楽園夢想アデュラリア 01

005:神々の遺産

 サンは地を蹴る。この日のために鍛えて来たのだ。例え相手が手練れの暗殺者だろうが、負ける訳には行かない。
「待てサン! その武器じゃ駄目だ――!」
 フェナカイトが何か忠告をしているようだが、暗殺者の女だけを見据えて駆けるサンの耳にはもはや戦い以外の全ての音は耳に入らない。
 だが、相手は五年前、幼い少女だった時点で英雄の暗殺を任される程の手練れ。女はサンの攻撃を軽々とその鎌で受け止める。
 そして。
 バキッ!!」
「なっ……!」
 女の武器に押し戻された瞬間、サンの手元で嫌な音がした。
 広場の階段に叩き付けられそうになったのを、宙返りで体勢を整えてなんとか回避する。しかし、その手元からはばらばらと金属の欠片が零れ落ちた。
 サンの武器であった双剣は、女のその一撃だけで全壊してしまったのだ。
 刃が折れ、柄までが砕け散った破壊の痕跡はとてつもなく不自然だった。
 何より、いくらサンがまだ相手の女より小柄だとはいえ、あんな大振りな得物を振り回し少年一人を軽々と吹っ飛ばす膂力は常軌を逸している。
「何っ……!」
「なんだ、お前は神器使いじゃなかったのか」
 女がつまらなそうに言う。
 神器とは神々の遺産と呼ばれる魔導具の一種で、とても強力な武器だとパイロープたちは説明していた。
 しかし、ただの武器だと斬り合いにもならないような、これほどの差があると言うのか……?!
 武器を失って無防備になったサンに、女が追撃をかけようとする。
 その瞬間、素早く連続した銃声が割り込んだ。
「ああもう、お前はすっこんでろ!」
 銃撃で牽制をかけたのはフェナカイト、女がそれを躱すためにできた隙に、ユークが巨大な斧を振り上げる。女は鎌の柄で斧の柄まであえて踏み込み受け止めた。
 ガツッ、と鈍い音が響く。
「この斧を受け止めるとは……!」
 二人は至近距離で睨み合う。獲物が大振りであるほど、その間合いの内側では何も手出しはできない。
「まぁ、中々の神器だ。だが使い手の腕と一緒でまだまだ甘いね」
 あれだけの巨大な得物を振り回しながら、女の身のこなしはサンと同じくスピード型の戦士のそれだった。一撃の破壊力が高い代わりに素早さで一歩劣るユークとは相性が悪い。
「ユーク!」
「大丈夫ですフェナカイトさん、それより早く“勧誘”を済ませちゃってください!」
「……そうだね!」
 この非常事態に似つかわしくない勧誘と言う言葉に、サンは横に立つフェナカイトの方を振り返る。
「大丈夫なのか、あいつ」
「相性が悪いから勝てそうではないんだけど、まぁ目を離した隙に殺される程でもないでしょ」
 逆に言えば戦いが長引けばその恐れもあると言うことだ。その割にフェナカイトは心配する素振りも見せない。
「俺の銃も一対一じゃあのお嬢さんには通じそうにないな。いやー、本当に強いね」
「感心してる場合か!」
「するでしょ。あれが本当にクオ様を殺した相手だというなら」
「っ……!」
 しっかり会話を聞いていたフェナカイトの言に、サンは二の句を告げない。
「神器使いに、普通の武器は通用しないよ。あれはそこに存在するだけで大きな力を持っているし、使い手の身体能力まで強化するんだ。だからこそ人間の勇者が魔族と戦うためには神器が必須となる訳だね」
「身体能力の強化……?!」
 先程、女がサンを軽々と吹っ飛ばした膂力の正体はそれか。
「君も色々と稀有な人だね。女王陛下が勇者に推すのもわかる凄腕だ。だからこそこれまでどんな武器でも構わず戦って来れたんだろう」
 だが、神器使いには通用しない。フェナカイト自身が今そう言ったばかりではないか。
 飄々とした態度の男は、その口で更にサンに告げた。
「さて、ここで復讐を望むサン少年に朗報だよ! 勇者を目指すあなたには、今ここで俺たちが女王陛下から預かっていた神器を貸し出すことができます!」
「あんのかよ! 余分な神器が!」
 非常時にもかかわらずサンは突っ込みを抑えきれなかった。
 魔族の集団を一掃できるような強力な武器を、自分たちが使うのとはまた別に持ってきているとはどういうことだ!
「これが俺たち“勇者”がわざわざ君を直接勧誘に行った理由だ。何かのはずみに情報が漏れて魔族が襲ってきた際に、普通の使者だと歯が立たないからね。魔族の中にも神器使いが複数人いるって情報は入ってきてたから」
 サンや一般市民の知らないところで、大陸中の王国と魔族の情報戦はすでに始まっていたのだ。
 神器がこれだけ桁違いの力を持った武器なら、その存在一つで戦局が左右されるだろう。
 そのために魔族側も、こうして勇者たちの内情を探ろうとしてきたのだ。
 人間が魔族を倒すには、彼らの身体的、魔導的防御力の高さが厄介だった。神器はその条件を完全に無視して攻撃を通すことができるという切り札だ。
「――さぁ、“勇者になりたい”と言いなよ。君の運命を左右する決断をここでしちゃえ」
「軽く言うな。他人事だと思って」
 運命を左右する決断なら、そこは普通よく考えて決めるべきだと言わないか?
「残念ながら他人事じゃない。君が勇者になるなら俺たちも一蓮托生だ。今、この会話をする時間をわざわざユークレースが稼いでいるようにね」
 フェナカイトはなんでもないことのような口調で、下手をすれば大陸の命運をも左右するようなことを言ってのける。
「俺は君に命を懸ける覚悟を決めた。ユークも。君はどうする?」
「いいのかよあんたら。ここで神器を手に入れたって、俺はそれをあの女への復讐のために使うぞ」
 大陸の人類を救う崇高な志などサンはまったく持ち合わせていないのに、それでもサンを勇者として認めると言うのか。
「それで魔族側の厄介な戦力を削れるなら言うことはないよ。ついでに魔王も倒そう」
「本命をついで扱いかよ」
 貴族的な高慢さと女王の命令に忠実なあまり過剰な敵意を持ち合わせるユークに比べれば、フェナカイトはまだまともだと思っていたが、実際はそうでもなかったようだ。
 だが、五年前から世間に反発して生きてきたサンには、そのくらいの相手の方が付き合いやすい。
 ――そして、少年は決断する。
「……いいぜ。わかった。俺の復讐のついでに魔族と戦ってやる。だから神器を寄越せ」
「はいよ」
 差し出した手に乗せられたのは、宝石のついた二つの腕輪だった。知恵の輪のように軽く組み合わされているが、捻ればすぐに外すことができる。
「これが神器の本体だよ。両腕に嵌めて君が望む武器の姿を思い浮かべれば、それが形になる」
「……わかった」
 ――魔導とは、意志の力だと聞いたことがある。
 サンに魔導の素養はまったくないので詳しいことはわからないが、それでも使える確信があるからフェナカイトはこれを渡してきたのだろう。
 いつも使っていた、先程女の一撃で全壊してしまった双剣を思い浮かべる。
 ――両腕に嵌めた腕輪が薄青い光を放った。
 今までの武器と寸分たがわずとは行かず、むしろ装飾が増え無駄に豪華に見える双剣がサンの両手に出現する。
 手に取った瞬間から、それがかなりの業物であることにサンは気付いた。
「じゃ、そろそろ苦戦気味のユークの加勢に行こうか」
 ハッとして振り返ると、確かにユークは女に押されていた。大きな怪我はないが、頬に一筋赤い線が走っている。
「俺が行く」
 言外に援護は任せたと告げて、サンは再び石畳を駆け女へと斬りこんだ。
 ユークの斧と斬り合いをしていた女が、突っ込んでくるサンに気づいて躱す。噴水の彫像を盾に、素早くサンから距離をとった。
「げっ!」
 空回りしたサンの一撃が、広場の彫像を木端微塵に破壊する。
「なに、街を壊してんだお前は!」
「仕方ないだろ! こんなに威力があるとは思わなかったんだ!」
 ユークのような大斧ならともかく、サンの得物は細く短い双剣だ。速さと手数で勝負するための武器で、初めから威力は求めていない。それでも単に振り回すだけで石の彫像を軽く砕くほどの力がある。
 これならいける。大鎌使いの女にも対抗できる。ユークの小言を無視してサンが気合いを入れ直した時だった。
『――大変そうね、天空』
 目の前の女とは、また別の女の声が広場に響いた。
 低く冷たい印象を与える大鎌使いとは違い、穏やかで優しげな声だ。
 けれどその内容は、魔族側の新手を告げるものでしかなかった。
 空間に黒い穴が空き、一人の女が現れる。
 真っ直ぐに腰まで下ろした漆黒の髪、その中に一房だけ特徴づけるように白い毛束がある。黒い瞳は涼やかな切れ長で、口元は穏やかに微笑んでいる。
 まるで人間にしか見えない見た目、かなり力の強い魔族だ。
 彼女の服装は、どこか神官じみた雰囲気を連想させる。
「さっきの人狼たちを引きこんだ……」
 人狼たちを呑み込んだ虚空はこの女の仕業だったようだ。そう言えば回収だとか言っていた。
「メルリナ」
「天空、いくらあなたと言えど、神器使いを一度に三人も相手にするのは難しいのではなくて?」
「おや、援軍を連れてきてくれるのかい?」
「スーがちょうど帰ってきたところなの。あなたが望むなら送るわよ」
「あの坊やは神器をここで初めて手にしたんだよ。熟練した使い手になる前に殺しておいた方がいいと思うんだがね」
「そうね……」
 サンたち三人に緊張が走る。確かにいくら腕があろうと、サンはまだこの神器に慣れていない。これ以上援軍が増えるのはまずい。
 けれど事態は、勇者側にも魔族側にも思いも寄らぬ方向に転がった。

「じゃあ、私もサンたちに加勢しようかなぁ」

 すり鉢状の広場の外縁、一同を見下ろす高い場所から、幼い声がのんびりと参戦を宣言した。