荊の墓標 22

第8章 破滅の花嫁(2)

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 華麗な舞。
 それはそのように表現するのが相応しい剣だった。白刃のきらめきが流麗な弧を描き、残影を残して鞘に収まる。一瞬後には、辺りを舞う木の葉の全てが真っ二つに叩き斬られていた。
こんな場面、昔シェリダンが読んでくれた本の中ぐらいでしか見たことがない。
「へぇ。意外だな」
「そう?」
「そう。ロゼウスなんかの剣を見てると、もっとざっくばらんな剣技って感じがするけど、ウィル王子のはちゃんと剣道って感じだよね」
「それは……ロゼウス兄様は、単純に力と反射神経がいいから、特に型を覚えなくても戦えちゃうから実戦向きの剣を教えた方がいいだろうって、ドラク――」
 そこで彼はいったん口を噤み。
「ドラクル兄上が、言ってた」
 改めてその名前を口にした。
「そりゃ、ああいう感じにもなるわけだね」
「ドラクル兄上は……」
「ああいう感じの人だってことは、わかってますよ?」
 エチエンヌの言葉に、彼は顔を今にも泣きそうに歪めた。まだ幼い容貌……というよりも、本当に幼い少年の名はウィル。ウィル=ローゼンティア。ローゼンティア第七王子、末の王子のウィル殿下。
 シェリダンから言いつけられて、エチエンヌはここ数日彼の面倒を見ている。ローラは主に女性陣で、ロザリーは好き勝手に行動し、アンリという彼の相手はリチャードが勤めている。単純に年齢と性別だけで分担したものだ。ああ、病弱な第五王子殿下だけ特別に使用人をつけているけれど。
 シェリダンは基本的に、よっぽどのことがないと人を信用しない。だから、いざというときにこうして使える手駒は少ない。
 ローゼンティアの王族たちにはそれぞれ、あちらの弱味をこちらが握っているという点では強く出ることもできそうだが、諸々のことを考えるとそれも難しいのだと言う。彼らの扱いは客人ではないが、捕虜でもない。じゃあ何なのかというと、協力関係を求める上で審議中というのが一番近いらしい。それはつまり、すぐにでも敵に転ぶ可能性があるということ。
 だから、シェリダンは一応警戒している。ヴァンピルは強いのだ。ロゼウスやロザリーほど戦闘能力に突出した者はもうそれほどいないらしいのだが、それでも普通の人間より断然強い。だから彼らがこちらを脅すために暴れた時、誰も止められないなどとそういうことになるのは困るので、そのためにエチエンヌたちはつけられた。
 そう、彼らは、彼らの監視。シェリダンの懐刀を自負するエチエンヌとローラと、御前試合でもその凄腕を発揮するリチャードとでローゼンティア王族を監視する。
 だけど。
「意味、あるのかなぁ……」
「何が?」
「何でもない。独り言。どーぞお気にせず稽古を続けてください、王子殿下」
「僕に敬語なんか使わなくていいよ、エチエンヌ。だって、僕は今は王子として扱われるためにここにいるわけじゃないし、歳だって同じくらいだろ? 仲良くして欲しいな」
「……僕は殿下より三つほど年上ですが」
 昔の体験からこういう感じ……十二歳ほどで身体の成長止まってますが、実は僕は十五歳なんだって。
「ええっ!? 嘘ぉ!!」
 やっぱり勘違いしてたか。ああ、ってことは、もしかしてローゼンティアのあの面々みんなことごとく勘違いしてるの? 僕、お子様だと思われてる?
「どうりでロゼウス兄様の態度がなんか……ああ、ってことは」
「ウィル王子よりロゼウスとの方がまだ歳が近くて、実は僕ミカエラ王子と同い年なんだよね」
「ジャスパー兄様どころか、ミカ兄様と同じ……」
 ってその二人は一歳しか変らないだろうがって言ってやりたいけど何か落ち込んでいる風なのでそのまま放置しておく。眺めていると、先ほどはあっさりと漂う木の葉のすべてっを真っ二つに切り裂いたってのに、今度は枯葉に真正面から鼻を叩かれていた。バカだ。
「……でも、見た目は子どもじゃないか」
「事情があるんです。それを言ったら、お前らの一番上の兄貴、どこが二十代だって?」
「ヴァンピルはある一点を境に身体の成長が遅くなる種族なんだよ」
「じゃあ、僕も似たようなことが今起きてるってことで」
「納得できない」
「しなくていいよ」
 ああ、もう、本当に。
 意味なんてあるのかなぁ。
 こんな監視なんかして。今目の前にいるウィル含め、ローゼンティアの連中はもうとっくに覚悟を決めているようじゃないか。それぞれがぞれぞれ、できることのために動き出している。
 ミカエラ王子とアンリ王子、それにミザリー姫は肉体派じゃないから直接戦闘に関わる領域というよりは、貴族たちの交流関係を調べ上げてそこでローゼンティアの復興とドラクル王子たち反王権派打倒のための足がかりを得るようだった。
 一方、ここにいるウィル王子と末っ子のエリサ姫は意外にも武闘派で、何かあったら戦いは彼らに任せるなんて、一回り以上年上のアンリ王子が任命していた。二人の年齢差を考えれば明らかに大人が子どもに戦いを押し付けていて、それはいいのだろうかとエチエンヌとしては驚くわけなのだが。
 そういえば、ロザリーはどうするのだろう。彼女は最近ずっと城内をひたすらうろうろして考え込んでいるようで、あまり何かをしているという様子はない。シェリダンは時々話すようだが、ロザリーはまだ心を決めていないようだとしかエチエンヌは聞いていない。旗印にされるロゼウスが迷うのは仕方がないけれど、ロザリーは……ローゼンティアの再興について彼女が迷うのは、また違う理由だ。
 彼らは、そして自分たちは、これからどうなるのだろう。
 どうなるかはなってみないと本当にはわからないが、少なくとも今はまだ、平和だ。もちろん不穏な空気もあって、そのためにウィルはこうしてここで剣の稽古なんかしているわけだが。
 中庭の緑たちが散らされて、あとで庭師が泣くだろう。
 どうでもいいことを考えるエチエンヌの耳に、再びウィルの声が届いた。
「ねぇ、エチエンヌ」
「なんですかい、王子殿下」
 すっと目の前に少年の手が差し出された。
「君が複雑な事情の下にシェリダン王の下にいることはわかった。その年齢が、外見どおりではないということも。……それでもやっぱり、仲良くしてくれると嬉しいな」
 にっこりと彼は笑う。
 変な王子。ロゼウスとはまた別の意味で、あまりにも王子らしくない。普通の王子は、こんな風に敵国の王の小姓である元奴隷なんかに、そうやって握手を求めたりはしない。
 敬語もやめて欲しいと言われて、エチエンヌは呆れたように一度溜め息ついてみせる。まあ、もともと表面上すら取り繕いきれず、おざなりな態度だったのだから今更か。ロゼウスに対してはもうとっくにああ、なわけだし。
「わかったよ。ウィル」
 差し出された手をとり、握り返した。

 ◆◆◆◆◆

「それでは、誓っていただきましょうか? 子爵。今度こそは、裏切らないと」
 今、自分たちの目の前にはローゼンティアのとある貴族がいる。とある、というとどんなことだか意味不明だけれど、一言で言えばアンリのこの言葉からもわかるとおり、ミザリーたちを見捨てた貴族、裏切り者。
 ここはエヴェルシード国内でありながら、ローゼンティアの人間を引き込むにも都合の良い隠れ家の一つ。もともとそれが全部ハメられたことだったとはいえドラクルと手を結んでローゼンティアを侵略したシェリダンはこの手の情報に異様なまでに詳しい。なので、ミザリーたちはそのうちの一つを借りて、ローゼンティアのまだ生き残っている貴族たちと連絡をとっていた。
 生き残りと言っても、話をする相手は慎重に選ばねばならない。こちらの味方になるよう説得した相手が、まさかドラクルたちの仲間ではかなわない。人選と対応は慎重に慎重にする必要があった。それを割り出すのは、アンリの役目だ。
 ドラクルが優秀だというのは国内外に知れ渡っていた事実だが、そのドラクルに負けず劣らずアンリも優秀なのだ。第二王子で、本人が威厳とか迫力と言った言葉とは無縁の朴念仁であるためそういう見方はしてもらえないが、ミザリーたち兄妹は二番目の兄の有能さを十分に知っている。知略王子の名は伊達ではないということも。
 その知略王子の立てた作戦に、ミザリーは協力することになった。
 例えば今日、話は数時間前に戻る。
『ミザリー姫!』
 その場所で声をかけられて、ミザリーは振り返った。待ち合わせ場所をあらかじめ連絡して、ローゼンティア貴族の一人に迎えにきてもらったか弱い姫君、を演じる。演じるも何も実際ミザリーはか弱いのだが。
 そう、ミザリーは弱い。一人では何もできない。
 だから、ミザリーからの呼び出しということで警戒する人間は少ない。彼女は王族とはいえ本当に何の力も持っていない、見た目だけの女だ。
 案の定、ローゼンティア人だと知られないよう変装したその男はミザリーに駆け寄ってくると、すぐに安心させるように手を握った。
『こちらです、姫君。どうぞ我等と共に安全な場所へ……』
『いえ、待ってください。できたらこの国を出る前に少しだけお話をしておきたいことがあるのです』
 彼らがどんな情報を持っているのか、ミザリーたちにも厳密にはわからない。だから、たぶんこうだろうと主にアンリが推測した事柄を交えて、ミザリーは相手の反応を引き出すように話をする。
 アンリがこちらの味方をさせようと、引き込もうとした人種は二種類。
 一つは、純粋に彼らローゼンティア王族の味方。あのエヴェルシードによる侵略の時にも寝返ることのなかった忠臣たる人々。
 そしてもう一つは、あの時にはドラクルやエヴェルシードの思惑に乗ったが、実際にはどちらの陣営に属するという気もなく、日和見というよりもまだ浅はかな中立者を気取る小物貴族。
 後者の情報に関しては、他ならぬシェリダン王からも協力してもらった。エヴェルシードは軍事国家。武力の国とはいえ、それだけで戦争に勝てるわけではない。内部から切り崩しをかけるのが通常の有効策で、その筆頭がヴラディスラフ大公爵……つまりはドラクルで、それが罠だったわけだが、何も集めた情報の全てが無駄と言うわけでもなく、彼が見定めた上でこれは使えると思った人物のリストを作ってもらった。
 自国内の人間のことを、他国の王に聞かなければならないなんて……ローゼンティアは――いや自分たちローゼンティア王族は堕ちたものだ。だからこそ、国内からも外国からも付け入られた。
 だからって、やられっぱなしではもちろんいられない。
『なるほど、そういう事態になっていたのですか……』
 ミザリーの目の前で、話を聞いた貴族の男がこれ見よがしに同情する素振りで何度も頷く。この男はあの戦争の時、ろくに戦闘もせずエヴェルシードに降伏して王家を売り渡した裏切り者……裏切り者とも呼べないかも知れない、ただの小物。
 ミザリーは最後の仕上げにかかる。
『ええ。ですから、私、本当に不安で……一応エヴェルシード王が、こちらが簒奪者を迎え撃つ、対ドラクルの旗印として立つのならば協力してくれるとは、仰っていますけれど……』
『姫君……』
 ミザリーは両手にそっと握った男の手を、胸元に引き寄せる。触れそうで触れないぎりぎりの位置でもったいぶって、潤んだ瞳で男を見上げる。
 さぞやか弱げに。しかしどこか高貴に。そして何よりも、もう目の前の相手しか味方がいないのだと思わせるように儚げに。
 ミザリーは自分の容姿が非常に優れていることを知っている。
 そしてミザリーは……自分の取り柄が、それしかないことも知っている。
 熱心に相手を見つめてみせれば、目の前の男が薄っすらと頬を染めてたじろぐのがわかった。
 彼女ははっきりいって美人だ。ローゼンティアの王女はアンやロザリーもみんな美人だが、それでもミザリーは飛びぬけて美しいのだと。別に望んでそうなったとか気合を入れて美貌を作っているとかそういうことではなく、ローゼンティアの王族はだいたい、何かの才能を持って生まれてくる。王子よりも王女の方がその話題を出すならばわかりやすいだろうか。第一王女アンは芸術面に優れ、第四王女ロザリーは飛びぬけた戦闘能力を持っている。しかしミザリーは……何も、できない。
 綺麗なだけのお人形。硝子箱のお飾り。男たちはミザリーの美貌に背筋が寒くなるような美辞麗句を連ねてくれるけれど、口さがない婦人たちはミザリーのことをそうこき下ろしていることも知っている。
 ええ、そうよ。私は単なる顔だけのお飾りよ。悪いの? 好きでそうなったわけじゃないわよ。
 でも、だからこそ、これが役立つ時は十二分に使う。
『お願いします、子爵……』
 頼りなげなたおやかな風情で、ミザリーは男の手を握りながら訴える。
『どうか、私たちローゼンティアを助けて……』
『姫君……っ!』
 男の貴族にしか使えない手と言えばそうだけれど、大概の男はこれで陥落してくれる。
『もちろん! 我が子爵家の威信をかけて、あなた方ローゼンティア王族をお救いいたすと約束しましょう!』
 そこで。
『その話、嘘じゃありませんよね』
 タイミングよく扉をあけてアンリが部屋の中に入ってくるのだ。
『だ、第二王子殿下?』
『お久しぶりですね。子爵、ご協力ありがとうございます。あなたの忠誠心には感涙の極みですよ。では早速、どれほどのことをしていただけるか話し合いましょうか。私と』
『は、はい……』
 ミザリーは兄に男の正面の席を譲って、その隣に座りなおした。
「いや、しかし」
 密談が終わって、ハメられた貴族は心底疲れたように言った。
「まさかここまでされるとは思いませんでしたよ」
 アンリの考えた方法を簡単な言葉に直せば要は「美人局」。間違ってもこういう場面で王族がするようなもんじゃない、と。
 しかし彼は苦笑して。
「さすがに最初から俺が出て行っても、誰も話を聞いてくれないでしょ」
 アンリは国内では、ドラクルに比べて能力の劣る第二王子だと言われていた。
こんな時の交渉のコツは、相手に、こちらより自分が優位だと思わせることだという。その上で、そちらの方が立場が上なんだからとさもこちらが下手のように、相手の負担を吊り上げるのだと。
 アンリも侮られている王子なのだから、相手に自分の方が優位だと思わせることまではできる。けれど、それはそれで駄目なのだと。ミザリーにはよくわからないが、こういった交渉ごとには双方にそれなりの利益があって、それを目に見えるようにしてやることが重要なのだと。アンリ相手だと、その旨味があまりにも少なく見えるのだそうだ。
 その点、ミザリー相手だとまた問題は違ってくるのだそう。
『ぶっちゃけ俺みたいな何の取り柄もないって思われてる男の後見人なんかするより、ミザリー、お前の後見をする方が男の貴族だったら楽しいんだよ。お前がもしもローゼンティア女王になるようなことになったら、お前と結婚して配偶者の地位を手に入れられる。そうすれば今までとは比べ物にならない躍進だし、何より男は綺麗な女の子を守る、ってことにそこはかとない憧れを抱いているもんなの。まあ、王権奪還に失敗してもお前が手に入るならそれだけで! って思ってる奴はいっぱいいるだろうしな』
 無能だと思われているのはミザリーも同じ。そのミザリーが……。
「よもやあなたがここまでするとは思いませんでしたよ、ミザリー姫」
 私にも、何かができたら。
「それでは、協力の件は」
「ええ。お約束いたしましょう」
 取引は無事終了し、男は来た時よりもさらに慎重に国へと帰る。いまやこの問題はローゼンティアだけでなく、エヴェルシードまで巻き込んだ、建国以来の大事となってしまった。だから、慎重に行動せねばならない。
 しかし去り際、男は気になることを言った。
「そういえば王子、姫、王権派、反王権派という言葉を知っていますか?」
「え?」
「……どこかで聞いた事があるような……」
 王権派。反王権派。なんだろう、どこかで耳にしたことがあるような気も。
「簡単に言ってしまえば、王権派はローゼンティア王族支持の派閥、反王権派はヴラディスラフ大公支持、つまりはドラクル殿下の派閥ですよ」
「ああ」
 アンリが納得したように頷いた。
「しかし、その王権派の一部の姿が、最近見えなくなっているというのです」
「どういうことだ?」
「いなくなった一部というのは、特に王家を持ち上げる青年貴族たちだったのですが、つい最近、国内を移動する姿が見られたという情報が入って以来、音沙汰なしなんです。その時期と言うのが」
 アンリとミザリーは顔をしかめた。
「皇帝陛下の歓迎晩餐会の前後?」
「私たちが、ちょうどドラクルと対峙した時だわ……」
 何故、よりにもよってその時期なのか? あの頃、やはり何かあったのだろうか?
「そして、これは一応まがりなりにも反王権派に所属していた形になる私には不確定情報で、確約はできない報せなのですが」
「話してくれ」
「その王権派と共に、第五王女メアリー姫が一緒にいたというのです」
 そして最後の王族が舞台に揃う。