Fastnacht 25

第5章 祈りの行方

25.動乱

097

「困りましたね」
 疲れ切って座り込んだリューシャに飲み物を差し出しながら、セルマが眉尻を下げて口にした。
「ああ。ここまで順調だったのに、まさかここで引っかかるとはな」
 リューシャも眉間に皺を寄せて頷き、セルマから受け取った飲み物に口をつける。
「本当に予想外だよな」
 頬杖をついて珍しく憂鬱な表情で、ダーフィトも不満そうに都市を囲む門を見上げた。
「これでは一度街に引き返すしかないだろう」
 居並ぶ人々の顔触れを見渡し、どれもこれもそう自分たちと変わらない疲労と困惑、憤激や憂鬱が入り混じっているのを観察する。
 そこにいるのは皆、大きな荷物を持ち、今まさにこの都を出ようとしていた人々だ。彼らは皆、街とその外を隔てる門の一つでこの国の兵士たちに引き留められ追い返されている。
「ここで騒ぎを起こしたら間違いなく怪しまれるからな」
「意外でしたよね」
 他三人程意気込みを持っているわけではないので今日も一人飄々としているウルリークが、それでも驚いているようだった。
「常に平和な豊穣の国タルティアンで、まさか謀反の兆候があるなんて」

 ◆◆◆◆◆

 話は、本日の早朝に遡る。
「検問?」
「……みたいなことをやってるって」
「何故だ」
 広い海の中央にある大陸を針の付け根として六つの海と六つの大陸を時計の文字盤に見立てた時、その大陸は十時の大陸と呼ばれる。
別名は青の大陸。世界で最も“西”と呼ばれる地域だ。
 数か月前、祖国アレスヴァルドで父王殺しの罪を着せられた王子リューシャは、長い旅を経てようやくこの大陸に戻ってきた。
 追手を躱すためとはいえ一度は世界の反対側である四時の大陸まで移動してしまった。困難だったその旅もようやく終わりに近づいている。中央大陸から船で青の大陸へと渡り、あとは陸路を目指すだけ。いくつかの国を通り過ぎればそこはもはやアレスヴァルド王国――のはずなのだが。
「タルティアン王国の情勢が乱れるなんて、余程のことではないか?」
 四人は、アレスヴァルドの隣国タルティアンで検問に引っかかり足止めされていた。
 彼らがタルティアンに入国したのはつい数日前だ。この国は広大で肥沃な大地を持ち、食糧自給率が高い。
 大地神を信仰し、豊穣の国と呼ばれる大国の一つだ。軍事に力を入れているわけではないが、もともと安定した食料自給率のおかげで常に一定の国力を保っている。
 最近の青の大陸自体、大きな戦争を起こした国や地域は少なく、情勢は安定している。揉め事と言えば、それこそアレスヴァルドの簒奪くらいのものだろう。
 そのアレスヴァルドでの問題も、王位を奪われたのが国内で憎まれ役であったリューシャとその父王であり玉座に着いたのが国内人気の高いゲラーシムであったということで、近隣諸国に隙を作るような大規模な争乱には発展しなかった。
 この大陸ではゲラーシムからの追手がかかっている可能性があるとはいえ、緋色の大陸や黄の大陸とは違い、治安そのものに気を配る必要は薄いと彼らは考えていた。
 現にリューシャたちがタルティアンに入国した数日前は普通だったのだ。街の様子も人々の顔つきも旅行客の動向もこの国は平和そのものだった。それが急変したのは、この朝だ。
「王都から出られない?」
「ああ、そうだ。王城から通達だ。犯罪者が都から逃げる可能性があるので、全ての門を封鎖するようにと」
 槍を構えて王都から郊外へ出ていく門を塞ぐ兵士の言葉に、リューシャたちは腑に落ちない顔をした。
「我々は数日前にこの国に入国したばかりの旅人だ。それでも駄目なのか?」
「ああ。賊がどんな手を使うかもわからない。鼠一匹通すなと命じられている」
 リューシャたちが来たのは早朝だったが、それから徐々に人が増え始めてきた。旅人だけでなく街の外に仕入れに向かう商人までも兵士たちが追い返すので、王都の門はすぐに人で溢れた。
 対応する人数が増えると兵士たちの方も苛立ち、罵声交じりのやりとりから徐々にこの都の状況が聞こえてくるようになる。
 それによると、“賊”とはどうやら王族。それも犯罪を犯したわけではなく、王城で謀反が起きてその関連で逃げているらしい。
「――で、どっちが逃げてるんだと思う?」
 取引のために街の外に出ようとしたところで足止めをくらった商人から買った飲み物で渇きを癒しながら、ダーフィトがリューシャに尋ねる。
 朝早く来てからずっとここで門が開くのを待ち続けている四人は、到着したばかりで事情がわからず門に押しかける人々と、うんざり顔でその対応に追われる兵士たちを眺めながら昼食をとっていた。
「シャニィディル第一王子派だろう。仮にも正当な王位継承者だ。彼らが捕まえたい人間がいるのなら正式に命を下せばいいだけ。それができずに門兵たちが曖昧なことを口にするのは、謀反を起こした第二王子派が逃亡した第一王子を王都から出したくないと思っているから」
「だよな。やっぱり、それしか考えられないか」
 携帯食料を齧りながらリューシャが言うと、同じことを考えていたらしきダーフィトが頭をかく。
 アレスヴァルドとタルティアンは友好関係にある近隣国だ。それでなくとも王族たるもの、他国の王家の事情を知っておくに越したことはない。
 見た目は平和な国でも、内部に問題があるのはよくあること。アレスヴァルドだとてそうだ。リューシャの存在自体が長く国の不安要素であり、ゲラーシムが簒奪を引き起こした。
「シャニィは我と似たような立場だからな。難癖つけられて追われているのだろう」
「シャニィ?」
「タルティアンの第一王子の名だ。シャニィディル殿下」
「知り合いなんですか?」
 この国の世継ぎの王子の名を愛称で呼んだリューシャに、ウルリークが不思議そうな目を向ける。
「ああ。数年前に一度、顔を合わせた。何かの式典の賓客として招かれたのだ」
「聖地祭だったかな。毎年の祭りと同じ日だけど、何年かに一度の特別な星廻りだとかで」
 リューシャとダーフィト、それからリューシャの護衛騎士であるセルマはタルティアンを訪れたことがあり、その時に第一王子とも面識を持った。
 彼らの複雑な事情を聞いたのもその時だ。王族間で問題が起きたとなれば、十中八九それ絡みだろうと推測できる。
 リューシャたちの予測を裏付けるように、周囲で彼らと同じように立ち往生している他の通行人たちもひそひそと第一王子と第二王子の名を呟きながらやりとりをしていることであるし。
「リークが知らないことがあるとは珍しいな」
「俺だってなんでもかんでも知ってるわけじゃありませんよ。特にここ数百年は緋色の大陸のあの海岸をねぐらにしていたわけですし。中央大陸ぐらいならたまに遊びに出かけてましたけど、青の大陸にわざわざ寄る理由もなかったもので」
 魔族のウルリークは人間では考えられない程の長寿だ。青の大陸や緑の大陸と言った西側の国々でも、アレスヴァルドやタルティアンのように古来より存在しその主要な性質が変わっていない国家に関する基礎知識は持っている。
 ただし最近の国家体制や王家の事情などの詳しい情報はやはりその大陸近隣で適度に情報を仕入れていないとわからない。
 十五年前に生まれたタルティアンの第一王子にまつわる問題など彼が知るはずもないのだ。
 しかしそこは流石と言うべきか、世界中あらゆる国に関する知識が豊富なウルリークは、リューシャがシャニィディル第一王子の容姿を口にしただけですぐにこの国の抱える、問題を言い当てた。
「シャニィディル王子は銀髪に青い瞳なのだ」
「ってことは……聖色を持たないんですね」
 豊穣の国、タルティアン王国は大地の神ディオーを崇める国だ。
 この国に住む者でディオーの信仰厚い者は、大地神の加護を受ける者として“大地の聖色”を持って生まれてくる。
 特に国を治める王族は大地神への祈りを常に欠かすことはなく、ほとんどの人間が聖色を持って生まれると言っても過言ではない。
 しかし現在の第一王位継承者である王子シャニィディルは、大地の聖色である金の髪や緑の瞳を持たずに生まれた。
 そのため大地神への信仰心が足りないのではないか、そのような者は王として不適格なのではないかと水面下で問題視されていたと言う。
 生まれながらに神に与えられたものによって王族としての適性を疑われ、排除されようとしている。そういった境遇がリューシャとシャニィディルは似ていた。
「では、御三方は、この国の聖色を持たない第一王子から玉座を簒奪するために他の王族が謀反を起こしたと見るんですね」
「ああ、そうだ」
 御三方とは言ってもセルマはそこまで考えていないだろうから、実質二人だ。リューシャとダーフィトの二人はそう思っている。
 シャニィディル王子はリューシャ程国民に嫌われているわけではない。だが神の勢力地である西側の国で、神の加護や信仰心が足りないと目された王族がどういう扱いを受けるかはリューシャ自身が嫌と言う程知っている。
「ところで、国内の状況はこれまでどうだったんです? 聖色を持たない王子が王位継承権の第一位という状況でもこの国がずっと平和だったって言うなら、その王子様はそれまで綱渡りかも知れないけれど一応の立場は確保されていたわけですよね」
 リューシャがエレアザル王に庇護され、いざ国に仇を成そうとしても何もできない無能として育てられることで一応の生命の保証がされていたように、シャニィディルにもその命を繋ぐ綱があった。
「ああ、それは……」
 その綱である人物の存在を思い出し、ふとリューシャは口を噤んだ。
「どうしました?」
「そういえば、第二王子派が探しているのは第一王子とは限らないかもしれない」
 リューシャとダーフィトが顔を見合わせた。第二王子派が謀反を目論むのであれば、シャニィディルを捕らえるだけでは駄目だ。彼の基盤の一つである信仰を支えるもう一人を確保しないと。
「豊穣の巫覡だ。大地神への信仰を一手に引き受けるこの国最高位の神官。――これまで、その巫覡が聖色を持たない王子であるシャニィを支えていた」
 特定の神を祀る宗教ではその神の声を聞く神官を置くことがある。かつて東の果ての海辺の村で、背徳神の巫覡たる双子がいたように。
 タルティアンにおいては、それは大地神に仕える豊穣の巫覡と呼ばれる存在だった。
「なるほど、その人は平たく言えば第一王子派だったと。だから第二王子さんが兄から王位を奪うためには、その人を味方にするか殺すかしないといけないわけですね」
「ああ。……恐らく殺しはしない。現在の豊穣の巫覡は確か民衆人気がそれなりにあったはずだ」
「なら、是が非でも捕まえて懐柔して自分の味方にしたいわけですよね。第二王子は」
「そうだな。だが……」
 リューシャがまたしても言葉を切る。ダーフィトも浮かない顔だ。
「珍しいですね。二人して歯切れ悪いなんて」
「ちょっとな。下手に事情を色々知ってると……」
 リューシャとダーフィトの脳裏を過ぎるのは、数年前この国を訪れた時に知った王族周辺の複雑な関係と、一年前にこの国で起きた事件のことだ。
「彼らは、今、一体どうなってしまったんだろうな」