Pinky Promise 108

第5章 パイ泥棒の言い分

18.料理女の選択 108

 パトカーのサイレンが夜の淡い喧噪に鳴り響く。しかし今日は誰もがそれに関し頓着しない。
 この近くの帝国立博物館で、怪盗ジャックと怪人マッドハッターの盗みがあったことが広く知られているからだ。
「……謀られたな」
「え?」
 パトカーの中にいたアブヤド=マレク警部は途中でそれに気づき、指示を出す。
「警部? 一体どちらへ行こうと」
「怪盗の居場所だ」
 運転をしていた警官が、マレク警部の指示に従い、これまでとはまるで別の方向を目指し始める。

 ◆◆◆◆◆

 帝都は大陸の中心に位置し、海を見るには帝国を出なければならない。その代わり巨大な河川は帝国中に広がり、昔から利用されてきた運河がある。
 この倉庫街は、運河を利用して物資を運ぶための帝都の港でもあった。
 船に貨物を詰み込むための開けた場所が、アリスと料理女の選んだ戦闘場所だ。
 睡蓮教団の男たちが撃ってきた銃弾を、アリスと料理女は魔導防壁で防ぐ。
 当然のように料理女が魔導を使ってきたことはともかく、アリスは彼女が作ったその機に反撃を一発撃ちこんだ。
 そして男たちが怯んだその隙に、二人は物陰へと飛び込む。
 黒服の男たちを率いていた赤褐色の髪に緑の瞳の男が口を開いた。
「“料理女”か。なら、そっちの男もやはり怪盗ジャックの仲間だな?」
 “怪盗ジャック”に“料理女”、“怪人マッドハッター”には“眠り鼠”という相棒がいるのは一部で知られている。
 不思議なことに赤褐色髪の男はアリスのことを子どもではなく「男」と称した。まるで彼にはアリスが子どもではなく大人の姿に見えているように。
「その仮面の効果よ。今のあなたは他人の目からは、元の年齢の姿に見えているわ」
 顔自体は仮面で隠れているし、気休めとはいえ、素性を隠せているわけだ。
「詳しいことは後で話す。今はとにかく、この状況を潜り抜けなきゃ」
「今、ヴァイスとシャトンがこっちに向かってる」
「そう」
 物陰から相手の動向を見張るが、隙らしい隙は見せてはくれない。
「あの男、多分幹部クラスだと思うんだけど」
 赤褐色の髪の男は格好こそ他の者たちと同じだが、一人だけ気配が違う。あれはもっと、人を率い命じることに慣れた人間だ。
「手練れはハートの王だけと見せかけて油断させる作戦だったようね」
 結果的にだが、怪盗ジャックがマッドハッターの犯行に割り込み、アリスを引きこんで良かったのかもしれない。怪人マッドハッター一人でこの男とハートの王の二人を凌ぐのはきつかっただろう。
 ティードルダムとティードルディーは魔導の手練れだった。この男は魔導こそ使って来ないものの、身のこなしがあの二人とは違い過ぎる。
「ハートの王は、ハートの女王の直属にして腹心の部下らしいわ」
「捕まえて情報を聞き出せればいいけど……この戦力じゃ無理だろうな。あいつも、ハートの王の方も」
「さすがにまだそこまでするには早すぎる」
 今はとにかくこの状況を切り抜けることだけを考えた。
「出て来い! かくれんぼは無駄だぜ!」
 赤褐色の髪の男が無造作に銃を手にしたまま怒鳴る。
 無造作だが隙は見えない。彼らの目にすらわかる程明らかに戦い慣れている。
 シャトンから通信が入った。
『アリス! 到着したわよ! でもすぐ近くに教団員の姿が見えるわ!』
「こっちは一人連れがいる」
『聞こえていたわ。でもその声……いえ、後にしましょう。それより、相手がまずいわ』
「知ってるのか?」
『通信機から聞こえた口調だけれど、まず間違いないわ。その男のコードネームは“グリフォン”。教団の中でも指折りの武闘派の一人よ』
『直接戦うのはまずいな。私はお前たちに魔導を教えてはいるが、本職の傭兵や軍人と渡り合える程の戦闘術は叩き込んでいない』
 ヴァイスが苦い声で添える。つまり、アリスたちが今相手にしているのはそういう人物なのだ。
『逃げて』
「逃げられねぇぞ!」
 通信機から流れるシャトンの声と、少し離れた場所で叫ぶグリフォンの声が重なって選択を迫る。
「どうする? アリス」
「勝つとは言わなくても、何かしらの手段で追い返したいな」
「難しいわよ」
 料理女はそう告げるが、アリスは意志を変えなかった。
「今ここで俺たちが逃げたら、あの男はもう一度ジャックたちの方へ向かうだろ? 二人が危険になる」
 それが退けない理由だった。元々そのためにこの男たちをあの現場から引き離したのだ。
 怪盗ジャックたちが相手をしているハートの王も手練れだと言う。ならば、彼らがハートの王をなんとかするまで、可能な限り長くグリフォンを引きつけるか、倒すか、撤退させるかするしかない。
 アリスがそう伝えると、料理女は仮面から覗く口元だけで微笑んだ。
「そう言ってくれると思っていたわ」
 アリスは教団に対抗するために、奪われたものを取り戻すために仲間を探して同盟を組もうとしたのだ。
 何もできずに逃げ回っているだけではいけない。
 例えこの身が今、あまりに無力な子どもの姿だとしても。
「一つ提案があるの。ジャックがいつも危なくなったら使っている手よ」
「?」
「警察を動かすわ。あいつらだってこんなところで捕まりたくはないはず。警察が現場に近づけば撤退せざるを得ない」
「怪盗を捕まえるためのパトカーか!」
 怪人マッドハッター専任のモンストルム警部、怪盗ジャック専任のマレク警部。彼らは帝国立博物館から逃走した怪盗たちを捕まえるために、帝都を捜索しているはずだ。
 戦闘では睡蓮教団に分があるかもしれないが、逃走ならば彼らに分があった。怪盗たちは身軽く変装が得意であるし、アリスはそもそもヴァイスたちと一緒であれば警察からは逃げる必要などない。
「警察をここに呼び寄せるんだな。でもどうやって?」
「――派手な花火を打ち上げましょう」

 そして、打ち合わせをされたヴァイスが文字通り魔導の花火を夜空に打ち上げる。

「ちっ! まだ他に仲間がいたのかよ!」
 こちらの目論見通りパトカーのサイレンが近づきはじめると、グリフォンは舌打ちしながら撤退を始めた。
「命拾いしやがったな。怪盗のお仲間さん?」
 一般市民ではなく怪盗たちと同じく後ろ暗い犯罪者だと思われたことが功を奏したと言うべきか、睡蓮教団は深追いせずに撤退する。
 料理女の言によれば、いつもこうなのだと言う。
 睡蓮教団も怪盗たちも、後ろ暗い立場であることは同じ。夜半に街中で派手な戦闘を繰り広げて警察を呼ばれてはたまらない。
 特に教団は地下で活動する犯罪組織であり、表向きには一般市民の信者を多数抱えている。幹部が警察の厄介になることなど、あってはならなかった。
 逆に、怪盗はそれを利用することにした。強力な後ろ盾を持たない怪盗ジャックは、自分が睡蓮教団に負ければ終わりだ。深手を負わぬよう、危険を感じたらあえて警察を呼び寄せて教団の人間を追い払うのである。
 常にそんな調子であるため、怪盗と教団の戦いは、これまで長く決着がつかずにいた。
「――で」
「私たちも逃げないと。こんなところで警察に見つかったらどの道事情聴取は避けられないわよ」
「なんか凄く理不尽!」
 こそこそしなければいけないことに不条理を感じつつも、アリスは料理女の言葉に従って、彼女と一緒にその場を後にした。

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