第16章 暗黒の末裔(2)
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これが最後と決めた書類の一枚にサインをし、デメテルは席を立った。
「来たのね、ハデス」
帰ったのね、ではなく、来たのね、と。結局最後まで自分は彼の帰る場所にはなれなかった。
ハデスは預言者だが、彼一人が世界で唯一の預言者だというわけではない。歴史上の預言者は巫女と呼ばれたサライ姫が有名だが、彼女以外にもいつの時代にも何人もの巫女がいた。
デメテルにも多少の未来を見る力はある。皇帝の能力と照らし合わせればもっと有用性は広がる。
しかし、未来が見えることと未来を変えられることは違うのだ。不可避の事態をなんとか避けたくて運命を曲げたくて、それでも駄目なことばかりだった。
そして今の彼女は、もうほとんどそれを諦めている。
皇帝領、居城の一室である執務室。最後の仕事を終えて、彼女は室内に足を踏み入れた弟を迎える。椅子から立ち上がりふり返ると、殊更優雅に微笑んで見せた。彼にこうして笑いかけるのも、デメテルとしては最後だろうから。
ハデスは嫌そうに顔をしかめる。どうやら相当嫌われているようだ。
彼の方から話題を切り出した。こんな真夜中に、姉である皇帝の執務室を訪れたわけを。
だがきっと彼は、同じようにこんな真夜中にデメテルがまだ執務をこなしていた訳を聞きはしないだろう。
向こう三か月分の仕事は終えた。次の皇帝が正式に玉座に座るまではまだ長いようだからこんなもの焼け石に水にしかならないだろうが、非常時の執務形態についても多少は触れてある。後はこれまで帝国を支えた有能な家臣たちに任せよう。もっとも、彼らがすんなりと次の皇帝を認めるかはわからないが。
己の死期を悟った皇帝は、それを与える者と対峙する。
生まれたその時に腕の皮を剥いで父のそれを移植した、偽りの選定者である弟。彼女が守り育ててきた彼は、今はデメテルを憎んでいる。
「あなたの時代もこれで終わりだ、姉さん」
「そのようね」
デメテルの視線は、間近に対峙したハデスの右手に向けられている。彼の右手から、何か異様な禍々しい気配を感じる。皇帝である彼女にもはっきりと分析できないということは、それは彼女とは別の領域にその力を持つものだ。つまりは魔族かそれぞれの宗教関係だが、ハデスが持っている力とすればおそらく冥府の何かだろう。
刃のように鋭い銀色の爪。
「姉さん」
嵐の前の静けさ、最後に激昂する前の、不自然に凪いだ水面のような静かさで弟が彼女を見つめる。
デメテルは十八歳で皇帝となったためにその外見は十八で固定されている。それ以上齢を重ねることも、若返ることも基本的にはない。魔術で己の望むように容姿を変える事はできるが、基本的には生まれ持った姿のままで過ごしている。
ハデスの方は違う。彼は皇族ではあるが皇帝ではない。己の肉体年齢をある程度調整して止めることができる。歴代の皇族は皇帝に頼んで自らの好きな、大概はもっとも己の能力が発揮される年齢で肉体の時間を止めるものだ。しかしハデスは違う。
彼は意識的にも無意識にも、デメテルに合わせて肉体年齢を保っている。彼が普段の姿として選んでいる十六歳の少年姿は、彼が初めて姉と男女の関係を持ったその年齢。そして必要に応じて青年にも老人にもなれる彼は、しかし姉皇帝の前に出るときは必ずこの少年姿をとる。
あくまでもデメテルの弟であるハデスは、姉の前で姉よりも年上の姿をとれないのだ。
そんな風にお互いを意識しながらも、二人が擦れ違う。百年近い時をかけて、それでもわかりあう事はできなかった。
その結果がこれだ。
「姉さん」
「なぁに、ハデス」
二度目に呼ばれて返事をし、デメテルは弟の顔を見る。自分と同じ黒髪に黒い瞳を持つ、最愛の弟。家族を自ら殺した彼女にとって、彼の存在だけがこの世の唯一の救い。
私は狂っている。デメテルは思う。美しい彼女、それも皇帝となれば黒の末裔でも求婚者は後を絶たなかったが、彼女は実の弟以外の誰にも興味を示さなかった。
己と同じ血を引く存在しか愛せない。それは……。
「自己愛だ」
断罪の時は今。
「姉さん、あなたのこれまでの僕への行動は、全てあなたの自己愛だった」
誰よりも手塩にかけて育て、愛した弟からその愛を断罪される。
「私はあなたを愛しているわ」
「違う。あなたのそれは、愛情なんかじゃない。あなたが可愛かったのは僕じゃない。自分自身だ。けれどそれを誇ることも忌むこともできず、手早く代用品として求めたのが僕だったんだ」
目の前に立つハデスが苦しげに表情を歪ませる。
「僕もずっと、あなたが好きだった。あの夜までは。あの日までは確かに、優しい姉さんだとあなたを信じていた」
「今はもう信じてくれていないの?」
「僕の行動から見てわからない」
「そう。それがあなたの答なのね……」
デメテルは静かに目を伏せた。黒い睫毛が目元に影を落とす。黄色い肌と言っても体毛が濃いために意識しなければそう肌の色が濃いなどと思われない。白い瞼だった。
ハデスの眼から見てもデメテルは美しい。外見は美女と言うに差し支えないものだ。だがその中身は爛熟して地に落ちた果実のように、腐臭を撒き散らし辺りのものまで腐らせるだけ。その中身は見た目ほど美しくない。
どんなに上辺を飾っても、外観を取り繕っても。
それでも人間その中身までは変えられないということか。
デメテルは皇帝であり、有能な人間だ。それは認めよう。
だが彼女は決して素晴らしい人物などではなかったのだ。
だからここで、今になって、弟に殺されようとしている。
デメテルが自分で未来を見たのと同じように、ハデスもそれを見たのだろう。デメテルの皇帝としての力は、今この瞬間が最後だと。
彼女の次の皇帝であるロゼウスはすでに生まれ、育っている。皇帝としての終着地点にはまだ至らないが、下地はこれで揃った。次の玉座に座る資格は十分にある。
そう、神は今この瞬間、デメテルの力よりロゼウスのそれが上回ったことを示した。
デメテルの力は今が最低値であり、ここから上がることはない。だがロゼウスはこれからも皇帝として成長を続けることになるのだろう。
つまりは今が、ハデスにとって全てを成し遂げる最後の機会だった。
「ハデス」
姉は弟の名を呼んだ。
「私を殺すの?」
静かな問に、同じように静かにハデスが答える。
「ええ」
室内にはいつの間にか結界が張られている。ハデスが張ったものだ。これはこの部屋と外界を断ち切る意味合いの他に、この空間を冥府と繋げる役割をも果すものだ。ハデスの足下に薄蒼い光の紋様が描かれる。
ハデス自身はデメテルの言葉よりも世間の中傷を信じて絶望しているようだが、実際の彼の力は贔屓目なく公平に判断して素晴らしいものだった。比較対象が皇帝であるデメテルであるためにまったく優秀に見えないかもしれないが、そもそも黒の末裔だとて誰も彼もがそんな強力な魔力と魔術の才を持って生まれてくるわけではない。ハデスは一族の中でも間違いなく優秀な魔術師で、黒の末裔の中で優秀だということはこの世界の一般的な人間には彼に敵う者などいないということだった。
そう、冥府の術に関しては、彼は姉であるデメテルさえも上回るくらいだ。
蒼い魔法陣から伸びてきた魔界の蔦が、突如としてデメテルに襲い掛かった。
◆◆◆◆◆
冥府の植物の襲撃を受けながら、しかしデメテルとてこのままやられてしまうわけにはいかない。皇帝ともあろうものが、こんな簡単に殺されては名が廃るというものだ。
それに、彼女があっさりと自らの命を差し出したところでハデスの気は治まらないだろう。
魔力で作り出した剣を一振り、デメテルは自らに向かって伸びてくる蔦を両断した。蒼い魔法陣からこの世に生み出されてくるのはその蔦だけではない、異形の生き物たちが次々に這い出してくる。
そして数々の魔物たちを眼晦ましに、ハデスが動くのも忘れてはいけなかった。
振り上げられた銀色の爪を、デメテルは先ほど蔦を両断したのとは別の、今度はもとより懐に忍ばせているナイフで受けとめる。
「さすがは皇帝」
「褒めてもらって光栄だわ」
ハデスとデメテルがこうして戦うのは初めてではない。ハデスはこれまでにもデメテルに戦いを仕掛けている。そのどれにも大敗し、結局はデメテルがハデスを許すということもあってこれまでは事なきを得ていたのだが、今はそうもいかない。
「その爪、何か特別な力を持っているものね」
ハデスがそんなものをつけているのは珍しい。もう彼にとっても後がないということか。
ロゼウスが皇帝になりデメテルが死ねば、その選定者であるハデスも死ぬかもしれない。彼は正式な選定者でないため通常の形式がどこまで当てはまるかはわからないが、少なくとも死の可能性はある。
しかし、彼自身がここでデメテルを殺し、ロゼウスをも殺すことができれば話は別だ。殺したデメテルの力をある方法により取り出してロゼウスにぶつければ勝機も見えてくる。
だからやはりデメテルには死んでもらわなければならない。
「くっ」
足下を捕らえようとする蔦をかわす。これらは切っても切っても際限なく魔法陣から伸びてくる。
魔法陣の方を消してしまえばこれ以上冥府から魔物を召喚する事はできないのだが、それが専門であるハデスと違ってデメテルが冥府の魔法陣に手を出すのは一仕事だ。消すのに手間取っているうちにすでに現れている魔物から攻撃されたのでは意味がない。
ハデスの結界のため、室内の景色は様変わりしている。いや、そこはもはや室内などとは呼べない空間だ。明らかにもとの部屋よりも広く、そしてどこにも繋がっていない。
巨大な百足型の魔物に頭上から襲い掛かられて、デメテルはそれを真横に跳んで避ける。地面にどう、と倒れ付した百足の無防備な脇腹に剣を刺して蒼い血を噴かせ、次に襲い掛かってきた魔物に向かう。
すばしこい狼、凶暴な竜、絶えず足下を狙う油断できない蔦に、頭上から襲い掛かってくる者たち。ハデスは魔物たちの後方に隠れて更に何かの術を行っている。
蒼い魔法陣からひっきりなしに魔物が溢れ、空間を埋め尽くしていく。
冥府の魔物は人間よりも、動植物に近い姿をしているものがほとんどだ。剣を持った兵士というわけではないのだが、これがなかなか厄介である。
当然の話だが森や野の獣たちはそれぞれ特性が違う。しかも冥府の魔物ともなればもともとの生物の能力に加えて先ほどの大百足のように通常では考えられないような姿と力を併せ持つものも多い。それらの弱点を見極めていちいち対処するのは剣を持った何十人の兵士を相手にするよりも骨が折れるのだ。
視界が悪くなってきた。初めは先ほど倒した百足の蒼い血のせいかと思ったが違う。
「これは、鱗粉……」
辺りを待っていたのは蒼い血飛沫ではなく、蒼い粉だった。はっと頭上を振り仰げば薄紫の巨大な蝶が数匹ひらひらと飛んでいる。視界が曇れば敵の動きが見えず、危険が大きくなる。まずはこっちをなんとかするべきだ、ととりあえず今見える範囲にいる全ての蝶にデメテルは小ぶりのナイフを投げた。
狙い違わずナイフは命中し、不気味な冥府の蝶たちは地面に落ちていく。ぴくぴくと痙攣する体は青黒く半透明な蔦に飲み込まれた。冥府の魔物たちは彼ら同士でも平然と殺し合いをする。
そうして蝶を倒したにも関わらず、一度空間内に撒かれた鱗粉はなくならなかった。もうすっかりと充満してしまったらしい。視界を塞いでいる分は、しばらくすれば地面に降り積もると思われるが――。
その時だった。
「!?」
ガクン、とデメテルの身体から力が抜ける。膝が崩れて、地についた。
「冥府の蝶の鱗粉は特別性だ。それには獲物の動きを奪う毒が含まれている」
どこからか、ハデスの声が響いてくる。
これまでの呼吸で、デメテルは少なからず鱗粉を吸ってしまっていた。それが体中に行き渡り今になって効果を発揮してきたようで、まったく動けないとは言わないが戦えるだけの力が身体に入らない。ただの無力な少女のように、逃げ回るだけの力しか残っていない。ナイフの残りももうない。
「無駄だよ、姉さん。やっぱり最盛期ほどの力は今は使えないみたいだね」
姿を現したハデスは平然としていた。同じ空間にいるのに、ハデスはなんともないのだろうか。
「僕は冥府で修行を積んだ身。このぐらいの毒性はなんでもない。それよりも、決着をつけよう」
こんな簡単な方法でよかったなら、もっと早くに行動を起こせば良かった。ハデスが一人ごちながら、あの魔力の込められた爪を伸ばしてくる。銀色の刃のようなそれは危険だと本能的に察知したデメテルは避けようとするが、その足首が急にぎゅっと締め付けられる。
「しまった――」
先程切り払った蔦が復活して、彼女の足下を捕らえていた。簡単に切り払えないように、極力広範囲に寄ってからぎゅっと一気に締め付ける。
足首から太腿までを、蒼い蔦がからめとり締め付ける。足下を崩されて、あえなく彼女はその場に引きずり倒される。その体に更に蔦が絡みつき拘束する。一度捕らえた獲物を逃がすほど彼らも甘くはない。
これまでより先端の鋭い蔦が伸びたかと思うと、ぶすりとデメテルの肩口に突き刺さった。
「ああ!」
苦痛の声をあげるデメテルのもとに、ハデスがゆっくりと歩み寄ってくる。彼女の体はもはや完全に蔦に拘束されて動けない。中途半端な体勢で苦しがる彼女から血を吸った吸血植物が、その肩口から毒々しい紅い花を咲かせた。
ハデスはその蔦だけを残しておけば十分と考えたらしく、これまで空間を飛びまわっていた魔物たちを魔法陣から冥府へと返す。後には身動きならないデメテルと、彼女を拘束する蔦と、そしてハデスが残された。
細身の黒衣を身につけたハデスは、デメテルへと辿りつく。姉を傷つけその肩から血を流させながら捕らえた彼は、しかしこの光景には不釣合いな、酷く安堵したような表情で微笑んだ。
「やっと捕まえた。姉さん」
◆◆◆◆◆
酷く安心した子どもの笑み。
理性を手放し、正気を失った狂人の翳り。
相反するものを内包した表情のハデスは、魔の蔦に拘束させたデメテルの身体に手をかける。
彼女の体はいまだ囚われ、肩には突き刺さった枝から紅い花が咲かせている。傷口からはとろりと血が流れ、白い肌を濡らしていた。
ハデスも黒い衣装をよく来ているが、それはデメテルも同じだった。彼ら黒の末裔は、その名にも冠する黒と言う色を好む。そう呼ばれたから黒を好むのか、黒を好むからそう呼ばれ始めたのか。黒の末裔。
正式名称は暗黒の末裔という。
ハデスはデメテルの肩に手をおき、顔を近づけて唇を合わせた。魔の蔦に肩を傷つけられているデメテルは、しかし掴まれたその部分にも不思議と痛みは感じなかった。
啄ばむような口づけを、ハデスはデメテルの唇に交わす。ぺろぺろと子猫が水を飲むように、舌を伸ばして姉の唇を舐めるような口づけをした。段々とそれは深くなり、呼吸を奪うほどに長いものとなる。
「ふ……ん、うぅ……・」
僅かな隙間から吐息が零れ、逃げていく。上気した頬はお互い赤く染まり、身体から力が抜ける。
ちら、とキスの合い間にデメテルが覗いたハデスの瞳には情欲の暗い影が落ちている。この状況で? と考え、次にああそうか、と納得した。
だから、こうなのか。
ハデスが今から行おうとしているのは禁断中の禁断。かつてそれを行っていたがために黒の末裔は忌まわしい一族として迫害されていたのだ。何も魔力が強いというそれだけで彼らは差別されていたわけでもない。
その術を使うことは、人としての禁忌。だが代わりにかけがえのないものを得られる。
ハデスが手に入れようとしているのはそれだ。
「ん……姉さん」
こんな時にしか姉に甘えない弟は蕩けた声をあげる。デメテルが何を考えているのか、企んでいるのかわからないと声を張り上げて癇癪を起こすハデスは、彼自身だとてそう素直に自分の思っていることを教えてくれることはない。
だから、なのか。
擦れ違ってもがいて、理解できずに遠回りをして、何度も間違えて。
辿り着くのはその場所なのか。
「ハデス……」
全ての思考を、デメテルは脳裏に追いやった。例えどんな理由であっても、今、ハデスがデメテルを求めている。もうそれだけでいいのだと、彼女は考えることを止めた。
――どうせこの後のことはわかっている。
これまでに見た未来の断片、ハデスのやろうとしていること、繋ぎ合わせれば彼女の望むものが得られるだろう。
「うぁ!」
体中に撒きついた蔦が、突如力を込める。これまで中途半端な体勢だったデメテルの体を広げさせるようにして伸び、締め上げる。
「ああっ……」
苦しさに喘ぐデメテルの肌に、するりとハデスの手が伸びる。隙間から入り込んだ蔦と共に、服を破く。
豊満な胸があらわになり、肌を露出させたその肢体はしどけない。下半身も最後の下着一枚を剥ぎ取られ、秘められた場所を暴かれる。
ちゅ、と音を立てるようにしてハデスがデメテルの胸元に吸い付いてきた。白い肌に無惨な痕を残すように噛み付く。くっきりと歯型が残るほどに噛まれて、デメテルが苦痛に顔を歪めた。
「痛い? まぁ、今更でしょ」
薄く笑ったハデスは、唇を離すと今度は乱暴に彼女の両胸を掴んで揉みしだきはじめた。少年の両手に余るたっぷりとした乳房を、形を変えるほど強く鷲掴む。爪をめり込ませる勢いのそれは愛撫と呼べるようなものではなく、デメテルはただただ痛みを堪える。
「あっ、ああ……、くぅ」
乳首を抓み、押しつぶすように指の腹でしごく。段々と反応してきて硬くなったそれを口に含み、歯で柔らかく挟む。敏感な箇所はそれだけで刺激を感じ、女の身体がぞくりと震える。
ハデスの指が下へと伸びた。
ぐちゅ、と濡れたその場所に無造作に突っ込んでかき回し、くすりと嘲るように笑う。
命の瀬戸際だというのに、強姦紛いの行為でこんなに濡らして。
耳元に唇を寄せて、耳朶を軽く食みながら囁く。
「じゃあ、もういいよね」
別にデメテルの許可を求めているわけではない、独り言。ハデスは自らの着衣を寛げると、そこからすでに勃ちあがっているものを取り出した。
ずぷ、と生々しい音を立てて、挿入する。
「はぁ……!」
「くっ……」
熱く濡れた内壁が締め付ける。ハデスは不自然に恍惚とした笑みを浮かべると、腰を動かし始めた。
デメテルが蔦に拘束されているため、極めて不自然な体勢だが一度行為に入ってしまえばもうそんなことは気にならない。ただ生物の本能のままに女の内壁をすりあげ、快楽を拾い集める。
「あ、あ、ああ……っ」
じゅぷじゅぷと出し入れのために響く粘性を持った水音が羞恥と興奮を煽る。
快楽を追うのは生物としての本能。だが姉と弟で交わる、この行為は禁忌。
気持ちいい。
気持ち悪い。
相反する二つの感情が身体のうちに湧き上がり、更に胸を焦がしていく。例えどんな言葉を使ったところで、もう止められはしない。
ぽろり、とハデスのその瞳から零れて肌に落ちた雫に、デメテルは顔を上げた。
その涙の理由を問う暇もなく、限界に達したものが彼女の中で弾ける。
「ああっ……!」
ハデスは間違いなくデメテルの中で放ち、二人はその場で停止したまま荒く呼吸を繰り返した。
まだ身体を繋げたまま、しかし心は誰よりも遠い。
姉の肩を掴んでいた手を外し、ハデスはそれを更にその先へと伸ばす。
デメテルの、その女性らしい細い首へと。
「ハデス……」
事後の掠れた声で、デメテルが弟の名を呼ぶ。
ハデスの耳はその声を聞いている。しかしその声に行動を改める様子はない。
指先が首に伸び、柔らかな肌を捕らえた。皮膚に爪が食い込む。ぎり、と鈍く締め上げる。明らかに呼吸を阻害しようとする動き。だがこの程度でこの姉を殺せないことなど誰よりもハデスがよく知っている。
「かはっ、けほっ、」
ハデスが腕を離した途端に、気道を解放されたデメテルが激しく咳き込む。しかしいまだ中途半端な姿勢のままなのでいくら咳をしてもどこか苦しそうだ。それを無表情に眺める。
ハデスのその頬には、先程流した涙の痕が残っている。
戦いと情事に体力を使い果たしたデメテル。彼女の中にはまだハデス自身が埋め込まれたままだ。そういえば行為の途中で女が失神すると締め付けが良くなるのだったか。そんなことをふと今思い出した。
もちろんこれまではデメテルに対してそんなことをした覚えはない。彼女はあくまでも皇帝であり、例え気安く肌を合わせる間柄であったとしてもそんな無礼は許されない。
でも、もう、そんなことも関係ない。
「姉さん……」
ぽつりと落とした声音に、デメテルが反応する。
「ハデス……私を殺すのね」
「ええ」
首を絞めたくらいでは死なない頑強な皇帝の身体も、今のハデスの「爪」で切り裂くのであれば別だ。冥府の魔物との特殊な契約によって手に入れた力。その力が今の弱ったデメテルをようやく上回る。魔力の爪ならば彼女を殺せる。
これはそのために手に入れたものだ。
「ずっとこの日をお待ちしておりました。皇帝陛下。あなたを殺せるこの日を。何度も夢に見ました。夢を見ました」
そのために何人も陥れ、運命を狂わせてきた。
もう後戻りはできない。
「……さようなら、姉さん」
そして。
「……ッ!!」
第三十二代世界皇帝、デメテル=レーテ=アケロンティス、崩御。