第3章 歯車の狂うお茶会
12.終わらない六時 068
翌日のニュースは、一部の人間たちを激震させた。
「アリス! シャトン!」
普段より三十分も早い時間に、ヴァイスが二人を叩き起こす。昨日は夜遅かったし、今日は日曜。早起きする必要もなければ睡眠時間が削られるのは子どもの体には辛いとわかっているはずなのに。
それでもヴァイスが自分たちを叩き起こさねばならない事態だと、アリスとシャトンは眠い目を擦りながら起き上る。
そしてテレビの画面を見た瞬間、驚愕で眠気も吹っ飛んだ。
「なっ……!」
「ティードルダムとティードルディー……?! なんで?!」
殺人事件があったとニュースキャスターが語る。昨日の真夜中のことだと。
どこか古びた写真の顔は、確かにティードルディーとティードルダムの二人だ。
捜査はまだまったく進んでいないらしい。
だがこれは一連の連続殺人の一つだと――。
「連続殺人?」
そう言えば最近、繰り返し流れている殺人事件のニュースがあったような。いつも耳に届いてはいたが、自分には関係ないと聞き流してしまっていた。
シャトンが数日前の新聞を引っ張り出す。
テレビからはついにその名が流れ出す。
『犯人が現場に置いて行くカードの署名には、いつも“ハンプティ・ダンプティ”の名が――』
ハンプティ・ダンプティ殺人事件。
ついに世間に、その殺人鬼の名が知れ渡った――。
◆◆◆◆◆
「どういうことだ……?」
「嘘でしょ……?」
確かに彼らはフートたちにとって、マッドハッターの命を狙う忌むべき敵だった。 フートの兄、ザーイエッツが行方を眩ませた理由にも高確率で彼らが関わっていると予測される。
いつかとっ捕まえてザーイエッツの情報を聞き出そうとしていた。なのに。
「殺されたって……それも、昨日の夜だなんて」
彼らと戦闘して何時間も経たぬうちに、何者かに殺害されたと言うのか?
否、何者かではない。どうやら最近帝都を騒がせていた犯人は、最初から高らかに名乗っていたらしい。
「ハンプティ・ダンプティ……!」
それはずんぐりむっくりとした卵のような姿の怪人。
『鏡の国のアリス』に登場するキャラクター、すなわち。
「不思議の国の住人……!」
彼らにとって、もう一人の敵となる人物だった。
◆◆◆◆◆
「くそっ……!」
「ネイヴ、落ち着いて」
「落ち着けねーよ。俺たちがあと数時間、あそこで奴らを見張っていれば……!」
昨日の現場にいたのはアリスたちやマッドハッター、睡蓮教団の連中だけではない。
密かに様子を窺っていたもう一つの怪盗コンビ、ギネカとネイヴの二人も、まさかこんなことになるとは思わず混乱していた。
口封じの手間が省けた。……なんて喜べる事態ではない。
「言っても仕方がないわ。それより、よく考えて。睡蓮教団の幹部を殺したということは、まさかハンプティ・ダンプティも教団への敵対者なの?」
「いくら俺が怪盗だからって、殺人犯なんかと一緒にされたくはないな」
同じ穴の貉だとはわかっている。それでも人として越えてはならない一線があるとネイヴは信じている。
睡蓮教団の被害者は大勢いる。
身内を殺されて恨む者も大勢いるだろう。
けれど。
「突きつけられるわね、私たちの甘さを」
「ギネカ……」
「彼は、本物の復讐者よ」
恨んでいる。憎んでいる。
だから――だから殺すのだ。
生きたまま切り刻み絶望させて。
そして歌う。割れた卵は王様がどれだけ兵士を集めても戻らないと――。
「……気をつけないとね。ハンプティ・ダンプティが睡蓮教団の人間を片っ端から殺すのに何を基準にしているかはわからないわ」
これほど躊躇いなく人を殺せる相手なら、もしかしたらコードネームを持っている相手も教団関係者やその敵対者という立場に関わらず無差別に狙って来るかもしれない。
「ああ。ギネカも用心しろよ。“料理女”」
「わかっているわ。あなたも気を付けて。“パイ泥棒”」
歯車が狂い始める。
◆◆◆◆◆
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙が会議室を満たす。
「うわぁ……まさか、こんなことになるとはなぁ」
口火を切ったのはグリフォンだった。残りの面子はティードルディーとティードルダム殺害の報に対する感情から口を開くのも億劫という様子だった。
しかしいつまでも黙り込んでいる訳にもいかないだろう。
「奴らの素性から我々や教団に繋がる恐れは?」
「それはないよ。世間の報道機関では犬の散歩をしていた老人が第一発見者になっているけれど、実際に見つけたのはあいつらの部下だ。戻ってこないからと様子を見に行ったらばらばらだったそうだよ」
証拠の隠滅はそのティードルディーの部下たちがすでに行っている。
「しかし、困ったことになったな」
「いよいよ厄介な存在になってきましたね」
「ハンプティ・ダンプティなぁ……」
近頃の帝都を騒がせるもう一つの存在。俳優のような人気を持つ怪盗たちとは違って、その存在は凄惨さと共に伝えられていた。
連続殺人鬼、ハンプティ・ダンプティ。
彼が現場に残す一つの詩が書かれた白いカードのことも、ついに警察は公表するに至った。
「白兎、赤騎士。お前たちはまだ見つけられないのかい?」
「いや、それがもう全然」
女王の問いに、白兎が笑顔で首を横に振る。
「なんだよ、使えねぇなぁ……」
「文句があるなら自分でやってくれる? グリフォン」
以前から睡蓮教団の末端構成員を殺していたハンプティ・ダンプティへの対処は、白兎と赤騎士の担当だった。
これまで何度も教団の邪魔者を始末してきた凄腕にしては珍しく、今回の赤騎士たちはハンプティ・ダンプティなる殺人鬼を未だに見つけ出せていないと言う。
「それと気になることがあるんだが」
「まだ何か?」
「ティードルディーの部下たちからの報告だ。マッドハッターとの戦闘中に邪魔が入ったらしい。一人は金髪の少年で、もう一人は淡い茶髪の女性だそうだ」
「しかもティードルディーとコードネームで呼び合っていた様子だそうですが」
コードネーム、と聞いて全員がその容姿に当てはまる一人の女性を想起する。
「淡い茶髪? ……それってチェシャ猫か? あいつ死んだんじゃなかったの?」
「殺し損ねたのかい? 赤騎士」
女王の視線がルーベルを射抜く。
「おかしいなぁ」
アリスやチェシャ猫たちをわざと見逃した赤騎士は、さも自分は仕事をこなしたはずだとしらばっくれる。
「しかしそれがチェシャ猫だとしたら、もう一人の金髪の少年とは誰なんでしょう?」
ニセウミガメが当然の疑問を口にするが、白兎と赤騎士が隠している以上、教団にはまだアリスの存在に辿り着く手がかりがない。
「さぁね。ティードルディーの部下は奴の言うことをほいほい聞くだけの能無しばかりだ。役に立たないよ」
「少年と言いますが、具体的に年齢は?」
「十六、七だとか。高校生ぐらいだと」
白兎と赤騎士が首を捻る。
「……なんで怪人マッドハッターを追っていたティードルダムとティードルディーの前に、チェシャ猫っぽい女性と高校生の少年が現れるんだ?」
この疑問は、彼らにしても嘘ではない。白兎と赤騎士は、なまじアリスとチェシャ猫の現在の姿を知っているだけに疑問が浮かぶのだ。
あの二人は今、チェシャ猫自身が開発した禁呪のせいで時間を奪い取られて小さな子どもになっているのではなかったか?
それに、マッドハッターといた意図もわからない。
否、こちらに関しては睡蓮教団への手がかりを掴むためにそれらしいコードネーム持ちに大胆にも接触しようとしたのだと考えられるか。
「噂で流れている、マッドハッターの共犯者でしょうか?」
「さぁね。まだわからないこと尽くめだけれど、今はとにかくハンプティ・ダンプティだよ」
マッドハッターも裏切り者のチェシャ猫も目障りだが、今教団が優先的に排除しなければならないのは、確実にこちらの人間を殺害していっている復讐鬼。
「マッドハッターもチェシャ猫も殺したはずなのに生きてるとかしぶといことこの上ないけれど、実害は少ないからね。あいつらがまた僕たちの邪魔をするようなら殺せばいいだけ」
何度でも蘇るなら、何度でも殺せばいいだけだ。
それより今重要なのは。
「ハートの王、グリフォン、ニセウミガメ、白兎、赤騎士」
敵に対し、教団は容赦しないということ。
「ハートの女王の名において命じる。我らの邪魔をする目障りな奴――ハンプティ・ダンプティをなんとしてでも探しだし、殺せ」