薔薇の皇帝 09

第4章 望み追い求め希う者 01

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 え? 取材ですか? 今度は私に?
 今忙しいのでお断りしま……ちょ、なんであなたがそれを! 一体どうやって?!
 ……わかりましたよ。話します。話せばいいんでしょう?
 私から見た皇帝ロゼウスについて、ですね。これなら一言で済みます。
 駄目な人です。
 ……え? これじゃ量的にも内容的にも取材の意味がない? 結構じゃありませんか。いやだ? そんなこと仰らないでくださいよ。
 仕方ありませんねぇ。でも本心は先程の通りですよ。私から見たロゼウス様は、まぁ駄目な方ですよ。
 あれで外面は良いので外に出るとしっかりとしているように見えますが、身内しかいない空間にいると途端にふにゃけます。ええそれはもうくらげのように木くらげのようにふにゃふにゃですよ。後者は茸? そんなことはどうでもいいんです。私にとってあの方が頼りないというのは事実ですから。
 私は皇帝ではありませんし、国王にもなったことはありません。自分がその座に就いたこともない立場についていうのもなんですが……あの方が本当に立派な皇帝なんでしょうかねぇ。神様のすることもよくわかりませんよ。
 もちろんああこの方は皇帝なんだ、と感じる瞬間も四千年間傍にいれば無きにしも非ずですが、それでも私にとってはあの方は、ただの頼りない子どもですよ。良くも悪くも。
 私にはあの方が、無理をして皇帝という立場を振る舞っているように見えます。
 そこは普通「役目を演じる」とかそういう言い方をするべき部分ですって? そうですか。ですが私はあくまでも彼があの立場として振る舞っているとしか表現できません。彼は……ロゼウス様は「誰か」を、自分以外の人間を演じているわけではないんです。ただあの方はあの方のあるべき姿を定められた通りにこなし続けているんです。真実にしたい自分の理想通りに努力し続けることを演じるとは言わないでしょう。
 そうですね……例えば本気で走れば世界の誰よりも速く走れる人がいるとします。けれどその方は、毎日常日頃から道を歩くにも何をするにも全力疾走なのでしょうか。そんなわけはありませんよね。
 私はロゼウス様についても、そのように思うのです。演じる……自分という人間の姿を飾ったり、嘘をついていたりするわけではないんです。それでもあの方は、本来は強いられなくていいはずの努力まで強いられている気がするのです。
 これは私がこの世に数少ない、あの方より「年上」の人間だから思うことなんでしょうね。恐れ多い話ですが最近皇帝陛下……あ、いえ、こちらは三十二代大地皇帝デメテル陛下のことです。そのデメテル陛下と話が合うようになってきてしまって複雑な気分です。
 大地皇帝が生きているのかって? そうですよ。ですが今現在どこにいらっしゃるかまでは私にも。また取材ですか? 無理ですよ。あの方やハデス卿は、その気になれば世界の裏側にだって隠れられるのですから。
 まったくどなたも困ったものです。こう言ってはなんですが、ローラにだってエチエンヌにだって私は困っています。好きですし、一緒にいてくれるとありがたいですが、その反面時折酷く苦労させられるのはロゼウス様とも一緒ですね。困らされないのはせいぜいジャスパー王子くらいですが、あの方はそもそも私を見ていませんから。喋る虫けらくらいに思われているのがわかるので、四千年かけても結局仲良くなれてないんですよね……。いくら時間があっても、人と言う生き物には限界があるのだなぁと常々感じております。
 そう……もう四千年も経ってしまったのですよね。ロゼウス様が皇帝になってから。
 私の「本当」の主であったあの方が亡くなってから。
 不思議なことにあの激動の一年は、今でも鮮明に思い出せます。あの方が捕虜としてロゼウス様を連れ帰ったその時のことも、最後に過ごした夜の清冽な静けさも。
 むしろ私にとっては、この四千年間がまるで夢の中のできごとのようです。確かにここにいるのに、まるで重さや現実感が伴わず夢のよう。
 当然かもしれませんね。親しい人は全て死に絶えました。皇帝領を出れば、一人の人間であるリチャード=リヒベルクを知っている人なんて誰もいません。
 もともと私は家族との縁が薄く、下手をすれば罪を犯した兄の身がわりに処刑されるところでした。そこを助けて頂いて、それから八年間お仕えした主君だけが私にとってただ一つ確かなものであり、私の幸福であり、私の全てでした。
 今は形式上ロゼウス様にお仕えしています。けれど彼に、あの方へのような強い尊敬を抱くことはできません。
 ロゼウス様はそうですね……兄しかいなかった私がこのように語るのもおかしいのですが、強いて言うのなら「弟」のようなものですね。それも可愛げがなくて手のかかる弟です。
 おかしな話ですね。私の元の主とロゼウス様は同い年でした。その方が九歳の時に初めて私はお会いし、お仕えすることになったというのに、私は十にも満たなかったあの方には一切このような感情を抱いたことはありませんでした。私にとってあの方はどこまでも理想の主君でした。
 ロゼウス様とは正反対のお方でした。外面は良くても身内には最低の人間だと認識されるタイプのロゼウス様と、彼をよく知らない他人にはどこまでも恐れられ嫌われながら、内情を知る者にしてみればこの方ほど立派な方はいないと思わせるあの方。
 大胆不敵で傲慢で残酷で……本当に、私の理想、私の憧れの人でした。あの方のように私はなりたかった。
 ……え? おかしいですか? そうですか。でもエヴェルシードではこのくらい普通ですよ。あれぞエヴェルシードと呼ばれるほどの男になってみたかったものですが、私には無理でした。
 そうです。私にとってかつての主君への感情はひたすら敬愛と思慕、今の皇帝ロゼウス様に関しては……うーん、なんかこういうのってあるじゃないですか。世話なんぞしてやりたくないのに、面倒を見ないと死んでしまう鬱陶しいけど愛着がないわけでもない微妙な位置にいる生き物です。
 意外ですか? 私の考えていることが、そんなに?
 は? いつももっと深遠なことを考えていると思っていた? 私がですか? そんなことはありませんよ。
 ああでも、そういうことはよく言われますね。立場と身分と性格的にエチエンヌたちほど自由に振る舞えないくせがついてしまっていて、喜怒哀楽が乏しいように見えるらしいです。身分と序列が全ての貴族社会のしかも次男であった私は、生まれたその時から上の者に仕えるための教育だけ徹底されましたから。
 ですので、本当は何も考えてないだけですよ、私など。
 哲学的な問題よりも今目の前に見える予算の方が私には大事です。芸術家の未来よりも来年の小麦の出来の方が重要です。ごはんがおいしいと幸せですしぐっすり眠れると安心です。
 イメージと違う? はぁ。でも、これが私です。四千年間、この性格で生きてきました。
 何が変わり、何が変わらなかったか? そうですねぇ……様々なものが変わり、それと同じくらい様々なものが変わらずにそのまま残りました。そして……それで良いのだと私は思っています。
 人間関係で言うならば、かつての私の主は私にローラを妻とせよと仰ったのですが、ローラは私を嫌っていました。ロゼウス様はそれを知っていたので、ローラが私と別れたいと言うと、さっさとそれをお認めになりました。
 これは、私の主の思惑からは外れることです。けれどもまぁ、それでいいのだと思っております。
 我が主はエヴェルシード王族らしく、ある意味では上の命令は絶対でした。その上を殺してしまえば自分が上だ、とも考える方なので決して従順な性格ではなかったのですが、人が心情的に従いにくい命令をもぽんぽんと出す人でした。あの方にとっては他国人の奴隷は当時傍仕えだった私よりも価値が低かったのでしょう。もっとも価値如何に関わらず親しくなって家族に対するような愛情を抱いていたとは思いますが、それとこれとは別、と割り切っている方でもありました。
 一方ロゼウス様は、合意もないのに無理矢理関係をもたせるようなことが嫌いでした。そう言った意味で割り切れないという意味もあったでしょうし、ロゼウス様としては基本的に私よりローラと仲が良かったからですね。彼女を優先しただけかもしれません。
 二人の仲が悪く見える? そうかもしれませんね、今は。でも当時は仲が良かったのですよ。エヴェルシードに連れて来られたロゼウス様の面倒はほとんどローラが見ていましたので。
 どちらが良い考えなのでしょうね。結果的に今私たちはこの件に関しては後悔していませんけれど、あのまま時が進んだらまた違ったのかもしれませんし。今と同じようになっていたのかもしれません。
 ロゼウス様にとっては私もローラも所詮はまったく関係も責任も義務もない他人ですけれど、我が主は私たちのことを自分の責任として面倒をみなければならないと考えていたでしょうから、それで私たちをひとまとめにしておきたかっただけかもしれません。
 ……どう、なんでしょうね。もう、わかりませんね。あの方も、あの方を知る者たちもみんな死んでしまいました。時の流れに逆らい続けた私たちと、神の頚木に縛り付けられたロゼウス様以外。
 変わらないものはいくつもあります。私たちの主への敬愛と思慕。そしてロゼウス様への憎しみ。
 変わってしまったものがいくつもあります。四千年前、いくらかの知り合いがロゼウス様と敵対しました。私たちも彼らと戦いました。主君を失った悲しみで狂い、皇帝へ反逆戦争を仕掛けた者、それを討って、自らの命も捨てた者、私たちからも彼らからも離れ自分の人生を生きた者、あの戦いの前に亡くなった者……皆が皆、それぞれの選択を成しました。
 私たちのこの選択が良かったのか悪かったのか、わかりません。
 主君を殺した者と戦う事が私にはできませんでした。その方の深い悲しみを知っていたから、憎みきることができなかった。
 エヴェルシードにも美学くらいあるんですよ? 殺す気になれない者は殺さないという。そしてそれを越えてなお簡単に人を殺せる人間をエヴェルシードと呼ぶのです。
 私はエヴェルシード人らしくない……私は戦いを選びませんでした。そして、待つことにしたのです。
 あの方が生まれ変わる日、再び会えることを。あの方と気づけるかどうかもわからないのに、ただ待って、待って、待って……あの日戦うことを選べなかった私には、待つことだけが唯一できることなのです。
 どれが正しい道だったかですか? 知りませんよ。世界とは多種多様で更にはたゆたい流動するもの。所詮人の身に真実など掴めはしません。
 ……あなたは真実という言葉が好きですね。いいえ、否定するわけではありませんよ。ただその難しさを知っているから、一歩引いて身構えてしまうんです。でも……もしかしたらあなたなら……。
 私は待つ事しかできません。変わらずにただ待つことだけが、私にできる唯一のこと。
 ロゼウス様を皇帝として心から仰ぐことのない私には、決してロゼウス様の世界の止まった時間を進めることなどできません。どのような形で進められるのかもわかりません。
 でもあなたなら、それができるのかも知れませんね。
 ぜひ、真実へと辿り着いてください。