Pinky Promise 115

第5章 パイ泥棒の言い分

20.揃わないピース 115

 ――例の会合の後の話だ。
 ギネカに関しては、このままヴァイスが車で自宅まで送っていくことになった。
 本来の帰宅手段はネイヴのバイクだったのだが、深夜運転に付き合うならネイヴのバイクよりもヴァイスの車の方がいいらしい。
 どうせヴァイスのマンションとギネカの自宅はすぐ近くだ。わざわざ家の前までは送らず、ヴァイスたちが自宅に帰ればそのまま送ったことになる。
 いつかのように途中の道でアリスたちと話す。いつか――アリスの正体を確かめたあの日と違うのは、今日はシャトンも一緒にいることだ。
 いつも通りがかる公園も、誰もいない真夜中は、彼ら子どもたちの世界だ。
「それにしても、まさかあなたが“料理女”で、幼馴染の彼が“パイ泥棒のジャック”だったなんて」
 シャトンは感心したようにギネカに言う。
「まったく気づかなかったわ」
「私たちももう怪盗歴五年だもの。結構年季が入ってるでしょ? 隠すことにも慣れて来たのよ」
 ネイヴの催眠能力を使えば、姿を偽ることなんて簡単だ。
「……何故、今更俺たちに本当のことを教えてくれたんだ? ギネカ」
「……あなたたちの目的が、私たちと同じだってわかったから」
 アリスの問いに、ギネカは誤魔化さずにまっすぐに答えた。
「それに、私は信じてた。私だけじゃない。ネイヴも。あなたたちなら、私たちを信じて受け入れてくれるんじゃないかって」
 両親を殺されたネイヴが、打倒睡蓮教団のためにできることなんてほとんどない。なかったのだ、その当時は。
 七年前はほんの十歳。そんな子どもが、帝都を牛耳る犯罪的宗教団体にどうやって立ち向かえと言うのか。
 ネイヴは頭が良くて身体能力こそ高いが、言ってしまえばそれだけなのだ。
 財産や権力など、個人の分を超えた大きな事を成せるような特別な力なんて、何一つ持っていなかった。
 それでも両親を殺された現実に対し泣き寝入りなどしたくなかった――。
「警察に頼るというまっとうな方法で教団を瓦解させることができないなら、私たち自身の手でやるしかない」
 真実を知ろうと行動した過程で、ネイヴは睡蓮教団が社会の様々な機構に根を張っていることを知ったのだと言う。当然、警察や様々な業界の権力者たちにも、教団の人員は入り込んでいる。
 だから彼らは自分たちの存在を教団の敵対者であると誇示し、いつか打倒教団のために手を組める相手を探す“怪盗ジャック”と相棒の“料理女”になった。
「ネイヴの両親は、息子の能力に寛容で、同じように接触感応能力を持つ私のことも可愛がってくれたわ。……あの人たちを殺した教団を絶対に赦せない。ネイヴのように不幸になる者を増やしたくないの」
 街中で両親に甘える子どもを見つめる幼馴染の目はいつだって寂しそうだ。
 ギネカはそれを見るのが嫌だった。
「そっか……」
 アリスが教団と関わるようになってまだほんの数か月。ギネカとネイヴは、もう五年も教団と戦い続け、覚悟を決めていたのだ。
 高等部で一年間ずっと友人として過ごしていても、案外気づかないものなのだなと。
「ま、俺としても相手が知ってる顔で逆に良かったよ。まったくの他人を一から信用するのって難しいもんな」
「そうね。私とかね」
「あ……」
 まったくの他人から始まったシャトンが言う。
「……最初の頃、何かあったの?」
「「まぁそれなりに」」
 元々教団の一員であったシャトンと、アリストの友人であったギネカ。信用しやすいのは間違いなく後者だろう。
「でもその難しさを乗り越えて今は相手を信じられるようになったら……それはそれでいいじゃない」
 シャトンとアリスたちの間にあるものをなんとはなしに察し、それでもギネカは本心を吐露する。
「私は、料理女のことよりもむしろ接触感応能力のことばっかり気にしてた。怖がられたら、気味悪がられたら、心を読まれたくないから近寄るなって言われたらどうしようって――」
「ギネカの力はみんなの役に立ってるじゃん!」
「前回の事件だって、その力でイモムシから情報を聞きだしたおかげでエラフィ=セルフを救出できたようなものよ」
「……ありがとう。今回はアリストと、その姿に戻れる時計を作ってくれたシャトンのおかげね」
 誰かが誰かの役に立って、そうして支えられている。
「ただ……ヴェルムにはどう言おうこれ……」
 ギネカは珍しく情けない表情で眉を下げた。お互いの事情に理解を示してわかりあえたと喜ぶのも束の間、深刻な問題が一つ発生している。
 前回のエラフィ救出事件の際、ヴェルムは怪盗ジャックに激しい拒絶を見せていた。結果的に協力関係になったとはいえ、果たして潔癖な彼がここ数年ライバル関係にあったジャックのことを素直に受け入れられるだろうか。
「……正直、イモムシに事情を話すのは少し待った方がいいと思うの。私の時も、白騎士は随分苦労したみたいよ」
「ヴェルムは俺たちと違って真面目だからなぁ」
「まぁ、探偵なんてやっていくには、その意志の強さが必要なんでしょうね」
「簡単に犯罪者に迎合する探偵……確かに駄目そうね」
 三人は溜息をつく。
「でも、そのうちわかってくれそうな気がする。簡単じゃないけど、苦労するだろうけど、こっちが誠実さを失わずに説得し続ければ」
「アリス」
「だからこそギネカは俺たちに正体を明かしてくれたんだろ。友達だから。本当に困った時には助けてくれるはずの友人だって知ってたから、嘘を吐き続けるよりも、真実を話して協力する道を選んだんだろ?」
 信じていたというのは、そう言うことだ。
「……ええ。そう」
 信じていた。信じていたかった。だからその通りに行動したのだ。
 そこで言葉も心も届かないぐらいの間柄なら、きっと秘密を隠し続けていた後は、もっと辛くなるだけだから。
「あなたたちに、本当のことを言えて良かった」
 だから、まだ戦える。

 ◆◆◆◆◆

 深夜に電話がかかってくる。
 緑色に輝く帝都の象徴のタワーの上で、一人遥かな眼下の街並みを眺めていた彼はそれを受け取る。
「はいはいこちらヘイア」
『やぁ、“三月兎”』
「またお前か、“ジャバウォック”」
 ヘイアとは『鏡の国のアリス』で三月兎が名乗る名だ。
 いつもいつも口出ししてくる情報屋からの連絡に、三月兎は溜息で応えた。
「それで、何の用だ」
『お言葉だね。せっかく君の弟に関して教えてあげようと思ったのに』
 頼んでもいないのに情報を押し付けてくる情報屋は、今日も勝手に教えてくる。
 三月兎自身も、本当は知りたいと思っていることを。
『彼は無事だよ。怪盗ジャックとアリスが傍にいた。でもアリスたちとの協力関係は断り続けている……ねぇ』
 エメラルドタワーの展望台。中ではなく外の外壁に腰かけていると、風の音が酷くうるさい。
 その風の音の中でも、その声は祈りのように切実な響きを湛えていた。
『弟のところに帰ってやらないのかい?』
「……」
『生きている今のうちだけだよ。会いたい人に会えるなんて』
「……」
 三月兎は咄嗟に言葉を失い、自分の中でも何度も何度も迷ったことを改めて考え直す。
『変な小細工を考えず、会える時に会ってあげなよ』
「……どうした。今日はよく喋るじゃないか。こちらとしては、お前に俺たち兄弟のことをとやかく言われたくないが」
 ひとまず、自分が最終的にどういう決断をしようと、それを逐一情報屋に報告してやる義理はない。
『僕にはもう時間がないからね』
 けれど返された言葉の意外さに、三月兎は初めて暗黙の了解の果てに禁忌としていた、情報屋の素顔について尋ねた。
「時間? お前はそんな老人だったのか?」
 なんとなくだが、三月兎はジャバウォックのことを若者だと思っていた。彼は組織の中に組み込まれた歯車という感じがしない。これはまだまだ、自分の視えている世界だけで好き勝手やっている子どもの視点だ。
 ジャバウォックの場合、その「視えている世界」が人より段違いで広いだけ。そう思っていた。
 ジャバウォックという情報屋がこの世の全てを知るのは、辰砂の魂の欠片を生まれながらに有しているからだろう。
 それがわかっていた三月兎は、だから情報屋の正体に関してはもう気にしないことにしていた。ジャバウォックの持ってくる情報の出所が辰砂の魂の欠片からであれば、地上で現実の人間の経歴をあさったところでジャバウォックの正体に辿り着けるとは思えない。
 けれど今「時間がない」と言う言葉を耳にして、初めてこの電話の向こうにいるのがはっきりと生きた人間であることを実感する。
『違うよ。まだまだまだまだ老人なんて呼ばれる歳じゃない。ぴっちぴちだよ』
「死語だ」
 本当に若いのかどうかわからない。
 老人なのか、大病でも患っているのか、それとも。
「お前にはひょっとして、自分の未来も視えているのか……?」
『僕には元々未来なんて大層なものは視えないよ』
 自らが死ぬその日すらも、全知全能の情報屋は知っていると言うのだろうか?
『ただ、今この瞬間、破滅を願う人の存在を知っていれば、そこから少し先を予測することもできる』
「破滅……もしかして、ハンプティ・ダンプティか?」
 帝都を混乱に陥れ続ける殺人鬼の名に、三月兎は苦い顔になる。
 あの殺人鬼の行動は三月兎にとっても不安要素の一つだ。だがジャバウォックは殺人鬼を止める気はないらしい。
「何故お前は、そうまでしてハンプティ・ダンプティを気に掛ける? お前に時間がないというのも、その関係なのか?」
『別に、大した理由じゃないよ』
 後半の質問には答えずに、ジャバウォックはいつものように、言いたいことだけを口にする。
『僕だけじゃない。全ての物事に終わりが迫っているんだよ。三月兎。だってこの街には、“アリス”がいる。僕らの待ち望んだ“アリス”が』
「……何故、そんなことが言える。お前は一体、彼の何を知っていると言うんだ?」
 問いを投げかけた瞬間、しかし三月兎自身の中にその答が閃いた。
「ジャバウォック……もしかしてお前、アリスの傍にいる人間なのか?」
『そうだよ』
 姿なき――姿を見せぬ情報屋は言い切った。
『彼を信じている。彼でなければ救えないものがあるんだ』

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