Pinky Promise 024

第1章 月夜の時盗人

4.指切り―Pinky Promise― 024

「何やってんのよ! ヴェルム!」
「な、なんのことだよセルフ、俺は――」
「幼馴染の目を誤魔化せると思ってんの?! どうしてヴェルムがアリストに変装なんかしてるわけ?!」
 “アリスト”の格好をした少年は、放課後の人気のない教室でエラフィに詰め寄られていた。
 会ったらバレるかもとは思っていたが、予想以上の即バレだ。畜生ヴァイス、と自分にこの件を依頼してきた年上の友人に胸中で恨み言を吐く。
「なんだかよくわかんないけど、俺は“アリスト=レーヌ”だってば」
 なおも誤魔化そうと言い募るが、エラフィは一度押し黙ると無言で自分の懐から携帯と鏡を取り出した。
「?」
「あんたの首元」
 少女の細い指先が、彼の首の一部を押さえる。自分では見えにくいが、ぎりぎり鏡で確認できる範囲だ。
「ほくろがあるわよね。でも」
 エラフィは自分の携帯のメモリーから、件のアリスト=レーヌが友人たちと映った写真のうちの一枚を呼び出した。
 この数日、ヴァイスに資料として提供された映像や写真と同じだ。
アリストの首筋には何もない。
「前からあんたたちって似てるとは思ってたのよ。髪の色と髪型は特にそっくりだから、後ろ姿だと間違えそうなくらい。だから私はついつい、あんたとアリストの違いがはっきりするアリストの首筋を目で追っちゃってたわ」
 そこに何かあるならともかく、何もないならばその意味には気づきにくい。だから本物のアリストはそんなエラフィを不思議そうに眺めるばかりだった。周囲の人間もその意味には気づいていなかったはず。
 そこまで指摘されてはもう無理だと、少年はがっくりと肩を落とす。
「ヴェルム?」
「いやその……エラフィ、これは――」
 こうなったらある程度の事情は説明するしかないと、ヴェルムは渋々ヴァイスの依頼のことを幼馴染に説明し出した。
 そう――彼こそ、先程エラフィが友人一同にその名を告げて驚かれた、人探しに絶大な信頼を置ける探偵の幼馴染なのだ。

 ◆◆◆◆◆

「あの、ダイナ先生……」
 “アリスト”の退場で場の話題が一度区切りをつけられ、彼らはそれぞれ思い思いの放課後に戻って行った。フートやムース、ヴェイツェたちはすでに帰途につき、レントは部活。ヴァイスも小さな子ども二人を連れて家路を辿ると言う。
 そしてあの“アリスト”は、エラフィに引っ張られて二人して校舎内のどこかに消えた。
 ギネカはまだ仕事が残っていると踵を返したダイナを追いかけ、人気のない廊下で呼び止める。
「あの……先生なら気づいてらっしゃるんじゃないですか?」
「何に?」
 振り返ったダイナの表情は穏やかだ。いつもと変わりなく見える。だがそれが曲者なのだとギネカは知っている。
 ダイナは穏やかな微笑みで己の感情を隠すのが上手い。
 それはギネカのような特殊な“能力者”でもなければ気づかないくらいだ。
「さっきの、あの彼は、アリストじゃ――」
「マギラスさん」
 ギネカは彼に“触れた”のでそれがわかった。彼はヴァイスに頼まれてアリストの変装をした別人だ。
 そしてギネカの推測が正しければ、ダイナもそれに気づいていたようだった。なのに何故何も言わないのか――? 問いかけたギネカに、ダイナは穏やかな表情のまま返した。
「私の気持ちは、さっき言った通りよ」
 ――アリストが無事で、元気でやっているならそれで充分よ。
「彼がアリストに害をなそうというなら別だけど……そうではないのでしょう?」
「……はい。彼はどちらかと言えば、アリストの味方のようでした」
「そう……。ありがとう。それが知りたかったの」
 ダイナも推測はできる。自らの勘も信じている。だが確証が欲しかった。
 ギネカがどんな手段で「それ」を得ているか、ダイナは追求したことはない。だが彼女の人格は信頼している。
「だったら、きっと大丈夫。少し寂しいけれど、受け入れるしかないわね。あの言葉を信じて」
 小さな“アリス”と指切りして約束したこと。その一言だけで、並々ならぬ決意も覚悟も伝わってきたから。

 ――“アリスト”は、必ず帰ってくるよ!

 ◆◆◆◆◆

 マンションへの帰宅後。ヴァイスの家に、さりげなく不自然でない程度に顔を隠した格好で“アリスト”が訪ねてきた。
「……ごめん、エラフィにバレた」
「……すまん、セルフのことを忘れていた」
 開口一番謝罪から始まるのはダイナ相手と同じだが、その意味はまるで違った。 そして彼の台詞に応えたヴァイスの台詞からは、この相手にヴァイス自身がアリストの代役を依頼したことがわかった。
「マルティウスら四人とダイナをなんとかできればそれで大丈夫だと思ったからなぁ……」
「なんとか誤魔化そうとしたけど、無理だった。首の下のほくろなんて俺自身も知らなかったぞ」
 その呟きにヴァイスが天を仰ぎ、もはや感心するように呻いた。
「さすが幼馴染。侮れんな」
「……なぁ、ヴァイス。そろそろこの人のことについて俺たちにも説明してほしいんだけど」
 二人の会話の内容から、どうやら少年がアリストの友人の一人、エラフィ=セルフと実は幼馴染だったことが判明した。だが彼自身の名前や素性に関し、アリスとシャトンはまだはっきりと聞かされてはいない。
 少年はアリスの台詞にニッと唇を吊り上げて笑うと、くしゃりとその金髪を乱した。そして軽く下を向くと、いきなり自分の瞼に指を突っ込む。
「!」
 アリスがぎょっとすると、彼は指先に乗せた、今目の中からはずしたものを見せる。それを見てアリスにも理由がわかった。
「カラーコンタクト」
 彼の瞳はすでにカラコンを外して、アリスと同じコバルトブルーから、鮮やかなエメラルドグリーンに変化している。
「ヴァイス、クレンジング貸せ」
「あいよ」
 そして軽く顔全体に施した化粧を拭い取ると、多少の面差しは似ているものの、彼はもう“アリスト=レーヌ”には見えなかった。
 新聞や時にはテレビのニュースでさえ見るその顔に、シャトンが呟く。
「“帝都の切り札”、“エメラルドのジョーカー”、名探偵の、ヴェルム=エールーカ」
「俺を御存知とは光栄だね」
 名探偵と名高い少年は、そう言って不敵に笑う。
「エメラルドのジョーカー……なるほどね」
 シャトンが感嘆の息をつく。
 “エメラルド”とはこの、世界の中心たる都の名前。けれどこの場合、彼の鮮やかなエメラルドの瞳からもとられたダブルミーニングなのだと、新聞やテレビではなく、この目で見て初めて実感した。
 アリスト自身もかなり整った顔立ちをしているが、ヴェルムもまた端麗な容姿の少年だ。
「こっちがアリス、そっちがシャトン」
 華々しい二つ名を交えたヴェルム自身の説明とは裏腹に、アリスとシャトンの紹介はヴァイスのとっても投げ遣りな一言で終わった。まぁいい。どうせ自分たち二人に関しては一息に説明しようとするとどうしてもややこしいことになる。後でいくらでも補足が必要になるのだ。
「ところでヴェルム、結局セルフにはどこまで話したんだ?」
「俺がお前から依頼を受けて、ちょっと今帝都に戻れない“アリスト=レーヌ”少年の身代わりを一時的に務めたことだけ。あと、一応疾しいことはないと弁解しておいた」
「そりゃ助かる」
「エラフィに『ヴァイス先生の依頼って……まさか、先生ついにダイナ先生のことで揉めて、アリストを殺っちゃったんじゃないでしょうね?!』って詰め寄られたんだけど……ヴァイス、お前生徒からの信用ないぞ」
「セ~ル~フ~、成績減点したろか……痛てっ!」
「職権乱用」
「白騎士、日頃の行いって言葉知ってるかしら?」
 こめかみに青筋を浮かべたヴァイスに、アリスとシャトンが続けざまに言葉と一緒にその辺にあったものを投げる。叩こうにも頭に手が届かないし、本当に子どもの体は不便だ。
 そんな子どもらしくない子ども二人の様子に、ヴェルムが目をぱちぱちと瞬く。
「ま、私の名誉と勝手にこの世から抹殺されているアリストの立場を一応守ってくれたことには一応礼を言っておく、一応な」
 大事なことなので一応を三度言いました。
「ああ……いいんだ別に……探偵は依頼人を守る者だからな。まだ本当の依頼人には会ったことないけど」
「会ってない? 何を言っとるんだ、ヴェルム。お前の依頼人ならここにいるぞ?」
「え?」
 ヴァイスがヴェルムに頼んだ身代わりだが、あれを必要とする真の依頼人はアリスト=レーヌ本人だ。ヴェルムともアリストとも面識のあるエラフィには見抜かれたが、それ以外の面々を見事騙しおおせてアリストの自然なアリバイを作ってくれたヴェルムには、感謝してもしきれない。
 だがやはり、ヴェルムはこの事態の真の事情をまだ完全には知らされてはいないようだった。
 ヴァイスの手に両脇を抱えられて目の高さまで持ち上げられたアリスの顔を探偵はまじまじと見つめる。先程まで自分が変装していた少年にそっくりな子どもの顔を。
「この子はアリス=アンファントリーとかいう、お前が預かっている子どもじゃないのか?」
「何故私が突然何の縁もない子どもを預かることになったんだと思う? 何故こいつがアリスト=レーヌにそっくりなのだと思う?」
 それこそ特徴的なほくろでもあれば容姿の相似はわかりやすい。ヴェルムが首筋のほくろなら、アリストの場合は以前にも指摘された泣きぼくろだ。ヴェルムの視線もその辺りを彷徨う。
「確かに他人の空似にしては似過ぎている気がするが……」
「このアリスがアリストなんだ、ヴェルム。ついでにコードネーム“アリス”でもある、“イモムシ”」
「はぁ?」
 完全に呆気にとられた様子で、ヴェルムが眉を上げる。
「……アリスト=レーヌ?」
 恐る恐る尋ねて来るのに、アリスは苦笑を浮かべつつ頷いた。容貌の稚さとは裏腹な、本物の子どもにはできない表情だ。
「ああ。今日は悪かったな。姉さんのことといい、ダチ連中のことといい、色々誤魔化してもらって。あんたとエラフィ=セルフが幼馴染なんて知らなかったよ」
「~~」
 ヴェルムが頭痛を感じた額を押さえるように手を当てる。
「……一から説明してくれ」
 そしてアリスは自分の境遇を最初からヴェルムに説明することになり、名探偵は半ば強制的にこの事態に巻き込まれることになった。

 ◆◆◆◆◆

 こんな時期に転入生? と、ジグラード学院高等部の生徒たちは、教卓の横に立つ生徒を眺めながら疑問符を浮かべていた。
 始業式からまだ幾日も経っていない。普通転入や転校というものは年度始めや学期の始まりに合わせて行うものではないだろうか。
 とはいえここジグラード学院においては、年中広く誰にでも門戸を開いている。制服を着て毎日授業を受ける普通科の生徒ならば転校・転入も珍しいが、その分野の著名人が行う講義を一時間だけ聞きに来るような人間ならそれこそ時期を問わず常に出入りしている。
 転校生は亜麻色の髪に朱金の瞳の、端正な顔立ちの少年だった。いっそ恐ろしいくらいに綺麗な顔だが、大きく分厚いレンズの嵌まった眼鏡がその印象を和らげてどこか人懐こい惚けた印象に見せている。
「諸事情により編入が数週間遅れることになった。ランシェット君だ」
「ルルティス=ランシェットと申します。憧れのジグラード学院に通えることになってずっと楽しみにしていました」
 元より奇人変人大集合と呼ばれているこのクラスにおいては、謎めいた転校生もどこ吹く風。そもそも始業式に学年成績二位の生徒が欠席、そのまま休学届を出してしまったクラスだ。一人人数が増えるなら丁度良い。
 その休学中の生徒、アリスト=レーヌがもしもこの場にいたのなら、この転校生に対する反応も少しは違ったものになっただろう。
「どうか皆さん、よろしくお願いします」
 愛想の良い笑顔を浮かべながら、眼鏡の奥の瞳が冷たく嘲る。
 その転校生の顔立ちは、“赤騎士”のコードネームを持つ暗殺者に瓜二つだった――。

第1章 了.

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