第1章 月夜の時盗人
3.赤騎士との決戦 016
アリストが印を組んだのはフェイク。自らの足下に無数の魔法陣が輝いた瞬間、赤騎士はそう悟った。
「チェシャ猫! 貴様か!」
正面からの攻撃に備えようとした赤騎士の意表を衝くように、足元の地面が爆発する。
そしてからくも爆発を避けたところで、第二撃が赤騎士を襲った。
今度こそ印を完成させたアリストの術が赤騎士目掛けて走る。炎で形作られた鳥は、赤騎士が一閃した剣に真っ二つにされた。
「ちっ!」
「これは驚いた。たった一日で、随分魔導の腕が上がっているじゃないか」
白兎に禁呪をかけられた昨夜。口封じのために襲ってきた赤騎士相手にアリストは手も足も出なかった。肉体が若返ったために習得した魔導の技術も失われたアリストは、無力な子どもの体に加え術すらも使えず殺されかけた。
その分、今回は昨夜の二の舞にならぬよう準備してきている。
「何せ師匠が優秀なもんでね」
「ふむ、それほどでもない」
「ヴァイス、てめーじゃなくてチェシャ猫のことだ」
アリストと同じように肉体が子どもになっても構わず魔導を使っていた彼女に尋ねたのだ。何故それだけ高威力な術を扱えるのかと。
それが元からの才能の差と言われてしまえば、アリストにもどうしようもない。しかし、チェシャ猫の答は違った。
「魔導の威力は最終的に、魂に依存するの」
「魂……?」
「そう。魔力……魔導の力がどこから来るか知っている?」
「アカシックレコードが云々って奴か? 人の心は無意識の海、巨大な図書館に繋がっていて、人生はそこから引き出された情報の一部に過ぎないって」
無意識の海、バベルの図書館、天の板、心の窓などと呼ばれるそれ。人の魂もこの世界の情報も全てはそこに集約され、人間の人生もこの世界の全ての存在も、『そこ』から汲み出した水の一滴に過ぎないと言う。
魔力とはその水のことだ。より正確に言えば、無意識の海を通して必要な力を計算しているということらしいが、難しいことはアリストにもわからない。
ただ、魔導という技術が肉体的な才能よりも魂に依存すると言うのは確かに聞いたことがある。
魂そのものが、無意識の海から抽出された力だからだ。そして抽出とはいうものの、無意識の海と個人は完全に断絶された存在ではない。糸のような細い繋がりとはいえ、人の魂はその奥底で『全て』と繋がっているという。
魂の糸を逆に辿り無意識の海から必要なだけの力を引き出す業――それが魔導。
文字通りの『魔』を『導』く力なのだ。
「魔導は魂に依存する。そして私たちの魂は、肉体と違って損なわれてはいない。ならば、その気になれば今までのようにとは言わなくても、すぐにそれに近い形で魔導を使うことができるはずよ」
泳ぎ方や自転車の乗り方を一度覚えたら二度と忘れないように、魔導も同じことだとチェシャ猫は言う。
「そして、もう一つ」
古くから、死の淵から蘇った人間が霊感を得たり、超能力等の新たな力に目覚めるという事例はあった。
魔導ではそれを第六感、そして第七感の獲得・覚醒と表現する。
一度死の世界に片足を踏み込んで蘇った人間がそれまでにない力を得る。死によって無意識の海に還るために接触してから現世に引き戻された魂が、無意識の海からより大きな力を得て戻るからだ。
「禁呪によって死にかけた私たちは確かに肉体的には弱体化したけれど、魔導に関しては違う。集中すれば、今までに見えなかったものも見えるはずよ」
「見えなかったものって……」
アリストにそのような自覚はない。
「第七感に関しては個人差があるから絶対とは言えないけれど、少なくとも魔導に関してはある程度使えるの。手足の長さが変わった関係で多少調整は必要だろうけど、火や水を出す技自体は使えるわ」
赤騎士との最初の戦いでは使えなかった話をすると、それは魔導を肉体依存の術として勘違いしていたからではないかとチェシャ猫は言った。
「魔導の本質は、最も端的に言うならば『信じる力』」
「信じる力?」
子ども向けアニメにでも出てきそうな単語だ。
「ええ。自己暗示に近くもあるわね。自分ができると思っていることはできるのよ」
「火事場の馬鹿力って奴か? それにしても……」
「信じることそのものが難しいだけで、行動や現象そのものが不可能なわけではないわ。人の魂がこの世の総ての情報を収める天の板に繋がっている以上、魔導は全てを可能にする」
魔導の魔とは、この世界に存在する全ての『可能性』だ。不確かでありながら、不可能ではないという全て。
夢物語だ、お伽噺だ、喪われた伝説だと。
それでも、信じれば魔導は『魔法』へと変わる。
さすがにアリストはそこまで行かなかったが、チェシャ猫の指導により、自分がかつて使えた術をほぼ再現することはできた。
だが。
「子供騙しだ!」
赤騎士には通用しない。
放った術を剣で一閃された瞬間にアリストはその場から逃げるために駆け出す。
三人はちょうど赤騎士を囲む三角形を描くように立っていたので、それが崩れると赤騎士も注意を向ける意識の切り替えに時間がかかった。
アリストが稼いだ時間をチェシャ猫が魔導の準備に当てている。彼女の術はいくら赤騎士と言えど直撃を喰らえば無傷ではいられない。
しかしそれよりも不気味なのは、ここまで来て何もする様子のないヴァイスだ。
念のために一瞬ヴァイスの方をちらりと見た赤騎士は、その違和感に咄嗟に後方へと飛び退いた。
チェシャ猫の攻撃は躱せば終わりだ。白騎士の企みはなんだ。
「知っているか? 赤騎士」
ヴァイスは両手をコートのポケットに突っ込んでその場に立ったままだ。
「採石場と言えば、特撮においてあるお約束があるのを。ちなみに私は日曜朝八時のペルソナライダーシリーズは三期のファンだ」
「何言ってんだ、Pライダーは一期こそ至高」
「二期でしょ」
赤騎士は嫌な汗をかく。
そういえば先週は白兎の奴も暇だからと朝からこの番組を見ていたな、と。恐るべしペルソナライダーの視聴率。
「ってちょっと待て、まさか……」
ヴァイスがコートのポケットから何か小さな箱のようなものを取り出す。これ見よがしに押して見ろと言わんばかりのボタンがついている。
「現代の魔導師はこう言われる。『魔導で火なんか出すよりも、マッチでも使った方が早いじゃん』まったく持ってその通りだ。だから私も現代人らしく、文明の利器で火を起こそうと思う」
もちろんヴァイスがわざわざスイッチまで取り出して仕掛けたものが、マッチの炎のような可愛らしい威力の攻撃手段であるわけがない。
何もせずに突っ立っていたように見せて、彼は見えないところでコートの内側に隠し持っていた物体をせっせと地面に埋めていたらしい。
そう、それは日曜朝にお馴染みの特撮番組でもお約束の効果。
「げっ……!」
赤騎士の呻きと共に、白騎士は躊躇いもなくスイッチを「ぽちっとな」した。
ドォオオオオオン!!
先程チェシャ猫が放った術とは比べ物にならない程の爆発が、赤騎士の足下から広がった。
◆◆◆◆◆
「やったか?!」
赤とオレンジの炎が真夜中の闇を切り裂く。かなり距離のあるお互いの顔まではっきりと見えるようなその眩しさに片目を瞑りながらも、アリストは赤騎士が爆炎に包まれた場所から視線だけは離さない。
「っていうかこれ、やりすぎじゃね?!」
文明の中心たる帝都で、真夜中にこの堂々とした爆発騒ぎだ。赤騎士を倒すにはこのくらいしないとと言うヴァイスとチェシャ猫の言葉にアリストも一応頷いたとはいえ、殺人まで許した覚えはない。この威力はどうも殺す気としか思えないのだが。
いくら相手が悪人とはいえ、善良な一般市民であるアリストには人殺しは到底看過できない。
「まだよ! 彼を侮っちゃ駄目! このぐらいの爆発なんかじゃ……アリス!」
途中で悲鳴へと変わった呼び声を意識する前に、アリストは地面へと叩き付けられた。
「やれやれ……やってくれたな」
服の裾を僅かに焦がしただけで、無傷の赤騎士が地に伏せさせられたアリストの背中を膝で抑え込んでいる。
「これで形勢逆転だ」
「ぐ……」
容赦なく抑え込まれて、アリストは潰れた蛙の気持ちを味わう。肌に食い込む小石が痛んだ。
「さて……」
「待て!」
アリストの首に剣の切っ先を突きつけた赤騎士が口を開きかけたところで、被せるようにヴァイスが叫んだ。
その手には小さな液晶画面――彼の携帯が握られている。
「……どういうつもりだ?」
そして携帯の画面には、11までが表示されていた。指先が0のボタンにかかっている。
「そいつを殺せばそのまま警察に連絡が行くようになっている」
自信満々に告げる姿に、赤騎士は思いっきり脱力した。
「馬鹿な……そんなもの、大人しく通報させるとでも?」
子どもの首一つ落とすことなど赤騎士には造作なく、それから白騎士とチェシャ猫の二人を相手に移るのは容易い。いくらチェシャ猫が時間を稼ごうとも、今回の経緯を警察に説明させるだけの時間を白騎士に与えてやる訳がない。
「今から、ここで通報するのならばな。だが、これは直接的な方法ではない。細工をさせてもらったのは、別の場所だ」
「!」
ヴァイスが懐から取り出したもう一つの機械――ボイスレコーダーから、これまでの詳しい経緯をべらべらと説明する声が流れ出す。
「この録音と同じものを、自宅のレコーダーに準備してある。私たちが予定時間を過ぎても帰らなかった場合、自動でその内容が警察に送られるようになっている」
赤騎士が目を瞠った。
もしかしてこの三人は最初から、そのつもりで……?
「これは予想外だな。あの“白騎士”が、そんな保険をかけるとは」
十年前の戦いの時は、ヴァイスがこんな手段をとることはなかった。
「アリストの提案だ」
赤騎士は自分が抑え込んでいる小さな少年へ目を向けた。
今の見た目は、片手で簡単に捻れる子どもに過ぎない。
しかしその中身は、禁じられた魔術をかけられ非現実的な状況に直面しても決して折れることのなかった精神の持ち主。
「言っただろ。誰も死なせないって」
潰れそうな胸が掠れた声を発する。彼の後を引き継いで、再びヴァイスが続けた。
「お前の出方がわからなかったからな。少し様子を見させてもらった。一応チェシャ猫を連れ戻そうという意思があるのなら、取引した方が双方に意義があるのではないか?」
とっとと警察に通報しなかったのは、ただの証言だけでは信じてもらえる当てがなかったからだ。
しかし赤騎士の手により彼らが殺されるのであれば状況は一変する。三人もの人間の死体が上がれば、警察の捜査は入念なものとなるだろう。
ヴァイスの友人である探偵ヴェルムも関わってくる。教団が警察と繋がっている可能性もあるが、万一通報を握りつぶされたとしても、一探偵であるヴェルムを止めることはできない。
例え赤騎士が彼らを今すぐ殺したとしても、彼一人で三人もの人間の死体を処理する時間よりも、警察に通報が届く方が早い。
この時点で赤騎士の選択肢は二つに分かれたのだ。
三人から手を引く、あるいは取引するか。
彼らを殺して事件の存在を明るみにするか。
教団所属の人間として、後者は選べない。そこへ――。
「へぇ。なかなかやるじゃん」
事態を変えるもう一人の人物の声が割り込んだ。