第3章 歯車の狂うお茶会
9.帽子屋の仮面 051
「ねぇ、見た?! この前のマッドハッターの犯行中継!」
「おー、見たぜ」
「俺も」
ジグラード学院の昼休み、たまたま前の授業が早く終わったのをこれ幸いにと、フートたちは食堂の一角を占拠していた。
高等部組はフート、ムース、ギネカにレント、そしてエラフィとヴェイツェの六人が揃っている。そしてフートたちとはこの前の遺跡探索で仲が良くなった小等部生たち――アリス、シャトン、カナール、ローロ、ネスル、テラスにフォリーの七名が集まっていた。総勢十三名の大所帯だ。
「マッドハッターって、帝都で有名な泥棒ですよね!」
「お、ローロ君。君ももしかしてマッドハッターファンかい?」
「はい! どうやったらあんな凄いことができるんだろうって、いつも不思議に思いながら見ているんです!」
「へー」
子どもたちの中では真っ先に話題に食いついたローロにフートが話しかける。ローロは目を輝かせて、先日の怪人の犯行について話しかけた。
「ビルの屋上から屋上に飛び移るあの身体能力! 一体どういう仕掛けなんでしょう?!」
「ただ跳び移っただけだろ」
「……へ?」
ローロの興奮に、アリスが弁当を食べながら冷たく水を差す。
「マッドハッターの身体能力は確かに凄いけど、あれぐらいならあくまで人間業の範疇だ。体操選手とかスタントマンとかサーカス団員とか、あれぐらいできる奴はざらにいるだろ」
場が静まり返り、一同は思わず無言になる。
ローロは目が点だ。
「言われてみれば……多分この学院でも高等部の体育上位成績陣になると、あれぐらいできそうですよね。ギネカさんとかできるんじゃありません?」
ムースが話題をギネカに振る。ギネカもごく自然に頷いた。
「できると思うわよ。この前のあれぐらいならね」
「えー! ギネカ姉ちゃんマッドハッターなのか?!」
「違うわよ、おバカ……あれぐらいできる人間は普通にいるでしょって話よ」
ネスルの勘違いを、シャトンが横から訂正する。
「私にできるんだから当然、フートやアリストもできそうよね」
「おー、言われてみれば。……うん、できると思うぜ! 別に怪盗でもなきゃ夜の屋上から屋上へ飛び移る必要性もないけどな……」
「まぁ、そうよね」
種も仕掛けもありません、とギネカは腕を仰向けに広げて肩を竦める。
「でも、あのトリックは見事でしたよね! たくさんの花弁が空にひらひら~って」
「あんなもん、最初から花弁を仕込んだビニール袋でも上空に仕込んで飛び道具で破裂させればなんとでもなるだろ」
なんとか空気を戻そうとしたローロに、再びアリスが水を差す。
「……」
「まぁ、飛び道具なんかなくても、少し離れた場所から紐を引っ張れば袋が開く仕組みにすればいいわよね」
シャトンもついつい釣られて追撃をかます。
「いずれ警察が解明してどこかで発表するんじゃない?」
「ま、時すでに遅しだけどな」
その時の犯行の仕組みが後でわかったところで、マッドハッターを捕まえることはできない。
最新の科学捜査を一体どうやってすり抜けるものか、怪人は証拠を残さないことで有名だ。
ローロは、健気にもう一度話題を振った。
「そ、それでも! マッドハッターの犯行は大胆不敵で華麗ですよね! まるで犯行現場を自分のステージみたいに、あれこれ演出して……! ね!」
「そうだね。本当に腹が立つよ。地獄に落ちろ」
「……テラスくん?」
今度の発言はアリスではない。これまで大人しく弁当を食べていたテラスだ。
意外な人物の意外な反応に、一同は再び目を点にした。
「え、ど、どうしたのテラス君? マッドハッター嫌い?」
フートが何故か焦ったように、テラスへ尋ねる。
「嫌いというか、マッドハッターのせいでお父さんが悪く言われるのがイヤだよ」
「そういえば……テラス君の父親って」
先日聞き知ったばかりの事実を思い出して、シャトンがテラスに問いかける。
「うん。この前探偵のお兄さんにも説明したけどね。コルウス=モンストルム――怪人マッドハッター専任の警部だよ」
テラスのフルネームは、テラス=モンストルムである。フォリーがもぐもぐと頬を膨らませながら一言添える。
「おじさん、この前もまたテレビに出てた」
「出てたね。今日こそマッドハッターを捕まえるって」
「テラスくんのお父さんいつも同じ服で同じこと言ってるから、カナあれ録画なのかと思っちゃったよ!」
「俺もー」
「実は僕も」
カナール、ネスル、ローロの無邪気な子どもたち三人が、今度はテラスに追い打ちをかけた。
「がーん」
「って言う割にショック受けた様子じゃないよねテラス」
「まぁ、いつものことだからね」
アリスの指摘に、付き合い程度に擬音を口にした少年は歳に似合わぬクールな溜息をついた。
「ま、そんな訳だから僕は『マッドハッターを一日も早く捕まえ隊』ね。現場に行ったらお父さんの応援をするから」
テラスがこの調子なので、その日の昼はこれ以上マッドハッターの話題が出ることなく会話終了した。
◆◆◆◆◆
昼休みが終了して子どもたちがいなくなる。
高等部生組は次の授業も休講なので人の少なくなった食堂に残った。
「じゃ、俺はヴァイス先生に呼ばれてるから」
「おー、頑張れよ学年首席」
「ちっ、今までこういうのはアリストの役目だったのに……」
「これまでアリストに任せっぱなしだったツケが来ただけでしょ。しっかりやってきなさい」
「こんだけいるなら誰か一人くらい手伝いについてきてくれねーのかよ」
「「「「嫌」」」」」
「ひでぇ!」
フートだけがヴァイスの用事で席を外す。食堂を出て後ろ姿も見えなくなった。
その瞬間、彼らはざっと一斉に食堂の机に伏せると、顔を突き合わせて話し始める。
「ねぇ、どう思います! 皆さん!」
口火を切ったのはムースだ。このメンバーの中でも、普段から比較的大人し目の彼女にしては珍しい。
「惚れてるな」
「ぞっこんね」
「あいつマッドハッターファンだから嫌いって言われて何気に落ち込んでたな」
「そう、やっぱり皆さんにもそう見えるんですね」
ムースが溜息をつく。
「しかしまさかなぁ……」
「あのフートがねぇ」
「小等部生の男の子に……」
「惚れちゃうなんてね!」
レントが溜息をつき、ギネカが食堂の出口を一瞥し、ヴェイツェが顔を曇らせ、エラフィが笑いながら言った。
話題はフートの恋のことだった。しかし相手が問題だ。
この大陸中の叡智集うジグラード学院高等部にて圧倒的な実力で首席を独走する天才児フート=マルティウスの恋の相手は、なんと同小等部一年の男子生徒――テラス=モンストルム少年なのである。
「どこから突っ込みを入れればいいの? 年齢? 男同士? 歳の差?」
「歳の差はあと十年もすれば気にならなくなるだろう。逆に言えばそれ以外の要素は十年経っても全滅だけど」
ヴェイツェの指摘は的確故に割と酷い。
「いやいやほら、別に今のところ何をどうしたってわけでもないし」
「七歳児相手に何をどうしたら、フートじゃなくても犯罪だっての。だからムースが泡を食って私らに相談して来たんじゃん。そうよね」
「その通りです、エラフィさん」
フートの幼馴染、ムース=シュラーフェンは重々しく頷いた。
「と言ってもねぇ……恋愛は自由なものだし」
「何? ギネカ、あんたも幼児性愛者のお仲間入りしちゃったわけ?」
中立的な意見を口にしたつもりのギネカだったが、エラフィにここぞとばかりにからかわれる。
「そういや今日とか結構あのぷちアリスト君と仲良かったけど、あんたまさか本気でアリストからあの子に乗り換え狙ってるんじゃ……」
「そんなわけないでしょ! エラフィとヴェイツェはいなかったけど、私たち四人は前回の遺跡探索であの子たちと仲良くなっただけよ!」
いきなりペドフィリア扱いされたギネカが、猛烈な勢いで反論する。その様子から先日のことを思い返し、ムースがぽんと手を打つ。
「そう言えばアリス君、強盗の弾丸からギネカさんを庇ってましたね」
「え、何それ。すご……将来有望じゃん」
銃弾って、あの銃弾? とエラフィが目を丸くする。魔導防御の盾を張って実銃の攻撃を防げるほどの使い手となると、高等部の魔導学を修めている人間でさえ一握りしかいない。
「まぁ、あの子だけじゃなく、シャトンちゃんやテラス君も凄かったんだけどさ」
レントもうんうんと頷いた。もしかしてこの子たち俺より凄い? などと密かに落ち込んでいることは秘密である。レントは魔導に関しては、せいぜい素人よりはマシ程度の普通の成績だ。
一度ずれかけた話を、ムースが自分で戻す。
「ギネカさんとアリス君に関してはこの際おいておきます。それこそ十年待てばいいだけの話ですので。でもフートとテラス君の場合はやはり、私も幼馴染として放っておくわけには……!!」
「……フートってショタコンなの?」
「今までそんな気配ないと思ってたんだけど……」
ムースのあまりの真剣さに、冗談を通り越して思わず真顔になったエラフィがギネカに尋ねる。が、当然ギネカも友人男子の性的指向も性的嗜好も知るはずがない。
「そんな性癖があると聞いたことはありませんし、私が知る限りこの十七年間、あいつが小さな子に好きだのなんだの大真面目に言っている場面も見かけたことはありません」
「――でもテラス君に関しては本気なんだ?」
ヴェイツェが核心に触れる問いかけをする。
その言葉を切欠に、最短でもここ一年程の付き合いがあるフート=マルティウスの友人連は口ぐちに言いたいことを言い始めた。これまでも大分言いたいことを言ってきた者もいるが。
「私、てっきりフートはムースが好きなんだと思ってたわ」
「幼稚園児の戯言並みには。でも私、他に好きな人がいますから」
ギネカが溜息と共に吐き出せば、フートの幼馴染は、あっさりばっさりとその前提を、自分の気持ちを起点に否定する。
「何そのいきなりカミングアウト、むしろ私そっちの話聞きたいんだけど」
「それはともかく!」
「誤魔化した!」
ムースに好きな人がいるという話自体が初耳だと、エラフィが好奇心に瞳を輝かせる。だがその話題にあまり触れてほしくないムースは、少々どころか大分強引に話をフートのことへと戻した。
「フートが人として道を間違えないように、皆さんにもできるだけ見張っていて欲しいんです!」
「具体的には?」
「フートとテラス君を二人きりにしないでください。いくらなんでも七歳児じゃ十七歳に手を出されたら抵抗できません!」
「あの……ムース? あんた幼馴染を何だと思ってるの?」
「ショタコンホモの性犯罪者予備軍扱い……」
あまりと言えばあまりの対応に、ムースの勢いに押されながらも突っ込まずにはいられない友人たちだ。
「まぁ、あいつらを特に二人きりにしなきゃいけない理由もないし、どうせ動くときは向こうもお友達連れだろ」
「普通に見てればいいか、普通に」
話は何とか終わり、一同はフートがヴァイスの用事を片づけて戻ってくるまで自習課題に手を付けることになった。
ちなみにギネカは、後でこっそりアリスことアリストにだけは相談しようと考えていたりする。