Pinky Promise 093

第4章 いつか蝶になる夢

16.さなぎの見る夢 093

 どうしてここに彼女が? それを問う余裕は誰にもなかった。
 アリスはかつて彼女を指し「何でもできる人」だと、そう言った。けれど。
「……うちの生徒たちに」
 一発目以外の弾丸を魔導の盾で凌ぐと、ダイナは立ち上がり、反撃に転じた。
「何をするの!」
 生徒たちのにわか仕込みとは比べ物にならない、この現代最高峰の魔導士としての力で、銃を持つ男を弾き飛ばす。
「ダイナ先生?!」
「セルフさん、無事? みんなも」
「なんで先生がここに……!」
 突然現れたようにしか見えないダイナの存在に、生徒たちは呆気にとられた。
「ある筋から連絡をもらって。それよりヴァイス先生は……」
「そんなことより、先生、腕! 腕、腕の傷!」
 ダイナはアリスたちを庇った時に腕を撃たれていた。ブラウスの袖が裂けて夜目にも紅い血に濡れている。
「止血しなきゃ、ほ、包帯――!」
「あるから落ち着いてよエラフィお姉さん。みんなもね」
 一番冷静なのは高等部生ではなく小等部のテラスだった。小さな手で手際よく救急セットを取り出すと、ダイナの腕に的確な応急処置を施していく。
「ありがとう。モンストルム君はこんな時でも優秀なのね」
「どういたしまして。それよりも」
「連絡」
 フォリーがいつも通りぽそりと肝心なことを呟く。この件で先程話していたヴェルムへの連絡を忘れるわけには行かない。
「入れないとね、探偵さんに」
「そうだ! ヴェルムにエラフィは助けたって教えないと――!」
 ヴェイツェがすでに救急車を呼び、ダイナの傷の状態を口頭で説明している。ヴェルムには今シャトンが電話をかけ始めた。
 更にはダイナの方でも、ここに来る前に実は警察へと連絡を入れていたらしい。もうすぐパトカーがやって来ると言う。
 次から次へと目まぐるしく変わる状況に、彼らは混乱気味だった。

 ◆◆◆◆◆

 日付変更と共に設定された爆破時刻まであと七分ほど。ぎりぎりだが全てが間に合ったらしい。連絡を受けたヴェルムたちは、こちらも大詰めに入ることにした。
「人質は無事に救出された。もうあなたがここで抵抗を続ける意味もない。大人しく法の裁きを受けるんだ」
 しかし投降を促すヴェルムの言葉に、犯人は異様な反応を見せる。
「ふ、ふふ。くくくくくっ、ははははははっ!」
「なんだ……」
 突然高々と笑い出した男の様子に、その体を抑えこんでいたヴァイスが不審を露わにする。
「大人しくしてください、もうあなたの負けは決まっている」
「いいや、私の勝ちだよ、探偵君」
 男は高らかに笑いながら、本日一番芝居がかった仕草で言った。
「先程君に促された爆弾はもちろん約束に従って解除したさ。だが」
「まさか……」
「帝都にあと三つ、強力な爆弾を仕掛けていると言ったら?」
 四人は凍りついた。
「貴様!」
 ヴァイスとジャックが男に詰め寄り、改めてスイッチを持っていないかその身ぐるみを剥がし始める。ゲルトナーはどこかへ電話をかけるが、繋がらない様子だ。
 サイレンの音が聞こえてきた。
「通報?! 一体誰が……」
 同時に、ヴェルムの懐で再び携帯が鳴る。
「アリス、待ってくれ今大変――」
 そんな場合ではないと思いつつ、ついつい手に取ってしまったヴェルムは着信表示とは別の声を聴いて驚いた。
『ヴェルム、あんたまだそっち解決してないの?』
「エラフィ?!」
自らの無事を知らせる意味で、アリスの携帯を借りてかけてきたらしい。
『そっちは今どうなってんの?』
「実は――」
 ヴェルムはエラフィに手早く事情を説明した。焦るヴェルムとは裏腹に、電話の向こうのエラフィの声はやけに平静だ。
 スピーカーになっているらしく、この説明も向こうの全員に聞こえていたようだ。ざわざわと騒がしい様子が聞こえてくる。
『へぇ。なるほど、そう言うこと。で、爆弾の位置は?』
「爆弾の位置は?!」
 電話の向こうとこちらのヴァイスが、同じことを問う。
「だからこいつら、あれだけ幾つもの荷物を……! 畜生! 探偵、爆弾のうち一つは――」
 睡蓮教団の黒服たちが夜中にエラフィを攫い、帝都のあちこちを行き来していたのを知っている怪盗ジャックことネイヴは、彼らが爆弾を仕掛けたと思われる場所の一つの位置を告げた。
「無駄だ……! 爆弾の位置は、それを仕掛けた私たちしか知らない……!」
 電話の向こうからギネカの声が流れてくる。“その男を叩き起こすわよ! 今すぐ!”
「だが貴様らに絶望を与えるために、一つだけ教えてやろう。――最後の爆弾は、あそこだ」
 男は、そう言って硝子張りの温室の天井を指差した。
 四人はハッとして、植物の影に埋もれる向こうに人工的な輝きを見つける。
 日付変更まで残り五分となった時計付の爆弾――。
「ここまでして探偵殿を殺したかったわけか」
 ジャックが低く唸り、ヴァイスが爆弾を止める魔導についてああでもないこうでもないと考え始めるがまとまらない。ゲルトナーも電話がまだ繋がらないようだ。
『爆弾の位置がわかった?! 本当?! ギネカ!』
“ええ!”
「そのうちの一つは、怪盗ジャックの目撃証言と同じだ」
 電話の向こうから流れてきた情報をヴェルムは咄嗟に判断して告げる。
 向こうは相変わらず騒がしい。電話を繋げたまま、どこかへ移動するような雑音がずっと入り込んでいた。
『この展望台から見て、あのビルと、そっちの建物、で、最後が今ヴェルムたちのいるポピー植物園か。ふん、上等じゃない。どれもいい位置だわ』
「ああもう駄目だ! 伏せろ!」
 爆発まで残り一分を切った。爆弾を止めることを諦めたヴァイスが、ヴェルムを腕に抱きこんで魔導防壁を何重にも展開しながら地面に伏せる。
『ヴェルム』
 電話の向こうでようやく名を呼ばれる。ヴェルムはその瞬間だけはこの場で起きている何もかもを忘れて、エラフィの声に耳を傾けた。
『安心しなさいよ。今度は私も立派な戦力だから』
 次の瞬間、大きな衝撃と共に硝子天井の割れる音が響いた。

 ◆◆◆◆◆

「上に上がろう! さっきと同じ要領で、弾丸が届くならここから狙撃すればいい!」
 ルビーツリーの入り口で、テラスがそう叫んだ。もう一度展望台まで上がり、上空から爆弾の仕掛けられた建物を狙い撃つのだと。
「でも場所が……」
「その男を叩き起こすわよ! 今すぐ!」
 ギネカが先程ダイナを撃った黒服を叩き起こして聞き出そうとする。
「行って! エラフィ! レント! ヴェイツェ!」
「シャトン、君も来て! 上がるまでに弾丸の術式をもう一度作ってくれ!」
 テラスがシャトンの手を引いて真っ先に飛び出していく。
 続いて高等部生組から、助けられたばかりのエラフィと先程も狙撃で爆弾解除を実現したレント、もう一人の狙撃役としてヴェイツェ、万一先程の男のように意識を取り戻した他の睡蓮教団と戦闘になった時の盾として、フートとムースがついていく。
「あなたたちはそこにいてね、ダイナ先生のために!」
「う、うん」
 残された子ども四人、カナール、ローロ、ネスル――そしてアリスは、負傷したダイナの傍についていた。
 、前者三人は頼まれて残ったが、アリスは――……。
 気絶した男を叩き起こす……のは無理だったが、サイコメトリーで聞き込み以上に的確に記憶を引き出したギネカが、早速展望台に上がったエラフィたちに連絡を入れる。
 ポピー植物園を含めて三カ所とも、何とか魔導ライフルの射程距離内だ。
 やがて上空から、ここからでもわかるような大きな音が響いた。
 そして日付が変わっても何も起こらない。
 恐る恐る時計の時刻を見守っていたカナールたち三人は、長針が12を回った瞬間息を呑む。
「帝都のどこも爆発……してないよね?」
「うまくいった……ん、ですよね?」
 爆発が起きない。それが答だ。
『帝都防衛成功!』
 などとふざけたエラフィの声で報告が入り、子どもたちはついに歓声を上げる
「やったぜ! 姉ちゃんたち!」
 パトカーのサイレンの音が響く。
 ダイナが呼んだ警察がルビーツリーとポピー植物園に着く頃には、全てが終わっていた。

 ◆◆◆◆◆

 ヴァイスの拘束が外れた瞬間、犯人は睡蓮教団の仲間を捨て置き一人で植物園の外に逃げ出していた。
 ある程度の距離を走って逃げ、ようやく安全な距離まで来たと思えた地点で恐る恐る振り返るものの、爆破の気配はない。
 一体どういうことなのか。気にはなるものの、確認に戻る訳にも行かない。
「はぁ……はぁ……くそっ、この私が、あんなガキに……」
 彼の頭にあるのは、探偵とその周囲に自らの完璧な――と彼は思いこんでいる――復讐計画を覆された怒りだけだった。
 次こそは、と新たな復讐計画を脳内で練りつつ、まずはこのみすぼらしく汚れてしまった格好をなんとかしようと路地裏を再び歩き出した時。
「よお」
 前方に人影が舞い降りた。猫のように軽く、音もなく。同じ人間とは思えないような見事な動きで。
 その人物は背後に輝く雑踏の灯りを逆光として切り取り、暗い影絵のようになっている。
「あ、ああ、赤騎士殿。良いところに……私は……」
 助けを求める男に対し、赤騎士は見えない影の中でにっこりと笑う。
 そして次の瞬間、男の胸に刃を突き立てた。
「な……」
 こみ上げてきた血の塊をごぼりと吐きだしながら、男は叫んだ。
「何故だ! 何故、私が――……!」」
「女王の怒りだ。お前はもう用済みなんだとさ」
 部下である教団員たちへの杜撰な扱い、驕り高ぶる性格で反感を買うどころか、自らを過信して探偵にあっさりと敗北。計画にない人間の巻き込み。教団の存在をひけらかすような迂闊な行動の数々。
 赤騎士が並べ立てた罪状の数々は、しかし男の耳を素通りする。それでいい。そうして死だけが残される。
「な、ぜ……」
 愚かなトランプは、永遠に悪夢から逃れることはない。彼は最期まで、この世界を呪ったままだった。

PREV  |  作品目次  |  NEXT