第4章 いつか蝶になる夢
14.小鹿の忘れた名前 083
“青の国を出でて黄色いレンガの道を辿れ”
犯人追跡組の探偵たちは、青いリボンに書かれた暗号へと取り掛かる。
「今回のポイントは“青の国”と“黄色いレンガの道”だな」
もう大分慣れてきた暗号だ。ここまで順調に来た分、緊張感も大分薄れてきた。
「確か『オズの魔法使い』の中には、オズ大王の治めるエメラルドの都以外の国が出てくるよな?」
一応この物語を読んだことがあるとはいえ、細部に関する記憶はうろ覚えになっているヴェルムがシャトンへと尋ねる。
せっかくジェナーに読んでもらった内容も、ほぼ夢うつつであまり頭に入っていない。
「ええ、そうよ」
今日の午後も学院でその本を広げていたシャトンは頷いた。
「青い国は、ドロシーに倒された東の悪い魔女が治めていた国よ」
「そう言えばこの店も、エメラルドタワーから見て東側にあるな」
アリスがガイドマップ上で、ここまで辿ってきた場所に印をつけながら呟く。
「東の悪い魔女は、青色を好むマンチキンの人々を苦しめて――」
「「「マンチキン?!」」」
「え、なに? どうしたの?」
男三人がいきなり声を揃えたので、シャトンはぎょっとしてあらすじを思い返すのをやめた。
「それだよシャトン! 帝都には“マンチキン”って名前の」
最近帝都の中心部に来たばかりのシャトンと違い、元々この辺りが地元である人間は詳しい。
アリスとヴァイスの声が揃った。
「水族館がある!」
「プラネタリウムだな!」
「「へ?」」
「……で、どっちよ」
声は揃ったが、内容はまったく別々だった。
「何を言うアリス。帝都で“マンチキン”と言えばプラネタリウム“マンチキン”だろう」
「ヴァイスこそ何言ってるんだよ。マンチキンと言えば、マンチキン水族館だろ?」
「……あのさ」
ヴェルムがおずおずと口を挟む。
「俺は“マンチキン”って言えば、レストランとホテルと宝石店の三つが思い浮かんだんだけど」
「「……」」
「……帝都だとポピュラーな名前なのね」
悪い魔女の国なのに、とシャトンは溜息をついた。
「だとすると、鍵は“黄色いレンガの道”の方だな」
「……東の悪い魔女を倒してマンチキンの人々を解放し、銀の靴を手に入れたドロシーは、エメラルドの都のオズに会うために黄色いレンガの道を辿る……」
「黄色い……」
「レンガ……」
四人は再び頭を捻る。
「この文章だと、“青の国”がわかれば“黄色いレンガの道”もわかるような書き方よね」
「つまりこの二つが併設されているような場所ってことか」
四人はもう一度先程のように、今度は“黄色いレンガの道”を探し始める。
今度はシャトンのネット検索よりも、ヴァイスとヴェルムがガイドブックの中からその情報を拾う方が早かった。
「これだな。“プラネタリウム『マンチキン』に併設する緑の公園には、黄色いレンガが星座の形に埋め込まれた散歩道があり……”」
「そう言えば、東の青の国……マンチキンの国から黄色いレンガの道を辿る旅は、エメラルドの都へと向かうための旅……公園の緑が、もう一つのエメラルドって訳ね」
シャトンも頷いた。ヴァイスがほれ見ろと言わんばかりにアリスへと得意げな目を向ける。
「やはりプラネタリウムだったではないか」
「えー、絶対水族館が定番だよ」
「はいはい。この非常時にくだらないことで言い争わないのよ」
「はーい」
シャトンに窘められて、大人と子どものどうしようもない言い合いは終わった。
「とにかく、このプラネタリウムに行ってみよう」
ヴェルムの言葉を合図として、再び車は発進する。
◆◆◆◆◆
プラネタリウムの建物を素通りし、四人は直接公園へ足を運ぶ。プラネタリウム本館と違って、こちらの公園は誰でも無料で入れる場所だ。
無料も何も、もう肝心のプラネタリウムは閉館しているのだが。
「あれが黄色いレンガ……で作られた星座の道か」
「綺麗なものね。夜光塗料を塗ってあるらしいから、宵闇にぼんやりと星座が浮かび上がって」
「もうこんな時間なのか」
初夏の日が暮れてしまった。タイムリミットの真夜中は、少しずつだが確実に迫っているのだ。
……暗号は後いくつ残されているのだろう。
アリスたちはプラネタリウムから伸びるレンガ道を歩き、公園の中心部まで辿り着いた。
噴水が透明な水を湛えている。水底にはここもまた、星座の絵が描かれていた。
「これよね」
「これだな」
「だが、今までのようなわかりやすいものは見つからないぞ」
「……」
ヴェルムは噴水の中を覗き込んだ。
「ヴェルム?」
「箱がある」
これも夜光塗料を塗られていたのか、薄ら青く輝く小さな星座の絵の向こう、水の膜の奥に小さな箱が隠されているという。
探偵は濡れるのも厭わず腕を伸ばしてそれを手元に引き寄せた。
「鍵穴があるわ!」
「! さっきの銀の靴って……!」
アリスたちは顔を見合わせた。
先程の店で手に入れた鍵は、この箱を開くためのものだったのか?
「じゃあこれを開ければ――」
「待て!」
ヴァイスの声に、後の三人はハッと緊張した。
もう閉館時間を過ぎてプラネタリウムの客も帰った頃だと言うのに、暗がりから幾人もの男たちが姿を現したのだ。
緑の公園は広く、街中の普通の公園のようにこんな時間に気紛れに立ち寄ろうと思えるような場所ではない。特に中心部のこの場所を出ると、林に囲まれていて外から視界が遮られる作りになっている。
「よくここまで辿り着いたものだ。だがここから先へは行かせるなとの御命令でね」
「お前たち……何処かで見たような格好だな」
咄嗟にヴァイスが三人を庇って、黒服の男たちの前に出る。
アリスは彼らの襟元に、小さな青いピンが光っているのを発見した。
「“白騎士”に“イモムシ”、貴様らにはここで死んでもらう」
「――睡蓮教団」
ヴァイスが低く目の前の敵の名を口にする。
アリスが気づいたものについて、シャトンが小声で説明した。
「教団の下っ端連中は、お互いの識別のために青い睡蓮のピンをつけているのよ……まずいわね」
彼女は険しい声で独りごちる。
「なんでここで教団が関わって来るの? エラフィ=セルフを攫ったのも、教団だってこと?」
アリスはハッと目を瞠った。そうだ。いくら彼らが睡蓮教団の敵対者とはいえ、この場所でこのタイミングで襲撃を仕掛けて来るなんて、今回の誘拐事件と無関係とは思えない。
「アリス、シャトン。ここは俺たちが引き受けるから、お前たちは――」
「馬鹿言わないで。私たちは探偵じゃないのよ。暗号を解いて彼女を助け出すには、あなたの力が絶対に必要なんでしょう?!」
ヴェルムの言葉を、シャトンがすぐさま封じる。
「そうだぞ、ヴェルム。それに万が一の場合、奥の手もあるし」
アリスは先日、元の姿でダイナと顔を合わせる際に使った例の術式を封じ込めた時計に手をかけた。
けれどそれは本当に奥の手も奥の手。バレてしまっては一気に有利を失う諸刃の剣だ。
「どの道、向こうに私たちを逃がす気はないようだぞ」
掌に魔導の術式を用意したヴァイスが言う。彼の力ならばこの人数相手にも対抗できるかもしれないが、派手な術を使うにはここは少し場所が悪い。
林で視界が遮られているとはいえ、それでも帝都の中心部だ。何かあればすぐに人が来てしまう。
応戦を躊躇うヴァイスたちと違って、黒服の男たちは銃を取り出す。
迷っている暇はない。多少派手なことになるが――。
「――やれ!」
戦うしかない。そう決意した瞬間だった。
「まぁまぁそう慌てずに」
第三者の声が響き渡り、男たちが一斉に糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる。
「口元を塞いでください。あなた方も眠ってしまわないように」
大人しく指示に従う四人の前に現れた人物は、夜目にも鮮やかな純白を身にまとった騎士だ。
「ここが風上で良かった。一瞬で気化して人の意識を奪う薬がよく効くことだ」
「お前は……」
否、白を基調とした騎士の格好をしてはいるが、彼は騎士とは呼ばれない。代わりに巷ではこう呼ばれている。
「怪盗ジャック……?!」
「御機嫌よう、エメラルドのジョーカー」