楽園夢想アデュラリア 01

002:勧誘

「大体なんだよ、魔族からの宣戦布告って……本気で戦争をするつもりなのか?」
 フローミア・フェーディアーダは七つの大陸から構成された世界だ。
 サンたちが今いるのは藍色の大陸、別名を中央大陸と言い、その名の通り世界の中心に位置している。他の六大陸は中央大陸を囲むように時計の二、四、六、八、十、十二の位置に存在し、これらの大陸同士の間に広がる海は一、三、五、七、九、十一の名がつけられている。
「当然だ。もはや人類と魔族の衝突は避けられない局面に来ている。サン、お前も他人事ではないぞ。お前だって人間なのだから」
「俺は生まれてこの方十三年間、人間以外の生き物になった覚えはねえよ。だがそれと、あんたたちのために戦うのは別だ。俺は別に魔族の襲撃くらい一人で躱せる」
 七つの大陸の交流は薄い。ほんの数百年前まで魔獣の襲撃が活発で人々は陸地を行くのにも苦労し、海路は更に危険であった。今はかつてより科学技術が発達したものの、魔獣が殲滅されていない以上移動の不便さは似たようなものである。
 これらの事情のため、大陸の中の問題は大陸の中で解決するのが原則だった。――自分で対策しなければ、いつも都合よく勇者様が現れて助けてくれるとは限らないのだ。
「せっかく勇者に相応しい腕があるのだから活かせばいいじゃないか。お前の活躍が、人類の未来を決めるんだぞ」
「勝手に人に責任を押し付けるな。俺は勇者じゃない。――父さんとは違う」
 黒い流星の神話以来、各地に現れた魔獣の存在はそれまで人間と魔族の間で保たれていた平和と均衡を崩した。二つの種族はもはやどちらかを滅ぼし合うまで戦いを止められないとしている。
「……やれやれ。相も変わらず強情な奴だ。昔、この城を出ていくと言った時と同じ顔をしているぞ、お前」
「……だろうな。俺はあの頃から変わってない。だがお前は変わったな、アルマンディン。よりによって、お前が俺に勇者になれと言うなんて……」
 かつては魔導と科学の発展により叶わぬ願いはないと言われたこのグランナージュの王都も、ここ数年の魔族との戦争によってすっかり様変わりしてしまっていた。
 アルマンディンもパイロープもグロッシュラーも、少しずつ変わったようであり、それでもまだ変わらない部分もある。
 一番外見の成長目覚ましいのはあの時八歳の子どもだったサン自身であるが、内面は五年前とほぼ変わっていない、
「今までは言わなかっただけで、私はずっとお前が勇者に相応しいとは思っていたぞ? だからここへ呼んだんじゃないか」
「もういい。どの道俺はお前たちの命令を聞くつもりはない」
「!」
 先程から話を聞いていた人物の一人、ユークが殺気をぶつけてくるが、サンはどこ吹く風だ。
「お前だって五年前、俺の頼みを聞いてくれなかったじゃないか。王が民を守るから民は王の言うことを聞くのだと言うなら、俺にとってお前は今も昔も、王様なんかじゃない」
「サン君……」
 グロッシュラーが心配そうな顔で異母姉と昔馴染みの少年を見比べる。彼が心配しているのはアルマンディンか、サンか、それとも両方なのか?
「今のお前には私が何を言っても無駄なのだろうな。だが、サン。これだけは預言しよう」
「あんたいつから占い師になったんだ」
 説得を諦めた訳ではないらしいアルマンディンの、思わせぶりな言葉遊びに付き合う気はない。
「いいから聞け。――お前はきっと“勇者”になる」
「はぁ?」
 これまでのやりとりを無視した女王の発言に、サンは片眉を上げた。
「クオの息子と言う名に縛られたお前が解放されるには、父親を超える勇者になるしかない。お前はきっと勇者になるぞ、サン」
「……ふざけてる。あんたに占いの才能はなさそうだ」
 そう吐き捨てると、サンは女王に別れの言葉の一つもなく踵を返した。

 ◆◆◆◆◆

 王堂を出たのは自分が一番だと思ったのに、いつの間に先回りしていたのか。ユークとフェナカイトの二人が、城の柱廊の真ん中でサンを待ち構えていた。
 この城の床は磨き抜かれた大理石だが、壁の向こうには警備システムが幾つも積んであるはず。外観は古風な絵本に出て来そうな尖塔の多い「お城」だが、中身は最新にして最高の科学技術で管理されている。
 五年離れていたサンよりも、今では目の前の二人の方が王城に詳しいだろう。
「で、何の用だ?」
「勧誘の続きだよ。――少年よ、俺たちと一緒に、勇者やりません?」
 ふざけた台詞だがサンが気になったのはそこではない。
「俺“たち”?」
「うん。俺と、彼と」
 そう言ってフェナカイトはユークの方を振り返る。
 この二人は、サンを王都に連れてきた使者である。ユークはともかくフェナカイトの方は城勤めという雰囲気ではなかったので疑問を覚えたのだが、そういうことか。
 ――フェナカイトは光に透けそうな程淡い白金の髪と瞳を持つ青年で、今年二十二歳になると言う。
 飄々とした穏やかな態度ながらどこか鋭さを併せ持つ人物で、戦士という様子ではない。アルマンディンが選んだのであれば相応の腕だろうが。
 ――ユークの方は、サンより二歳年上の十五歳。燃える炎のように鮮やかな緋色の髪と瞳をしている。
 額当ての布地の上に更に瀟洒なサークレットをつけているのが、サンには何故か酷く気になった。
 ユークは人が想像する典型的な美少年であり、貴族でもあるようだった。パイロープと似たような装飾的な鎧をしっかり着込んだ姿からは、黙って立っていてもどこか威嚇されているように感じる。
 そして今は、華やかな顔立ちに険しい目つきの棘を含ませて、明らかにサンを睨んでいた。
 非友好的な態度のユークには触れず、フェナカイトが言葉を続ける。
「俺たちは二人とも、女王陛下の命により勇者として動いている。君の仲間だ」
「俺はあんたたちに協力する気はない。……それに、あんたはともかく、そっちの奴も俺と仲良くする気はなさそうだけど」
「当然です」
 ただの使者ではなかった二人を改めて見比べ口にすると、ユークの方からきっぱりと敵意が返ってきた。これまでは険しい顔つきの内に溜め込んでいたようだが、もう我慢する必要もないと言ったところだろう。
「女王陛下の命令とはいえ、誰があなたなんて認めるものですか! いくらクオ様の息子だからって――」
「おいおい、ちょっとユー君!」
 ユークの発言に、フェナカイトが慌てだす。彼らの任務はサンを説得して共に勇者として活動する了承を取り付けることだ。いきなり喧嘩を売ってどうする。
「悪いけど俺は、説得と言う名目で父さんの名を出されて当てつけられるのが一番嫌いなんだ」
 今の時点でこの二人――と言うか、ユークに対するサンの心証は最悪だ。向こうもそうであるならちょうどいい。
 仲良くする必要なんてない。
 サンと彼らはこれまでがそうであったように、これからも一切無関係な他人として生きるのだから。
「俺は勇者にはならない。あんたたちとは組まない。説得は失敗したとアルマンディンに告げて、あんたたちだけで魔王を倒せばいい」
「そうしますよ」
「いやいやいや! ちょっと待ってよ二人とも!」
 フェナカイトは慌てだすが、ユークはむしろ鼻を鳴らして頷く。
「行きましょうフェナカイトさん。魔王を倒すのは、僕ら二人で十分です」
「そんなわけないだろ! だって向こうには――」
「とにかく! そいつを説得するのは時間の無駄です! 勇者を集める必要があるなら他の人間から選べばいい」
 気にせず歩み去るサンの後方で、二人は話し続けている。
「たくさんの人間が今も魔族に苦しめられているのに見て見ぬ振りをする男になんて、女王陛下の家臣は務まりません!」
「そうは言ってもさぁ……」
 サンはアルマンディンの家臣になりたいなどと思ったことは一度もない。あれはユークの望みだろう。
 いかにも貴族らしい彼のことだ。女王に仕えるそれが最高の名誉であり責務であると信じて疑っていないのだろう。
 サンにしてもユークの態度は、そんな風にしか思えなかった。

 ◆◆◆◆◆

「で、今度はまたあんたたちって訳か?」
 争いが続く今の時代では珍しく手入れされた庭園を抜けて辿り着いた城門の前。再び姿を見せたパイロープとグロッシュラーに、サンはうんざりとした顔を向ける。
 二人のことは嫌いではないが、先程のユークとのやり取りで気が立っているのだ。
 自分が死した英雄クオの息子と言う複雑な立場である以上、人々から様々な負の感情をぶつけられるのは慣れている。それでもユークの相手は非常に疲れた。
 何も知らないくせに。陳腐な小説の悲劇に酔った主人公が吐きそうな台詞を、思わず口にしてしまいたくなる。
 そう、誰も知らない。分かち合えない。サンの境遇は。
 あの時一番近くにいたアルマンディンたちでさえ完全にはサンの味方ではなかった。なのに誰がそれを理解してくれると言うのか。
 魔王が倒された直後の世界で、勇者の死は偽装された。永い戦いに疲弊した民衆の喜びに水を差したくはないと。
 犯人はどうせ、勇者の台頭によって自らの権力が危うくなることを恐れた権力者の誰かだろうと。しかし国は、犯人探しを否定した。
 それなら、クオの立場はどうなる。
 理不尽に殺された彼の死を誰も悼まない。犯人は今ものうのうと生きているのに。サン以外の誰もそれを怒りも嘆きもしないのだ。
 世界中が平和を取り戻して浮かれていた最中、サンは一人で父を殺された悲しみと向き合っていた。
 だから今、世界がどうなろうと知ったことではない。自分以外の全ての人間が苦しんでいる? そんなもの自分で解決しろ。
 人は勇者のためには何もしてくれない。ならば勇者なんて、何のために存在するのだ。
 魔王を倒した英雄と言う名で平和のための生贄になんてなるぐらいなら、一生平和なんて訪れなくて構わなかった。父が死んだあとの世界を平和と呼ぶのなら、一生戦いが終わらなければ良かったのだ。
 誰かのために戦うなんてまっぴら御免だ。サンは自分のためだけに戦う。
「サン」
 どこか憐れむような表情で、パイロープがかつての弟子を前に口を開く。
「勇者になれば、女王陛下から“神器”という強力な武器を与えられる」
「神器?」
「ああ、旧世界の神々の遺産とも呼ばれる魔導具の一種だ。使いこなすには相当の技量が必要だが、お前になら扱えるだろう。そして」
 パイロープは一度、サンがきちんと話を聞いているのを確かめるように意味ありげに言葉を切った。
「神器があれば」
 これを言いたかったのだろう、彼女はサンの人生の根底に触れる。
「クオ様の仇討ちをしやすくなる」
「……!!」
 それは王宮に来てからかけられたどんな言葉よりも、サンの心を揺さぶる台詞だった。
 勇者になって人々を救うという綺麗なお題目や、こちらを怒らせて売り言葉に買い言葉で言質を取ろうとするやり口ではない。
 だからこそ抗いがたい誘惑が心を揺さぶる。
 五年前、八歳で王宮を出たサンはその日からずっと、あの日父を殺した暗殺者を探し出そうとしてきた。暗殺者を見つけて、誰がクオ殺害の依頼をしたのか突き止めるために。
 当時の王と政府は、ようやく取り戻した平和に水を差したくないとばかりに、クオの死を魔王との戦いによる傷が原因だと嘘の発表をして事実を隠蔽した。しかし。
「君がそれを望み、もしも犯人を捕まえられるなら真実を明らかにしてもいいと姉上……女王陛下は仰っている」
 グロッシュラーは告げる。サンが魔王を倒し、父の仇を討つのであれば世間にクオの死の真実を公表しても良いと。
 正直抗いがたい誘惑だ。
 けれど。
「……俺は、自分の力で父さんの仇を取る。あんたたちの力は借りない。――今更真実を晒したところで、何になるって言うんだ!」
 もう、何もかも遅いのだ。
 勇者は死んだのだ。五年も前に。
「サン」
「サン君」
「……じゃあな」
 サンは城門をくぐり王宮を去る。