Pinky Promise 050

第3章 歯車の狂うお茶会

9.帽子屋の仮面 050

 ヴァイス=ルイツァーリ宅。白兎との因縁から現在世話になっている講師の家で、アリスはドキドキとギネカの訪問を待っていた。
「視てきたわよ」
「!」
 訪れた友人は開口一番そう告げる。
「ダイナ先生に触るとか、歴戦の痴漢並の上級テクニックを要される難ミッションだったわ」
「痴漢テクニックって……。あなた、そんなもの持ってるの?」
 シャトンとギネカはほとんど面識がないのだが、思わず突っ込んでしまうくらいにはギネカの発言は問題だった。ギネカはやりきった顔をしている。何かを。
「そんなことはどうでもいいから結果教えてくれ!」
 前回の遺跡探索の際、ひょんなことからアリスの正体がギネカにばれてしまった。真実を知ったギネカは逆に彼女自身の能力をアリスに教え、彼が元に戻るための方法を探す仲間として手を貸すと約束したのだ。
 ギネカの接触感応能力を知ったアリスがした頼み事は、姉のダイナに関することだった。
 弟の失踪に不審を抱いているダイナがどこまで真相に気づいているかの確認だ。 一度はヴェルムに変装して誤魔化してもらったが、ダイナ相手に通用するかは定かではない。
 友人のギネカに見破れたのだから、ダイナが気づいていてもおかしくはないというわけだ。
 そして今日の日中、学院内でさりげなくギネカがダイナと接触してその内心を確認したところ――。
「ダイナ先生、まだあなたのことに完全には気付いてないみたい」
「へ?」
 てっきりダイナのことだから、アリスのことも全て知った上で自由にやらせているのではないかと疑っていた。だが。
「完全には、ということは部分的には気付かれているの?」
 驚きで一瞬言葉を失ったアリスに代わり、シャトンが大事なポイントを逐一確認していく。ギネカももはやすでに彼女の中身が同い年と知っているためか、気にせずさくさく報告していった。
「ええ。エールーカ探偵の変装は見破られているわね」
 元よりギネカはそれを知っていた。ギネカ自身も偽アリストの挙動に違和感を持ち、接触感応能力を使ってそれが探偵ヴェルムの変装であることを確認したのだ。
 それをダイナに相談しようとしたところ、意味深な反応で返された。少なくとも変装のことはあの時点でダイナにもすでに気づかれていたというわけだ。
「でも、アリストが”アリスちゃん“であることは気付いてなかったわ」
「ちゃんとか言うな」
 アリストとの類似性に気づかれないよう、目上の人間の前では少しばかり大人しく振る舞っているため、女顔と相まって少女に間違われる。それが最近のアリスのパターンだった。
 ちなみに元のアリストと面識がないため素で接している小等部の同級生たちからは、アリスは大人の前では「ぶりっこ」をすると大変不評である。
「まぁ、良かったじゃない。これであなたのお姉さんに危険が及ぶ可能性は減ったのよ。身内でそれなら、お友達も十分セーフでしょう」
 実に子どもらしくない優雅な仕草でカップを傾け、シャトンはそう言う。アリスとギネカは揃って複雑な表情を浮かべた。
「でも……なんとかした方がいいわよね、これ」
「ああ。ヴェルムにも迷惑をかけそうだしな」
 アリスは自分もお茶を飲んで一息つきながら、空いた席を何とはなしに眺めてしまう。
 ヴァイスの頼みによって一面識もないアリスト=レーヌに変装して不在を誤魔化してくれた探偵はここ数日、この家に訪れていない。
 顔馴染みの警部から、どうやら難事件解決への協力を要請されて忙しいらしい。
 だからダイナと顔を合わせる機会もなくて済んでいるが、この家に頻繁に顔を出す以上いつまでも会わないわけには行かないだろう。
 そしてもちろんヴェルムだけではなく何より自分自身のために、アリスはダイナをなんとか誤魔化さねばならない。
「気が重いなぁ」
 また姉を騙さねばならないのかと、アリスの表情が歪む。
「電話はしているんでしょ?」
「ああ、変声装置って言うの? ヴァイスが声を変える機械を作ってくれた」
 普段から作る意味も用途もわからないと周囲からぼろくそに言われるような魔導工学品を発明するのが趣味のヴァイスが、ちゃちゃっと数時間程度で作り上げた品である。
 この発明力をむしろ何故普段から作る物に活かさない……と、アリスとシャトンが無言になるほど良い出来栄えだ。
 元のアリストの声を再現するだけなら缶バッジ程度の大きさの装置で十分だと、アリスが今も身に着けているバッジの中にそれは組み込まれている。
「でも、こう言うのは今のアリストには酷かも知れないけれど……ダイナ先生も安心するためには、一目でも顔を見たいでしょうね」
 ギネカは自分自身がアリストの安否不明でやきもきしていた時間を思い出してそう言った。普段幼馴染以外には隠している接触感応能力をフル活用し、その秘密を打ち明けてでもアリストを見つけたかった。
 ダイナもそうでないとどうして言える。血の繋がった姉弟ではないが、彼女は紛れもなく彼の姉なのだ。
「うん……姉さんには……本当に悪いと思っている」
「あ、べ、別に責めている訳じゃないのよ! ただ、何かいい方法がないかなーって。等身大の立体映像とか!」
「いやさすがにそれは……」
 至近距離で映像と気づかれない程質感の伴った投影ができるはずもないし、光によって空中に映し出される像など、一歩間違えれば幽霊のようだ。
「ふむ。映像、ね」
 しかし、そこで意外な反応を見せたのはシャトンだった。
「「へ」」
「リアルな立体映像で子どもの姿を覆えば――いえ、駄目ね。そうすると移動の度に調整しなきゃいけない術式が……でも遠方から映像だけ照射するのなら魔導でなくとも同じだし……」
 驚くアリスとギネカを置いてけぼりに、彼女は頭の中で新しい術式の組み立てを構想しては検証するのを繰り返す。
「あの……シャトン?」
 アリスが恐る恐る名を呼ぶと、ハッと我に帰った少女は続いて、深く溜息をついた。
「悪いけど、行き詰ってるのよ。あなたの姿を戻す術式」
「へー。どんなふうに?」
「あ、馬鹿」
「つまり」
 アリスはうっかり忘れていた。魔導バカに魔導を語らせると長いということを。
 巻き込まれたギネカ共々、長々とシャトンの術式構想を聞かされる羽目になる。
「……と、言う訳で、これ以上は発想そのものを変えなければいけないようね」
「お、おう」
「何かいい案があったらちょうだい」
「うん」
 ぐったりした二人の様子にも構わず、シャトンは話を締めくくる。
 確かにアリストが一時的にでも元の姿に戻れるような禁術を構築するのは急務だが、アリスたちがここで適当な提案をしたところで即座に結果に繋がるとは思えない……。
 アリスト復活への道のりは酷く長そうだ。
「それじゃ、私は今日は帰るわね」
 話に一区切りがついたところで、ギネカが言い出した。もう窓の外も大分赤く染まっている。
 アリスが手を挙げた。
「あ、待って。下まで送るよ」
「……その姿で?」
「いいだろ別に」

 ◆◆◆◆◆

「あの人、悪い奴ではないみたいね」
「シャトン? ああ、まぁ」
 マンションの下まで降りて、ギネカの方から話を切り出した。
 先程まで顔を合わせていた少女、今は七歳の子どもの姿をしているが、本当はギネカやアリストと同じ十七歳だと言う、コードネーム“チェシャ猫”ことシャトン=フェーレースについて。
 確か物語の『アリス』は七歳の少女だったか。ふわりとした淡い色の髪を持つ愛らしい容姿の少女は、外見だけなら「アリス」という言葉にぴったりの、人形のようなお姫様だ。
 ただしその中身は生真面目かつ魔導バカで、世間知らずの悲観主義者。とはいえいつもはそこまで暗い面を押し出すのではなく、軽い冗談やからかいをよく口にするという。
「なんだかんだあったけど、素性の割に情が強くて真面目ないい奴だよ」
 シャトンと一緒にいることにもすでに慣れたアリスは、軽くそう言う。シャトンの一般人にはない独特の視点からの物言いも大分馴染んできたところだ。
 自身もジグラード学院という、外から見れば人外魔境にしか見えないと評判の学院内で更に魔導学などを修めているアリスからすれば、話が通じやすいシャトンは気楽に付き合える部類だ。
「……」
 ギネカが意味ありげに沈黙してみせる。心なしか目付きが据わっているように見えるのは気のせいだろうか。
「どうしたんだ?」
「いえ、何も。……姿が変わってもあなたが楽しそうに暮らしてて良かったわねって話よ」
「は? ありがとう……?」
 皮肉なのか単に心配されたのか微妙にわからないと、アリスは適当な礼を言う。
「でも早く元の姿に戻ってもらうから」
 続いて宣告された言葉はやけに力強かった。下手をすると、元の体を取り戻したい本人であるアリス以上に気合が入ってそうな物言いだ。
「うん、俺も早くそうしたいけど。……どうかしたのか?」
「なんでもない」
 ギネカは、深いため息をつきながら首を横に振った。