Pinky Promise 057

第3章 歯車の狂うお茶会

10.眠り鼠の沈黙 057

 翌日の食堂で、ムースは至って真面目に口を開いた。
「……と言う訳で、あのバカをなんとかしたいと思うんです」
「頼む、ムース。俺たちを巻き込まないでくれ」
 ムースはフートのテラスへの感情について、友人たちに相談する。
 もちろん怪盗稼業のことなどは伏せているが、いい加減フートのテラス君ラブを一人で抑えるのも限界だ。
 レントがげんなりした顔で言い、後の面々も生温い笑顔になった。
「ああ、こんな時にアリスト君がいてくれれば、フートに容赦ない一撃をぶち込んでくれるのに……!」
「ムース……あんたアリストをなんだと思ってんの?」
 エラフィが呆れて突っ込んだ。普段はエラフィの方がアリストに対し辛辣でムースがフォローに入ることが多いというのに、今日は役割が逆である。
「まぁ、そう心配しなくてもさすがにフートはこう……法律に引っかかることはしないでしょ。多分」
「その多分は余計だよギネカ、多分」
 ギネカの台詞に、ヴェイツェが突っ込む。だが微妙に彼も賛同する気持ちを隠しきれていない。
 幼馴染であるフートに関しては、ムースはいくら心配しても足りない状態だ。二人が恋人同士に見えるのは、彼女が異様にフートの無茶を怒ったり心配している場面が見られることが多いからという理由もあるという。
 マッドハッターとしての活動はともかく、テラスに関してはフート自身の実力は当てにならない。むしろ当てにしてはいけないので、ムースがなんとかせねばならない。
彼女は使命感すら抱いていた。
「テラス君も年の割に大人びているし、フートに良いようにあれこれされたりはしないんじゃないかしら?」
「その例えが出るだけですでに相当ヤバいですよね、ギネカさん……」
 確かにテラスは七歳とも思えぬしっかりした少年だが、十七歳相手にそれ程上手く立ち回れるだろうか。
 ……一同はテラスと顔を合わせる度に、まったくもって余裕のない挙動不審な態度をとる同い年の友人と、それを全て理解し、適度に流しつつ適度に包み込むような態度で見守っている七歳の少年のいつもの様子を思い浮かべた。
 あれ? 意外と大丈夫かもしれない。
「ところでムース、フートのアプローチを危惧するなら、あれは放っておいて良かったの?」
「あれって?」
「フートの奴、さっきテラス君と何か話して」
「二人きりで?! どうして止めてくれなかったんですかー!!」
「落ち着けムース!」
 机に身を乗り出して暴れ出そうとするムースをレントが抑え込む。
「いや、子どもたちも一緒だったよ。あっちから用事があって話しかけてきたみたいだ」
「な、なんだそれなら……」
「まぁ、フートの顔はでれでれしっぱなしだったけど」
「やっぱり止めてきます――!!」
 レントの拘束を自力で外したムースは慌ててヴェイツェが目撃した現場に駆けつけて行った。
 女子に力で負けたレントは若干凹みながら自らの席に戻る。
 エラフィがにやにやしながら、教室を飛び出すムースの背中を見送っている。
「ムースってやっぱりフートのこと好きなんじゃないの? 幼馴染関係で恋愛とか良くあるじゃん」
「あ、でもムースは確か、他に好きな人がいるって言ってなかった?」
 先日の話を思い出してギネカが告げると、エラフィはそうだったっけ? と目を丸くする。
「なんというかねぇ……」
「恋愛って難しいねー」
 皆がギネカの方を一斉に見る。
「ちょっと、どういう意味よ!」
 どういう意味も何も、ギネカが今は休学中のアリストにあれほどあからさまな好意を向けておきながら、まったく気づかれていないのは周知の事実である。
「というかこの集団、まともな恋愛してる奴が一人もいねぇ……!!」
 レントの叫びが一言で状況をよく言い表していた。
 世間の陽気は春真っ只中だというのに、彼らの春はまだ遠かった。

 ◆◆◆◆◆

「展覧会のチケット?」
「うん。お父さんからもらったんだ」
 テラスは薄い紙きれを一枚、たまたま廊下で行き合ったフートに差し出す。
「一緒に行ってくれる?」
「おおお俺が?! 俺でいいの?!」
「イヤ?」
「嫌じゃない! 全然嫌じゃないよ! 喜んでお供させていただきます!」
「お供って……」
 テラスの隣に立っていたアリスがげんなりとした顔になる。心なしかシャトンも半眼で胡乱な目付きをしている。
 何故か今日はこの二人から向けられる眼差しが険しいな、とフートは心の中で首を傾げながらも、テラスとの会話に集中する。
「お父さんの今度の仕事先がこの美術館でね。館長がチケットをくれたんだって」
「へー、そうなんだ」
「でもどうせ保護者なしで行っちゃ駄目って言われるから」
「だから俺を……」
「迷惑だった?」
「ううん! いやー俺もこの美術展見たかったんだぁ! すっごい嬉しいなー!」
「嬉しいのはそこじゃないでしょ」
 シャトンがぼそりと零した。やはり心なしか目付きも舌鋒もきつい。
 確かにこの喜びはそれとは違うが、この美術展を見に行きたかったのは本当だ。何故ならテラスの父親――モンストルム警部の次の仕事先はつまり、怪人マッドハッターの次の犯行現場である。
 想い人の父親を欺きながら仕事を行うことに多少の罪悪感を抱きつつ、それでもテラスと一緒に出かけられる喜びは抑えられない。
「じゃあ今度の土曜日、九時に駅前ね」
「わかった! 楽しみにしてるよ」
 約束が無事に取り付けられたところで、フートは友人たちと食事をとるために食堂へと向かう。
「なぁ、テラス」
「あの人何か勘違いしてない?」
 フートの後ろ姿を見送ったアリスとシャトンの二人は、両側からテラスに話しかける。
「ふふふふふ」
 少年は小悪魔の如く可憐に笑った。

 ◆◆◆◆◆

 そして当日。
「えーと、これは……」
「フートお兄さんおはよー!」
「これで全員揃ったか?」
「いえ、まだレントお兄さんとエラフィお姉さんが来てませんよ」
 カナールが無邪気に挨拶し、ネスルが人数を間違って数え、ローロが訂正する。
「子どもたちは早いね」
「まぁ、まだ待ち合わせまで十分ありますし」
「というか、フートもムースと来れば良かったのに。なんで家隣同士なのにわざわざ別行動なのよ、あんたたち」
 ヴェイツェが感心し、ムースがフォローし、ギネカが呆れる。
「まぁ、そういうわけで」
「今日はよろしくお願いしまーす」
 シャトンとアリスが笑い。
「さすがにこれだけの人数がいると私とダイナが車を出しても送りきれないからな」
「ふふ。みんなしっかりしているから、電車でも大丈夫ですよ」
 極めつけに、ヴァイスとダイナまでがいる……。
「え、あの」
「勘違い」
 どういうことかと尋ねようとするフートに、フォリーが一言ぴしゃりと叩き付ける。
「テラス、一度も二人きりで行くとは言ってない」
「やっぱりこういうお楽しみはみんなで分け合わなくちゃね」
「そ……そうだね」
 罪のない笑顔で告げるテラスに、フートは浮かれた気持ちが沈み込むのを感じながらも、頷くしかなかった。
 そうこうしている内に、遅れていたレントとエラフィの二人も合流する。
「ごめーん、遅くなった」
「二人とも、その大荷物は?」
「レントの心付けだってさー。みんな、お昼は期待していいわよ」
「「「やったあ!」」」
 素直に喜ぶ子どもたちを前に、レントも楽しそうだ。中身はお弁当だという。
「じゃ、行きますか」
 二人きりのデートではなく、友人一同での美術展観覧に。