荊の墓標 11

第4章 眠り姫よ贖いたまえ(2)

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 で、場所を移り、身内だけが取り残されたわけで。
「どういうことよ!」
「わっ」
 まだ全員が部屋のそこかしこに立ったまま。
 ミザリーは弟の頬を思いっきりはたいた後、ロゼウスの耳を掴んで引っ張った。ロゼウスが何か喚くけれど、聞こえない振りをする。
「あなたはいつから女になったの! ロゼウス!」
「ね、姉様、痛っ、痛い痛い――!」
 そりゃあヴァンピルの力を遺憾なく発揮しているのだ、痛いだろう。ミザリーは他人事のようにそう言った。
「予想外の性格ですね」
「私は納得した。これでこそ、このロゼウスの姉で、あのロザリーの姉だろう」
 二人のエヴェルシード人はそのやりとりを見ながらこそこそと何か言っているが、ミザリーにはしっかり聞こえている。もう一人得体の知れない黒髪黒瞳の少年がいるが、エルジェーベトのもとにも何度か前触れもなく訪れたことのある彼は、こちらのやりとりに一切関与する気はなさそうに気儘に傍観者を決め込んでいた。
「ど、う、い、う、こ、と、よ!」
「だ、だから、国民虐殺と引き換えに俺がシェリダンの妻に……」
「はぁ?」
 ぎりぎりと引っ張った両耳に力を込めながら問えば、意味不明な答が返る。これだからこの第四王子は。
「エヴェルシード王」
「何用だ、ローゼンティア第三王女」
「このお馬鹿さんに聞いても脈絡のある答えは返って来ないので、あなたに直接伺います。これは一体どう言う事? 何故エヴェルシードの人質となったと風の噂で聞いた我が国の第四王子が、女装して私の目の前にいるのかしら」
「簡単なことだ。私はそれが欲しかった。ついでに、鬱陶しい見合い話を蹴りつけるための口実が欲しかった」
「陛下、オブラートに包むって言葉知ってますか?」
 隣に立つ長い髪の青年が諫めるが、歳若い少年の方は全然動じもしない。
 彼こそがエヴェルシード王シェリダン。今年で十七歳になる、侵略者の王。
 彼女たちの国を滅ぼした男。
 とても美しい少年。ロゼウスと同じくらいに……
「男を花嫁にしたくて、女装させて王妃だと名乗らせているわけ? 随分イカレた王様ね」
 自分たちの国に攻め込んできた時点でわかっていた性格についての印象を率直に告げれば、皮肉な微笑が返る。
「そちらこそ、その美しさにも増して素晴らしい性格だ」
「余計なお世話よ」
 ええ、どうせ私は外見しか取り柄がないわ。ミザリーは鼻を鳴らす。その取り柄ですら役にも立たず、性格がわかった時点で離れていく輩が多い。
「あなたたちのせいで、計画が台無しよ」
「計画?」
 耳から手を離した途端、ロゼウスが彼女の前から逃げた。シェリダンの背後に回り、その背中を盾のようにして顔だけを覗かせる。
「……何をやってるんだ、お前は」
「ロゼウス! あなたはどうして、そんな男と馴れ合っているのよ! 私たちの国を滅ぼした相手なのよ!」
「……王子という身分を取っ払って俺個人に関して言わせてもらえば、シェリダンもミザリー姉様も危険度は変わらな……」
「何ですって?」
「い、いえ。何でもありません!」
 完璧にシェリダンの背後に隠れたロゼウスは、ミザリーの眼差しを避けるように彼にしがみついて顔を押し付けている。
「見かけの割に威勢のいいお姫様ですね」
「……クルスを連れてこなくて良かったな。この前といい今回といい、精神的な負担が大きすぎる」
「人を獰猛な珍獣みたいに言わないでくれる!」
「獰猛な珍獣に失礼な。貴様などただのヒステリー女だ」
「誰のせいで、私がヒステリックにならざるをえないと思ってるのよ!」
 エヴェルシード王の見た目だけは綺麗なその顔を睨みながら、ミザリーは足を踏み鳴らす。
「ああもう、ヴァンピルの王妃と言うから、てっきりロザリー辺りが来るものと思っていたのに、どうしてあんたなのよ、ロゼウス!」
「ど、どうしてと言われても」
「連れて来た方がよかったか? ロザリーの方を」
「一緒にいるの!?」
「今は王城にいる。一ヶ月ほど前に単身王都に乗り込んできたのを発見した」
「じゃあロザリーのことも知っているのね!? どうして同じ顔なのにロゼウスの方をわざわざ女装させて妻になんかしているのよ!」
 そう言えば先程、彼女がこの性格だからこそロゼウスとロザリーの姉で納得だと彼は言っていた。
「私は同性愛者だ。男にしか欲情しない」
「この変態!」
「ほっとけ」
「あはははは。やりとりが全然実のないものになってるよ、陛下、殿下」
 ハデスの一言に、ミザリーとシェリダンは同時にぴたりと口を噤む。口を開きあぐねている二人に代わり、ジュダが問題提起の役割を果した。
「聞いてもいいですか? 計画とは何のことです? もしやそれは、もう一人この公爵領にいるはずのローゼンティア王家の方と関係があるのですか。ああ、その前に私は」
「聞いてないわよ誰もあんたの素性なんか」
「ね、姉様」
「ロゼウス! あんたは黙ってらっしゃい!」
「は、はいいぃ」
 名乗りを挙げようとしたイスカリオット伯爵ジュダを無視したミザリーにロゼウスの咎めるような声が飛んだが、そんなものはどうでもいい。
「ま、いいわ。質問には答えてあげる。その通りよ。計画と言うのは、バートリ公爵との取引のこと。王家の者の身柄と引き換えにミカエラを助けようと思ったのだけれど……あんたじゃだめよ、ロゼウス。だってあの公爵はそこの変態陛下と同類で、女にしか興味がないのだもの」
 周りが一瞬、変な顔をした。
「ちょ、ちょっと待って姉様」
「何よ」
「そ、それって……つまり、ここに来たのが俺じゃなかったら、その姉妹の誰かをあの公爵に生贄に差し出す代わりに自分だけ逃げようと考えてたわけ?」
「私にも、そのように聞こえた」
 ロゼウスが困ったような顔で、シェリダンは訝るような表情で尋ねる。
「その通りよ、悪いの?」
「わ、悪いって、 姉様?!」
「何よ、何か文句があるの? 私はあんたと違って力なんか全然ない上に、ミカエラだってここに来てからろくな目に遭ってないのよ! 自己保身を図って何が悪いって言うのよ!」
「ちょっと待った」
 シェリダンがまたもや制止をかける。
「貴様は先ほど、王妃ならばロザリーだと思ったと言ったな、何故だ?」
「簡単なことよ。王女の中ではそこの馬鹿と同じ顔した妹が、私の次ぐらいに美しいから」
「……普通なら男がどんなにしても手に入れたいと願うのは、その妹だと思った?」
「そうよ」
「それで、ほぼ確実にロザリーが来ると思っていながら、やつをバートリ差し出す気だったのか」
「ええ」
「……わかった。事情はわかった。それで、これからどうする気だ」
「ロゼウスをそのまま差し出して、男だとバレない内に逃げるのが一番無難かしら」
「全然無難に聞こえん」
 シェリダンが眉をしかめた。
「お前の望みは、承知した。こちらとしても、ローゼンティア王家の者をバートリの手に握らせておくのは不都合だ。弟王子の奪還には、力を貸す」
「本当に?」
「詳しい話は、また後でにしてくれ。こちらも考えをもう少し纏める。そちらはそちらで、今わかっている限りのバートリの手の内、現状と思惑を纏めてくれ。二時間後に再び話し合いの場を持とう」
 シェリダンの言葉はミザリーをとにかくここから追い出したいようだった。ロゼウスが鬱陶しいくらいにおろおろした様子でそれを見守っている。
 このままでは結局埒が明かないし、ミザリーは頷いた。
「いいわ。ではまた二時間後、ここへ来るわ」
「ああ。待っている」

 ◆◆◆◆◆

 ミザリーが去った後の、シェリダンにあてがわれた客室。
「……とにかく凄い《お姫様》だったな」
「あ、あはははは」
「もしかしてロゼウス、これがあるからあの時複雑な顔だったの?」
「…………」
 ハデスの問いに、ロゼウスは沈黙で答を返す。
 二ヵ月半ぶりに会った姉は……相変わらずだった。
「自分と弟を救うために妹を差し出させるとは凄い性格ですね。いくら異母姉妹だからと言って」
「違う」
 ジュダの勘違いはもっともなことだが、ロゼウスは一応訂正しておく。
「ミザリー姉上とロザリーは異母じゃなく、同母の姉妹なんだ」
「……なんだと?」
「なんですって?」
「ロザリーたちの母御である第三王妃は、身分こそ低くて宮中で大きな顔はできなかったけれど、国王である父上の寵愛は一番深かった。彼女の産んだ子どもは、十三人中六人。第五王子ミカエラ、第七王子ウィル、第一王女アン、第三王女ミザリー、第四王女ロザリー、第六王女エリサ」
「ではあの女は、二親とも同じ血の繋がった自分の実の妹を、レズ公爵の生贄に差し出すつもりだったというのか?」
「……そう」
 シェリダンが不快げに片眉をあげる。
「そこまでロザリーを憎んでいるとでも言うのか……? それに、お前もあの女には随分嫌われてるようだったな」
「……うん。たぶん、男兄妹の中では俺が一番嫌われてると思う。……いろいろあるんだよ、ミザリー姉様にも」
 言葉は平然としていたのに、言いながら、つい視界が滲んだ。
 嫌われている。いつもなら気にならないその言葉が、今日だけは何故か重くて。
「ロゼウス!?」
「王妃様?」
「どしたの王子」
 シェリダン、ジュダ、ハデスの三人がいっせいにこちらを向いた。
「お前、どうしたんだ?」
「あ、あれ? 何でだろ。おかしいな? 何で……何で……」
 きっと昨日見た夢のせいだ。
 ――お前が愛しいよ、ロゼウス。そして大嫌いだ、我が弟よ。
 ――だってお前は現に今、こうして自分の《涙》で溺れかけているじゃないか?
「な、なんかわかんないけど、涙が」
「……陛下、私たちは退散します」
「そうだね。自分の部屋行くよ」
「あ、ああ」
 ジュダとハデスが部屋を出て行った。取り残されたロゼウスとシェリダンだけが所在なげに立っていて、室内にはロゼウスのしゃくりあげる声が響く。
「何でだろ……何で……」
「ロゼウス?」
 声に、幾ばくか優しい響を滲ませてシェリダンに名を呼ばれた。心配されているのがわかる。魂に近い彼の声。
「大丈夫」
 だからロゼウスは聞かれる前に答える。きっとシェリダンは聞かないだろうけど、それでも。
 たぶん彼は基本的に優しいのだろう。優しすぎて……壊れずにはいられなかったんだ。
 いつもは考えないようなことを考え、瞬きして一粒二粒涙の粒を落す。
「なんか、いろいろ溜まってたみたい。ちょっと泣いたらすっきりした」
「……男がそう簡単に泣くものではない」
「男女差別だぞ、それ……いいんだよ、だって今は、ミザリー姉様が言うとおりみっともない女の格好なんだから」
 なんとなく長椅子に座る気がせず、ロゼウスは寝台の端に腰掛けた。後を追って隣に腰を下ろしたシェリダンの指に、顎を捕らえられる。
「……ん」
 頬を流れた涙の跡を、丁寧に舌先で拭われる。鬱陶しい水分が乾いた頃に、唇をこじ開けられた。熱い舌が滑り込む。
「ん……」
 とろんと恍惚にさせるような口づけで、体中を蕩かされる。
「はぁ……」
 脱力してもたれかかったロゼウスの体を腕の中に抱きすくめて、シェリダンが低く囁いた。
「先ほどの話の続きをしてもいいか」
「うん」
「私としては、バートリの思惑もそうだが、あの女の思惑も知っているに越したことはないと考えている」
「俺もそう思う……ミザリー姉様、俺と仲良くないから」
 ローゼンティアが平和だった頃から、会うたびに射殺すような眼差しを向けてきた異母姉のことを思い浮かべた。元々ヒステリー気味とは言われていたのだが、まさかあれほどまでとは。スイッチさえ入らなければ本当に冷静で大人しい女性なのに。
「ミザリーにある色々、とは、何だ?」
「いろいろあるけど……正確には、何もない事がある、って感じだ」
「何もない?」
「……ローゼンティアは他国とあんまり交流がなかったからそんなに知らないと思うけど……王家には十三人の兄妹がいる、王子が七人、王女が六人。それで、ミザリー姉様は、ローゼンティア一の美女だって言われてた」
「そこまでは知っている。以前聞いたからな」
「うん、それでさ……問題は、ミザリー姉様は一番綺麗なお姫様だけど、同時に一番取り柄のない王女でもあったんだ」
「それが、何もない姫、か」
「ああ」
 思い出す。故郷で、家族揃って幸せな日々。けれど、王妃同士はそれぞれ仲が良くなかったので、兄妹の中でもそれなりに小さな集団ができていた。表面上は平和。しかし中身はいろいろ問題がある。それが自分たちローゼンティア王家だったように思える。
「あんまり小さい兄妹はそもそも比べることが失礼かもしれないけど……でも、それでもみんなそれなりに特技があった」
「お前は剣か?」
「そう、単に技術ならあんたに負けてるけど」
 ヴァンピルと人間と言う歴然とした差があるのに、ローゼンティアに侵略してきたシェリダンと剣を合わせたとき、ロゼウスは勝てなかった。シェリダンの剣の腕だって、相当なものだろう。
「あんたは、この国で一、二位を争う剣の名手じゃないのか?」
「……いや? 私より強いやつはいる」
 何故か前半、否定の語尾を上げた疑問系でシェリダンがそう答える。少し引っ掛かったものの、ロゼウスは話を進めた。
「……ミザリーのコンプレックスを刺激するのは、姉妹たちの方だよ。第一王女のアン姉様は、芸術に秀でていたし、目つきがきついせいであんまりそうは見られないけど、実際はミザリー姉様と同じぐらい美人だ。第四王女のロザリーは……あんたも知ってると思うけど、国内でもかなりの強さだった。だから、軍部とか戦士に人気が高かった。本人もあの性格だし」
「スタイルの割に色気はないが、人好きはするだろうな」
「そういうこと。それに、第五王女メアリーは性格庶民とか言われてるけど、その通り料理とか裁縫が得意だった。普通王女って料理しない気がするけどね。俺がお茶を自分で淹れられるのも、メアリーに習ったからだ。第六王女のエリサは、まだ十歳でほんの子どもだけど、やっぱり明るい性格で人気がある」
「対するミザリーはヒス女か」
「特技って、言えるようなものがないんだよね。それで、なんだか毎回アン姉様やロザリーに対抗意識燃やしてる。二人は全然気にしてないけど」
「空回りだな」
「うん……でもその二人は、ミザ姉様と同じくローゼンティア三大美姫って言われてたから。圧倒的に人目を引くのはミザ姉様だけど、そうするとなまじ外見のせいで変に先入観持たれて、決めつけられるのが辛いみたいで」
「……気持ちはわからないでもないがな」
 シェリダンもそういえば、かなりの女顔で綺麗な少年だ。実際に付き合ってみないと、こういう性格だとはわからない、かも知れない。
「何もない姫君、って、確かドラクルが言い出したんだっけ。それを聞くと、姉様にぴたりと当てはまる気がする」
「美貌以外何もない姫君……」
「うん」
 確かそれからだった。ミザリーが、ドラクルはもちろん、ロゼウスのことも敵視するようになったのは。
「だから、仕方がないんだよ」
「仕方がない?」
「うん」
「…………そうか」
 シェリダンが微妙に鼻を鳴らして頷いた。
「仕方が、ないんだ」
 ああ、俺はいつもこの言葉で自分を納得させている気がする。