天上の巫女セルセラ 078

第4章 あなたは祈りの姿をしている

078.生まれ変わり巡りあう

「あいつら、帰しちまって良かったのか?」
 カヤールの問いに、リヒルディスは答える。
「ええ。それでいいのよ」
 すでに彼女たちも撤収済みだ。セルセラたちがジーヴァたちを見つけ、カヤールがレイルたちを守護者の部屋に引き込んだ時点で、無事に今回の目的は達成されたのだ。
 転移魔導により彼女たちの本拠地である紅の大陸に帰ってきている。
 魔王であり、魔導士でもあるリヒルディスはその長命によりいくつもの便利な魔導を発明してきた。
 星狩人協会が竜骨遺跡の魔力を使ってようやく発動させている転移の魔導を、リヒルディスは五百年生き続ける魔導士として個人で発動できるように完成させたのだ。
 天上の巫女と呼ばれるセルセラもこうした高度な術は魔導士というより生贄術師としての能力を補助的に使って実現しているし、現在最強の魔導士と呼ばれるその師・紅焔は攻撃に特化した人物で、器用さでは弟子のセルセラの方が上だ。
 リヒルディスは魔王だからこその魔力と長命を用いてはいるが、魔導の知識に関しては現在この世界で最も優れている自信があった。
「星狩人の戦力を削る絶好の機会だったんじゃないか?」
 先に捕らえた二人、ジーヴァとシオンもあれで三等星の魔導士、つまり星狩人協会の主力として活躍できる程度の実力がある。精鋭と呼ばれる一等星や二等星の魔導士ほどではないが、ここで数を減らしておけば、魔獣陣営にとって確かに有利になるのは違いない。
「そんなことをすれば、天上の巫女が黙ってはいないわ。二次被害を防ぐためにこの段階で私たちを潰すように動き始めるでしょうね。だからこそ、人質を無傷で帰したの。表向きの被害が出ていなければ、あの巫女の性格上、今回の一件の追及を後回しにする」
 リヒルディスたちは当然、ジーヴァとシオンを捕らえた時点で始末することも出来た。
 しかし今回は、そうしなかった。罠の一つもかけずに五体満足で返すのは、今ここで天上の巫女に目をつけられては困るからだ。
「世の中には今まさに命の危機に瀕しているものなどいくらでもいる。そして、天上の巫女はそういった者たちを見捨てられない。全てを救うとまではいかなくとも、知ってしまえば無視できない。――だから、我々はそこに付け込むのよ」
 彼女がカヤールと話しているうちに、他の子どもたちも戻ってきた。
「母上、お求めのものを確保しましたよ」
「よくやったわ」
 彼女の実験室に帰還報告と共にやってきた子どもたちが手にしているのは、空き瓶に採取された数本の髪の毛だ。
 淡い月光を紡いだ絹糸のような金髪――レイル・アバードの髪。
 今回の遺跡によりセルセラたち女性陣と分断されたことで、レイルの体の一部を入手することは造作もなかった。
 これでリヒルディスの魔導も新たな段階に進める。
 収集した手元のデータに視線を落としながら、第五の魔王は微笑んだ。

 ◆◆◆◆◆

「何はともあれ、解決おめでとう!」
 セルセラの音頭で、一斉に乾杯する。
 レイルとウィラーダたちが顔を合わせた街の星狩人協会支部まで戻ってきた一行は、そこで体力回復のための食事とともにささやかな打ち上げを行った。
「皆さん、弟たちを助けていただいて本当にありがとうございました」
「ありがとうございました」
「本当に助かったよ~! 感謝しまーす!」
「気にするなって。こっちも受けた依頼を片づけるのに他の男の協力が欲しかったしな」
 セルセラがそう言うのは何もウィラーダに気を使わせたくないという厚意だけではなく、単に「女性お断り」の扁額の件を根に持っているからであろう。
「遺跡の中が魔獣の巣になってるみたいだから片付けてってだけの話だったのに、意外と大事になったよね」
「あの魔導書は結局どのくらいの価値があったんです?」
「僕はすでに似たような本を何冊か持ってるから、シオンに渡してある」
 セルセラによる魔導書のチェックは恙なく終わり、すでにシオンの手元にあった。
 国宝のように余程の貴重品でなければセルセラが他者の報酬を取り上げることはないとはいえ、そもそも今回の遺跡に安置されていた魔導書はそれほど高価なものではない。
 魔導士として基礎的なことは一通り収めたシオンのような魔導士が、特定分野の更なる知識を求めて読むものだ。代わりになる本はそれなりにある。
 市販品の魔導書と違って、遺跡に封じられている魔導書は古代の魔導士の手書きの品が多く、そういう意味では貴重だが、内容としてはセルセラから見れば大したものではないというのが本音だった。
「そういえば、遺跡の中で、誰かに見られていたようだったという話は?」
 レイルが尋ねる。彼ら男子三人は遺跡の中で誘導されているような感覚には気づいていたが、直接的な監視があるとは思っていなかった。
「まだ何とも言えない。お前たちが会った黒い人影が気になるな。……だが今回は結局人的被害も出なかったし、僕たちに痕跡を掴ませずに消えた相手だ。気軽な気持ちで深追いするのはまずい」
 セルセラも相手の思惑は気になるが、結局何の被害も出なかったのでこれ以上情報は出てこないと思っている。
 ――敵が罠に嵌まって気絶していたジーヴァやシオンに手出しをしなかった理由が、まさにその情報をわたさないための選択だったとしたら、随分と厄介な相手だと考えながら。
「一応俺たちも天界に持ち帰って調査を続けることにするよ」
 普段からやることが多すぎるセルセラの代わりに、ラウズフィールがそう申し出る。
「頼んだぜ、ラウズフィール、シェイ」
「僕たちにはこのぐらいしかできないからね。セルセラちゃんが多芸で助かるよ」
「神器使いが何を言うか」
 シェイの言葉に、セルセラは苦笑した。
 現在の仕事量は確かに手掛ける分野が多岐に渡るセルセラが多いが、星狩人協会上層部として数百年単位で活動してきたシェイとラウズフィールの実力は、本来そんな誰かの代打程度で収まる器ではないのだ。
「シェイさんって神器使いなの?」
「そういえば話したことなかったか?」
 神器という言葉に、同じ神器使いであるファラーシャが興味を持ったようだ。
「シェイは天界の面子で唯一の神器使いだ。相棒のラウズフィールと一緒に、いつも荒事に引っ張り出されてる」
「荒事というか、月女神セーファ様のお遣いかな? 人界の制御にはラウルフィカ様が重宝されてるけど、僕たちはセーファ様の眷属筆頭だからね」
 星狩人協会は元小国の王であるラウルフィカを中心とした組織だが、彼らには組織運営以外にも仕事がある。
 彼らに仮初の永遠たる不老を与えた女神の眷属としての役目だ。
 神々の眷属となった人間は、不老と通常の人間よりは病や怪我に強い肉体を得て神の命令をこなすために活動する。
 怪我や病で死ぬことがかなり少なくなるので天界で平穏に過ごしていれば実質的に不死にも近くなるが、レイルのように殺されても殺されてもその場で肉体が即座に回復を始めるような本物の不死ではない。
 シェイは元々が「月の民」という、黄の大陸の砂漠地方で月神セーファを信仰する一族の出身だ。そのため他の眷属よりも月女神の意志を伺い、その通りに動くことに長けている。
 ラウズフィールはそんなシェイの相棒だ。
「ちなみに強さは?」
「実力としては大したことないよ。ここにいるレイルさんやウィラーダさん、グレンツェントさんや、セルセラちゃんの昔の相棒・アンデシンさんの方が強い。ただ神器使いはその神器でしかできない特殊なことができることが多いんだ」
 シェイ自身は、神器が使えるからと言って、自分自身には特別なものはないと微笑む。
 神器使いの特殊能力の話をされ、ファラーシャが首を傾げた。
「私、正直一族に伝わる“花守の弓”と辰骸環の弓の性能にほとんど差がないんだけど……」
「ああ、ファラーシャさんはどちらかというと神器の弓を使っている時期が長いから、辰骸環を作る時に思考がそっちに引っ張られちゃったんじゃないかな?」
「どうしても違う性能の辰骸環が欲しいなら作り直してもらうこともできるけど、どうする?」
「う~~~ん、悩むなぁ。ラヴァル王子が使ってた一撃必殺の弓ちょっといいなあと思ったんだよね……」
 先日、実の伯父との決着をつけたファラーシャは、自分の実力に思うところがあるようだ。
 続いて対峙した青髭ラヴァルが同じ弓使いだということも、自らの戦力を考える切っ掛けとなっている。
「まぁ、鉱石の採取から考えても一週間程度で辰骸環は完成するからな。それほど気負わずに考えていいんじゃないか? 良い性能が思いついたら作り直せばいい」
 今回の一件では顔を出さなかったが、ラヴァルは使い魔としてセルセラに協力する道を選んだのだから、常に一緒にいる。ファラーシャが完全にラヴァルと同じ性能の弓を持っても、役割が被るだけになってしまう。
 同行するセルセラたちの方は、特にファラーシャの実力に不足など感じてはいないのだ。今のままでも問題ないだろう。
「君たちは今回、初めて他の星狩人と行動して色々学ぶところがあったんだろう? 焦らずともゆっくり考えればいいじゃないか」
 ラウズフィールもそう言う。
「……うん!」
「そうですね。レイルもなんだか楽しそうですし」
 タルテが台詞の内容に反して、なんだか呆れた口調で言う。
 途中から会話に参加して来なくなったレイルたちは、ウィラーダやグレンツェントたちと全然別の話で盛り上がっているようだ。
「あいつら星狩人協会の実力スリートップのくせにさっきから『顔の良さ』の話しかしてねーんだけど?」
 セルセラが半眼で睥睨する。
「それでその時、既婚の御婦人に迫られてしまって……」
「わかる」
「たまにあるんだよな」
「御主人の視線は怖いのに息子さんの方からはきらきらとした眼差しを向けられてしまってどうしたものかと……」
「実際どうやってその場を切り抜けたんだ? まさか応じたわけではないだろう?」
「良い躱し方があったら私も真似させてくれ。頼む」
 しばし思わずその内容を聞いてしまったセルセラたちは、ますます呆れた顔になった。
 気が付けばレイルたち成人組の手元には酒があるので、三人ともすでに軽く酔っているとみるしかない。
「……いや、何の話なんですアレ」
「女の人から迫られた時の躱し方?」
「これだから無駄に顔の良い男どもは……星狩人としての本懐はどうした本懐は」
 そちらの実力談義に関しては遺跡の内部で早々にある程度決着をつけてしまったからなのだが、セルセラはその時考え事に集中していて聞いていなかった。
 聞いていたとしても男どものこんな話に理解を示すセルセラではないが。
「俺は男だけどまったくわからない。イケメンとか無縁。いやイケメンが兄だけど」
「あはは。ウィラーダさんもグレンツェント様もモテるし、レイルさんも格好いいからねー」
 ジーヴァとシオンもあの会話には混ざれないらしく、セルセラたちと一緒にジュースを飲みながら笑っている。
 シオンはこの会話の流れで、シェイとラウズフィールに話を振った。
「そういえば、シェイ様やラウズフィール様はその辺どうなのですか? 星狩人協会上層部の方々の奥方の話はあまり聞いたことありませんけれど」
「あー……シオンくんにはその辺話したことなかったっけ?」
 ウィラーダ・ジーヴァ兄弟は五年ほど前に、魔獣の襲撃で両親を失ったところをセルセラに救助されている。その関係で二人と同じチームであるシオンもまた、ただの星狩人にしては上層部と距離が近い。
 しかし彼らの知らない話もある。
 直接言いづらそうなシェイとラウズフィールに代わり、セルセラが暴露した。
「この二人、恋人同士だから」
「セルセラちゃん、そんな繊細な話を人前ではっきり」
「え、そうなの?」
「そうなんですか? お付き合いしたきっかけは? お互いに相手のどこが好きなんですか?」
「ファラーシャ、どうどう、落ち着け」
 乙女心がくすぐられたらしいファラーシャを宥め、ここから先のことはシェイとラウズフィールが話したいことだけ話すに任せる。
「俺とシェイは、所謂前世からの付き合いってやつ。前世は恋人同士の男女だったけど、今生ではお互い男同士だったわけ」
「最初は僕も戸惑ったけど……まあ色々あって、今のほとんど相棒みたいな関係に落ち着いたんだ」
「へえー」
「そんなことあるんだ」
「前世からの付き合い!? ロマンチック~~!! むがっ」
「落ち着いてくださいファラーシャ」
 ジーヴァとシオンの反応は普通の世間話を聞く姿勢なのだが、やはりファラーシャが何か興奮しているのでタルテが無理矢理菓子を口に突っ込んで黙らせる。
「生まれ変わりって本当にあるんですね」
「あるよ。生まれ変わり自体はみんな当然のようにしている。でも、生まれ変わったその人と再び廻り合うことは酷く希な話なんだってさ。神様たちが言ってた」
「神様にそう言われたら納得するしかないですね……」
「生まれ変わることと、前世の恋人にまた出会えるかどうかって違うんだ」
「そうそう」
 普段から天界で神々と直接話をすることができる人間の言うことは違う。ジーヴァとシオンは顔を見合わせた。
 平和な一同を横目に、タルテは何かが自分の中の琴線に触れるのを感じた。

「生まれ変わり……」

 彼らの話を聞くともなしに聞きながら、タルテは珍しく頭痛のする額を押さえる。

 ――……に、して!

 遠い記憶の中。波音とそして女性の声。だがよく聞こえない。
 珊瑚の死骸でできた星屑のように白い白い砂浜を歩いた。
 朧げな記憶の背景として、ラウズフィールの説明は続く。

「そもそもみんな転生前の人生の記憶なんてないだろう? それが普通なんだ。俺とシェイはちょっと変わった身の上だったから、俺が特に前世での出来事をよく覚えていて、それでって感じかな」

 ――……は、……で、……しょう!!

 川を流れる捨て子。
 それはいい。ではその中に入った魂。
 私は一体誰? ……本当は何者なのか?
 私の……――前世。

「タルテ!」
「……っ、どうしました、セルセラ」
「そりゃこっちの台詞だ。どうした、珍しく反応が鈍いと思ったら、なんか顔色が悪いみたいだが」
 セルセラがタルテの名を、このように焦った響きで呼ぶことこそ珍しいとタルテは思った。
 今回の遺跡攻略もまったく危なげなく、余裕の顔で息一つ切らさずに魔獣たちをしばき倒して進んでいたのだ。
「……ええ。酒にでも酔ったのでしょう。少し、外で風にあたってきます」
「ああ。何かあったら言えよ」
「もちろん」
 怪訝そうなセルセラたちの視線を躱し、タルテは自ら支部の外へ出た。
 残されたセルセラたちはその空席を見つめながら呟く。
「タルテの奴、酒なんて飲んでたか……?」

 とっぷりと日も暮れたこの時間、他の酒場から吟遊自身の歌声が聞こえてくる。
 言葉としては聞き取れない美しい旋律に耳を傾けながら、タルテは頭痛の引き始めた額を撫でる。
「私には、生まれる以前から何か役目がある気がする。これは前世の記憶、前世からの使命という奴なのでしょうか……?」
 台詞だけ見ればどうみてもシリアスな物語の主人公の言葉なのだが。
 この時のタルテの表情を誰かが見ていたら、きっと

「ものすごく面倒そうな顔をしていた」

と言われるに違いない。

 それでこそタルティーブ=アルフという人物である。

 ◆◆◆◆◆

 ――どこかの酒場から、吟遊詩人の歌声が流れてくる。

 遥か昔、とある国の王。
 妻の不貞を知り、その首を刎ねた。

 女性不信となった王は街の生娘たちを宮殿に呼び寄せては一夜を過ごし、朝になると首を刎ねた。
 このままでは街に若い娘が一人もいなくなってしまう。

 困り果てる大臣。その娘は王の妻に名乗り出る。
 嫁いだ娘はその閨で、夜ごと王に物語を聞かせ始めた。

 ――続きはまた明日。

 一夜の命を購うために物語を紡ぐ娘シェヘラザード。
 物語を聞くために彼女を殺せない王シャフリヤール。

 さあ今宵も、新たな物語を語りましょう。

 王の心の闇が晴れる、その日まで。