Pinky Promise 015

第1章 月夜の時盗人

3.赤騎士との決戦 015

 良い子も良い大人(深夜勤めの一部除く)も眠る時間。つまり深夜。ここからは悪い子と悪い大人のターンだ。
「よく来たな」
 広い地面のど真ん中に立っていた赤騎士が、三人を出迎える。アリストたちはヴァイスを中心にその左右を子ども二人が固めていた。
「いきなり果し状なんて送ってきやがって、時代錯誤も甚だしい」
「ああ。実は仲間内でも大不評だった」
 ふざけたやりとりにやっぱりそうかと頷きつつも、三人は油断ない視線で目の前の少年を睨む。
「一つ聞きたいんだが、何故この場所を選んだ?」
「知れたことよ。帝都でここ以外に存分に暴れられる場所があるか? まさかどこぞの学校の野球グラウンドを使うわけにもいくまい」
「採石場跡地もどうかと思うのだが」
 切り立った岩肌を背景に何もない空間が広がる採掘場跡。舗装されていない地面には人の踏まない場所に枯草だけが伸び、隅の方には沼があった。
 月の明るい夜の下、大人と子どもが入り混じる四人がこの場所で向かい合っている光景はひたすらシュールだ。
 しかしあえて果し状など送りつけ、このように開けた場所を指定したのは赤騎士の方だ。つまり小手先の罠を仕掛けるつもりはないということだろう。
 どう考えても銃刀法違反かつどこから手に入れたかもわからない真剣を手にした赤騎士は、いつもの軍服めいた赤い格好だ。
 こんな人物が昼日中の大通りを歩けば、良くて派手なコスプレ、下手をすれば通報ものだ。確かに深夜の採掘場は決戦の地としてはうってつけなのかもしれない。
 ここ最近で命を狙われたのは、まずアリストだ。しかし赤騎士との付き合い自体は同じ組織にいたチェシャ猫と、以前から面識があるらしいヴァイスの方が長い。
「チェシャ猫」
 赤騎士の呼び声に、少女はゆっくりと前に進み出た。
「やれやれ。しばらく見ない間に、すっかり可愛らしくなったものだ。どうだ、自分で自分の術を喰らう気分は」
「結構快適よ。化粧品代のいらないアンチエイジングよね」
 どうして誰も彼もこの話題にはそのネタを持ちだすのかと内心でツッコミを入れるアリストだが、チェシャ猫と赤騎士のやりとりは続く。
「何故教団を裏切るような真似をした?」
「人に使う予定のなかった術を、勝手に人間に転用したのは教団のほうよ」
 赤騎士の昏い笑みが深くなる。彼はチェシャ猫に向けて、手を差し出した。
「教団はお前の才能を買っている。私と一緒に戻れば、今ならお咎めなしで済むぞ」
 教団の方は裏切るくらいならとチェシャ猫に禁呪をかけたが、彼女自身はまだ致命的な損害を与えたわけではない。
 むしろ彼女程の術者であれば、手放す方が教団にとっての損失だと赤騎士は言う。
「お前が戻らねば、お前が親しくしていた相手も死ぬぞ」
「私にはもう、家族も兄妹もいないわ」
「“公爵夫人”はどうする。お前はあの女を見捨てるのか?」
 また新たなコードネームに、アリストは思わずチェシャ猫の様子を窺った。
アリストの知りたかったことは、相変わらず赤騎士がぺらぺらと口にしてくれる。
「血縁こそなくともお前が姉と慕い、向こうもお前を可愛がっていた。そんな人物を、お前の我儘で消させるのか?」
 チェシャ猫がぐっと言葉に詰まるのがわかった。彼女が口を開く前に、ヴァイスがその眼前に腕を伸ばして後ろに下がらせる。
「なるほど? お前以外の追手がいないのは珍しいと思ったら、彼女にとって人質となるような相手を教団側はすでに抱え込んでいたわけだ」
「そうだな。そもそもチェシャ猫は武闘派というわけでもないし、説得なら私一人で十分というわけだ」
「説得ね。脅迫の間違いだろう?」
「家出娘を連れ戻しに来ただけさ」
 春の冷たい夜風が流れていく。元より予想できたこととはいえ、赤騎士は簡単に退いてくれるつもりはなさそうだ。
「例えここで教団に戻ったとしても、彼女とその姉だかには監視がついて二度と自由に暮らせまい」
 ぽつりと呟いたヴァイスの言葉に、赤騎士は笑みを、チェシャ猫は苦い表情を浮かべる。
「それに彼女を手放せということは、アリストを見捨てろということだ」
 突然自分の名を出され、アリストはびくりと肩を震わせた。
 話の主導権を握るヴァイスはあくまでも淡々と事務的な書類を読み上げるように続ける。
「我々には禁呪の開発者に頼る以外にアリストの時間を取り戻す術がないし、お前がチェシャ猫を教団に連れ戻すということは、この件の関係者である私やアリストを殺すということだろう」
「そうだな。死人に口なし。余計な目撃者の口は封じるに限る。尤も、十年前に我ら教団を壊滅寸前まで追い込んだ白の騎士を殺せるとは限らないが」
 またも意外な話が持ちだされ、アリストは咄嗟にヴァイスの背を見上げる。
 教団を壊滅寸前にまで追い込んだ? ヴァイスが?
 ここにいる連中は一人としてまともではない。アリスト以外は。
 チェシャ猫は昔から魔導の天才児として知られていたらしいし、赤騎士は腕の立つ殺し屋だ。そして常日頃から変人っぷりを発揮するヴァイスも、魔導の第一人者としての実力は確かなもの。
 非現実的な超人たちの空間。けれどアリストはその中の歯車の一つとして、すでにこれ以上なく巻き込まれてしまっている。
 ひとつ息を吸った。吐き出す勢いで告げる。
「……あんたたちが、本当は何を求めているかなんて知らないけど」
 知らない。アリストは何も知らない。物語からコードネームをとる意味も、教団の信者たちが背徳の神にかける願いも、ヴァイスやチェシャ猫が遺恨を持ちながら教団と関わり続けたその事情も。
 何一つ知らないけれど、例えそれらを知っていたとしても、たぶん自分の出す結論は変わらない。
「犯罪を起こして、誰かを傷つけて、苦しめて! そうまでして叶えたい願いなんて、絶対にろくなもんじゃない!!」
 それだけは断言できる。
 それだけが確かなことだ。
「チェシャ猫は渡さないし死なせはしない! もちろん俺だって死んでたまるもんか!」
戦い続ける。最期のその一瞬まで。
 犯したくもない罪を犯して、悲しみながら自ら命を絶った人を知っている。罪の意識とはそれだけ重いものだ。望んでそれを犯す者の言い分なんて認めるわけにはいかない。
「身の程知らずな。我々の邪魔をしようと言うのであれば、死んでもらうしかないぞ」
「死なせねーよ。誰も」
 アリストは真っ直ぐな瞳で言い切った。
 その透き通るような青さに、赤騎士は人知れず息を呑む。
 しかし次の瞬間にはいつもの笑みを浮かべ、目の前の子どもを嘲笑った。
「強気なのは結構だが、お前にそれができるとでも? 若返りすぎた子どもの体で何ができる? “出来損ないのアリス”よ」
「何ができるかなんて、やってみないとわからないね!」
 アリストは印を組む。その瞬間、ヴァイスとチェシャ猫が地面を蹴り彼から離れた。
 もとより赤騎士をそう簡単に「説得」できるなどと、誰も思ってはいなかった。 確実に戦闘になるとわかっているのに、何の準備もせずここまで来るわけがない。
 今の自分がどれだけ無力かなんて、もうアリストにもわかっている。天才児とはいえチェシャ猫も本来の年齢の彼女自身に比べて術の腕が落ちているという。
 それでも、相手がわかっていて、準備の時間があるならいくらでも戦いに勝利する手段はある。
 戦闘開始の合図となる爆音が轟いた。

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