第2章 縁を結ぶ歌
8.祝福されぬ子ら
029
簡単な協議の結果、アレスヴァルド一行と辰砂一行からお互いにそれぞれ一名ずつ手を組むことになった。
辰砂とウルリーク、銀月とダーフィト、ラウズフィールとセルマの組み合わせだ。
何故この組合わせになったかというと、戦力よりもむしろ移動手段と連絡手段の問題だった。辰砂一行は魔王の生まれ変わりであるラウズフィールも含めて皆魔術が使えるが、セルマとダーフィトは使えない。
魔術師嫌いのアレスヴァルドらしい理由に、辰砂は溜息をついていた。息をするように世界中どこでも移動できる程の最高の魔術師にとっては、魔術を使えないどころか使うことを考えもしないという状況自体が呪わしい。
結果的にそれぞれ魔術師一名、肉弾戦担当一名ずつ組み合わせることになったのだ。
ラウズフィールも連絡ぐらいならともかく長距離を転移するような魔術は使えない。しかし彼は最も人質の捕らえられている可能性が薄い場所に向かうのだからそれで良かった。シェイやリューシャを見つけた場合彼らを連れてすぐ転移を使える魔術師が可能性の高い残り二か所に向かってもらった方がいい。
どちらにしろ最初の襲撃さえ成功させれば、あとは辰砂や銀月が連絡を取り合いすぐに回収に来てくれるという目算もある。そして単に破落戸共を襲撃するくらいであれば、ラウズフィール一人でも十分なくらいだ。
ラウズフィールは自分と手を組むことになった女騎士をちらりと横目に眺める。セルマは騎士というだけあって、危なげなく馬を乗りこなしていた。最初に馬を選ぶ際は馬たちに嫌われたようで手間取ったが、それらのうち一番良さそうな一頭を手懐けるというよりはむしろ威圧し屈服させるように、さっさと乗りこなしてしまった。
二人は移動力を補うため馬に乗って街道を駆け抜けていた。ラウズフィールの希望でリマーニから一番遠い町まで向かうことになったので、早馬並の速度で飛ばしている。
ラウズフィールは自分たちも大概おかしな集団だという自覚があったが、それと引き比べてもこの一行はおかしい。
いかにも身分の高そうな貴公子であるダーフィト。美しい魔族のウルリーク。彼らに比べれば女騎士のセルマは容貌も地味で一番平凡に見える。けれどリマーニの路地裏で剣を抜き自分に向けてきた殺気は明らかに只者ではなかった。
ラウズフィールも故郷にいた頃は兵士として戦ったこともあるし、旅を始めてからは商隊の護衛などで剣を振るうことはある。その彼にしてもセルマが相当強いということはわかる。
現に、当面の拠点としたリマーニから一番遠く転移も使えない状態で相応の戦力を確保しなければならないとなった時に、ダーフィトとウルリークは真っ先にセルマの名を上げた。どうやら彼ら一行の中ではこの女剣士が一番の実力者らしい。
魔族のウルリークも相当強いそうだが、人を守るとか助けることには向いていないと自己申告したためにこのような組み合わせとなった。転移術も短い距離しか使えないということで、辰砂組は実質、創造の魔術師一人の頑張りにかかっている。
ただ、二人組のうちどちらか一人は必ずアレスヴァルド一行なので、いざリューシャを見つけた時の対処は簡単だろうと三人は話していた。彼らの仲間であるリューシャという少年はそれがどんな善意から発された行動であれ、初対面の人間に何かを言われて信用することは絶対にないということだった。……どれだけ疑り深い少年だ。三人の話の端々に、まだ名前しかわからぬ少年のどうにも可愛くなさそうな性格が窺えるのは気のせいか。
しかし、彼らがリューシャ少年を取り戻したいという気迫は本物だった。ウルリークの表情は読めないが、ダーフィトとセルマに至っては己の命を握られているかのように真剣な様子だった。
「どうしました? ラウズフィール殿」
「ああ、いや」
随分凝視してしまったらしく、セルマに気づかれた。一度は濁そうとしたラウズフィールだったが、気を変えて彼女に問いかける。
「その……あなたにとって、そのリューシャ君というのはどういう相手なのですか?」
手綱を軽く持ち直しながらの問いに、セルマは怪訝な素振りを見せるでもなく答えた。お互いに結構な速度で馬を駆けさせている割に舌を噛むようなこともない。
「でん――リューシャ様は、私にとって命を懸けてお仕えするべき主君です。かつて私があの方の命を狙って返り討ちにされた際、騎士になる代わりに命を救われました」
衝撃的ななれそめをさらりと告げ、セルマはその話の内容とは裏腹にとても優しく微笑んだ。
「あの方こそが、今の私の命です。リューシャ様に望まれる限り、私は全ての過去を捨てて仕えます」
「そう……ですか」
「ラウズフィール殿は? シェイさんと言う方との関係を結局どうされるおつもりですか?」
まさかこんなにもごく自然に口を出されるとは思っていなかったシェイとの関係に、ラウズフィールは思わず息を呑み間違えてむせそうになった。
「そ、それは」
「大陸を超えて追いかけてくるなんてよっぽどですし、あなたを追ってこうして面倒に巻き込まれている相手なのだから距離をとるならとる、恋人関係になるならなる、ではっきりした方がいいと思いますよ。追われているあなたがわざわざ追ってきたシェイさんの動向を調べて人買いに攫われたと知るぐらいですから、あなたの方でも余程シェイさんを大切に思っているのでしょう?」
邪推というよりもただ思ったことをそのまま口にしているらしきセルマに、ラウズフィールは返す言葉もなく沈黙する。女性特有の恋愛に対する興味と言うには実にあっさりかつ容赦なく現実的な問題を突きつけてきた彼女の言は尤もだ。
「それは……」
気が付けばラウズフィールはシェイとの関係を、残らず彼女に全て話していた。
自分が血砂の覇王と呼ばれたかつての魔王の生まれ変わりであり、シェイがその恋人であった姫君の生まれ変わりであること。前世の二人は、結局悲劇的な死を遂げたこと。
生まれ変わったシェイは少年で、けれど一目見て彼が前世の恋人である姫君の生まれ変わりであるとわかったこと。その彼を自分の呪われた運命に巻き込みたくなくて距離を取ったこと。
人生の中でほんの少し、ただすれ違う程度の相手には穏やかな顔を見せてはいるが、前世で魔王と呼ばれたラウズフィールは今生でもその凶悪な性に支配されることがある。戦いとなると我を忘れて周囲を傷つけてしまうことがある――。
のだが、その話を聞いたセルマの反応は先の台詞を変わらず実にあっさりしたものだった。
「なんですかそれくらい」
「それくらいって、私はそれでこの二十一年間死ぬほど悩んで……」
「前世や過去がどうであろうと、大事なのは今でしょう。今、手の届く場所にある幸せを掴まずにいてどうしますか」
「際限のない狂気や欲望で、また全てを壊すかもしれないのに?」
「壊れるくらいのものでしかないなら、いっそ壊してしまえばいい」
あまりにもあまりな物言いに、ラウズフィールはぎょっとしてセルマを振り返った。だが彼女の表情には一抹の狂気めいたものすらなく、先程と同じように淡々と現実を口にする。
「それが嫌なら相手も逃げるなり反撃するなりしてくるでしょう。壊そうと思わなくたって、壊れてしまうものはいくらでもある。望むことを許されない願いさえも」
その言葉で誰を思い浮かべたのか、一瞬表情が暗くなる。けれどすぐに顔を上げてラウズフィールを見返すと、彼女はこう告げた。
「望めば手に入るものがあるというのは、それを手にすることを神があなたに許しているのですよ。――これは私ではなく、リューシャ様のお言葉ですけれど」
ラウズフィールはまるで天啓を受けたように目を見開いた。セルマがどこか寂しげに、微かに慈悲深い笑みを浮かべて諭す。
「シェイさんはあなたを嫌ってはいないのでしょう? だからここまで追いかけてきた。その時点で、あなたは神に、あなたの運命に、そして他の誰でもないあなたの愛するその人に、許されているのではありませんか?」
「――許されている?」
「ええ」
赦されているとは言わない。言えない。いくら善行を積んでも死者の恨みは消えない。
けれど許されている。一人の人間として幸せになることを。
「それに、言っては何ですが本当に、あなたの過去ぐらい私からしてみれば十分に善良な一般人の範囲内ですよ。少なくとも望んで人殺しをし、それに対して長く何の感情も抱くことのなかった私に比べれば」
明言はしないものの言葉や物腰の端々に裏社会で生きていたことを感じさせる女性はそう言った。
もしも奪った命の償いを求められるのであれば、ラウズフィールは前世の分が主だが、彼女は今生自分の意志で奪い続けてきた命の分を償わねばならない。
それをわかっていても、セルマは言うのだ。今が大事だと。掴める幸せは躊躇わずに掴めと。
「――すみません」
ラウズフィールの口から思わず謝罪が零れた。
「すみませんでした。そして……ありがとうございます」
「答は出ましたか?」
「――はい」
ラウズフィールは決めた。手綱をさばきながらセルマがにっこりと笑う。
「でしたらその答、ぜひ伝えてあげてください」
誰にと言われずともラウズフィールは頷く。
「私はこの広い世界で、再び“運命”に出会ったのです。その奇跡は手放さない。もう二度と……離れません」
まずは自分の役目、この襲撃をきちんとこなしてからシェイに会いに行くのだと、ラウズフィールはもうすぐ到着する町の影を見据えながら強く決意した。
◆◆◆◆◆
「ほんじゃ、よろしく」
「ああ」
セルマとラウズフィールが馬で駆けている同じ頃、銀月とダーフィトも動き出していた。
ただしこちらは一応転移術が使える銀月がいるので、馬を駆っての移動はしない。正直なところ銀月の力はそれほど強くないので長距離の転移術乱発には無理があるのだが、その辺りは辰砂が魔力を貸して補っている。
創造の魔術師の三人の弟子中最も魔力が低いのは銀月。才能だけならば紅焔と白蝋の方が上だ。ただし魔力の少なさを技巧で補う銀月の魔術は他二人よりも繊細で高度、かつ人体への影響が計算し尽されている。
魔力を貸すなどという行為は荒業に分類されるが、貸された魔力で魔術を実行できる銀月は人間の魔術師として最高峰に器用な分類に入る。
その銀月と、アレスヴァルド貴族のダーフィトが手を組んで人買いに攫われた少年たちの奪還に向かう。
銀月は魔術の腕はともかく素手の殴り合いはまったく頼りにならないと自己申告済、その分の戦闘力をダーフィトの剣で補う。
「しかし、本当にこの辺りなのか? なんか今のところそれらしき場所が全然ないんだけど」
二人が訪れたのは、何処から見ても長閑な田舎の村だった。白蝋の調査曰く少年たちが捕まっている有力候補の一つなのだが、とてもそうは見えない。
「ちょっとずつ村人に話を聞いてみるか」
遠くにちらちらと草を食む羊の姿が見える平和な道を辿りながら、ダーフィトは銀月に話しかけた。本来はもっと緊張するべき場面なのかも知れないが、どうにもこの穏やかな空気が威勢を削ぐ。
「なぁ、ダーフィトさん。そういえばあんたたち、一体なんでこの大陸やってきたんだい?」
「来たというか、事故でね」
「ああ。船の行先がずれたとかそういうこと? そりゃあ難儀だったな」
「まあね。命だけは助かってよかったよ」
「それで今度はお仲間が攫われたわけか。大変だなぁ」
「こうならないよう十分注意していたつもりだったんだけどな。リューシャの奴一体何をやってるんだか……」
溜息をつきながらも攫われた少年への心配を見せるダーフィトの様子に、銀月は興味を抱く。
この三人の関係は不思議だ。特にダーフィトとセルマ、そしてリューシャという少年の関係がよくわからない。もう一人の仲間であるウルリークについてはこの大陸にやってきてからの付き合いらしいのだが、他三人はかなり古くからの知り合いのようだ。
セルマとダーフィトだと、ダーフィトの方が身分が高そうに見える。いや、間違いなく彼の方が身分は上だろう。かつてベラルーダの宮廷にいた銀月は、支配する側とされる側の空気がわかる。
しかし、この二人の男女だけを見ていると、セルマはダーフィトに対してどうにも気安い。彼女が敬意を見せるのは彼女の主君だというリューシャだけであり、ダーフィトに関しては友人のような態度をとる。
ではそのリューシャ少年がどれほど偉いのかと目星をつけようにも、ダーフィトはそのリューシャをまるで弟のように気軽に呼ぶのだ。セルマもそれに関して責めはしない。この微妙な三竦みの均衡がどういう理由で出来上がっているのか、傍から見ているとさっぱりわからない。
思い切ってその理由を尋ねてみたところ、ダーフィトからはあっさりと答が返ってきた。
「俺たちの関係? ん、ああ。まず一番身分が高いのはリューシャで、セルマはその護衛騎士。俺はリューシャの再従兄弟でただの貴族。俺とセルマは軍学校自体の同期で友人としての付き合いがあるから、外からは複雑な関係に見えるかも」
セルマにとってリューシャは主君、ダーフィトは友人。ダーフィトにとってリューシャは再従兄弟、セルマは友人。そしてリューシャにとってはセルマが従者、ダーフィトは自分より身分が下の再従兄弟だと認識しているという。
「ちなみにある意味最強なのはウルリークで、知らない異国の身分なんかなんのそのって感じでリューシャを構い倒してるよ」
「あー、なるほど」
「そういうザッハールは? あんたは貴族ではなさそうだけど、どこかいいところに仕えていた経験があるんだろ? 貴族の屋敷か王城か、そういうところで働いていた雰囲気がある」
「よ、よくわかりますねアハハ」
偉ぶる様子はまったくないが貴族だというのは伊達ではないようで、ダーフィトはあっさり銀月の過去――かつて王城で働く魔術師であったことを言い当てた。実際に銀月が勤めていた間は王城で働く人間らしくないと散々言われたにも関わらず。
過去を見破られたことにより、銀月の胸の裡からは普段封じ込めているどろりとした物思いが流れ出す。まだ癒えきらぬ傷口から流れる血のような、赤黒い凶悪な感情だ。
美しい少年狙いの人買い騒動、ベラルーダ貴族のラウズフィール、そのラウズフィールとシェイの、逃げる者と追われる者の関係。一つ一つはまるで無関係な些細な要素が積み重なって、封印していた想いを刺激する。
ベラルーダ。銀月にとっても故郷であるその国は、だからこそもう戻れはしない。その国の中央に坐すその人には会えない。会う資格がない。
自分を慕って追ってくるシェイから逃げたいというラウズフィールの望みが、銀月にはとても贅沢なものに思える。手に入るものから逃げて、それでどうなるのか。この世にはどんなに望んでも手に入らないものもあれば、望むことを許されないものもある。
脇腹の古傷の痛みが蘇り、そっと傷口を撫でた。
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもないよ」
ダーフィトの怪訝な眼差しに笑顔で応じ、銀月は視線を物思いの中ではなく、現実の村の風景に戻した。
余計なことを考えている場合ではない。今はさっさとこの計画を終わらせて、そうしていつも通り辰砂の弟子としての退屈だけど平和な日常に戻るのだ。
そう思ったのに。
「え……?」
村人から話を聞きだしたところ、どうも人身売買組織と目される連中は捕まるのを恐れて拠点を捨て馬車で逃げ出したらしい。その馬車を追いかけた銀月とラウズフィールはそこで思いがけないものを見た。
「これが黄の大陸があいつらの討伐に差し向けた兵って奴か? いくらなんでも来るのが早すぎないか? ……ザッハール?」
緋色の大陸では見慣れない形状の服を着た軍人たちの集団を見て、ダーフィトが驚き半分感心半分の顔をしている。余裕があるのは、その軍人たちに助け出されている少年たちの中には彼らが見た限りリューシャやシェイがいないからだ。
馬車を二台連ねて「商品」たる少年たちを運ぼうとしていた人身売買組織は、街道で包囲を強いていた小隊に捕まりあえなく御用となった。
しかし銀月は驚きから目を逸らせなかった。彼らの格好、それから見覚えのある指揮官の顔を見て、彼らの所属国家を一瞬で判別する。
「ベラルーダ軍……?」
あまりにも親しんだ格好をしているそれはベラルーダの軍人たちだったのだ。
ここは緋色の大陸だ。黄の大陸南部の砂漠国家である、ベラルーダ王国の軍人がどうしてこんなところに?!
「……とりあえず俺たちの役目はなくなったようだな」
呆然とする銀月とは違ってダーフィトが冷静に言う。
「あれじゃ手出しできない。一度リマーニに戻って、アスティたちに相談しよう」
それを運命の糸の導きと言うのか、銀月は今この時、自分がじわじわと何か大きなものにゆっくり絡め取られていくような気がしていた。