Pinky Promise 074

第4章 いつか蝶になる夢

13.公爵夫人の教訓 074

 ジグラード学院小等部。本日最後の授業は、担任に急用ができたため読書の時間へと変更された。
 図書室に移動した生徒たちは、思い思いに選んだ本を広げている。
「シャトンは何を読んでるんだ?」
「帝都の名称の元ネタになった物語」
 小等部の生徒たちが読むような本は、大方ひらがなと絵ばかりだ。子どもたちに交じって今は子どもになってしまっている二人――アリスとシャトンもとりあえず手元の本を広げるが、アリスの方は明らかに身が入っていない。
 アリスが読んでいるのは今の名前、偽名でありコードネームでもある“アリス”にちなんで超古典文学『不思議の国のアリス』。そしてシャトンは。
「『オズの魔法使い』か」
 ディアマンディ帝国の帝都はエメラルド。通称エメラルドの都だ。これは『オズの魔法使い』という物語に出てくる、偉大な魔法使いオズによって治められていた国の名だ。
 帝国を打ち立てた当時の皇帝の名がオズということからつけられた名称だが、肝心の『オズの魔法使い』の物語に出てくるエメラルドの都は、ペテン師であるオズによって緑色の眼鏡越しに見るから緑色に輝いて見えるだけの偽物である。
「でも好きよ、こういう話」
「そうか? 俺はオズに対して腹が立つけどな。結局ただの詐欺師じゃねーか」
「だからいいのよ。オズが無力なペテン師であるとわかるからこそ、主人公たちは『本物』を手に入れられるのだもの」
「……そんな話だったっけ?」
 正直昔に読んだきりで内容をほとんど覚えていないアリスは、シャトンほどこの物語に感動できない。
「うわー、テラス君すっごい難しい本読んでる!」
 子どもたちもすでに飽き始めたのか、あちこちで歓声が起こってしまっている。
「今日も平和ね」
「そうだな」

 ◆◆◆◆◆

 チャイムが鳴り、ダイナ=レーヌ教諭はまとめた教本の端を揃えるように教卓を叩いた。
「では、今日の授業はここまでとします」
「ありがとうございました」
 生徒たちの礼を受けて、ダイナは教室を後にする。高等部でも、本日最後の授業が終わりを告げた。
「よーし、今日も一日平和に乗り切ったぞー!」
「学生にとっては、ここからが本番じゃない?」
「そうだな!」
 短いHRを終えて帰宅する者、部活に行く者。するとはなしに教室で駄弁り始める者等、それぞれの放課後がやってくる。
 彼らの一団も例にもれず放課後の予定について話し合っていた。
「食堂でおチビちゃんたちと待ち合わせ?」
「うん。実はこんなものが手に入りまして」
 レント=ターイルは教室に残った友人たちに手元のチケットを見せる。
「ベルメリオン=ツィノーバーロートの宝石細工展……」
 ヴェイツェ=アヴァールが興味を示し、チケットのタイトルを読み上げた。
「マジで? よく手に入ったなーそんなもん」
 フート=マルティウスは目を丸くして感心する。
 ツィノーバーロートの宝石細工展のチケットは、とある理由により、余程のコネでもなければ手に入らない大人気なのだ。
「へっへー。ちょっとした伝手でね。でさ、このチケット、十五枚もあるんだよね」
 高等部の親しい友人に声をかけてもまだ余ってしまう。それならば魔導学の講師ヴァイス=ルイツァーリの預かり子であるアリス=アンファントリーを通して面識を持った、小さな友人たちにも配ろうかとレントは考えているらしい。
「十五人か、となると……」
「レント、フート、ムース、ヴェイツェ、アリス、シャトン、カナちゃん、ローロ君、ネスル君、テラス君、フォリーちゃん、それに私も御相伴に預かっていいのよね?」
「もちろん」
 ギネカが参加メンバーを指折り数える。
「ルルティスはどうする?」
 友人の一人であるアリストが現在帝都の外に出ていて休学中のため、人数に余裕がある。レントは最近編入して来たばかりの友人を誘ってみるが――。
「ごめんなさい。物凄く興味はあるけれど、その日はちょっと用事がありまして」
「最近忙しそうだね」
「あああ。もったいない。私の分も楽しんで来てくださいね……」
「へぇ、ランシェットはベルメリオン=ツィノーバーロートに興味があるのか」
 フートが興味深げにルルティスの顔を見る。
「それとも、興味の対象はもう一つの方?」
「両方ですよ。怪人マッドハッターが狙っている呪われた宝石展なんて、興味を持つなって方が無理です」
「それもそうだよな」
 かつての狂った芸術家、ベルメリオン=ツィノーバーロートは、曰くつきの宝石細工職人として有名な人物だ。
 彼が手がけた宝石細工はそれは見事なものだったが、同時にその宝石を身に着けていると呪われて狂い死ぬという、数々の忌まわしい伝説を作った。
 以前にこの一行が見に行った美術展で公開されていた絵画を描いた画家、エリスロ=ツィノーバーロートの兄でもある。
 そしてその時の絵画もまた、怪人マッドハッターの標的となっていた。
 ツィノーバーロート兄弟の呪われた芸術作品は、怪人の目を惹きつける何かがあるのだと、世間ではもっぱらの評判だ。
 そして一部の人間たちは、その「何か」こそ睡蓮教団が崇める邪神・グラスヴェリアの“魂の欠片”であることを知っている。
 名残惜しげにしながらも誘いを断ったルルティスは、今日もまた用事があると言って早々と教室を後にした。
「ギネカさんまでで十二人、ルルティス君が行けないなら、あとの二人はどうします?」
 ルルティスの背を見送り、ムースが改めてレントに問いかける。
「またヴァイス先生とダイナ先生でも呼ぶか?」
「その二人なら、私たちと一緒に行動するよりも、ヴァイス先生に二枚まとめてチケットを贈る方が喜ばれると思いますけど」
「俺がアリストに怒られるのでその方向はなしで」
 シスコンの友人の名を出し、レントは笑顔でそのルートを潰す。弟のアリストがいないところで姉のダイナを口説くヴァイスの恋路を応援などしようものなら、後でどんな目に遭うかわかったものではない。
「子どもたちが多いんだから保護者役で来てもらえりゃいいっしょ」
 フートもあっさりそう頷く。
 そしてヴェイツェが、暗黙の了解ですでに人数に含んでいる最後の一人の名を出す。
「それにしても、エラフィは今日どうしたんだろう?」
 彼ら以外に人気のなくなった教室で、結局今日一日使われることのなかった空席に目を向ける。
「それだよな。電話もつながらないしメールも返ってこないし」
「アリストならともかく、エラフィにしては珍しいわよね」
「ま、そのうち返事が来るだろ」
 一行は、子どもたちと顔を合わせるために食堂へと移動する。
「最近のダイナ先生は機嫌が良さそうだね」
 廊下を歩きながら、ふとヴェイツェが口にする。
「そう言えば、アリストが一度戻ってきたらしいわよ」
「本当に?」
 ギネカはさりげなさを装って、友人たちに情報を流した。
「いつ来たの、あいつ。まったく、俺たちに何の連絡もなしにー」
 レントが頬を膨らませ、周囲がそれを見て笑う。
「でも、それでダイナ先生も落ち着いたんだね。やっぱり直接顔を見られない分、心配してたんだろうね……」
「そうね」
「……」
 友人たちの会話を聞きながら、フートは一人考え込んでいた。
 アリスト=レーヌ。そして、アリス=アンファントリー。
 先日、怪人マッドハッターとしての仕事をした際に知ってしまった事実。同い年の友人が十年も若返って偽名を使い傍にいたということは、フートとムースを酷く驚かせた。
 なんとか平静を装って日常生活を送っているが、この事実をどう受け止め、どのように問題を解決すればいいのか正直今のフートには見当もつかないでいる。
「フート、大丈夫?」
「……ああ」
 怪人の仕事を手伝う幼馴染、ムースも事情を知った仲間だ。しかし彼女は“アリスト”が“アリス”へ変わる瞬間を直接その眼で見たわけではないためか、いまいち実感が湧かないらしい。
 フートとムースも盗みという後ろ暗い所業に手を染めてしまっているため、迂闊にアリス……アリストへ直接確かめることもできないのがフートの困惑の原因にもなっている。
「大丈夫だ。どちらにせよ……奴らを捕まえるのが一番の近道なんだ」
 フートが怪人マッドハッターとなって兄を探すのも、アリストがあの姿になったのも、睡蓮教団の存在が深く関わっていると言う。
 ならばすべての真実を解き明かし、お互いが大切なものを取り戻す鍵もまた睡蓮教団の打倒にある。
 その時自らの罪もまた白日の下に晒されることとなろうが、かまいはしない。
 もう動き出してしまったのだ。止めることなどできない。この罪を免れることはできない。
 睡蓮教団の一員で不思議の国の住人と呼ばれる二人、ティードルダムとティードルディー死亡のニュースを聞いた際にフートはそれを自覚した。

 ◆◆◆◆◆

 一行は食堂で小等部の子どもたちと顔を合わせる。
「例の宝石展? 行きたーい!」
「来週だけど、みんな都合はつくかな」
「うん!」
 子どもたちはレントに差し出されたチケットを見て素直に喜び、全員が同行を決めた。肝心のチケットは失くしてしまうわけにはいかないので、当日までレントが預かることになっている。
「ねぇ、エラフィお姉さんは?」
 小等部生たちは七人全員がいたが、高等部生の方は数が足りない。エラフィは遺跡探索こそ参加しなかったもののポピー美術館には同行したし、この学院内ではしょっちゅう顔を合わせている。
 彼女の不在について尋ねたアリスに、レントたちも肩を竦めてみせる。
「こっちもわからないんだよ。まったく連絡が来てないんだ。電話もメールも通じないし」
「え?」
 その言葉に、アリスが目を瞬かせる。
「……携帯、本当に通じないのか?」
「あの人、よくこういうことするの?」
「いいえ。エラフィは放課後や一人の時間は自由にする分、学院には真面目に通うタイプで――」
 その時、食堂の入り口が騒がしくなり始めた。