楽園夢想アデュラリア 02

008:ユークレース

 女王によってそれぞれ与えられた客室、貴賓室と呼ばれるその場所に向かう途中の柱廊で、勇者と呼ばれる四人は話をしていた。
 まったく今日は色々なことがある日だった。
「だから! なんで言えないんだよ!」
「えー、だってぇ」
 ……正確には、色々なことがある日である、だろうか。慌ただしく騒がしい稀有な一日はまだ現在進行形で続いている。
「お前ら、もういい加減にしろよ」
「そうだよ、喧嘩は良くないよ」
「フェナカイトさんは、不審だと思わないんですか?! こんな怪しい奴……! どう考えても普通の子どもじゃないですよ!」
 ユークはまだラリマールのことが気に入らないようだ。女王の前ではまだ抑えていたが、何とか身元を聞き出そうと頑張っている。とても鬱陶しい方向に。
「勇者を目指す奴が普通の子どもじゃ困るだろ」
「俺の見解を言わせてもらえば、ユー君もサン君も十分普通じゃないよ」
 サンとフェナカイトの二人はそれ程勇者の格式がどうのと拘りはないため、ラリマールが勇者になりたいと言うのをそのまま受け入れるつもりだった。
「あーもう、あなた方はどうしてこう……! 僕だって相手が本当にただの勇者志望の子どもならここまで食い下がりませんよ! でも……!」」
 サンの時も散々ごねたのだ。今更ユークがラリマールに関して普通じゃないと言い出しても、そもそもサンはユークが普通の相手を普通に相手する時の態度とやらがさっぱりわからない。
 そもそも、普通とは一体なんなのだろう?
 サンは勇者の息子としての人生しか知らない。父親を暗殺されて仇討ちを目指す人生しか、知らない。
「その辺にしとけよ、ユーク」
「サン、お前」
「ラリマールが怪しいかどうかなんて、これからの行動でわかることじゃないか。それともお前は不信感ばりばりで警戒しているこいつの挙動を見逃す程の間抜けなのか?」
「なっ……!」
 サンの挑発に、わざとらしいとわかっていてもユークは動揺を抑えきれなかった。
「もういいです! あなた方に何を言っても無駄だってことがわかりましたから!」
 見た目は美形の将軍様は、それを台無しにする形相でぷりぷりと怒りながらその場を去っていく。
 フェナカイトが苦笑しながらラリマールに取り成そうとする。
「ごめんね、あの子も根は悪い子じゃないんだけど、女王陛下のためならどんな残虐行為でも躊躇しない程融通が利かないんだ」
 あまりフォローになっていなかった。
「いいさ、別に。私も自分の不審さはわかっているつもりだ。でも私はどうあっても、私以外の存在にはなれない」
「……」
 サンはラリマールの言葉にここではない何処か、彼らではない誰かに向けられたような含みを感じながらも、ひとまずはフェナカイトに声をかけた。
「行ってやらなくていいのか?」
「じゃあ、御言葉に甘えてそうさせてもらうよ。ラリちゃん、後のことはサン君に聞いてね」
「って、オイ」
 フェナカイトはユークの後を追って去っていく。
「俺に聞けも何も、勇者の決まりごとなんて俺も何も知らねーよ……」
 何せサンも本日の先刻アルマンディンから勇者に任命されたばかりである。勇者の権限がどれだけあるかもわからない。
「ま、いいか。城の中ぐらいは案内してやる」
 サンは八歳までここに住んでいた。城の中を歩くのは慣れたものだ。五年もあれば馴染みの顔も変わってはいるだろうが、そこで遠慮したりするサンではない。
「やったぁ」
 ラリマールは満面の笑みを浮かべると、サンの背中に飛びついてきた。
「ちょ、おい、お前!」
「ありがとう! サン!」
「あのな……」
 今まで周囲にいなかったタイプだ。文句を言おうとしたサンだったが、あまりに邪気のない笑みに思わず毒気を抜かれてしまう。
「なぁ……ラリマール」
「なんだ?」
「お前、昔助けられたのって……探してたのって、本当に俺か?」
 十歳の子どもが言う昔が一体どれだけ前のことなのかなどサンには見当がつかない。元々幼いラリマールが更に子どもの頃というのだから、その時はサンも今の彼より年下の子どもだったのだろうか。
 自身の物覚えがいいなどと思ったことはないが、サンはラリマールに関するような出来事を、さっぱり覚えていなかった。
 銀髪碧眼なんて容姿はありふれている。サンはある意味有名だが、顔立ち自体はあまり特徴のない顔立ちだと自分でも思う。
 誰かと間違えているのではないか。しかしラリマールはそんなはずはないと言う。
「間違いなくサンだ。他の人間じゃない。だから私は、その時の恩返しをしたかった。……いや、そうじゃないな。私がもう一度サンに会いたかったから、こうしてやってきたんだ」
「……」
 背景は何も説明していないのに裏をまるで感じさせない様子に、サンの胸は逆にざわめいた。
「いいのか? 俺の手伝いなんて。だって俺は……お前の事まったく覚えてないってのに」
 一方的に知られているのは居心地が悪い。同時に、自分だけが忘れていることにそこはかとなく罪悪感を覚える。
 ラリマールの方はさっぱり気にしていないようだが。
「ああ。それは別にいいんだ。仕方ない、私はその頃姿が違ったから」
「は?」
「成長途中で見た目がかなり変わったんだ。だからサンが覚えてなくても無理はない」
「見た目が変わったって……」
「よくあることだろ?」
「よくあることなのか?」
 物心つくかつかないかの幼児の頃から父クオに似ている、そっくり、生き写しだと言われ続けてきたサンには実感が涌かなかった。確かに父の古い写真を見ると、どれもこれもそこに映っているのがまるで自分自身だと錯覚してしまいそうな程に、自分は父に似ているのだ。
 不意にあどけない見た目にはそぐわない酷く大人びた顔をして、ラリマールは語る。
 稚い口調や声と、その内容のギャップに苦い物を覚えた。
「私は昔はとても弱くて、何にも使えない奴だったんだ。一族は兄を始めみんな私のことを見放して、私は独りだった」
「……」
「別に酷いことをされた訳じゃない。ただ放っておかれただけだ。まだろくに動けもしないような小さな時から。――でも」
 暗く沈んだ空色の瞳に、光が宿る。
「ある日、銀髪の親子が私を助けてくれた。父親の方は私にとっては恐ろしい人だったけれど、息子が父親を説得してくれた」
「恐ろしい? 父さん……英雄クオが?」
 今の台詞で、ラリマールの言うサンとの出会いが五年以上前のことだと確定した。よくそんな小さい時の話を覚えているものだと感心すると共に、やはりサンはラリマールの話に覚えがなくて困惑する。
「父さんは魔獣や悪人以外には外面が良……優しい人だったと思うけど」
「今の台詞で、サンが父親をどう思っていたのか大分よくわかったなぁ」
 はははとラリマールは軽やかに笑う。
「それに……お前には悪いけど、やっぱり覚えがないよ」
「うん。いいよ別に。思い出そうとしなくて。そんなことしなくても、今こうしてサンと一緒にいられるからいいんだ」
 その笑顔を見て、サンはこれ以上ラリマールとの過去について追及するのをやめることにした。
 自分は何も覚えていないが、ラリマールが嘘をついているようには見えない。何より、ラリマール自身が思い出さなくて良いと考えているようだから。
 何かの原動力となることはあっても、それそのものは思い出したくない記憶というのもあるだろう。サンが常に復讐を意識しながら、クオが殺された日のことを思い出したくないように。
 だが、決して忘れることはできない。脳裏に焼きついた父の死に顔と、天空の翻す長い白い髪の影が消えない。
 ――過去の悪夢を振り払うためには、復讐が必要だ。
 天空を倒して暗殺の依頼主を聞き出し、父の仇を討つ。
 サンにとってはそれが生きるための原動力だ。ラリマールにとっては弱い自分を振り払い一族とはまったく別の生き方を選ぶことなのかもしれない。
「ま……なんだかんだで魔王を倒すまで長い付き合いになるだろ。よろしくな。ラリマール」
「こちらこそ、サン」

 ◆◆◆◆◆

「ユー君」
「その呼び方、なんだか凄く子どもになったような気がして不快なんですけれど」
 フェナカイトに呼ばれ、広い王宮の長い長い廊下を足早に歩いていたユークは足を止める。
 振り返った彼は表情だけは平静なものへと戻っていた。
 けれどフェナカイトには感じられる。その平静さは、嵐の前の静けさだ。
「俺から見れば君はまだ十分子どもだよ。そんなに早く大人にならなくてもいいんじゃない? 子ども時代は一度しかないんだよ?」
「僕は、子ども時代なんか要りません。最初から大人として生まれて来れたならその方が幸せでした」
「無茶言うなぁ」
「どうして」
 ユークの胸の中には常に吹き荒れている感情の嵐がある。
「どうして僕は、もっと早く生まれて来なかったんでしょう?」
「女王陛下のことかい?」
 あくまで軽い調子で尋ねるフェナカイトに、ユークはいつもと同じ抑揚で、いつもは内に秘めていた本音を吐露する。
「英雄クオの偉業は理解しているつもりです。けれど、次代の勇者にわざわざその息子まで引っ張ってくるなんて……陛下の御心が理解できません。それ程までに……」
 女王はクオを欲していたというのか。
 ユークでは力不足だというのか。
「……サンの実力は認めましょう。あの強さ、さすがにクオ様の息子です。それに」
「俺たちよりも早く、真っ先に人々を助けるために駆けて行ったね。勇者に相応しい人格じゃないか」
「ふん」
 先程の人狼、そして天空との戦いを通じて、ユークはひとまずサンの実力を認める気になった。そりが合わないのは事実だが、女王が彼を推薦するだけのことはある。
 けれど、それだけなら彼の代わりが誰もできないなどと言うことはない。
 優秀な人材であることは確かだが、代わりがいない程ではない。それはまた、ユーク自身にも言えることではあるが。
 どうして彼なのか。
 どうして自分ではないのか。
 代わりのいない人材ではないのなら、女王に身命を捧げる意志のある人間では何故いけないのだろうか。
「君も難儀な人生を送っているねぇ」
「そういうフェナカイトさんは、どんな過去を持っているんです? 僕はまだ、あなたの素性を知りません。あなたに関しては戦乱に巻き込まれたところを女王陛下に拾われて、その力に興味を示した陛下が勇者の道を勧めたことしかわかりません」
 ユークはフェナカイトに関しては、女王が連れてきたというただ一点を理由に全面的に信用している。だから彼の過去は知らない。
「まぁ、それなりに色々あったよ。今でも毎日考えることがある。女王陛下はその悩みといっそ全面的に向き合うために勇者になったらどうかと、貴重な神器を俺に与えてくださった」
「あなたが適合者だったからです」
「そうだね。でもそれで十分だろう? 俺の過去になんて、君は本当に興味あるの?」
「それは……」
 これまで興味を持って来なかった。サンとラリマールの登場がなければ、ユークはこれからもフェナカイトの過去になど興味はもたなかったかもしれない。
 知らずとも行動を共にできるほどには、フェナカイトが勇者であることに納得していた。
「でもサン君には驚いた。なんであの子は神器を使えるって、女王陛下にはわかっていたんだろう?」
 強力な魔導具である神器だが一つだけ扱いの難しい点がある。神器は適合者を選ぶのだ。神器に選ばれなければ、使うことはできない。
「我らが女王陛下も謎が多いねぇ」
 フェナカイトがやれやれと溜息をつく。
 一言で語れない過去や思惑を抱いているのは、何もラリマールだけではない。
 サンもフェナカイトもアルマンディンも、ユークだって彼をろくに知らぬ人間からすれば謎の塊かもしれないだろう。
 人と人が本心から理解し合う程難しいことはない。
「でも俺が考えるに、女王陛下について君は一つだけ勘違いしているよ」
「勘違い?」
「そう」
 自分が女王を誤解しているという言葉にユークは純粋に驚き、フェナカイトの言葉の先に耳を傾ける。
「あの方が欲しているのは、本当はクオ様でもサン君でもないと思うんだ」
「では、誰が……」
「アルマンディン陛下が欲しておられるのは」
 まるでそれが真実、神の託宣かのように厳かにフェナカイトは告げた。
「“勇者”という存在そのものだ」