Pinky Promise 145

第7章 黄金の午後に還る日まで

25.赤の女王の夢 145

 無数の硝子玉の瞳が見つめてくる。数々の人形が並ぶ、ここは彼らの根拠地。
「さすがの仕事ぶりだなぁ、赤騎士。俺たちを散々煩わせてくれたハンプティ・ダンプティを殺るとは」
「まぁな」
 グリフォンの言葉に、赤騎士は頷いた。
「あの子どもの正体や色々と謎は残りましたが、ひとまず我々にとっての憂いはこれで消えたと見ていいでしょう」
 ハートの王が言う。
 彼ら睡蓮教団の関係者を次々と殺害した敵対者、ハンプティ・ダンプティを、ついに一行は追い詰めて殺害した。
 その正体や殺人の動機についても警察に入り込んだ関係者が上手く隠蔽し、これでハンプティ・ダンプティの復讐と言う線から教団の犯罪が明るみになることはない。
 秘密は無事に守られたのだ。
 廃ビルで謎の子どもにしてやられるなど様々な失態もあったが、こうして無事に警察に捕まることなく敵だけを葬り去ることができた。
 教団が表向きに出した犠牲は結局のところ二十人程。
 寿命で死んだ過去の事件の首謀者はともかく、ハンプティ・ダンプティに殺害された者が総勢十八名。そして最後の一人は――。
「多くの犠牲を出したものだ。まったく胸が痛いよ」
「よく言う。自分の父親まで殺しておいて」
 芝居がかったハートの女王の台詞に、グリフォンがくっと皮肉な笑みを浮かべる。
 ハンプティ・ダンプティ対策をおざなりにした元教祖・赤の王を殺害し、彼らの直接の上司であるハートの女王が見事に教団の代表として君臨することになったのだ。
「これで名実ともに俺たちの女王様がトップに立ったわけだ」
「けれど女王陛下、教団は元々あなたが立ちあげたと伺っていますが」
「ああ。それねぇ」
 どさくさまぎれに父親の暗殺を実行し権力を握った娘は、そんな未来を考えていなかった昔に思いを馳せる。
「僕……と言うか、僕と友人の御遊びだよ。二人の秘密にアリスの名をつけて楽しいごっこ遊び。それに途中から目をつけたのが、お父様さ」
 『不思議の国のアリス』の良さは、何と言ってもその個性的な登場人物の多さだと彼女とその父親は思っていた。不思議の国と言う枠組みの中で事情を知る者と知らない者を区別することができる。
 敵も味方も総ては物語の住人なのだ。そこには彼らの名があり、個性があり、役割がある。
 だから友人の発想をそのまま組織に反映し、教団を大きくしていった。
 誰も傷つけない箱庭で、自らを救ってという友人との約束を破り。
「元々組織を率いるべき人の手にその権力が戻った訳ですね」
「……」
 ニセウミガメの言葉にハートの女王は考える。
 元々の持ち主と言うのならば。
 これは彼女の夢、彼女の物語だ。
 ハートの女王はそれを彼女と分け合った。
「憂いは、本当に消えたのかな?」
 トップを殺して彼女が教団という小さな王国の玉座に座ったように、人の死は事態を動かす。
 こうしている間にも、新たな物語が動き始めているのかもしれない。

 ◆◆◆◆◆

 帝国、帝都の中心地に存在するジグラード学院。そのまさしく世界の中心たる場所を、珍しい客人たちが訪れていた。
 ジグラード学院は様々な施設を外部の人間にも解放している。そのうちの一つに、世界最大の蔵書を誇る図書館がある。
 通称“バベルの図書館”。
 『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』のように超古代の文学作品にその名はある。ホルヘ・ルイス・ボルヘスによって書かれた幻想的な短編小説。無限の書架を持つ図書館で、司書たちが彼ら一人一人の「弁明の書」を探す話だ。
 その話になぞらえて、世界最大の蔵書数であるこのジグラード学院図書館をバベルの図書館と呼ぶ――のだと、大体の人間は思っている。
 しかしここがバベルの図書館と呼ばれる理由は、それだけではなかった。
 無限の図書室。
 物質として書物の形態をしている訳ではないが、真実ここには「弁明の書」と呼ばれる人々の運命を記録した年代記がある。そしてそれを収める無限の書架は、現実とは次元を隔てた異空間として存在する。
 今回彼らが集まったのは、その異空間に用があるからだった。どんな堅牢な城壁にも叶わない、三次元と隔絶された異空間の中でなら秘密の話ができる。
 とはいえ、彼らにとってはそれもまた使い慣れた個室程度の意味合いしかないのだが。
「……まさか、彼らがそうだったとはね」
 誰かが口火を切ると同時に、一斉に溜息が吐き出された。
「復讐鬼ハンプティ・ダンプティ。そして姿なき情報屋ジャバウォック」
「怪人マッドハッターこと帽子屋もな……まぁ、こちらはもう一人当てがある状態だが」
 ジャバウォックことテラス=モンストルムが、帽子屋の正体の一人、フート=マルティウスを連れて消えた現場を直接目撃していた白の王――アブヤド=マレク警部は言う。
「俺が、もっと早く気づいていたら……」
「気にしても仕方がないでしょ。誰だって過去には戻れないわ」
 落ち込むペタルダをフリーゲがただ労わる。魔導士であるペタルダは彼らが何らかの力を秘め、不思議の国の住人としてコードネームを持っている存在であることまでは感じ取れたが、それが具体的に何者であるかまではわからなかったのだ。
「出遅れたな。我々も片手間だったとはいえ」
 白の王国のメンバーは、元々は数百年に渡り創造の魔術師・辰砂の魂の欠片を集めていた集団だった。
 ある時それを邪魔する一大勢力、睡蓮教団と激突して彼らを表社会に影響を与えず秘密裡に処理するための方法を模索していた。
 教団の対処にも動くが、元々の目的は“白い星”の収集。トレジャーハンターを名乗って各地の遺跡を巡り、曰く付きの品々を探して回っている。
 帝都には連絡役のゲルトナーをジグラード学院に残し、不思議の国の住人であることを自ら表明している怪盗ジャックの対策にマレク警部が直々に動いていた。
 ここ数年はそれで回っていたのだ。
 ――ハンプティ・ダンプティが現れるまでは。
 復讐鬼の存在は、睡蓮教団と白の王国を始めとするその敵対者たちの戦いの均衡を一気に壊した。
 彼は表社会に知られないように活動するという両者の無言の協定を大きく破り、他の敵対者たちにない荒っぽさで次々と教団の人間を手にかけた。
 しかし。
「そんな事情だったなんてね」
 ゲルトナーがアリスやヴァイスから聞いた事情からすると、ハンプティ・ダンプティを責めるわけにもいくまい。
 連続殺人鬼として帝都の民を震え上がらせたハンプティ・ダンプティの正体は、まだ十七歳の高校生。
 背徳神の魂の欠片である自身が教団に目をつけられたせいで、両親を教団に殺害された少年だったのだ。
「……我々の失態だ」
 教団が数々の凶悪な事件や事故を引き起こしていることは、白の王たちも知っていた。それが世間の明るみには出ないことも。
 それでも十年前にヴァイスが教団の勢力を大きく削ってからは、それ程大きな事件は起きてはいなかった。
 だから被害は少ない、教団への対処を多少後回しにしても大丈夫だろうと……。
 たった数人の被害?
 教団の活動によって家族を殺された者にとって、それは絶対に代わりなどいないたった一人だ。
 何年も前のこと?
 遺された者たちにとっては、まだ、たったの数年。
 むしろ若ければ若い程、憎しみは募るのかもしれない。大事な人を奪った犯人は今ものうのうと、輝かしい人生を送っているのに、と……。
「やはり、人は愚かだな」
 マレク警部がここで言う「人」とは自分自身のことだ。
 彼もかつては復讐者だったのに、同じように復讐を望む者の気持ちをわかってやれなかった。喉元過ぎれば熱さを忘れるのは、人類の悪い癖だ。
 より多くの人々を守るためだと理由をつけて、小さな悲しみを無視した結果がこれだ。
「やはり、我々はもう表舞台に立つべきではないのでしょう」
 永い時間を生きてきた神々の眷属。あまりにも永く行き過ぎて人の心を忘れていく彼らが前に出過ぎれば、人が人として生きる世界ではなくなってしまう。
「いつだって時代を救うのは、その時代を生きる者でしかない」
 過去も、未来も今を救えない。
 今が、過去と未来を救うのだ。
「ならば我々も、賭けてみようか。あの少年に」
 この時代に生き、残酷なお伽噺を終わらせるはずの主人公。
「アリスの戦いに――」

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