第2章 縁を結ぶ歌
9.見えない糸
033
軍人の一団が人身売買組織の関連物を残らず街道から持ち去っていく。組織の人間も彼らの使っていた馬車や道具も、その中に詰め込まれた「商品」たちも――。
「マジで?」
「マジで?」
辰砂とウルリークは揃って呆然とした。
彼らが今いるのは空中だ。地上ではリューシャが盗賊に人身売買組織が襲われたがその盗賊も軍に恐れをなして逃げたと説明したこともあり、隠れ場所が見つからなかったのだ。辰砂の魔術はもちろんウルリークも宙に浮き続けるくらいなら自力で簡単にこなす。
ただ、あまりにも上空に避難していたので会話はよく聞こえない。人が豆粒のように見える高度で「少し待てば解放されるかも、街で合流すればいいか」などと悠長に考えていたところ、彼らの足下ではあれよあれよと不穏な空気が広がっていった。
リューシャに兵士たちの槍が突きつけられたところでぎょっとし会話を盗聴したが、途中までしか聞けていない。そうこうしているうちに、どうやらリューシャとシェイが他の少年たちのようには解放されず、黄の大陸シャルカント帝国まで連れて行かれるようになったことだけは察知した。
「……どういうことなんです?」
「僕に聞かれても」
軍人たちが完全に撤収したところで、二人は一度地上に降りた。辰砂の魔術で会話の痕跡を探り再生する。
全て一から聞き終わり、二人は改めて頭を抱えた。
「そっかぁ、リューシャさん指名手配……こんな世界の裏側の大陸でもされてるんですね……」
「というか、アレスヴァルドの王子だと……?」
「あ、やべ。言ってませんでしたよね。それ」
辰砂たちもいろいろ隠し事をしていたが、ウルリークたちの方でも隠し事をしている。それを承知した上での協力だった。
どうやら彼らの隠し事は、探し人が今現在西側の大陸中の噂となっているアレスヴァルドの王子だということらしい。
否、もう青の大陸と交流がある西側だけの話ではない。十時の大陸の出来事が世界の反対側である四時の大陸に伝わっているということは、アレスヴァルドでの事件は世界中に周知されていると思っていい。一般市民にまでは伝わらないだろうが、国の権力者たちには伝わっている。
それでも緋色の大陸や黄の大陸であれば国同士の距離が遠すぎて関係ないとする君主が多いと思われるが、黄の大陸の人間であるラウルフィカ王がリューシャのことを知っていたのは誤算だった。そもそもベラルーダの王がわざわざ直々に異大陸を訪れているというのが誤算もいいところなのだが。
黄の大陸で人身売買組織摘発の動きが広まっていることに関して、もっときちんと調べておくべきだったか。極端に情報を隠して動いていたのは、攫われた帝国の皇太子をベラルーダ王が直々に取り返そうとしていたためだったとは……。
「いや、まだだ……まだツキは残ってる。ベラルーダなら銀月もラウズフィールも詳しいはず。シャルカントに対する情報だって持っているはずだ」
正確に言うならラウズフィールにはベラルーダのことはわかっても、帝国の情報は期待できないだろう。だが、銀月は確実にシャルカント皇帝の人となりを知っている。
「それで、どうします“辰砂”さん?」
「ああ、まずは銀月たちと合流して……」
そこで、“辰砂”は失言に気づいた。
ギギギ、と音がしそうな動作でゆっくりとウルリークの方を振り返る。
悪魔――もとい魔族は妖艶な顔立ちににっこりと凶悪な笑みを浮かべている。
「ああ、やっぱり。アスティ、あなたはかの有名な“創造の魔術師”の“辰砂”さんですね?」
「あああああ、しまったぁああああ!!」
今まで気を付けていたつもりだったのに、ついつい考えに没頭して油断してしまった。一番厄介な人物と二人きりにも関わらず、人数がいない分気を抜いてしまった自分を辰砂は呪う。
「くっ! バラすならバラすでもうちょっと劇的な演出を狙いたかったのに!」
「悔しがるのはそこですか。お茶目にも程があるでしょう」
ウルリークはにやにやと、鼠を追い詰めた猫のように笑い続けている。
いや、待てよ。今までまったく気づかなかったが、この気配、この雰囲気、どこかで知っているような。
悪戯好きで軽薄な淫魔。彼らの連れはアレスヴァルドの王子とその関係者。――アレスヴァルド?
紅焔召喚騒ぎでリマーニを訪れる前の銀月との会話が脳裏を過ぎる。
――つい先日なんですがね、流星海岸の方で大きな魔力のぶつかり合いが感じられました。
――その淫魔なんですが、眷属の襲撃を受けた直後に海岸を離れてます。
――規律神の眷属ね……。あいつ、どういうわけか今、青の大陸にいるみたいなんだよな。
――青の大陸ではアレスヴァルド王国で大きな動きがあったらしい。
銀月の報告と紅焔の報告、自分自身で探った規律神ナージュストの気配。それらが一本の線で繋がった。
「ウルリーク。君は長い間流星海岸に棲みついていたはぐれ魔族か。そして青の大陸で逃亡したと言われていたアレスヴァルドの王子が緋色の大陸にいた……?」
何故よりによって世界の反対側にいたのか。いや、魔道具や魔族の力なら不可能ではない。ウルリークに転移が使えずとも青の大陸で他に仲間がいなかったとも限らない。実際、青の大陸で起きた事件の情報はすでにこの緋色の大陸の隅々の国々にまで届いているのだ。だからそれ自体はおかしなことではない……だろう。
待て。いや、やはり何かがおかしい。何か――この一連の流れに大切なことが欠けている気がする。
「それはあなたの存在。俺たちにとって欠けているのはあなた自身のことですよ、辰砂」
「……何?」
「わかりませんか? まだ気づかない? どうしてリマーニの港町で、リューシャさんがセルマさんたちの言いつけを破ってまで面識のないあなたを追いかけたのか」
そうだ。それもわからないことの一つだ。
そして何もかもわからないというのに、辰砂はいつの間にか、リューシャやウルリークの目的や行動の一つに組み込まれてしまっている。
――どうして。
「俺は思い出しました。魔族って便利ですね。伊達に長く生きてませんよ。その衝動の意味もわからず長年集め続けていた情報が繋がって、あなたに直接会ったことでようやく――思い出せた」
ウルリークが辰砂の頬に手を伸ばす。嫌がって避けてもおかしくはない場面だろうが、辰砂は何故かそれを避ける気がおきなかった。
けれどウルリークは指先が触れる寸前、何かに気づいたように手を引っ込めた。
「おっといけない。俺がこなをかけたらいけませんね。リューシャさんに嫉妬で殺されちゃいます」
「こなってお前……」
丁寧な言葉で話しているように見せかけてその実さらりとえげつない言葉選びをするのがウルリークだ。
……?
何故だろう。この感じ、何故か酷く懐かしい。
ウルリークは「思い出した」と言った。では実際自分と彼の間に何かがあってそれを忘れていたということか。
まるで知らない、今回が初対面の相手なのに?
「わからん。もうさっぱりわかんないよ……。僕は君に会ったことはない。君がいる間は、流星海岸に行かないようにしてたし」
辰砂という創造の魔術師は、求める者の前には姿を現さないのが基本だ。紅焔も銀月も、彼ら自身がそれを望んでいないからこそ辰砂は彼らを拾った。
だから恐らく辰砂に会うのが目的で流星海岸にやってきただろうウルリークの前には、辰砂は姿を現さなかった。あの場所は辰砂にとって懐かしく慕わしいというのに、足を踏み入れずに長年耐えた。
なのに運命の悪戯か、出会う気のない相手に出会ってしまった。
「ま、それに関してはのちのちゆっくり思い出してもらうことにして」
「……」
この依頼が終わったらさっさと逃げようと辰砂は思った。なんだかよくわからないが、本能的な身の危険を感じる。
「とりあえず今はリューシャさんとシェイさんのことですよ。どの辺りで奪還します?」
「緋色の大陸を出るまでは、向こうも二人が逃げないよう警戒の手は緩めないんじゃないか? 海上が狙い目だが、閉鎖空間だけに監視の目が空くかはわからない。勝負は黄の大陸だ」
「最強の魔術師が言うならそうでしょうね。では一度セルマさんたちと合流して報告を交わしつつ対策を立てましょうか」
ウルリークが手を伸ばし、今度は普通に辰砂の肩に触れる。単純に転移術を効率よく使うためだからだ。
辰砂は頷いて術を発動した。空中から二人の姿が消える。
簡単に片付くかと思われた事態は、そうして意外な様相を呈していくことになる。
◆◆◆◆◆
三者三様に見てきたものを語り終えたところで、室内に沈黙が降りた。皆、険しい表情で何かを考えている。
最初の拠点であったリマーニの宿に戻り、セルマ・ラウズフィール組、ダーフィト・銀月組、ウルリーク・辰砂組の順でそれぞれに成果を報告する。
馬で移動し、最終的に辰砂によって宿に運ばれたラウズフィールとセルマは、自分たちが帰るのが最後だったはずなのに肝心の少年たちの姿が見えないことに訝しげな顔をしていた。そして、ダーフィトたちや辰砂たちが遭遇したベラルーダ軍の話になった。
無事に人身売買組織を襲撃して拠点の一つを潰すことができたのはセルマたちだけで、あとの二組はベラルーダ軍に邪魔されて目的を達することができなかった。
それどころか、リューシャの素性がベラルーダ王に知られ、シェイと共に黄の大陸へ連れて行かれてしまった。
その説明を聞いてセルマもラウズフィールも表情が凍りつく。
「だ……なっ……どうして!」
「こっちも完全に計算外だった。どうやら人買い共、シャルカントの皇太子に手を出したらしい」
「スヴァル皇子?! だからラウルフィカ陛下が討伐に……」
さすがにベラルーダ貴族だったというラウズフィールは短い言葉で現状を把握する。ベラルーダ王ラウルフィカがシャルカント皇帝スワドに気に入られ、皇太子の教育係を務めているのはベラルーダ上層階級にとっては有名な話だ。
「陛下が、この大陸に……?」
銀月もラウルフィカの名に反応し、眉間に皺を寄せたまま深く考え込んでしまう。
「僕の意見としては、監視と警戒が強いだろう緋色の大陸よりも、黄の大陸に到着してから二人の奪還を目指した方がいいと考える」
「シャルカントの宮廷から奪取するつもりか? 無茶じゃないのか?」
「僕を誰だと思ってんの」
ラウズフィールの疑心を創造の魔術師は嘲笑う。辰砂の正体をまだ知らぬセルマとダーフィトは不思議そうにしていた。
「確かに……それが確実かも知れません。向こうに着いたら着いたでいくらでも兵力を補強することは可能でしょうが、それでも追い付かれる前に船で黄の大陸を出てしまえば、恐らく追っては来ないでしょう」
ベラルーダ側の援軍が見込めない緋色の大陸で奪取を敢行するのも一つの手だが、その場合ただで逃すよりはと向こうの目的が口封じの殺害に変わる可能性が高い。そして確保ではなく殺害が目的なら、緋色の大陸各国にリューシャの素性を連絡して追い詰めることができるのだ。
だが、黄の大陸内ならば向こうは周辺の諸国に借りを作りたくないだろうし話をシャルカント、ベラルーダ間で抑えようとするだろう。そしてできる限り生きたまま捕まえようとする。
リューシャをすぐに殺害せずわざわざ黄の大陸に連れ帰るというラウルフィカの行動から、彼らはそこまで推測した。
「もっとも……この推測を一番覆す行動をしそうなのが殿下御自身なのですが……」
「ああ。リューシャだからな。向こうで皇帝を怒らせて即行で処刑されかねない」
セルマとダーフィトが青い顔をする。
「うん、たびたび聞くけどお前らの殿下は何なの? それ大丈夫なの?」
生温い目で突っ込みつつ、辰砂はこれまで一言も発していないラウズフィールに視線を向けた。
「ラウズフィール」
「……」
「君はどうしたい?」
ゆっくりと、言い聞かせるように現状とこれからの可能性を告げる。
「シェイ君は緋色の大陸を離れた。黄の大陸は彼の故郷ではあるけれど、美しいもの好きの皇帝は目の前に彼が引き出されたら目をつける可能性は高いだろう。一緒にいるリューシャ王子がセルマたちに助け出された後なら尚更だ」
シェイにはリューシャのように部下や身分と言った手駒がない。剣の腕だけなら戦えないリューシャより上だが、大国の皇帝に逆らえるような力を持ってはいない。彼が属するベラルーダ王国は皇帝に服従していて、国の助けも望めない。
例え宮殿から助けだしたとしても、その後彼を守ってくれる人間はいない。今のリューシャのように黄の大陸中で指名手配されてしまえば生きていける場所がない。もともと緋色の大陸まで追いかけたはずのラウズフィールとも引き離されて、シェイは今どこへ行けばいいかもわからない月のない砂漠に放り出されたかのような状態だ。
そもそも生きて宮殿を脱出できるということさえ希望論であり、その前にやはり口止めとして殺されてしまうかもしれない。なまじ顔が良いだけに美少年を愛でる趣味があるという皇帝に慰み者として囲われる可能性もある。
シェイをそういう状況に追い詰めたのは、彼と向き合うことなく逃げ続けたラウズフィールの責任だ。
「ま、じゃあいっそ関係者各所、ついでに君たち二人の記憶も綺麗さっぱり消して爽やか解決って手段もあるけどね」
「ってお師様! この状態でそんな誘惑をちらつかせますか!」
総ての前提を覆し今までの悩みを無に帰すようなことを言いだした辰砂に、銀月が耐え切れず突っ込んだ。
しかしそれも一つの解決と言えば解決である。リューシャのように一国の重要人物だと難しいが、シェイは一般市民でもともと故郷にも帰る気がない。
「――いいえ」
だが、ラウズフィールは悪魔の囁きに似た誘惑に首を横に振った。
「いいえ、辰砂……偉大なる魔術師よ。あなたの心遣いはありがたい。これまでのことには全て、感謝しています。けれど」
あくまでもシェイから逃げ続け穏便に話をまとめるためだけに辰砂の協力を欲した時とは違い、今のラウズフィールは神の前で信仰を告白する者のように真摯に辰砂と向き合って答えた。
「けれど私は――シェイを愛しています」
恋人だろう、と。そうすでにからかわれ続けて来ても一切肯定しなかった男は、ついにその感情を認めた。
「今まで逃げ続けたことが、私自身がこれまで間違っていたのです。運命からは逃げられない。いいえ、逃げるも何も、もうとうに捕まってしまっていたのに」
シェイはラウズフィールの前世の恋人の生まれ変わり。その相手に巡り合えた。それだけでも奇跡的だ。けれど彼らの話はそこでは終わらない。
運命に出会った。
魔王と姫君の生まれ変わりである二人。前世魔王であった自分と恋に落ちたことで不幸になった姫君の生まれ変わりであるシェイ。
けれどラウズフィールは、今生でそのシェイにもう一度恋に落ちてしまった。
出会っただけならそれで終われたかもしれない。同性同士ならむしろ良き友人になれた可能性もある。
それでもラウズフィールは、この世界で最も恋をしてはいけなかったその人に、再び恋をしてしまったのだ。
――出会ってしまった。運命に。
二人を繋ぐ糸なんてありはしない。出会いそのものが何者かに仕組まれていたなどとは決して信じない。
けれど彼の存在は――闇の底のただ一条の光――奇跡。逃れることもできない眩しい運命。
もう、そこから目を逸らしはしない。
「――いい答だ」
長い杖に首をもたせた辰砂があどけない見た目には不似合いな酷薄な笑みを浮かべる。
神をも殺す創造の魔術師は、それでもただ、人であった。
全てを丸く収めるために何もかも忘れてしまうよりも、傷つき傷つけ合いながら未来を目指す、不器用な人間の在り方を好む程には。
「さて、じゃあ今度こそ、黄金の大陸最大の国家を敵に回してでも、二人を取戻しに行こうか」
戦いの始まりは告げられた。