楽園夢想アデュラリア 02

011:水の神器

「ユーク!!」
「あーらら、お仲間が大変だぜ。気の毒にな、あんな最悪な女の相手をしなくちゃならなかったなんて」
 スーはますます激しい銃撃をフェナカイトに浴びせる。
 神器の銃から飛び出す弾丸は、相手に向かって真っすぐ飛ぶとは限らない。迂闊に目を逸らせばどこから襲って来るかわからない攻撃に、フェナカイトはユークの下に駆けつけようとしては邪魔される。
「退いて欲しいんだけど……!!」
「嫌だね。お前が治癒術の使い手だろ。俺は天空が他の奴らを全員掃除するまで、お前だけ足止めしていればいい」
 フェナカイトはスーを倒すか完全に振り切りユークを治療するだけの余裕を作る必要があるが、スーはフェナカイトの足止めだけをすればいい。
 形勢の不利に、フェナカイトは舌打ちをした。

 ◆◆◆◆◆

「ラリマール!」
「サン、その女を頼む!」
 スーを放り投げた後サンたちに合流するはずだったラリマールが進路を変える。夥しい量の血を噴き溢しながら倒れたユークの下へと駆け寄った。
 ようやく体勢を立て直したサンは天空へと飛び掛かり、先程ユークがそうしたように追撃を防ぐ。
「あっちの坊やにトドメを刺してやりたいんだけど」
「それをさせないために俺がいるんだよ!」
 天空はまるで肩を竦めそうな口振りだ。
「無駄だよ。心臓こそ避けたようだが、あの傷じゃもう助からない」
「……ッ!」
 そんなことはサンにだってわかっている。
 天空がユークに与えた傷は深い。暗殺者であるこの女が敵に致命傷を与える機会を逃すはずもない。
 だからって何もしないわけには行かないだろう。一分でも一秒でも。
「時間稼ぎの一つでもすれば、まさか奇跡が起こるとでも? 諦めなよ、英雄の息子」
「いいや……! まだだ……!!」
 悪足掻きだと嘲ける鮮やかな笑みに叫び返す。
「仮にも勇者と呼ばれる奴が、何もせずに死ぬわけには行かないだろう!」

 ◆◆◆◆◆

「ユーク! ユーク! しっかりしろ! ユーク!」
 耳元で誰かが叫んでいる。けれどその声は、死の淵にあるユークにとってはまるで水の幕を通したように朧気だった。
 これまで経験したどの戦いよりも死に近づいている。ユーク自身にもそれがわかった。
 こんなものか、と思った。
 自分の力は。それが通用しないと言うことは。
 勇者を決めると女王が言い出した時、ならば自分をとユークは申し出た。王国軍の中で一番強い戦士であるという自負がある。魔族を殺し魔王を倒して平和を勝ち取るのならば、自分がやるしかないと。
 魔獣を倒して五年間の平和を人類に取り戻した英雄クオのように、再び異種族の脅威に襲われたこの国を救わなければ。
 けれど女王の構想は、ユークの想像を超えたものだった。
 まず、勇者は三人以上とする。これはその時グランナージュ王国にあった神器の数から定めたらしい。魔族が神器を使っているという情報から、グランナージュの方でも神器を集めていた。
 おかげで国内の遺跡に存在した神器は集めることができたが、他国の領土にあったものは皆魔族に奪われてしまったと言う。
 魔族は元々身体能力の高さや頑強さで人間に勝る。全ての種族がそうではないが、魔王に率いられて戦う兵士が弱いはずもない。
 勇者となる者は神器を使いこなす凄腕の戦士でなければならないと、女王は国の腕利きの軍人や冒険者の中から勇者を選ぶと言った。
 募集してやってきた人間の中から、条件を満たし選抜戦を勝ち抜いて王宮お抱えの冒険者の称号を得たのがフロー一行。
 だが彼らは、誰も神器に適合しなかった。
 ユークは、神器の一つに適合した。
 それを知った時の感情は、喜びよりも安堵が強かった。これでまだ、国の、女王陛下のお役に立てると。
 けれど女王は、他にも勇者を集めると言った。
 彼女が見つけた勇者の一人はフェナカイト。ユークより七歳も年上で、飄々とはしているが、物腰穏やかな青年。
 幼い頃より名家の長男として兵士たちに交じり鍛えられたユークの周囲にはいなかったタイプの人間だ。ユークが知る男と言えば柳腰の貴族、荒くれ者の兵士、礼儀正しいが腰の低い使用人たち、そのくらいだった。
 フェナカイトの身分は一般市民だと言っていたが、彼は不思議とどんな階級・職業・年齢・性別の相手にも物怖じせず平等で中立とした態度を心がけているようだった。市井の小さな子どもの前でも、雇い主であり国家元首である女王アルマンディンの前でも常に同じ。
 けれどユークにとってフェナカイトは不快な相手ではなかったので、すぐに馴染むことができた。
 問題はそれ以外の二人だ。得体の知れない子どもラリマール、そして。
 サン。英雄クオの息子。
 その名を候補に挙げられた時、わかってしまった。彼女が、本当に欲しかったのは彼なのだと。
 確かにサンは腕利きだが、本人は英雄である父を長く見てきたためにそれ程凄いとも思っていないのだろう。前情報もなくあの強さを見せつけられたら、ユークの目から見ても化物だと思うしかない。
 だからと言って自分の腕が彼に大きく劣るなどとは思わない。得意の戦法が違うのだ。そこを比べる意味はない。
 それでも焼け付くような嫉妬を感じる。サンが女王と対等に話し、彼女の誘いを始めは断ろうとしていたのだから尚更だ。
 サンは確かに強い。だが、強さだけならば彼の代わりになれる人間はいくらでもいる。
 ユークの代わりになれる人間も。
 誰もが英雄クオのようにはなれないのだ。ただ一人の勇者ではなく、今の四人はそれぞれ換えの利くただの駒でしかない。
 ――それでいいのか?
 誰かが囁きかけてきた。
 ――貴方は本当に、それでいいの?
「い、い……わけが……な……」
「ユーク?!」
 掌の下の地面を掻きむしりながら、ユークは体に力を込めて立ち上がろうとする。
 傍にいるのだろう、ラリマールの驚き声が聞こえてくる。サンの叫びも耳に届いた。
「仮にも勇者と呼ばれる奴が、何もせずに死ぬわけには行かないだろう!」
 その通りだ。普段は気に食わない相手だが、こういう時だけは意見が一致するのだな。
 ユークはまだクオと違って何も成し遂げてはいない。魔王を倒せていない。
 こんなところで死ぬわけには行かない。
 僕は。
「女王陛下の“勇者”になるんだ!」
 青い光が、神器に埋め込まれた宝石から放たれて辺りを照らし出した。

 ◆◆◆◆◆

「なんだ?!」
 突然周囲一帯に溢れかえった光に、戦闘の手が思わず止まる。自分だけでなく戦っている相手もそうだが、あまり驚いている余裕もない。
「ふうん」
 案の定天空はすぐに次の攻撃体勢へと移った。彼女が驚きを露わにしたのは、ほんの一瞬のことだった。
「神器が目覚めたか。あっちの坊やは気に入られたようだね」
「神器が……目覚める?」
「なんだ知らないのかい? 神器は適合者を選ぶ。埋め込まれている宝石に人工精霊が宿っていて、彼らがこの力を生み出し、自分たちを使う主を選ぶんだ」
 神器は古い古い時代の魔導具。神々の遺産とは呼ばれるが、実際にはフルム神族よりさらに古い時代に作られているという。
 その正確な仕組みは、魔導の知識を失っていく今の時代の人間には完全に理解することはできない。
「ユーク!」
 先程まで地に倒れ伏していたユークが天空に斬りかかった。明らかに今までより敏捷性が上がっている。
 そして彼の武器であった斧の形状も変わった。
 ハルバード、槍斧と呼ばれる武器だ。斬る、突く、の他に鉤爪で引っ掛けたり叩いたりすることができる。
 多芸故に、その機能を使いこなす判断力や器用さが必要となる武器だ。
 今のユークはその長く重い槍斧を平然と振り回し、自在に使いこなしているように見える。
「仕方ない。退くか」
「どういうことだよ天空! なんで死人が生き返ってんだよ!」
 動揺激しいスーの叫びに、天空はいたって冷静に返した。
「生き返っちまったもんは仕方ない。神器使い四人とまともにやりあうのは不利だ。撤退するよ……メルリナ!」
 天空とスーの傍近くにそれぞれ黒い空間が空く。今日はメルリナの姿は見えなかったが、何らかの形で連絡は取り合っていたらしい。
 立つ鳥跡を濁しまくってはいるが、撤退する時は驚くほど速やかに彼らは退いて行った。
 二人の姿が虚空に消えると、森の中には静寂が戻った。
 遠くで鳥の鳴き声がする。
 サンたちは思わず溜息を吐いた。