神様の思召すまま
1.運命の出会い?!
神様、僕は今まで人生これでも真面目に生きて来たつもりなんです。
水汲みも家畜の世話もサボらず毎日やりました。今だって族長に言われて神殿に届け物をしにいく途中です。
なのに何故、こんな目に?
「ようやく巡り逢えた! 君こそ我が運命の恋人だ!」
出会い頭に美青年は言った。なんでも自分と彼は、前世からの恋人らしい。
なんてロマンティックなんだろう、まさしく運命の出会い――って、僕も男なんだよ!
「君は確かに私の愛した人の生まれ変わりなんだ! さぁこの愛を受け取ってくれ!」
前世の僕は女だったのか? いや、もしかしたら向こうが女で僕が男だったという可能性もある。覚えてるはずもない前世のことなど知りようもないし、向こうがそれをどう見分けたのかも知らないが、とりあえず言えることは「今現在」向こうも僕も男であるということ。
神様、何か間違ってませんか?
◆◆◆◆◆
「シェイ、お前いくつになった」
「来月で十六になります」
少年の名前はシェイ=ラブラ。十五歳。
現在軽度の家督争い中で、族長こと父は二人の息子のことで憂えている。
「お前に大事な話がある」
シェイは一族の長になることに興味はないけれど、異母弟はやる気満々だった。とはいっても中枢の王侯貴族じゃあるまいし、家督を継ぐために競争相手を殺すなんてことは滅多にない。
月の民と呼ばれる半遊牧民のシェイたちにとって、長になって得られるものは王国を作った多民族のように莫大な富と権力などというものではなく、小さな権力と多大な苦労とそれを掲げるに見合う誇りだけだからだ。
シェイはさして長になることに興味はない。では何に興味があると言われても困るけれど。
平平凡凡、覇気や威厳という言葉からは程遠くこれまで生きて来た。たった一つの取り柄は諦めが悪いことくらいだが、それを発揮するほど族長の座に焦がれているわけでもない。それでも「なれ」と言われれば族長になるくらいの覚悟はあったが、その日父に切り出されたのは意外な話だった。
「村のお婆様からの意見でな、お前をイシャルーの神殿に向かわせることとなった」
「え?」
シェイは驚いて声をあげた。
「つまり、僕に神官になれということですか?」
シェイと異母弟ヴェインのどちらが跡目を継ぐのかという話になっている最中、どちらかを養子に出すというのは珍しい話ではない。才能という点では、正直シェイはヴェインに敵わない。けれどまさか一族を離れて神殿にやられるとは思ってもいなかった。
「違う違う」
父は顔の前で手を振って見せると、息子の勘違いを否定した。
「神殿に入れというわけではない。神殿に届け物をしに行くんだ。我が一族が定期的に神殿に物資を納めていることは知っているだろう」
月の民と呼ばれる彼らの一族は、半遊牧民と呼ばれる。
その理由は、一族の半分が家畜を連れて遊牧し、もう半分が一か所に定住して機織りに励むことにある。二つに分かれた一族は争うこともこれ以上分裂することもなく、どちらも同じ月の民として存在する。
そして月の民は、ここから小さな砂漠を越えた向こうにある神殿に定期的に家畜と織物を納めている。
「ああ。運送役を引き受けるということですね。わかりました。でも何故その役目が僕に?」
「お婆様の予言だ。今回の運送役にシェイを出せ、と」
運送役自体はそう難しいものでもないはずだがシェイにはわざわざ自分を指名する理由もわからない。むしろ若者は運送役で外の町を見るとそちらに憧れて一族を飛び出してしまうことが多いので、ほとんど運送役を担わないはずなのだが。
「予言、ですか?」
「ああ」
お婆様とは村にいる最高齢の占い師で、一族の運勢を占うことが仕事だ。薬を作る薬師の役目も担っている。村ではお婆様の予言は絶対だった。
「そうだよ、シェイ」
シェイと父の会話に、しゃがれた声が割り込む。天幕の入口を見ると、お婆様がやってきていた。腰の曲がった老人で顔中皺だらけなのだが、意外にも健脚だ。
「この旅でお前は、運命と出会うことになるよ」
「は?」
シェイは思わず頓狂な呆れ声をあげた。運命。そんな単語は今どき夢見る乙女くらいしか信じない。
「お婆様……」
父は渋い顔をした。占い師の言葉に逆らうはずもなく息子を遣いに出すと決めたものの、本当は不本意なのだろう。迷信じみた占いによって、長の家督争いに口を出されるのは族長としても父親としても愉快なことではない。
「シェイ、お前はその運命とやらに出会ったら、一族に戻らずともいいそうだ」
「なんですかそれは」
シェイの知らない間に自分の未来が勝手に決められていく。一族を出るなど考えたこともない彼にとって、その言葉はまさしく青天の霹靂だ。
「……まぁ、とにかく。何事もやってみなければ結果はわからないものだろう。シェイ、お前はお婆様の予言通り、神殿へ納める品を引いて砂漠へと旅立ちなさい」
「……はい」
まだ何があるとも決まったわけではないし、村を出ろと強制されたわけでもない。何もなければ普通に帰ってくればいいだけだ。シェイは自分にそう言い聞かせ、族長命令で神殿へのおつかいに出た。
なのにこんなことになろうとは……。
◆◆◆◆◆
月の民の集落からイシャルーの神殿までは、砂漠を越えなければならない。地図上で見るとそれほど大きな砂漠ではないとはいえ、一歩間違えれば死だ。
砂漠に特有の災害や盗賊、間違って水を失って干からびるなんてこともある。けれどシェイは遊牧になれた月の民だから、屋根のない場所では眠れないという町の人間たちとは違う。初めて集落の外に出て砂漠越えを命じられても、やり遂げる自信はある。
一つ目の試練は急な砂嵐だった。村を出て半日くらいしてからのことだ。
この砂嵐の話はシェイも一族の大人たちから聞いたことがある。人の身体を持っていくほどの規模ではないが、突風と砂による窒息が怖いのだと。だから顔を庇う風除け布がこの地域を通るのには必須なのだ。
準備万端だったシェイは砂嵐の前兆に出くわしても余裕だった。――それを見つけるまでは。
「あれは……」
誰かが地面の上に倒れている。砂に半ば埋もれるようにして。それは砂嵐のやってくる直前だった。
遠目には生きているかどうかもわからなかったが、もし生きていたとしても風除け布がなければこの砂嵐で窒息して死んでしまう。
仕方なくシェイはその人に駆け寄り、手持ちの風除け布に一緒にくるまった。間一髪、上空から砂が布の上に、雨のように叩きつけてくる。
布の中に一緒に入ったのが死体だったらどうしようかと思ったが、どうやら倒れていた人物の息はあるようだった。呻いて顔を持ち上げようとする黒髪頭を、シェイは押さえこんだ。
「ぶほっ?!」
「大人しくして。まだ砂嵐が続いてる」
とにかくこの嵐はやり過ごすしかないのだ。規模が小さいだけにそう長い時間でもない。
嵐が去っていくと、シェイは風除け布を外した。目算死体未満だった男も、砂まみれの顔を持ちあげてごしごしとこすり砂を落とす。
善行をなすことに興味などないが、砂漠では人助けはしておくものだ。生き抜くのが困難な場所では、人は自然と助け合うものだ。そうすれば次は自分が困難にあった時も助けてもらえるから。
「うう……酷い目に遭った。ありがとう。君が助けてくれたのかい?」
ようやく砂を払い落した男がシェイに顔を向ける。
「――」
もともと黙っていたが、シェイは更に押し黙った。
相手は非常識なほどの美形だった。
綺麗な黒髪に深い青の瞳。肌は白く体つきはすっきりとしながらもたくましい。
「君は……」
何故かこちらを見て目を丸くしているのは、自分がまだ砂漠を渡るとも思えない子どもだからだろうか。けれどこの容姿を見れば、すぐに半遊牧民「月の民」だとわかるだろう。
「あの……」
とにかく事情を聞こうとしたシェイの言葉を遮る勢いで、その美青年は急にシェイへ抱きついてきた。
「ようやく巡り逢えた! 君こそ我が運命の恋人だ!」
シェイは固まった。
思考回路が働くことを放棄して、男の腕のなかで凍りつく。
「ああ。永い間身を焦がす想いで待ち続けたよハニー! もう放さない!」
いや放せよ。とりあえずこの腕を離せ。
男はシェイを抱きしめるだけでは飽き足らず、両手で頬を挟みこんできた。――シェイの身体中に一気に鳥肌が立つ。
「君は確かに私の愛した人の生まれ変わりなんだ! さぁこの愛を受け取ってくれ!」
顔をゆっくりと近づけられて何をされるのか瞬間的に悟ったシェイは、今まで狩りでどんな獲物を仕留めた時よりも素早く反応していた。
「ざけんな! この変態!」
「はぐわっ?!」
男の顔面に彼の右拳が綺麗にめりこんだ。