荊の墓標 21

第8章 破滅の花嫁(1)

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 夢を見る。
 夢が滑り込んでくる。
 見たくないと目を逸らそうとしても、逃げることは許されない。赦されない。
 その夢は神のお告げ。
 神によって選ばれ、その手のひらの上で転がされる私たち。持っている力は「万能」かもしれない。だけれど、決して「全能」にはなれない。
 夢を見る。
 泣きたくなるような夢を。
 その道がどれほど破滅に近く、絶望に染まろうとも諦めることはできない。あんなものは許せない。赦せない。許せないそれを塞ぐために私はどんなことだってする。
 夢を見る。
 彼方の国におわす神からすればこの脆弱にしか過ぎぬ生き物に与えられた、未来と言う名の夢を。

 絶望と後悔。
 悲哀と慟哭。
 憤怒と憎悪。
 そして殺意と――……敬愛。
 瞼の裏が朱に染まる。
「――……っ!」
 いつもの夢を見て飛び起きた。
「陛下?」
 気配を察したのか、部屋の外へ控えさせていた兵士が声をかけてくる。なんでもない、と私は返し、下着と変らない薄地の夜着を纏う肩を自分の腕で掻き抱いた。
「また、あの夢……」
 血が散った。紅い血。真っ赤な花のように飛び散ったそれは、人一人を死に追いやるには十分な量だった。私はそれを止めることもできず、ただ地に落ちる体を抱きとめるしかできない。ぬくもりを失っていく血まみれの体を抱きしめて泣くだけ。なんて滑稽なほどに無力。万能であるはずの力も、その人の前では全てが無力になるのだ。
 白い瞼に緑がかった黒い瞳は閉ざされ、漆黒の髪は血で張り付いて。
 ああ、これは悲劇。
 いつか必ず来るはずの、避けられぬ未来。
 ――黒の末裔には不可思議な力を持って生まれてくる者が多い。
 私もその一人。そうでなければ、こんな地位にはつけなかった。異大陸からやってきた異能力者である黒の末裔はいつの時代も迫害され続けてきたけれど、それ故に極たまにではあるけれど大出世する者がいる。
 私もその一人であり、そして立身出世する恵まれた黒の末裔の中でも、これ以上はないという躍進をした唯一の一人。立場が立場なのだから、まさか自覚がないなんてこればかりはありえない。
 私は多分、後世の歴史に残るでしょう。
 その名が悪名であるか、それとも意外にいいことを書いてくれるのかは今のこの時代に存在することだけでいっぱいいっぱいな私自身にはわからない。
 そしてその結果がどちらであることにも、私には興味がない。どうでもいい。
 そもそも、その私自身があとどれだけ生きられるのかもわからないのだから。
「あと、半年……」
 現在は皇歴三〇〇三年、次の年を迎える頃には、少なくとも私はこのまま今の立場ではいられない。
 夢がそれを伝えてきた。あの忌々しい夢が。それは神のお告げ、神の宣告、神の命令。
 来年には私はこの場所にはおらず、新しい存在がこの場所の主となる。
 そして夢は、その存在が私の一番大事なものまで奪うことを伝えてきた。
「許さない……」
 そんなことは許さない。赦せない。
 例えばそれが世界の崩壊程度なら、簡単にくれてやりましょう。
 例えばそれが無数の民の命程度なら、躊躇わずに差し出してあげましょう。
 だけれど、あの子に手を出す事は許さない。あの子はあげない。私だけのものよ。
 もっとも、夢は告げてくる。もっと詳細な情報を。
 あの子は私を憎んでいる。だから、そもそもあの子が近い未来あんな目に遭うのは、私のせいなのだ。私を地獄に落とすそのために、あの子は自ら堕ちていく。自分は上手くやれるだなんて勘違いして、みすみす蜘蛛の巣にかかるのだ。
 運命と言うものが張り巡らせた透明なその罠に気づかず。
「……って、……待って」
 一人寝は嫌い。人が一緒にいてほしい。でも、あの子以外は誰も要らない。
 私は寝台の上で一人、呟く。押し殺した声で叫び、祈る。
 まだ父と母がいて、そのどちらからも虐げられて泣いていたあの頃のように。その両親を殺したあの日から限りなく不老不死に近づいて体の成長は止まってしまい、鏡を見るたびにあの頃の悲憤慷慨と苦痛を思い出さねばならない。だからいつもは必要以上に派手な化粧で誤魔化すのだけれど、この場ではそれも無駄。
 眠る際に化粧をしたままの人間なんていないし、第一いつもそうであるからといって、今のこの感覚は鏡を見て思い出したわけではない。胸のうちに巣食っている絶望じみた感情は、いつも蓋を開けて私を飲み込む機会を待っている。
 全身に不安が満ちていく。
「待って……まだ、弱まらないで、私の力」
 せめて目的を達するまでは。
 せめて願いを叶えるまでは。
 せめてあの子を――あの子が死なない未来を作り出すまでは。
 そうすればもうどうなっても構わないから。元々これは神に与えられた力。神に与えられた命令。借り物であるそれを、返す時が来ただけだ。問題はそんなことではない。
 黒の末裔には異能力者が多い。それはシェスラート=ローゼンティアとサライ=ウィスタリアの末裔たる薔薇の王国の吸血鬼たちや、人狼族、かつては神狼族、と呼ばれたフラムの血筋が治めるセルヴォルファスの民のような魔族とは違って。
 黒の末裔が生まれ持つのは魔力。人によって様々な発現をするその力だけれど、最も多いのは「予知」の能力。
 そして弟にできることを、姉であるこの私ができぬわけはない。
 なぜなら私は、この世で「万能」の力を持つ者なのだから。
 そして私が知った未来は――。
「皇帝陛下」
 部屋の外から声がかけられた。
「何?」
「宰相閣下の指示を頂きたい案件が幾つか滞っておりまして、その……」
「私が後で直々にやってあげるわよ。ハデスは当分戻らないわ。下がりなさい」
「は」
 扉の外から遠ざかっていく足音を聞きながら、寝台の中で肩を抱いたまま思わず溜め息が漏れる。完璧に一人になった途端、またしても先ほどの夢の残り香がのしかかってくる。
 苛立たしげに頭を振ると、自身の長い黒髪がさらりと白いシーツに零れた。
 黒。
 夜を、闇を、そして暗黒と混沌を象徴するこの色。歪みの色。反抗の色。裏切りの色。
 ならばそれが誰よりも相応しいのはやはりハデスではなく、私のほうなのでしょう。
 神よ。
 私を皇帝に定めた全能の支配者よ。
 いまだその姿見せぬ、不可視の絶対者よ。
 私はあなたを裏切る。あなたの与えたこの力で、あなたへと反逆する。私を見放すあなたが選んだ者を躊躇いなく斬り捨てる。世界がどれほど混乱に包まれ、混沌と騒乱に見舞われようとも。
 それで私の見た未来を変えられるなら、安いもの。その後はどうなっても構わないから。
「……ハデス」
 私を憎む愛しい弟の名を呟いて、ただひっそりと目を閉じた。

 ◆◆◆◆◆

 全ては夢のようだった。
「陛下、これは一体、どういったことなのでしょう?」
 しかし夢ではない証拠に、彼の前で父親程も歳の離れた男性がいかにも気難しげな顔で問いかけてくる。このエヴェルシード国の宰相である、バイロン=セーケイ=ワラキアス。そして先代ジョナス王の時代から宰相である彼だが、当代までも宰相と命じたのは間違いなくこの自分。
 シェリダン=ヴラド=エヴェルシード。
 それが自分の名。そして自分の立場。王族は普通、家名として国の名を名乗る。このエヴェルシードという国こそが、我が家。
 その家に、今尋常でない危機が訪れているのだ。
 話は先日の、皇帝陛下訪問に便乗された暗殺事件、そしてそれ以前からの問題であった隣国ローゼンティア侵略に端を発していた。
「これは何か? つまり私は隣家の主人ではないが限りなくそこに近い位置にいる息子か何かと喧嘩をして永の膠着状態に陥っていたところ、それでも毎日口論するわけではなし、今日はゆっくりするかと寛いで客人をもてなしていた時に思いがけず隣家の人間が怒鳴り込んできたようなものなのか?」
「シェリダン様、何もそこまで庶民的に例えませんでも……」
「いやぁ、でも言いたいことはあってますわねぇ」
 童顔のクルスが困ったように眉を下げ、エルジェーベトは皮肉気に笑った。
「一体、本当に何があったのです? 陛下」
「その前に報告しろ、バイロン。城内の様子は?」
 シェリダンは玉座に座し、周囲に揃った配下たちにそれぞれ報告を纏めさせる。とは言ってもユージーン侯爵クルス卿、そしてバートリ公爵エルジェーベト卿とは途中まで行動を共にしていたため、彼らが知っていることのだいたいはシェリダンも知っている。
 まずは、と城の外へ出ていたシェリダンたちではなく、留守番組だったバイロンが口を開いた。
「皇帝陛下にご用意した部屋はもぬけのカラです」
「それは聞いている。あの方は、もうこの国に用事はないからとさっさと皇帝領に帰った」
「それから、帝国宰相閣下の方もお姿が見えません」
「ハデスか。奴の身辺に関して他に何かないか?」
「それに関しましては、もとより我等にも秘密で画策していらっしゃったのは陛下でしょう」
「……そうだったな」
 あの時のハデスの突然の行動は気になったが、もともとシェリダンは父を幽閉、カミラに抹殺させるためにハデスの協力を得た。その手前今更強く言う事も出来ずある程度自由にしていたのだが……今回はそれが仇になった。
「まあ、もっともあの方に関しては、どうせどんな優秀な監視を放ったところで得意の魔術で撒かれてしまうんですから無意味でしょう。ワラキアス宰相閣下の方で他にわかることってありません?」
 エルジェーベトがフォローを入れる。
「いえ、バートリ公爵。こちらでは他には、晩餐会で既に報告したとおり、あの時間城の近辺にヴァンピルらしき怪しい影が見えたことしか」
「そう」
「それならば、私の方から伝えさせていただけませんか? シェリダン様」
「リチャード」
 バイロンと同じく城への居残り組だったリチャードが、常の彼よりもいささか気を張っているような態度で口を開く。
「セルヴォルファス王のことです」
「……いきなりロゼウスに迫った、あの王か」
 リチャードの言葉に思いがけない名前を聞いて、シェリダンの脳裏には自分よりも更に若い姿をした王の、不愉快な様子が浮かび上がる。人狼の国セルヴォルファスのあの王は、よりにもよって私のものに手を出そうとした。
 それはともかく。
「そのこととの関係は今は置いておきまして、その彼が妙な行動に出ているとの報告が見張りの兵士から幾つか寄せられました」
「妙な行動、だと?」
「はい。外出が多いのだそうです。本人は本性が狼であるだけに城に押し込められているのが我慢できないと言っているようなのですが、その割には出かける先がおかしい、と」
「して、その外出先とは?」
「尾行を途中で撒かれたため、正確な位置まではわからないのですが……方角から推測するに、国境近くの……陛下や公爵たちが赴いた森付近の街道です」
 シェリダンは頭の中に国内の地図を描く。平常の執務でイヤと言うほどに見慣れているそれはすぐに脳内で開かれた。
 そして示された場所の不自然さに、確かに眉根を寄せざるを得ない。
「……あの辺りって確か、人気少ないのよねぇ」
「王都シアンスレイトに通じる街道でありながら、回り道であるためにほとんどの人は使わない道、でしたよね」
 話を聞いて、クルスとエルジェーベトの二人も眼差しを険しくしている。
 あの辺りは確かに人気がない。何故ならその向こうには特筆すべき特徴もない小さな村が一つあるのみで、それを越えればすぐに隣国だ。王都の住人や旅人は普通賑やかな方面に向かうから、あの辺りを訪れる人間は少ない。あの街道を使うとなるとその辺境の村の住人か、もしくはその向こうの国から来る者、そして向こうの国へ向かう者。
 その向こうの国とは――ローゼンティア。
 数ヶ月前に侵略し、今は彼らの国の属国と化しているはずの吸血鬼たちの王国だ。
「……何を企んでいるのだろうな、セルヴォルファス王は」
「ええ」
「僕も、あの位置で無関係ってことはありえないと思います」
「まさかあんなちっちゃい村に名産のお酒飲むため一杯引っ掛けるために行ったってわけじゃないでしょうしねぇ」
 バイロンが纏める。
「その報告の通りなら、彼は確かにローゼンティアと何らかの繋がりがあるのでしょう」
「繋がりも何も、元王太子の友人らしいぞ?」
「ドラクル王子……いえ、ドラクル=ヴラディスラフ大公の?」
「ああ」
 ロゼウスから聞いた話を説明する。集まった面々が一斉に表情を変えて唸る。もちろん他人事ではなく、シェリダンとてそれは同じ。いや、状況を聞いているだけに尚更厄介だということをシェリダンは知っている。
 セルヴォルファス王はあのドラクルの友人。それも、かなり深い付き合いだとロゼウスは言っていた。お互い自国の代表格でありながらそれを越え、国内で重用している貴族たちと同程度の親しい関係だというのだから相当なものだろう。こちらで例えるならシェリダンとクルスのようなものか。
「まだセルヴォルファス王の行き先が街道と確定されたわけでもありませんが」
「でも、リチャード。ほとんど確定ということでいいのでしょう」
「少なくとも私はそう考えております。途中で邪魔が入ってそこまで調べることはできませんでしたが」
 エルジェーベト尋ねると、常に冷静なリチャードが珍しく困ったような顔を見せた。生真面目なリチャードが確証を持ち出さずに推論交じりの報告を持ってくるのはおかしいと感じていたのだが、どうやら理由があるらしい。
「邪魔って?」
「いえ、その……」
「言え、リチャード」
 シェリダンの促しにしぶしぶとリチャードは答える。
「……イスカリオット伯です」
 ああ、と周りの者はいっせいに溜め息をついた。イスカリオット伯爵ジュダ卿とこのリチャード=リヒベルクの因縁については身内の中では良く知られた話題だ。そのイスカリオットに絡まれたならば、リチャードが肝心な時に満足に動けなかったとしてもおかしくはない。
 だがエルジェーベトは違ったようだ。
「……あのイスカリオット伯が、何も考えずにそんな真似をするかしら」
「エルジェーベト?」
「少し気になりませんか? 陛下」
「突然呼び出したのは私だしな。何かを命じるならリチャード以上に奴に都合の良い相手も他にいないだろう」
「それはそうですが」
 まだ納得がいっていない様子で、エルジェーベトは一人顎に指を当てて考えている。領地支配の手腕も武力も王国一と言われるその実力とは裏腹に妙齢の女の姿をした彼女が行うと、やけにきまるポーズだ。
 そんなエルジェーベトの姿勢を崩したのは、控えめだがしっかりとした先触れと共に部屋に入ってきた彼女の弟だった。
「あら、ルイ」
「陛下、ご機嫌麗しゅう」
「おかげさまでな」
「姉さんも元気そうで。何か進展あった?」
 ルイ=ケルン=バートリは姉と同じ華やかな面差しで尋ねる。あの時、事態を収拾したのはその場に最初からいたしシェリダンたちではなく、このバートリ公爵の弟、ルイ卿であった。
 ローゼンティアの第五王子、ロゼウスのすぐ下の弟であるミカエラ王子と通じているというルイは、彼の依頼によりその周辺をひっそり警護していたのだという。彼がミカエラと何を条件に取引したのかなどと無粋なことは聞かないが、ともかくそのおかげでシェリダンたちはルイに助けられた。
 あの後、一方的に《力》を投げつけて森を破壊した世界皇帝デメテル陛下は、飽きたから帰ると言わんばかりの態度で、もう用事は終わったのだと身を翻した。魔術で一瞬のうちに姿を消した彼女を追えるはずもなく、呆然とするシェリダンたちはもはや森の残骸すらない、焼け爛れた焦土で顔を見合わせていた。
 ドラクルたちは、すでに姿を消していた。皇帝の放った魔力の塊がぶつかる前に、ドラクル王子が何か行う素振りを見せるとその場に一匹の竜が現れたのだ。絶滅危惧種でもあるという冥府の生き物がどうしてと思ったが、向こうにはハデスもいるしドラクル自体が得体の知れない相手だ。何ができても、出てきても不思議ではない。
 その場にいたローゼンティア関係の者の半数近くがそれに従って逃げ、半数のヴァンピルは――シェリダンたちと共にルイに連れられて、この王城へとやってきた。
「陛下。それで結局、どうなさいますか?」
 バイロンが眉をしかめたまま尋ねてくる。
 国内にヴァンピルが乗り込んできて勝手に仲たがいをする。それだけなら勝手だが、彼らの目的はあからさまにシェリダンへの復讐と自国ローゼンティアの奪還。もっともローゼンティア王家の複雑な事情はあるが、彼らエヴェルシードから見れば要はそういう言葉に集約される。その事態を、シェリダンたちはなんとしてでも打破せねばならないのだから。
「軍備を増強しろ。兵士に訓練と出征の伝達。各大臣を集めよ」
「それでは」
「ああ」
 もはや残されているのはこの道、戦い続けるという道だけだ。
「もう一度、ローゼンティアとの戦争だ」

 ◆◆◆◆◆

 一つ部屋に集まって、アンリたちは沈黙していた。これだけの人数がいて誰も何も喋らないということは、さすがに息苦しい。
 エヴェルシード王はそれぞれに部屋を用意すると言ったが、不安な今この状態では、兄妹同士で集まっている方が落ち着いた。だからこそ皆が皆、こうしてアンリに与えられた一室に固まっているわけだ。
「ねぇ」
 その沈黙に一番初めに耐えられなくなったのは妹のミザリーだった。ただ耐えられないだけでなく、耐えられないと思っているだろう弟妹たちの心情も思いやった結果だ。何しろ、ドラクルもアンもルースもヘンリーもいない今この状況では、アンリの次に彼女が年長者だ。
 ミザリーは遠慮がちにアンリの方を見て、尋ねてくる。
「アンリお兄様。私たち、これからどうすればいいの?」
「どう、するべきだと思う?」
 具体的なことは、アンリも何一つ答えられなかった。逆に聞き返してしまい、ミザリーがその国一の美女だと褒め称えられていた秀麗な面差しを歪ませる。今にも泣き出しそうな妹の……本当は妹じゃなかったけれど……その様子に、アンリは慌ててしまう。
「ご、ごめんミザリー」
「ううん。ごめんなさい。お兄様。私、私がここはしっかりしなくちゃいけないのに」
「無理する事はありませんよ、姉上。こんなことになって混乱しているのは、皆一緒なのですから」
「ミカエラ……」
 先日の騒ぎで病弱な第五王子ミカエラはやはり体調を崩した。寝台に伏せながらも、彼は姉であるミザリーを慰める。ミザリーとミカエラはこんなことがあっても両親とも変らない、れっきとした兄妹だ。
「ああああ。もう」
「兄上」
「ごめん、ミカ、ミザ、ウィル、エリサ」
「アンリおにいさま」
「兄上」
「いや、もう、ちょっと俺の頭も限界きそうだわ」
 思わず天を仰いで目元に手を当てる。その意味を察したのか、ミザリーとミカエラが気まずげに肩を揺らした。ごめん、二人とも。
 泣きてぇよ。
「ドラクルの奴……一体なんだって……」
 あんなことを。
 衝撃的な告白。明かされた真実。
「とりあえず、状況を整理しようか。こんな時こそ常に筆記用具を持ち歩いているメモ魔のアンが頼りになるんだけどな」
「兄上……」
「悪い」
 第一王女アンは、偽りの王族であったアンリとは違い正真正銘の王女でありながら裏切り者のドラクルについていった。ヘンリーも、ルースも、そして。
「ジャスパー、ここにいないってことはドラクルについていったのかな」
「おそらく、そうでしょうね」
「でも、その前にドラクルに剣を向けていたよね」
「ジャスパーにいさま、どうしていないの?」
 第六王子ジャスパーの立場は、彼らの中にあってさらに微妙だった。一瞬前にはドラクルに斬りかかりそのまま敵対するかに見えた彼が何故、あの男についていったのか。だがここにいる者たちに、その答が出せるわけもない。
「とりあえず、家系図の……整理」
 シェリダン王に与えられた客用の部屋は、備え付けの机の引き出しに便箋と筆記用具がしまわれていた。普通は滞在先からどこかへ手紙を書く人のための心遣いなのだが、今はそれを遠慮なく使用して情報を整理する。
「ええと、まず……誰が王族で誰がそうでないのかをはっきりさせとくか」
「……そうね」
 沈み込んだ声でも、ミザリーは賛成した。
 アンリはドラクルの言ったことを思い出しながら紙に兄妹たちの名前を書き込んでいく。
 第一王子ロゼウス、第二王子ミカエラ、第三王子ジャスパー。第一王女アン、第二王女ミザリー、第三王女ロザリー。
 ヴラディスラフ大公爵子息・令嬢がドラクル、アンリ、ヘンリー、ウィル、ルース、メアリー、エリサ。
 実に兄妹の半分以上が、王族ではなかったというわけだ。
「なんだよ。今までと呼称が変らないの、アンだけじゃないか」
「アンリ」
 アン姫。彼女だけは今も昔も第一王女だ。
「それと、……誰と誰が兄妹かってことよね」
「ええと、それって……」
「例えばね、ウィル。私とあなたは父親も母親も同じだから、兄妹。私とエリサは、父親違いだけれどお母さまが一緒だから兄妹。そしてあなたとエリサも、父親違いだけれどお母さまが同じだから兄妹よ。私たちはみんなお母さまが一緒だから」
「ああ。なるほど。なるほど?」
 王族であるかどうかよりも、さらに状況を複雑にするのがこの問題だった。ウィルは半分ほどは納得できたようだが、エリサはどうにも理解が追いつかないようだ。
「ええと……?」
「待ってな。今図に書き出すから」
 ウィルが新しい紙を取り出して渡してくれた。それに、今現在でわかるかぎりの情報を整理する。
「ええと、ドラクルだけはまず母親も正妃殿下じゃなかったから、母親違いでルースやロゼウスとも無関係、ただ父親が同じだから俺たち大公家とは兄妹。アンは国王陛下と第三王妃の娘だから、そうか、アンとミザリー、ロザリー、ミカエラまでは両親とも同じ兄妹なんだな。それで、ロゼウスは母親だけが同じだからルースは姉。後は国王陛下の血を引く皆が兄妹で、俺は父親違いでも同じ第二王妃の息子であるジャスパーとは一緒で、メアリーとは二親同じ……」
「兄様」
「それで、ウィルたちについてはだな」
「アンリ兄様!」
「兄上!」
 ミカエラとウィルが悲鳴のような声でアンリを途中で止めた。
「お辛いなら、無理してそんな作業しなくていいです」
「え?」
「……アンリ兄上」
 ミザリーがその白い手をそっと伸ばした。アンリの頬に触れて、水滴を拭っていく。
「あれ?」
 いつの間に……俺は、泣いてたのか。
「もう、やめましょうよ兄上。誰が兄妹で誰が王族だとか、どうでもいいです。どうでもよくなりました」
「ミカエラ」
 弟は突然大人びたように、いつも体は弱くとも気が強く癇癪を起こしがちだったとは思えない様子で言った。
「だいたい、いくらドラクル兄上が何か言っていたって、そんなものどこまであてになるんですか?」
「ミカエラ、どういうこと?」
「……僕は本当に王の血を引いているのならば、何故こんなに体が弱いんでしょうね」
「ミカ」
「それに、結局そんな風に誰が兄妹だなんて突き止めたって、無駄なことですよ」
 ミカエラが沈み込んだ。
 この弟は賢い。永い間病床で人間観察や勉強ばかりしていたためか、妙に鋭いところがある。
「だって父親違いでも兄妹。母親が同じ兄妹なんて……それって、僕らの母上の浮気を公然と認めることになるんですよ」
 思わずペンを取り落とした。
 アンリはそこまで考えがいってなかった。ああ、そうか。
 まさか国王が特定の王妃と同衾しなかったということはなかろうから、三王妃は誰もが王弟大公と通じたことになる。それは紛れもなく、夫であったブラムス王への裏切り。
「……そうだな、何の意味もない、な」
 むしろこんなことはっきりさせたって、余計自分たちの傷口を抉るだけだ。
 真実を追い求めるのは、確かに気分の良いことじゃない。
「はい。だから……僕たちが押さえておかなきゃいけない大事なことは、たった一つだけです」
 推測はやめて、これだけは確定しているであろう情報だけを根拠にする。
「ああ」
 それは、能力的にも家柄的にも、間違いなく次の王に相応しいのはロゼウスであるということ。