第3章 歯車の狂うお茶会
9.帽子屋の仮面 052
「フートがテラスにぃ?! え、あいつ、いつから青少年保護育成条例違反してんの? 通報していい?」
フートはアリストにとって大事な友人だが、それはアリスにとってのテラスも同じである。最悪の事態になった場合、法律に則った判断を下さねばなるまい。
「いえ、まだそこまでは行ってないらしいんだけど」
「どうりで何か態度が変だと」
「気づいてたのか?! シャトン!」
「うすうす。なんとなくは。――ねぇ、ちょっと白騎士、子供用の防犯グッズ作ってくれない? 魔導の名手も一撃撃退できるような奴」
「お前らマルティウスを何だと思ってるんだ?」
フートに対してまったく信用のない会話に、ヴァイスが呆れて突っ込む。
ギネカはルイツァーリ宅を訪れたついでに昼間の会話をアリスたちに聞かせていた。
もちろん高等部生組でフートの動向もそれとなく見張るつもりではあるが、テラスと近しい小等部のアリスやシャトンにも気にかけていてもらえればこれ程心強いことはない。
「というかマギラス、お前そんな話をしに来たのか?」
「違います。っていうか、あなた方が呼んだんでしょうが」
もちろん、ギネカもこんな話が目的でこの家を訪れた訳ではない。
本来のお題は、睡蓮教団への接触方法だ。
アリスたちは一度気を引き締めて、作戦会議を始める。
「まぁ、今は接触の手がかりへの接触方法を探す段階だな。組織幹部がごく普通に街中を歩いているとは思えんし、そうだとしても私たちにそれを判別する情報はない」
睡蓮教団の人間を見分ける手がかりだが、彼らの手持ちの情報は今のところ『不思議の国のアリス』にちなんだコードネームの存在くらいだ。それも、睡蓮教団の関係者だけではなく、彼らへの対抗者であるアリスたち自身をも含む微妙な判別方法だ。
つまり、外見で教団の関係者を見抜く手段がアリスたちにはないのである。
普通に考えて、怪しい組織の人間がそのまま怪しい格好で街中を歩いているわけはない。それはただの怪しい人である。
「……でも、白兎と赤騎士はお前らこれから舞台に出演でもすんの? って格好していたような……」
一番に出会った刺客が例外中の例外である。まったく役に立たない先例を持ちだして、アリスは眉間に皺を寄せた。
「まぁ、彼らは割と特別な立ち位置だから。如何にもそれっぽい恰好をするのは威嚇の意味もあるのよ」
白兎や赤騎士と面識があり、彼らの教団内での立場もある程度理解しているシャトンが言葉を添える。
しかし何気ないやりとりは、ヴァイスの発言によって一度途切れ、しん、と部屋の中に沈黙が降りた。
「どうせ相手を殺せば返り血のついた服を着替える必要があるしな。対面相手が殺しの標的だけなら服装に意味はないんだろう」
改めてアリスは、あんな奴らと渡り合ってよく生き残れたものだ。生憎と大分縮んでしまい、十七歳の高校生としては無事ではないのだが。
「シャトンは、組織の構成員の情報はないのか?」
「……ごめんなさい。私はどちらかと言えば特殊な開発部門の人間だから、組織の核心で動いている裏部門の人間は詳しくないのよ」
シャトンの任された禁呪の開発は、中身を知らなければただの魔導の研究だ。
けれどその内容自体は睡蓮教団の目的である「神の復活」そのものに関わるため、彼女は表裏どちらともつかぬ中途半端な存在となっているらしい。
「私が知っている辺りの情報は、さっさと整理されてしまったようだしね」
すでに帝都でシャトンの知る、禁呪の開発に関わっていた研究機関や工場が次々と謎の事故を起こしている。炎の海から焼け残ったものに大した情報はあるまい。
「ってことは……」
ギネカが瞳に強い決意を宿し、改めて口を開く。
「やっぱり教団の尻尾を掴むためには、コードネームを追って行かねばならないってことね」
「そうなるわね」
「なるな」
「じゃあ、こんなのはどう?」
彼女は携帯でネットブラウザを開き、あるニュースを表示する。
三人はそれを覗き込んだ。アリスがニュースのタイトルを読み上げる。
「“怪人、再び! マッドハッターの次の獲物は――?!”これって……」
「そう、帝都の二大怪盗の一人、マッドハッターの次の予告状よ」
「へぇ、もう次の予告状が出ていたのか。今回は随分ペースが速いな」
先日も話題になった、帝都を騒がす大泥棒の一人、怪人マッドハッター。
怪人はすでに次の予告状を出していて、きっとその現場にはまたもや大勢の野次馬が押しかけることが予想されている。
「展覧会の関係かしら。帝都のポピー美術館で、ちょうど今ツィノーバーロート展が開かれているわね」
「そういえば、マッドハッターの獲物はツィノーバーロートの絵が多いな」
かの有名な怪盗の犯行を振り返り、シャトンやヴァイスも思わず顔を見合わせる。
そしてシャトンは顎に指を当て、何事か考え込むように呟きだした。
「なるほど……“イカレ帽子屋”。確かに彼は、『不思議の国のアリス』にちなんだコードネームの持ち主と言えるわね。でも……」
「睡蓮教団の人間ではない。でしょ?」
台詞の先を引き取ったギネカは、シャトンの台詞が読めていたようだ。
「あら、わかっていたの?」
「教団の関係者なら、こんな堂々と自己アピールはしないでしょうから。あなたの話を聞いていると、睡蓮教団はただの狂信者の集まりである宗教団体じゃなくて、目的を持って形成された犯罪組織だわ」
だからそこに所属する者たちも、軽はずみに一般社会にコードネームを晒したりはしないはず。
自らが神に仕える者ではなく、薄汚い欲を満たすために暗躍する罪人だと知っているからこそ、彼らは闇に隠れて動く。
「その犯罪組織の一部、秘密を知る者の証としてのコードネームを名乗るってことは、マッドハッターは教団に対して何らかの事情を抱えているってことか」
確かにギネカの推測に沿って考えれば、コードネームらしき名前を名乗る怪人の存在は不自然だ。アリスは頷き、ギネカに話の続きを促す。
「……敵対者じゃないかと思うの」
「敵対者?」
「ほら、アリストが今その姿で教団を潰して盗まれた時間を取り戻すために色々やっているように、他にも教団の被害を受けて、何らかの形で復讐したい人間がいるんじゃないかしら」
「復讐って……」
アリスは思わず鸚鵡返しに呟いた。
確かにアリスのやろうとしていることは復讐なのかもしれないが、身内を殺されたわけでもあるまいし、なんだか言葉が強すぎると感じた。
「ただの言葉のあやだから、気にしないで。リベンジって軽く言えば良かった? それより」
「そうだな、そういう奴らもいるかもしれん。実際私は十年前に教団とやりあって、今も“白騎士”として奴らにマークされている。マッドハッターも同じ事情だというのは、十分考えられるな」
腕を組んで考え込んでいたヴァイスも深く頷いた。
『アリス』のコードネームに関しては、教団の敵味方両方に使われるものだ。それは属する組織によって決まるのではなく、本人の持つ情報によって決まるもの。
不思議の国の悪夢のような、呪われた神の復活という世界に触れてしまった者だけがその名を得る。
「本当に関係のない可能性もあるけれど」
「けど、今の帝都に存在する怪盗のうち二人が二人とも、『アリス』のコードネームを名乗っているんだよな」
帝都の夜を騒がせる怪盗は二人。一人は“帽子屋”こと怪人マッドハッター。もう一人は“パイ泥棒”こと怪盗ジャック。
「マッドハッターに関してはともかく、ジャックの方は確か五年前に復活した時の予告状がかなり挑戦的なものだったんだっけ?」
「ああ。らしいな」
つい最近も特番か何かで流れた怪盗の情報を思い出して、アリスとヴァイスは顔を見合わせる。
「……怪盗ジャックも教団を追う側なら、その挑発も本来は警察に宛てたものではなく、教団への宣戦布告?」
シャトンが静かに疑問を口にする。
「でも、なんでそんなことする必要があるんだ? わざわざ世間に知らしめたりする必要あるのか?」
「そうでもしないと、教団に接触できないんじゃない? 教団の存在やアジトを知らなければ、乗り込みようがないじゃない」
「あ、そうか」
アリスはぽん、と手のひらを叩いた。目からうろこだ。
いつの間にか考え方がくるりとひっくり返って逆転していた。教団を追いかける自分たちの目線と、怪盗の目線がごちゃまぜになってしまう。でも逆に考えるならば、それは――。
「……ってことはさ、怪盗たちも、俺たちと同じく基本は一般人の観点から睡蓮教団を追ってるってこと?」
「蛇の道は蛇と言うけれど、マッドハッターも怪盗ジャックも、殺しもやる犯罪組織に比べればクリーンな泥棒よ。その可能性はあるわね」
アリスの問いに、ギネカとシャトンも同意を示す。この状況からはそうとしか考えられない。
それだけではなく、ヴァイスは更にもう一歩怪盗たちの事情に踏み込む考えを示して見せた。
「……怪人が教団を追っているのではなく、教団を追うために怪人になった……のではないか?」
「え?」
「そもそもあいつらは何故盗みを働くんだ? 盗んだものをそのまま懐に入れるならばともかく、マッドハッターも怪盗ジャックも、盗品を事件後に返却することが多いだろう。では、奴らの盗みの目的はなんだ?」
スリル? 警察に対する挑戦? 自分の力を誇示したいだけ? あるいは。
「怪盗の犯行には、何か、意味がある……? 盗む方法という過程を曲芸で修飾しながらも、本来の目的はやはり窃盗そのもの。彼らが盗んでいる物は……何?」
「怪盗二人の獲物は多少偏っているけれど、大体似たような感じよね。高価な絵画に美術品、宝石。でもすぐに返してしまう。だったら一体何を収集しているの?」
シャトンが、ギネカが、怪盗たちの思考を追って想像を巡らせる。それを横で聞いていたアリスは、ハッと顔を上げた。
「欠片だ」
「……ッ!!」
シャトンが息を呑む。三人寄れば文殊の知恵と言わんばかりに、誰かが言葉で筋道を立て、それをなぞることで思考が整理されていく。
「欠片?」
「って、まさか」
「ああ」
帝都の夜を駆ける怪盗たちの目的に思い至ったアリスは、もはやそれしかないと断言する。
「怪盗たちが集めているのは――魂の欠片だ」
正解と言わんばかりに、ヴァイスがパチパチと気の抜けた拍手を送った。