Pinky Promise 013

第1章 月夜の時盗人

3.赤騎士との決戦 013

 帝都の隣の都市アラヴァストロ。さすがに帝国の心臓である帝都エメラルドには敵わぬものの、エメラルドに次いで発展している都市である。帝都より若干地価が安い郊外に家を買って通勤する者も多い。
 しかしこの都市は数週間前から、ある事件に悩まされていた。
 連続殺人。
 それも被害者同士の接点が見つからず、無差別殺人として騒がれていた大事件だ。
 一週間目の時点で被害者の数はすでに三人を超え、二週間目には五人に増えた。その間まったく捜査の進展が見えぬと警察は叩かれ、アラヴァストロ全域で発生していた殺人に住民たちはいつ自分が被害者になるかと戦々恐々としていた。
 公園からは遊ぶ子どもたちの姿が消え、商店の売り上げは微減。行楽地の客数は激減。人々はなかなか日常を手放すことこそできないが、無闇な外出を控えた結果、二週間を過ぎる頃には昼日中にも関わらず街中はどこか閑散としていた。
 半月を過ぎた頃、アラヴァストロ県警本部にて、密かに一つの提案がなされた。
曰く、帝都で有名な探偵を協力者として招いてはどうか、と。
 帝都警察――別名警視庁に連絡をとり、探偵と縁の深い警部に繋ぎをとってもらった。
 連絡を受けてすぐにやってきたのは、今や帝都一と呼ばれる名探偵。
 その実態は、まだ十七になるやならずやの若き少年だ。
“帝都の切り札”、“エメラルドのジョーカー”と名高いヴェルム=エールーカ。
 細身で美貌の少年は、厳つい刑事たちの中で見事に浮いている。しかしその卓抜した推理力は、他の誰よりも早く事件の核心へと近づいた。
 エールーカ探偵を加えて二日目には、それまでなんら繋がりの見えなかった被害者たちに接点が見つかり、そこからは警察の捜査も早かった。三週間目には総人数七名となっていた被害者たちの接点から関係者を洗い直し、容疑者を絞ることに成功した。
 容疑者の人数さえ片手の指の数以下に絞れれば、あとは地道な張り込みが物を言う。すでに大事件に発展しているため動員数も多く、徹底的に容疑者たちを監視した結果、ついに犯人逮捕へと至った。
 見事事件を解決に導いた探偵は、ようやくこれでお役御免となる。探偵の知人である帝都警察の警部と親しく、今回繋ぎの役割を果たしたアラヴァストロ県警の警部が、若き探偵を見送るために駅までやってきていた。
「それにしても見事な推理だったよ。エールーカ探偵。我々アラヴァストロ県警にしても、探偵と言う人種への見方が変わったよ」
「いえ、そんな……こちらこそ、他県での捜査に加えていただいて色々と勉強になりました」
 ヴェルムは特大の猫を被り、この一週間弱ですっかり名探偵の信奉者となった警部に笑みを返す。
 警部の格好はここ最近の寝る間も惜しんだ捜査のためになんだかよれよれとしていたが、表情は事件が解決した喜びに溢れ輝いている。ヴェルムにとっては父親ほどの年齢にもなる壮年の警部だが、目を輝かせる様子は子どものようだ。
「イスプラクトルに君を紹介してもらって大正解だった。また難事件の折にはぜひ手を貸してくれ」
「一市民としてはそのような事件が滅多に起こらないことを願っていますが、それでも御用の際はぜひお声かけください」
 和やかな雰囲気で別れの挨拶を告げ、ヴェルムはやってきた列車に乗り込んだ。
ここから帝都に帰るのにせいぜい二時間もかからない。それでもやはり、自分の家があるホームグラウンドとは馴染みが違う。
 事件そのものは解決したが、事後処理は長くかかるだろう。アラヴァストロで知り合った気の良い警部や幾人かの刑事の顔を思い浮かべながら、ヴェルムは溜息をつく。
 今回の事件が解決まで長引いた訳、それは、犯人が警察関係者だったからだ。
 証拠が残らないのは、警察が殺人事件に対しどのような捜査をするのか知り尽くした者の犯行だったから。これでは捜査が長引くのも当然だ。
 せめてもっと早くに呼んでくれれば、殺人鬼の手にかかる被害者の数を減らせただろうと思えばやるせない感情が胸にこみ上げる。六人目の被害者が出たのはヴェルムがアラヴァストロに到着したその日。七人目はその翌日だった。
 探偵を呼ぶにあたって、わざわざ隣の都市から呼び寄せることに反対もあったと聞く。その対象が、まだ二十歳にもならない若造なら尚更だと。
 しばらくこの事件はアラヴァストロだけでなく、帝国全土を騒がせることだろう。けれどもはや一探偵であるヴェルムにできることはない。後のことは先程の警部やその部下の刑事たちに頑張ってもらうよう祈るだけだ。
 ヴェルム自身も疲れ切っている。捜査に参加した期間は一週間にも満たないが、その時間で誰よりも動き、成果を挙げたのは伊達ではない。身体的にはもちろん、精神的にも疲労が溜まっている。
 慣れない他県で招かれた身ながら、こちらを信用して動いてくれる人間は極少数。ヴェルムなりの苦労はもちろんあったのだが、それを愚痴れる相手は少ない。
「ヴァイスのところにでも行くか」
 酒でも持ちこんで管を巻いても問題のない相手として、知人とも年上の悪友とも表現しがたい相手の名を挙げる。
 学生として学校に通っていないヴェルムは当然、探偵としての関係者ではない純粋な友人は少なかった。探偵としての自分に降りかかる危険を考えて、わざと交友関係を増やさない理由もある。
 捜査の間は折り返し連絡できなかった相手からの着信履歴やメールを確認する。
「『緊急事態発生。事件後で構わないがなるべく早く折り返し連絡されたし』……? なんだ? ヴァイスの奴、何かあったのか?」
 探偵の忙しい日々は、残念ながらもうしばらく続きそうだ。

 ◆◆◆◆◆

 もう失うものはない。
 何一つ。

 真夜中の研究室。彼女はコンピュータを数台並列して起動し、ありったけのデータを手持ちのメモリーディスクに移していた。
 外部に持ち出そうにもこれらの情報は、民間のクラウドサービスなどに預けるには危険すぎる。かといって個人使用のパソコンを持ち出せば、自分の居場所がすぐに追跡されてしまう。
 社会の闇という闇、影と言う影に潜む教団の目から隠れ、その手から逃れるにはいっそこのまま何も持たずに姿を隠した方がいい。
 けれどこれらの情報は、いつか必ず必要になる時が来る。欠片でも持ちだせれば、彼女自身には扱えなくとも、誰かがこれを使って悲願を果たしてくれる可能性がある。
 例え自身はすぐに追手の手にかかり命を失ってもいい。信頼できる立場の人間にこれを預けることができたのなら、それがあの子を救うことになるかもしれないから……。
「誰だ! 何をしている!」
 その時、鋭い誰何の声が闇の中からかけられた。
 電気を消し、コンピュータの明かりだけが頼りの室内では懐中電灯の僅かな光ですらも直接向けられるのはきつい。明順応は暗順応より速やかだ。眩しさを堪えきれない。
「“公爵夫人”……!」
 コードネームで呼ばれ、彼女は息を呑んだ。相手は数日前に激しい口論をした人物だ。それは彼女の大切な妹分に関することで。
「やはりあなたは、我々を裏切るのか」
「……先にあの子のことで、私を裏切ったのは教団の方だわ」
 真夜中の訪問者は、兼ねてより見つかるのを危惧していた夜間警備の人間ではない。教団内では暗殺部門に属し、情け容赦のないと畏れられている相手。
 けれど彼女にとっては、それなりに長い付き合いの相手だ。彼の使う暗殺の手段と、彼女の研究内容が結びついているからではあるが。
 男は淡々と命じる。
「両手を上げ、コンピュータから離れなさい」
「……」
「そのまま部屋に戻れば、今なら何もなかったことにできる」
「なんですって? 見逃すと言うの? 明らかに教団に対する背信行為を行おうとした、この私を?」
 普段から能面のように感情を現さない男の顔が僅かに歪む。硬い声が説得を重ねた。
「ここ数日、あの娘の逃亡のせいであなたは動向を監視されていた。悪いことは言わない。今すぐ戻りなさい」
 彼女は逆らう気配も見せないままそろりと手を身体の横へ持ち上げ――まだデータの移行途中だったメモリーディスクを、一気に引き抜いた。
「夫人!」
「もうたくさんよ! 狂った神を信ずる狂った人間の言いなりになるのは!」
 白衣のポケットに素早くディスクを押し込み、彼女は踵を返した。あらかじめ鍵を空けておいた二階の窓から外の地面に飛び降りる。
 そしてこれもあらかじめ用意しておいたバイクへと飛び乗る。用意しておいたのは逃亡手段が先、データが後。エンジンがすぐに火を吹く。
「愚かなことを!」
 窓から顔を出した男の声だけが追いかけてくる。
「この“世界”にいるものは皆狂っている! あなただって手遅れだ!」
 不思議な国の案内人が、アリスに向けてにやにやと笑うのだ。この国にいるものは、皆気違いだと。自分も相手も皆全て――。
 それでも彼女は逃げ出したかった。正常と言う名の残酷な世界へ。そこに彼女の居場所などなくとも。

 翌日の新聞の一面は、早朝に起きたとある会社のオフィスと工場が爆発事故を起こしたという記事だった。
 早朝であったために爆発に巻き込まれた被害者はいない。
 しかし、ビルとその中の研究室、工場の一部が手の付けられない程に燃え盛り焼け落ちたので、その場所からはもはやどんな痕跡も拾えない状態になっているという……。
 初動では何らかの事件性があるとの見方もあったが、結果的にその「事故」はろくな調査もされないまま捜査終了となる。
 その企業が警察に提出した記録と内情のズレは、決して世間に知られることはない。

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