Pinky Promise 006

第1章 月夜の時盗人

1.白兎との邂逅 006

 フローミア・フェーディアーダは円を描くように並んだ六つの大陸と六つの海、そしてその円の中に存在する一つの大陸とで構成されている。
 時計の文字盤のようにちょうど等間隔で並んだ六つの大陸を十二時から十時までの時の名前で呼び、その間に存在する海も一時から十一時までの時の名前をつけられている。
 十二時の大陸の次は一時の海、一時の海の次は二時の大陸……と、交互に並ぶ大陸と海の文字盤の中央、時計の針の根元に当たる部分には、中央大陸と呼ばれる大陸が存在する。
 かつて海を渡る手段が船に限られていた時代、大陸間の行き来は海流が定める極めて限定的な航路に左右されていた。
 世界の東側と呼ばれる二、四、六時の大陸から西側と呼ばれる八、十、十二時の大陸に渡るには、中央大陸を介することがほぼ必須とされていた。そのため中央大陸は、西と東の文化を結ぶ交易都市としての機能を発達させた。
 文明が進み人が海だけでなく空さえも自由に行き来できるようになった今でも、その頃の習慣は残っている。
 すなわち中央大陸は、今でもあらゆる人や物、文化が集う地として、地理的にも文明的にも世界の中心として存在しているのだ。

 ◆◆◆◆◆

 改めて日差しの下歩いてみた世界は、何もかもが違って見えた。
 まるで巨人の世界に迷い込んでしまったかのように、何もかもが大きく見える。十年前、本当の子どもだった頃はこんな視点から世界を眺めていたなどと、今では信じられないくらいだ。
 見えない場所、手の届かない場所、ちっとも前に進んだ気にならない歩幅。うんざりする。
「しっかりしろ。そろそろ着くぞ」
「わかってるよ。何年通ってると思ってんだ」
 劇的な一夜が明けた。アリストは疲れの抜けきらない体を引きずりながらも、ヴァイスに連れられて自分が通うジグラード学院へとやってきた。
 帝都エメラルド。
 中央大陸の中心に位置する、ディアマンディ帝国の首都だ。
 エメラルドはその昔、オリゾンダスと呼ばれる自治都市だった。世界最大のジグラード図書館を持ち、同じく世界最大の教育機関ジグラード学院を帝国建国以前から抱えている歴史ある土地だ。
 遥か昔からこの世の叡智の全てが集うと言われていたジグラード学院。
 世界の移り変わりと共に他の「学校」と呼ぶべき教育機関とその機能を等しくしていったが、今でもかつての世界最大の学院の名残は存在している。
 たまたま立ち寄った旅の人間でも、望めば一時間から学院の講義を受けられるというのがそれだ。元は学術都市でもあったオリゾンダス時代からの伝統により、ジグラード 学院の門戸はいつの時代も広く開かれている。
 その一方で、現代的な「学校」としても機能している。
 アリストがジグラード学院高等部生として在籍しているのもその意味だ。
 一日限定の受講者も含めば総生徒数など数えるのも嫌になる程の人数が出入りするジグラード学院。それでも他の学校と同じく小等部から中等部、高等部、大学部と経る一般課程の規模は毎年ある程度決まっている。
 都市最大であり、世界最大の規模を誇るこの学院で、アリストは成績優秀者として存在していた。
 とはいえ。
「……本当に、この格好で行くのか?」
「諦めろ。まさか高等部の制服を着るわけにもいかんだろう」
 うさぎ耳のついた可愛らしいパーカーを着せられたアリストは、不満がありありと現れた顔でヴァイスを見上げた。
 怪しい禁呪によって子どもの姿にされてしまったアリストは、当然元の自分の服など着られない。子どもの頃の服などとっておくわけもないし、ひとまず着替えの調達をヴァイスに頼むことにした。
 してヴァイスが差し出した服のセンスに、アリストは買ってきてもらった恩も忘れて思い切り悪態をついた。
「なんで女子用なんだよ?!」
「決まっている」
 ヴァイス=ルイツァーリ、二十七歳独身男性は断言した。
「その方が可愛いからだ」
「…………ヴァイス……お前、ロリコンだったのか…………?」
 隣人の思いがけない趣味に気が遠くなりながらも、アリストは何かの間違いじゃないかとその玩具みたいな服の布地をひっくり返す。
「んなわけあるか。だが、考えても見ろ。性別が違うというのは、最高の目くらましになるだろう」
 アリストは女顔だ。それは自分でも自覚している。
 さすがに高等部に入ってからは女子と間違えられることもなくなったが、顔立ちそのものの繊細さは否定できない。
 そして今、ぎりぎり小等部一年生を名乗れるかどうかまで縮んでしまった子どものアリストは、はっきり言ってそう説明しなければ男だとわからないような顔立ちだ。
「何もスカートを穿けと言っているわけではない。だが、お前がアリスト=レーヌだと今バレるわけにはいかんのだ」
「んなこと言ったって、そもそも禁呪で体が若返ったなんて誰も信じないと思うぜ……?」
「念には念をと言うことだ。例え男だと知られても、お前を知る者ならお前がそんな格好をするなんて夢にも思うまい」
 納得できるようなしたくないような、微妙な気分でとりあえずアリストはうさ耳パーカーを羽織る。
 確かにヴァイスの言うことも一理ある。この姿の自分がアリスト=レーヌであることを主張できるわけもなし、それならば別人のただの子どもとして過ごすために、最初から別人らしく振る舞う必要があるのだ。
 だがしかし……何故女装。何故うさ耳。
「それはもちろん、私の趣味だ」
 やはりヴァイスは変態である。

 ◆◆◆◆◆

「で、何なの? このうさ耳ボーイ」
「私の天敵だ」
「ああ、例のアリスト君? ……あれ? 高等部生じゃなかったっけ?」
 まだ新学期が始まる前の校内だ。それでも人は多かった。
 元よりその運営形式上学外の人間が多数行き交うジグラード学院。春休みの間も図書館を始めとする各施設を利用に来た学生もいれば、この期に校内を見学している部外者も多い。
 各講義の講師陣は思い思いに休暇を取っている。だが、象牙の塔と名高いジグラード学院では、年中休み関係なく自らの研究室に詰めている講師や教師が多いのもまた事実であった。
 アリストがヴァイスに連れて来られたのはそんな研究室居住組の講師の一人、フュンフ=ゲルトナーのもとである。
 真っ白な髪に茶の瞳をした青年ゲルトナーは、年齢こそ近いがヴァイスとは正反対の温厚そうな人物だった。彼の研究室には古めかしい書籍が山と積まれている。
 ゲルトナーの専攻は神学・神話学と呼ばれる分野であるため、アリストはこれまで彼の授業を受けたことはない。ヴァイスの実践的な魔導学を習ったことはあっても、それが当たり前の時代だったという神話の世界に興味はないのだ。
 当然ゲルトナーとも面識はない。最初からただの子どもとして接しても良かったのだが、ヴァイスはアリストの事情を全て彼に説明してしまった。
「ふうん。なるほどねー」
「……驚かないのか? フュンフ=ゲルトナー」
 事情を聞かされたゲルトナーよりも、説明をしたヴァイスの方が居心地悪いような顔をしている。それはアリストの知る限りとても珍しいことだ。
 理系の講師でもないのに何故かビーカーに入れて出された地獄のように濃いコーヒーを飲み干しながら、ゲルトナーは言う。
「だって事実なんでしょ? ルイツァーリが僕を担ぐ理由もないし。それにしても十年の時を若返るか……アンチエイジングに励むおば様連中に人気が出そうだね」
「アホ抜かせ」
 どうにも緊張感のない会話だ。
「この小僧に睡蓮教団のことを説明しようにも、まず前提となる基本知識に欠けているからな。お前に話してもらいたいんだが」
「いいけど、教団のことなら僕よりも君のお友達の“イモムシ”が詳しいんじゃない?」
「ヴェルムとも話すが、あいつの説明は教団憎しで偏る。その前にもっと一般的な情報をやってくれ」
「僕の知識もそれはそれで専門的すぎて偏ると思うけど……まぁ、いいか」
 ゲルトナーがヴァイスから視線を外し、アリストへと真っ直ぐ向き合った。
 同じ椅子に座っていても視線の高さはまるで違う。しかしその眼差しは今のアリストの見た目通りの子どもではなく、対等な大人に向けるものだった。
「睡蓮教団のことを説明するには、まずこの世界の神話から説明しなければならない。昔々、というお決まりの文句から始まる神々の物語をね」

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