天上の巫女セルセラ 077

第4章 あなたは祈りの姿をしている

077.物語の集積

 後頭部に固い感触を感じながら目を覚ましたら、天使がいた。
「あ、良かった。気が付いたんだ」
 薄紅色の髪に緑がかった碧い瞳の、世にも美しい女性が自分の顔を覗き込んでいる。まるで絵物語の挿絵に描かれる天使という空想上の生き物のようだ。
 絶世の美女。しかも、こうして下から見上げていると顔がだいぶ隠れてしまいそうなほどに胸が大きい。なんて非現実的な光景なんだ。
 そうだ、きっとこれは夢に違いない。
「天国……」
 ジーヴァは一言呟いて夢の世界に戻った。
「え!? 待ってまだ死んでないからね!?」
 膝枕をしていたファラーシャが慌て始める。
 それを見てセルセラは、夢の世界へ戻ろうとするジーヴァの頭を軽く蹴り飛ばした。
 怪我がないことは確認済である(だからと言って蹴り飛ばしていいわけではない)。
「おいこらこのスケベ。ジーヴァ、何寝直そうとしてるんだ」
「痛ってぇ――!!  ってアレ? セルセラ様!?」
 さすがに飛び起きたジーヴァは、セルセラの顔を確認して呆ける。
「俺たちどうしてこんなとこに……。あとこの綺麗なお姉さんはどちら様で?」
「ファラーシャのことは後でいいから、早く事態を説明しろ。シオンも気が付いたみたいだな」
 こちらは肩を揺すられて普通に目を覚ましたシオンが、タルテに支えられながら上体を起こす。
 ジーヴァと違って自分の状況をすぐに把握したシオンは、端的に二人の身に起きた出来事を説明する。
「うう……申し訳ありません、セルセラ様。僕たち遺跡の出す試練に失敗して、上の階からこの部屋に落とされて気絶していたようです……」
「ああ、なるほど。上から来たわけだな」
 セルセラは天井を見上げながら呟く。今は普通の天井にしか見えないが、よく見れば中央部分に確かに切れ目らしきものがあった。床全体が開く落とし穴となっているのだろう。
 セルセラたちは遺跡のあちこちにある階段を使ったので、上階の落とし穴からやってくるルートは考えていなかった。天井ではなく壁なら何枚もぶち破ったのだが。
 ファラーシャが壁をぶち破った轟音でも二人が目を覚まさなかったのは、ただ眠っていたのではなく気絶していたからだったようだ。
 見た目ではたんこぶ程度しか確認できなかったが思った以上にダメージは大きかったのかもしれない。
 一応二人を起こす前に全身に軽い治癒と体力・気力回復の術をかけて癒したセルセラはそう分析する。
「ジーヴァ、お前の兄貴が探しに来てるんだぞ」
「え!? 兄さん来てんの!? うわー! また怒られてしばらくスパルタ生活だ~~!!」
 ウィラーダが来ていることを聞いたジーヴァは元気よく頭を抱える。
「あのー、一応確認したいのですが」
 タルテが「わかっているが、納得できない」の顔で尋ねた。
「そちらの黒髪の少年があのウィラーダ殿の弟で、こちらの銀髪の少年が血縁はないただの友人なんですか?」
「そうだぞ。最初の説明でそう言ってただろ」
「逆ではなく?」
「逆じゃなくこっちのスケベがあの世界で二番目に美しい男の弟だ。ウィラーダとシオンの髪色が同じこともあってよく間違えられるけどな」
「セルセラ様、俺が悪かったからスケベはやめてスケベは」
 タルテが本当に珍しく目を瞬かせる。素直に感心したように口にした。
「血縁とは不思議なものですね」
「タルテもなかなか不思議な存在だと思うんだけどなぁ」
 ファラーシャが頬を掻いている横で、先程のセルセラの言葉に疑問符を浮かべたジーヴァが聞き返す。
「うん? 世界で二番目? 兄さんいつの間にかイケメン度抜かされたの?」
「それに関してはすぐにわかる。お前たちを回収できた以上、僕らもウィラーダたちの方へ行かないとな」
「『たち』、ということは他にも誰か救援がいるんですね」
「ああ。僕らの連れが一人と、お前たちもよく知るグレンツェントがたまたま近くの街に来てたんだ」
 グレンツェントの名を聞いて、またまたジーヴァが慌てだす。
「うわ! 兄さんも怖いけどグレンツェントさんも厳しいよな。だらだらしてるって思われる前に早く行かねーと」
「少し待て、ジーヴァ。シオンも。……お前たち、本当にここでずっと気絶してただけか? この遺跡内で何か変わったものを見たりはしなかったか? 生きた人間には会わなかったか?」
「生きた人間……? いいえ。僕たちが出くわしたのは、いかにも遺跡の守護者っぽい生き物が数体に、自然と棲みついたらしき魔獣だけでしたよ?」
「あ、入り口に何かおかしな文章の書かれた額があって、遺跡の中でもちょこちょこ指示に従わないと次の部屋の扉が開かないって仕掛けはあったぜ!」
 先行したこの二人が何か特別な情報を得ていないかとセルセラは尋ねるが、シオンもジーヴァも特に心当たりらしい心当たりはないようだった。
 彼らが突入した時は、この遺跡は何の変哲もない普通の遺跡だったということか。一定の条件を解除しなければ先に進めない仕掛け自体は時折存在する。
「……そうか。ならいい。細かい情報のすり合わせは後でしよう」
 やりとりを見守っていたシェイがパンパンと手を打って、全員の気持ちを切り替えさせる。
「それじゃ、イケメンチームと合流しようか」
「ついにシェイまでイケメンとか言い出しちまった……」

 ◆◆◆◆◆

 セルセラたちがジーヴァとシオンを見つけた頃、ちょうど最奥部でレイルたちと遺跡の最大の守護者たちとの戦闘が始まった。
 とはいえ、星狩人協会における現在の剣技上位三人が揃っているのだ。危なげどころか、まったく恙なく戦闘は終了した。
 三体の神狼は、子犬でも相手にするかのようにあっさりと、レイル・ウィラーダ・グレンツェントの三人に斬りはらわれた。
「レイルさん、やはりお強いですね。僕たちはあなたの足元にも及ばないようだ」
「くっ。悔しいが、実際この目で見ると認めざるを得ないな。私たちはもちろん、アンデシン様と比較しても遜色のない腕前だろう」
 純粋な剣技の腕ではウィラーダやグレンツェントの方が強いとは言われるのが、二人の実感的には魔族のアンデシンと手合わせするたびに剣技以上の相手の強さを感じる。
 そしてレイルの強さの性質も、アンデシン寄りである。
「……ありがとう。だが言った通り、俺はこの姿で八十年以上の時を過ごしているからな。どれほど限界まで酷使しても、死ぬほどの負傷を負っても必ず回復する肉体で数十年修行すればきっと誰でもこうなる」
「事情は聞かない方が良いのだろうな」
「そうしてくれるとありがたい。どうせ聞いても、俺が主君を守れなかった情けない過去を聞かせるだけになる」
「……わかった」
 剣士たるもの、機会あれば強者との手合せを望むし、隙あらば相手の強さの秘訣を盗みたい。
 けれどレイルが仄めかす過去の重さは、気軽に事情を聞けるようなものではなさそうだ。
 グレンツェントの溜息を合図に会話を終え、三人はこの部屋の一番奥に存在する祭壇へと足を進めた。
 この祭壇も、見た目には普通の祭壇に見える。簡素な台座の上部は机のように平らで、側面になけなしの装飾が施されているが、それ自体に何か意味がある文字や紋様というわけではないようだ。もちろん怪しい血の染みがついているなどという不穏な痕跡もない。
 ごくごく一般的な祭壇の上に、一冊の古びた本が置かれているだけだ。
「これが問題の魔導書だな」
「罠や、危険な魔導はかかっているだろうか」
「……いや、大丈夫だろう」
 自身も軽い探査の魔導が使えるグレンツェントが、本に直接触れる前に術を行使して保証した。
「だが私は自分の探索に必要な呪文がいくつか使えるだけだ。本職の学者や魔導士のように、古代の魔導書は読めないぞ」
「僕はいつもシオンに頼むけれど、今回はセルセラ様がいらっしゃるからお任せしたほうがいいだろうね」
「問題がなければ後でシオンに渡してくれるだろうさ」
 噂をすれば影というわけでもないだろうが、ちょうどジーヴァとシオンを回収し終えたセルセラたちが合流する。
「おーい、お前ら。無事のようだな」
「ああ」
 セルセラたちの顔を見たレイルは、無意識のうちに微笑んでいた。ウィラーダやグレンツェントとは仲良くなれそうだが、やはりこの数ヶ月で慣れ親しんだセルセラたちの顔を見る方が今は落ち着く。
 そしてその微笑みが直撃したのは、セルセラたちだけではなく、彼女たちと一緒に来たジーヴァとシオンの二人もだった。
「うわっ!? 確かにすっげえハンサム!! 俺兄さんより顔のいい男初めて見た!!」
 合流してレイルの顔を見るなりあんぐりと口を開けた少年の姿に、レイルも先程のタルテと同じ疑問を思わず口にする。
「ええと……もしかして彼がウィラーダ殿の弟なのか? 隣の銀髪くんではなく?」
「はい、僕の弟のジーヴァと、旅仲間のシオンです」
 そう問われることに慣れているウィラーダが苦笑しながら頷いた。
「シオンと言います、初めまして」
「俺ジーヴァ! よろしく~~!」
 先程と似たようなやりとりを繰り返しながら和やかに会話する一同を横目に、セルセラは遺跡全体に探査の魔導を糸のように細く長く張り巡らせる。
 しかし、糸は確かに遺跡全体を巡ったにも関わらず何の手ごたえも返さなかった。
 レイルたちは確かに謎の人影を追っている。あれが幻影で最初から誰もいなかったと考えるよりは、こちらが救助だの守護者退治だの時間を取られている隙に逃げられたと見るべきだろう。
「この遺跡内には、もう誰の気配もしない」
「我々が先程見た人影は、すでに撤収したということですか」
「そのようだな。ご苦労だった、グレンツェント」
 尊敬するセルセラに対し深々と頭を下げたグレンツェントは、跪いて一冊の魔導書を差し出す。
「とんでもない。あなた様の御手を煩わせて申し訳ありません。これがこの遺跡に封じられていた魔導書のようです」
「ああ。ありがとう。一応先に確認させてもらう」
 セルセラは魔導書の頁をぱらぱらとめくり軽く目を通したが、内容自体は何の変哲もないただのよくある古代の魔導書の一冊のようだった。
 遺跡の規模から言っても妥当な内容の報酬だ。
「よくある普通の魔導書だな。中身に何か不審がないか一通り確認させてもらうが、それが終わったらシオンにやるよ」
「いいんですか!?」
「もともとお前らはそれが目的だったんだろう?」
「ありがとうございます!」

 ――結局不審だったのは、最初に『女性お断り』の文言で試されたことと、途中でレイルたちの前に姿を現して彼らをここに誘導して消えた人影のみ。
 それ以上のことは、今はまだ謎に包まれたままだ。

「ま、後のことは、協会に戻ってゆっくり飯でも食いながら話そうか」