Pinky Promise 030

第2章 歪む鏡の向こう側

5.ダイナの翻弄 030

 ミラーズ遺跡。通称鏡遺跡と地元住民に呼ばれるその遺跡は、エメラルドが帝都と定められた頃より開かれた観光スポットの一つである。
 ディアマンディ帝国の首都エメラルドは、その面積に中程度の国が一つ収まってしまう程に広大だ。この都市の中で手に入らぬ物はないと謳われる都だけあって、美術館や 水族館に遊園地、景勝地や行楽地等にも事欠かない。
 鏡遺跡は一般公開されている。緑豊かな公園の真ん中に砂岩で作られた壮麗な神殿があり、自由に見学できるようになっている。
 敷地内には遺跡の歴史や発掘品などの関連物を収めた博物館も併設されており、こちらは入館料を払って入ることができた。
 今まで鏡遺跡として認識されていたのは上部の二階建ての神殿部分だけだった。しかし今回、地下階層が発見されて事情が変わったらしい。
 本来なら遺跡を破壊するような行為は慎まれるべきだが、地下の発掘を兼ねて今は人を入れているという。一般的な観光客や学術的興味を持つ考古学者から、それこそ財宝目当てにやってきたトレジャーハンターまで。
 管理者のいる観光地でもある遺跡でこの扱いは珍しいが、それが遺跡の所有者の意向らしい。
 そんな遺跡の入り口で、彼らはお互いに思いがけない出会いを果たした。
「あれ? ヴァイス先生?」
「マルティウス? シュラーフェンにマギラスにターイルと……いつもの面子だな」
 フート、ムース、ギネカ、レントのジグラード学院高等部生四人と、講師であるヴァイスに率いられたアリスたち小等部の子どもたちの集団。そして少年探偵が一人。
 ほとんどが気安い顔見知り同士とはいえ、遺跡の前で出くわすにはお互いに異色の集団と言える。
「何故花の高等部生がこんな休日に遺跡探索を?」
「何故ジグラード学院の講師と子どもたちがこんな休日に遺跡探索を……って」
「……」
 高等部生たちと子どもたちのこれ見よがしなリュックサックと服装を見比べて、どうやら目的は同じらしいと彼らは理解する。
「なるほど、先生たちもお宝探しですか」
「こいつらはな。私たちはまた別の用件だ」
「別?」
 カナールたち子ども衆はお宝探しをする気満々だが、ヴァイスはヴェルムと共に「幽霊退治」に付き合わねばならない。
「へぇ……! じゃあそちらが有名な名探偵さん?」
「生名探偵ですね!」
「なまって……」
 きゃいきゃいと盛り上がる高等部生たちを前に、ヴェルムはそつなく笑顔を作りながら内心では冷や汗をかいていた。
 フートたち四人はヴァイスの生徒……そして「アリスト=レーヌ」の同級生である。前回アリストに変装して彼の不在を誤魔化すためにその友人たちを欺いたヴェルムとしては、やりづらいことこの上ない。
「……」
 当事者でありその場にも居合わせ、なおかつヴェルム側の事情も察しているアリスト本人ことアリスとしても、探偵の内心を慮ると言葉が出て来ない。
「……」
 そして高等部生たちの方の反応としても、一人、他の三人とは違うきつい眼差しを向けてくる人物がいる。ヴェルムがアリストの振りをして現れた時から疑念を露わにしていたギネカだ。
 どうしてヴェルムの変装がすぐにバレたのかはわからないが、「偽アリスト」に対し、彼女はあからさまに疑いを抱いていた。
「俺たちジグラード学院の生徒でヴァイス先生にいつもお世話になっています!」
「いつもヴァイスからお話を伺っています……こんなやりとりは堅苦しいですよね。同い年らしいので、どうぞ普通にしててください。俺も普通に喋るので」
「おう! じゃ、よろしくな! 探偵さん」
「エールーカ探偵に会えるなんて。みんなに自慢したいところですけど」
「この状況で私たちが連絡を入れる友人なんてエラフィぐらいだろうから、『その顔は飽きる程見てる』としか返って来ないでしょうね」
「そういえば、皆さんはエラフィの友人でしたっけ。いつもあのマイペース傍若無人女がお世話になってます……」
「……今初めて、エールーカ探偵とエラフィが幼馴染だってことを実感した」
 自分から敬語などいらないと言った癖に、エラフィの話題を出す時は何故か敬語になるヴェルム。そう言えばあの時、さすがに幼馴染の目は誤魔化せずエラフィにはすぐに「偽アリスト」の変装がバレたのだった。
「それで、探偵さんがどうしてここに?」
 お互いに簡単な自己紹介を入れるのは、ヴェルムと高等部生たちも、高等部生たちとアリスの友人である小等部生たちも同じだ。
 ヴェルムが依頼を受けてヴァイスと共に幽霊退治をしなければならないことと、子どもたちはここまでは一緒についてきたが、遺跡の中では別行動でお宝探しをすることを改めて説明する。
「へぇ、おちびちゃんたちもお宝探しに来たんだ」
「うん!」
「きんぎんざいほうをざっくざく見つけるんだぞ!」
 財宝の話題で和気藹々と盛り上がる高等部と小等部の生徒たちを見比べて、ヴァイスが口を開く。
「そうだお前ら、どうせ目的が同じなら、こいつらの面倒を頼んでいいか?」
「いいですよ」
 アリスたち小等部の面々は思わぬところで保護者を得て、遺跡探検と宝探しを開始する。
「いいのか? いくら高等部生とは言え、七人もの子どもの面倒を見させて」
「なに、そのうち二人はアリスとシャトンだ。二人がいるから保護者がいなくてもなんとか なるだろうと思っていたくらいだ。そうそう面倒も起きるまい」
 ヴァイスとヴェルムはひとまず自分たちの用件を片づけようと、依頼人である遺跡の管理人たちのもとへ向かった。

 ◆◆◆◆◆

高等部生四人と小等部生七人は、早くもお宝探しに取り掛かる。
「そういえばフート、幽霊はいいの?」
「あー、だって探偵さんが調査するんだろ? 変な邪魔とかしたくないし」
 元は宝探し半分、幽霊観察半分で来るつもりだったフートは、ここで目的を宝探しに集中することにしたらしい。確かに本職? の調査の邪魔になるのはよろしくない。
「地下ってどこから入れるんだ?」
「確か、一階の奥の祭壇裏に隠し扉を発見したって特集番組で見たけど」
 アーチ状の入り口をくぐり、一行は神殿の中へ入った。砂岩に精緻な装飾の施された一階の廊下部分を歩き、祭壇が設置されているという最奥の部屋へ向かう。
 立ち並ぶ柱、天上に描かれた絵。ここからすでに別世界にいるようだ。
 しかし、地下への入り口があるという問題の場所はすぐにわかった。発掘のためにすでにスペースが空けられ、黄色いテープでわかりやすく目印がつけられていたのだ。廊下を歩いていた時の幻想的な気分が一気に現実へと立ち返ってくる。
「ここがお宝のある場所……!」
「楽しみですね!」
「中真っ暗だぞ! 懐中電灯持ってきて良かったな!」
 子どもたちはすぐに気を取り直し、未知の場所を冒険する喜びで盛り上がり始めた。
 地下への隠し扉は大人が一人通れるぐらいの大きさだった。下り階段の奥の方は地下の闇に呑みこまれている。
「俺たちがお宝発見一番乗りするぞ!」
「残念だけどそれは無理かもしれないわよ」
 腕を振り上げてやる気を出すネスルに、シャトンが冷静に突っ込んだ。
「なんでだよ」
「ほら、あれ」
 階段下の闇の中にぽつんと火の色が灯っている。
「あ、灯りが見えます!」
「先客がいるみたいだね」
 テレビで特集もされ、考古学者やトレジャーハンターが日常的に訪れる場と化しているのだから当然かもしれない。
 一行は足を踏み外さぬよう慎重に階段を降りていった。
「だからー、たぶんこの辺に」
「そんなこと言ったって全然見つからないし」
「そろそろ電灯をかざす手が疲れて来たんだが」
「も少しですんで頑張ってくださいって!」
 先に地下へ降りていた先客たちの声がだんだんはっきりと聞こえてくる。
「んー、おかしいなぁ、この辺のはず……あ、あった!」
 まだ若い少年の声だ。さすがにアリスたちのような子どもではないが、大人になりかけの高等部のフートたちより幾らか若い。中学生ぐらいだろうか。
 少年の声が嬉しげに響いた途端、遺跡内にまるで教室の蛍光灯のスイッチを入れた時のようにぱっと明かりがつく。
 目を焼く眩しさを数瞬堪えてから辺りを見回すと、地下室の広さが明らかになった。三方は絵と装飾が施された壁で、正面は広い通路に繋がっている。
「あ、明るくなりました!」
「すっげぇ! ここ電気ついてるのか!」
「そんなわけ……」
 部屋が明るくなったこととこちらが騒がしくしたことで、向こうもこちらに気づいた。高等部生と小等部生の集団に目を瞬かせている。
「む?」
「あれ。なんかちっこいのがわらわらと来たね」
 とはいえ遺跡探索者という意味で言うなら、相手も似たり寄ったりなそぐわなさだ。高校生らしき年齢の少年が一人、後の二人は中学生だろうか。全体的に線が細くて綺麗な顔立ちの少年三人組だ。
「君たちもお宝探し?」
 先程灯りを探していたらしい、澄んだ高い声の金髪少年に問われ、子どもたちが元気よく頷いた。
「うん、そうだよ! お兄さんたちも?」
「ああ。俺たちはトレジャーハンターなんだ」
「トレジャーハンター?」
 三人の中では一番年上らしい、銀髪の少年が言った。彼はフートたちと同じくらいの年齢に見える。
「その歳でですか!」
「お兄さんたち、高等部生だよね?」
「こうとうぶせい……ああ、高校生のことか。 その言い方だと、君たちはジグラード学院の生徒なんだね? うん、俺たちは年齢で言うなら中学生と高校生、ジグラード流に言うなら中等部生と高等部生の年齢だよ。学校には通ってないけど」
「学校行ってないの?」
「え、でも高校生はともかく、中学生って義務教育ですよね?」
「ああ、いやぁその……」
 金髪と銀髪の少年は、うっかり失言をしたという表情で視線を交わす。どうやら何か訳有りのようだが、子どもたちに突っ込まれているところを見ると案外迂闊らしい。
「まーまー、人にはいろいろ事情があるもんだし」
「トレジャーハンターってことは、この国出身じゃない可能性もあるから一概に義務教育がどうとか言えないわね」
 高等部生組がそう注釈をいれる。
「そ、そうなんだ。実は俺たち三人共この大陸の出身じゃなくて」
「えーと、青の大陸と黄の大陸から来てるんだ、って言ってわかる?」
「あんな遠くから来てるんですか?!」
「世界中を旅して回ってるんだよ」
「すごーい」
「……行かなくていいのか?」
 話の区切りを見計らって、これまで口を開かなかった最後の一人が他二人を促した。
 淡紅色の髪をした、少女や妖精を思わせる可憐な美貌の少年だ。
「そうですね、行きましょうか」
「手強いライバルさんたちが現れてしまったことですしね」
 お先に失礼、と。三人組のトレジャーハンターだという少年たちは遺跡の通路奥へ消えていく。
「……ねぇ、アリス。あの人たち、何か感じない?」
「へ? 何かって? 変な奴らだなぁとは思うけど」
 淡紅色の髪の少年は、三人の中では真ん中か一番年下くらいに見えた。
 けれど彼と同じくらいの年齢の金髪の少年はともかく、明らかに年上の銀髪の少年まで敬語を使っていたのが解せない。一体どういう関係なのだろう。
 こそこそと二人で話していたアリスとシャトンに、フートがひょいと上から割り込んでくる。
「お嬢ちゃんも何か感じたんだ? 俺もあの人たち、何か変だなって思ったよ」
「え? フート……お兄さんも?」
 シャトンだけではなく、フートも彼らに何か響くものがあったらしい。
訝る三人を、テラスが促す。
「ねぇ、それは後にしてさ、僕たちも行こうよ」
「そうだな」
 上層とは違い飾り気のない石壁が続く通路。どこかから吹いてくる風の音が、おいでおいでと彼らを呼んでいる……。

 ◆◆◆◆◆

 ミラーズ遺跡の外観は壮麗な神殿の形をしている。
 建物の外には広い湖沼があり、その透き通った水面には無数の青い睡蓮が浮かんでいた。
 晴れた風の穏やかな日には水面が鏡のように、神殿の姿を花の群れの中に美しく映し込む。
 神に祈りを捧げる古代の祈祷所。だがその事実は今、多くの人間に忘れ去られてただの観光名所となっている。
 もしも古代の信心深い人々がこの遺跡の現状を知ったら卒倒していたかもしれない。
 青い睡蓮は神々への反逆者たる創造の魔術師・辰砂と、彼が崇める背徳神グラスヴェリアの花だ。
 そもそも青い睡蓮は本来熱帯の植物だった。四季の訪れる温帯気候の帝都で育てることは難しい。
 ではここに存在する青い睡蓮は熱帯種から耐寒性に改良されたものか?
 帝都ができる遥か昔から存在する神殿遺跡。その目前の沼に季節を問わず咲き誇っている青い睡蓮。透き通った水の下の泥の中には何が埋まっているのか。
 花は何も知らずに咲く。
 邪神の花とされた青い睡蓮は、そんなこと知らぬげに今日も美しく咲き誇っている。