第6章 真理の剣
21.赤の王の葬送 122
教室は不穏な熱狂で満ちていた。
普段の怪盗の犯行による熱狂とは違う。先日の二大怪盗対決でどちらが勝った負けたの議論の決着もつかないまま、今日はその話題で持ちきりだった。
「ねぇ、聞いた? 今朝のアレ!」
「怪人マッドハッターの?」
「それに、噂だけど怪盗ジャックが誘拐事件に巻き込まれてるって話も聞いたよ!」
「一体どうなってるのかしら」
「ガセだろガセ、怪盗が殺人をするわけないじゃん」
「でもわからないわよ。元々盗んだものを返す、あの怪盗たちには謎が多かったんだもの」
あちこちで飛び交う噂話。集団は違っても、話される内容は同じ。
怪盗の話題だ。
その中でも高等部のとある教室では。
フート、ムース、レント、ヴェイツェ、エラフィと言ったいつもの面々で集まっていた。
ルルティスとギネカは今日欠席だ。
ヴェイツェは顔色こそ悪いものの、教室に顔を出している。
折よく、と言う訳でもないが、一時間目の授業は休講だった。
なんでもヴァイスがヴェルムを手伝って警察の方に詰めているかららしい。
それは担任からではなく、ヴェルムの幼馴染であるエラフィから得た情報だった。
「……」
「ニュースでやってたわね。怪人マッドハッターの殺人容疑と、怪盗ジャックの誘拐容疑」
いつものようにエラフィが話題を切り出す。
「でも、怪盗ジャックは前にエラフィが誘拐された時、俺たちを助けてくれたって」
レントたちはその時彼と直接顔を合わせたわけではないが、ヴェルムを手伝って誘拐犯の一味を蹴散らすことを手伝ってくれたのだとアリスやシャトンから聞いた。
そんな人物が、とても子どもを誘拐するとは思えない。
「何かの罠……じゃないですか?」
ムースがおずおずと切り出した。殺人容疑をかけられている以上、マッドハッターであるフートとその相棒であるムースは事件が解決するまでここ数日は大人しくしていようという話になった。
いつもは彼らを盛大におちょくる側の怪盗ではあるが、帝都の警察は無能ではない。
人間の犯した殺人事件など、すぐに真犯人を見つけるはずだ。
「罠?」
「うーん、マッドハッターとジャックの怪盗としての人気に嫉妬した誰かが、罪を着せた……とか?」
エラフィの適当な推測は、レントにすぐに否定される。
「それにしてはちょっと事件が大掛かりじゃないか? 嫉妬で殺人と誘拐を引き起こした挙句、その罪を正体もわからない怪盗二人に着せるとか」
「……確かに、それだけのガッツがあるなら特定分野で歴史に名を残すぐらいの大業成し遂げられそうね」
エラフィも自身で思い直したのか、溜息をついた。
「と言っても、マッドハッターとジャックの件を同じ人間、あるいは団体がやったとは言い切れませんよ?」
「じゃあ二人の怪盗それぞれに恨みを持った連中がたまたま同じタイミングで殺人と誘拐を引き起こしたのか?」
「それもなんだか無理があるような……」
一同は再び顔を見合わせ、全員が溜息をつく。
今回の事件には某かの作為を感じるものの、その正体はいまだに霧の中だ。
「……厄介だよね」
ヴェイツェがぽつりと零した。
「僕たちは所詮部外者だからこうしてあれこれ言ってられるけど、現実に殺人と誘拐事件が起きている以上、警察はそっちの調査をちゃんと進めなきゃいけないだろ? それまで怪盗たちの嫌疑は晴れないんだ」
「警察も忙しそうよね」
街はしばらく騒がしくなりそうだ。
「なぁ、さっき罠って言ったけど」
レントが素朴な疑問を口にする。
「罠だとしたら、誰のための罠なんだ?」
「誰って……」
怪盗たちへのただの嫉妬や嫌がらせで起こされた事件でないことは、先程の会話通りだ。
しかしそうなると、怪盗以外の誰かがこれらの事件を仕組んだ意図が気になる。
「怪盗たちが犯人じゃないなら、いずれバレるだろ? なのになんでこんな事件を起こしたんだろう。何が狙いなんだろう?」
「狙い……」
ジャックとマッドハッターに罪を着せることで真犯人が得られるものとは?
「……マッドハッターとジャックが容疑をかけられることによって、まずこの二人は動けなくなるわよね」
エラフィは、今も怪盗の殺人嫌疑を晴らすのに忙しい幼馴染のことを考える。
「そうだね。殺人や誘拐ともなれば、お宝を返すいつもの盗みとは警察の気持ちも違うと思う」
ヴェイツェも頷いて続ける。
「怪盗たちを追う警察も動けないんじゃないか? 部署の違いはあるだろうけど、かなりの人数が出払うことになるだろ?」
周囲は怪盗の疑わしさについて話すところ、彼らは事件に関しその一歩先に踏み込もうとしていた。
「――帝都中の目が、怪盗たちとそれを追う警察に向けられることになりますよね」
「もしかして今回の容疑は陽動で、警察の目を怪盗に向けている間に何かの事件を起こそうって奴がいるんじゃないか?」
レントの推測は、ついにそこへと辿り着いた。
「そんな大それた話?」
「……実際数週間前に、帝都の三か所を爆破しようとした奴がいたような」
「う……」
誘拐された当の本人が呻く。エラフィ誘拐事件の犯人が引き起こそうとしていた被害。あれだって成功していれば大惨事になるところだった。
「まぁ……これ以上話しても仕方ないか。ここで怪盗は無実って前提で真犯人の存在と真意を探ったところで、私たちが捜査に口出し出来る訳でもないし」
「エラフィさん」
「それに、ヴェルムならそのぐらいわかってると思うのよ。あいつがいる限りマッドハッターとジャックの冤罪を晴らすのは大丈夫でしょ」
それまで沈黙を保ち続けていたフートはつい、ぽろりと口に出す。
「……ジャックもマッドハッターも人を傷つけるような真似はこれまでしなかったけれど、やっぱり疑われるんだな。これが日頃の行いって奴か」
「……フート」
「馬鹿ね」
案じるムースの向こう側から、エラフィがそんなフートの密かな自嘲をきっぱりと一蹴した。
「え?」
「まだ証拠が挙がったわけでもないのに、踊らされる方が悪いのよ」
レントもエラフィに加勢する。
「相手が悪人かどうか? それぐらいなら、見てればわかると思うよ」
「見てればって……でも怪盗だぞ。正体も普段何してるかもわからないんだぞ? これまでの行動は全部、人気取りだったのかもしれないじゃないか」
「そんなことないよ」
大人しそうに見えて、意外と意志の強い友人ははっきりと言い切る。
「例え相手が姿を偽り、本心を隠していたとしても」
仮面で顔を隠し、本当の目的を秘密にしていたとしても。
「本当のことを言えなくても、嘘をついていたとしても」
何を行うにも建前や理由が必要で、いざ問われたら当たり障りのない答しか口にできないとしても。
「それが誰かを傷つけるためかどうかなんて、見てればわかるよ」
「……!」
想いは、届くのだろうか。
みんなは、わかってくれるだろうか。
「フートなんかその典型じゃん。口では言いたいこと言うけど、俺たちが困ってたりしたら、いつだって手伝ってくれる」
「え……」
「俺は、マッドハッターやジャックもそういう人なんだと思うな。怪盗をやってるのにも何か理由があるんじゃないかって」
「面白半分で世間や警察をからかって力を誇示するためだけに怪盗をやってる奴が、誘拐された私を助けるのを手伝ってくれるわけないじゃない。それも怪しい黒服と戦闘になってまで」
彼らが話し終える頃、丁度休講の一限目を終えるチャイムが鳴り出す。
「早くこの騒ぎが……無事に終わればいいのにね」
ヴェイツェの言葉に、全員で深く頷いた。
◆◆◆◆◆
小等部の方でも、子どもたちが話をしていた。
「だから、マッドハッターもジャックも絶対無実ですって」
「だよなー」
「でもみんな、あの人たちはやっぱり悪い人だったんだって言ってる……」
怪盗好きのローロ、ネスルやカナールは、朝のニュースで怪盗たちが殺人と誘拐の嫌疑をかけられたことに酷くショックを受けて何とか弁明しようとしていた。
「騙されちゃ駄目ですよカナちゃん! まだ警察はマッドハッターやジャックが犯人だったなんて証拠を見つけてはいないんですから!」
怪盗ファンのローロが熱弁する。
「そうですよね? テラス君!」
「うん。少なくともうちの父さんのところにはそんな話来てないよ」
「テラス君のお父さんはなんて言ってるの?」
「父さんは三課だから殺人は担当外だけど、『マッドハッターがそんなことするはずない』って言ってる」
フォリーもこくりと頷く。
「アリスちゃんたちはどう思う」
「マッドハッターもジャックも無実だよ」
「本当にそう思う?」
「ええ、そうよ」
ただの同級生に同意を得ただけ。それでもアリスとシャトンがしっかり頷くだけで、カナールは少し安心したように笑顔になる。
嘘ではない。アリスたちは信じている。そして知っている。
彼らが冤罪であることを。
これが、睡蓮教団の罠であることを。