわかっていても、ラウルフィカにもはや選択肢はなかった。指先を口に含み唾液で濡らすと、今度はそれを後ろへと持っていく。小さな穴を押し広げるように、人差し指を侵入させた。
「ん……」
 押し殺した声が、艶めく赤い唇から漏れる。ラウルフィカは首だけを後ろに向け、自らの蕾を自らの指で弄り始めた。生温かく、唾液で濡れて難なく指を飲みこむ体内は、我が物ながら気持ちが悪い。しかし指先のそんな感覚とは裏腹に、身体は刺激に反応し始める。
「ん……う……」
 中のどの部分がいいか、自分の身体のことは自分でわかりきっている。快感に流されまいとしながら赤い顔で自らの受け入れる場所を慣らす姿を、ゾルタが侮蔑の表情で見下ろしていた。
「いい顔ですよ、陛下……。とても無様で、いやらしい。自分で自分の尻の穴を弄って感じるなんて」
「……ゾルタっ!」
「その姿勢で睨まれても滑稽なだけですよ」
 言うとゾルタは、ラウルフィカの指を彼自身の身体から引き抜いた。代わりに自分のものをその場所にあてがい、一気に貫く。
「……!」
 押し殺した悲鳴が微かにゾルタの耳に届いた。白い背中が震え、浮きあがった肩甲骨が得も言われぬ色香で誘う。
「う……あ、は……う、ん、んっ……ふぅ、うっ」
 ゾルタが突くごとに、ラウルフィカは短い喘ぎを零した。中を抉るように容赦のない力で抜き差しすると、少年の喉がのけ反り、震え続ける指先が爪が立つほど強く敷布を握りしめる。
「あ……、も、もうっ」
 白い臀部に赤い手形がつくほど肉を掴む指に力を込めながら、ゾルタはラウルフィカの中で射精する。
 浮いた噂の一つもない宰相は、表向きは女遊びの一つもしない潔癖な男として知られる。しかしこの部屋の中にいるゾルタはそんな市井の噂とはかけ離れ、この後もラウルフィカの身体を貪欲に求めた。
 自らの欲望を満たした男は、部屋を去り際、寝台に埋もれるようにして横たわった少年に告げる。
「抗えるものなら抗えばいい。そう、あなたに、それができるものならば」
 睨みつける青い眼差しを心地良さそうに受け止め、宰相は笑いながら国王の寝室を後にした。