015:聖者
フローたちとの会話で、サンは久しぶりに父のことを思いだした。
そのせいか、しばらく夜眠る度に父親の夢を見るようになった。
サンの目的はクオの仇討ちで、いつもそのことは常に頭の片隅にある。
けれど反面、父親であった彼とどんなことをしたか、何を話したかなど、穏やかで優しい記憶は今までずっと奥の方に追いやられてしまっていた。
これは一体いつの記憶だっただろう。王城ではなく、どこかに出かけた時か? あまり覚えのない景色。小さな子どもだった自分が手のひらの上に乗せた温かな命。空色の羽根がちらちらと脳裏を過ぎる。
どこか寂しそうに笑いながら父は言った。
――サン、どうかお前は、決して俺と同じものにはならないでくれ。
……あれは、一体どういう意味だったのだろう?
◆◆◆◆◆
岩壁に張り付くように存在する空中城塞。周囲を魔王の眷属たる鳥たちが長閑に飛び交うその城の中で、怒号が響く。
「あー、畜生!!」
苛立ちのままに、スーは城の彫像の一つを蹴り倒す。乱暴な行動にメルリナが眉を潜めた。
「スー……」
騒がしさは咎めるものの、壊れた彫像に関しては誰も気にしない。見事な芸術品だが、その彫像はまだ魔族と人間が敵対関係になっていない時代に人間の国から贈られたもの。今では誰もその彫像に何の価値も見出さなかった。
「うるせぇ! これが落ち着いていられるかってんだよ!」
天空が宥めるというには明らかにやる気なく声をかける。
「今回はお前の部下も無事だっただろー?」
「テメーにはどうでもいい話だろうが、あの人間共に村一つ焼き討ちにされてんだぞ! 部下が無事でも、俺たちはあの村を守れなかった! これでどうして喜べるってんだよ!!」
今回スーが東方軍を動かしたのは、人間の一団に魔族の村が襲撃されたという報を受け取ったためだった。しかし彼らは遅すぎた。
スーたちの隊がその村に辿り着いた際には、冒険者フロー一行は村の住民たちを虐殺し、遺跡に入り込んだところだった。
フロー一行を殺し、村の仇をとろうとしたスーを天空が止めた。彼らを囮に勇者をおびき寄せ始末するためだ。魔族側は人間たちに比べて数的な不利があるのでどんな機会も逃すわけにはいかない、と。
しかし、結局彼らは、死者の埋葬すらできず這う這うの体で逃げ帰ることとなったのだ。これが悔しくないはずがない。
「落ち着け、スー」
そんなスーを宥めたのは、ちょうど広間へと入ってきたもう一人の神器使いだった。
「ターフェ……」
ターフェと呼ばれたのは青い髪に紫の瞳を持つ、長身で落ち着いた雰囲気の青年だ。
如何にも美丈夫と言った容姿。公明正大な人柄ゆえに魔王軍の中でも最も人気のある将軍である。
「お、帰って来たのか?」
長期任務から戻ってきた同僚の一人を迎え、スー、天空、メルリナは話を聞き出す。
「どうでしたか?」
「今陛下にも御報告してきたところだ。……あの遺跡には、神器はなかったよ」
「そうですか」
ターフェの報告に、メルリナが困った顔で肩を落とす。これまで人間たちの手では探索できなかった遺跡だと言うので期待をかけたが、無駄足だったようだ。
スーは帰ってきたばかりの同僚に、早速人間たちの非道と勇者の存在を伝えようと思わず声を荒げる。
「ターフェ、人間共が魔族の村を……!」
「話は聞いた。気持ちはわかるが、お前は少し落ち着け。天空の言葉に加勢するわけではないが、お前やお前の部下が無事だったのは、十分喜ばしいことだ。我々は救うことができなかったその村の者たちのためにも、人間と戦い彼らを滅ぼさねばならない」
「……そうだな」
スーよりも年長で誰に対しても誠実な性格のターフェに諭されては、周囲に対して怒りを振りまいていたスーも一時的に冷静にならざるを得ない。
「向こうの神器使いとラリマールのことを聞いたよ。私がいない間、随分大変だったらしいな」
「あんなことになるとはねー」
「お前の口から聞くと、まったく大変じゃなさそうだな。余裕があって結構なことだ」
人間の暗殺者であり、裏切った同胞はもちろん魔族に対しても情があるわけではない天空の不真面目な態度さえ、ターフェは鷹揚に包み込んでしまう。
「しかしあの遺跡に神器がなかったとすると、そろそろこちらの戦力増強も打ち止めですねぇ」
メルリナが溜息を吐く。
神器の数が増えれば増える程戦いは有利になり、魔族側の被害は減らせるはず。
だが、ないものは仕方がない。空ぶった遺跡探索の話にいつまでも拘るより、今ある戦力で人類という凶悪な種に勝つことを考えるべきだろう。
「ああ、そうだ。魔王軍の神器使いは、私たち四人とアンデシン陛下の五名しかいない。これ以上神器使いを増やす当てはない」
「敵から奪うと言う選択肢は?」
天空が言った。過激な発案ね、とメルリナが一言感想を口にする。
「それは――」
「それができればありがたいが、恐らく難しいだろうな」
「アンデシン」
先刻までターフェが報告に行っていた魔王の方が、こちらへやって来た。
魔族を統べる王の登場に、広間の空気さえ変わるようだった。
「やぁ。やはり四人の将軍全員が揃うと壮観だな」
「王様!」
スーが声を上げる。メルリナが先程の言葉の意味をやんわりと問いただした。
「相手の神器を奪うのはやめた方がよろしいと?」
「あいつらは大体四人で行動しているようだからな。前回の帰途は別れたようだが、神器使いの一人はグランナージュ王国軍の一部と行動を共にしていた。さすがにあれだけの戦力差はいかんともしがたい」
「かと言って我々五人全員が出撃するとなると、それはもう事実上の最終決戦ですな」
「その通り」
神器の数が勝敗を左右する戦いでは、敵にその武器を奪われないことも大切だ。魔族は人類に比べて圧倒的に数が少ないので神器使いと軍を両方使って人間の襲撃から街や村を守る必要があるが、人間たちの方はそうではない。
グランナージュ王国は魔族討伐のための軍事に力を入れているため、一般兵の練度も中々だ。
現在神器の数はぎりぎり魔族側がグランナージュを上回っているとはいえ、メルリナの神器は攻撃よりも補助的な性能である。戦力を数で競う戦いでは魔族側が圧倒的に不利だった。
「だから、戦力増強に関しては別の方法を考えてみた」
「別の方法……?」
魔王の意外な言葉に、神器使いの四人の将軍は顔を見合わせる。
「実は、こちら側に勧誘したい人物がいる」
「勧誘? 神器使いでもないのに?」
「直接的な戦力ではない。けれどもしも彼を手に入れられたならば、我らが魔王軍は内外に対し大きな求心力を持つこととなるだろう」
魔族も一枚岩ではない。人間との争いを避けて隠れ住んでいる者たちもいる。
アンデシンが勧誘したいのは、そう言った者たちの心を魔族側に傾けさせることができる人物だという。
「面白い考えですわね」
「神器使いに対抗できるのは神器使いだけ。……でも、それ以外の部分で必要な人手を集められるなら」
四人は魔王の話を聞き、それぞれの考えや立場からその案を検討し始める。
「一体どんな奴なんだ?」
アンデシンは笑みを含みながら答えた。
「その相手は――」
◆◆◆◆◆
「聖者?」
「そうだ」
フローたちとの会話から更に数日後、サンたち四人は再び王堂にてアルマンディンに呼び出された。
この数日、王城内でもフローたちとは顔を合わせなかった。どうやら向こうの方が今現在王城を出ているらしい。
多少複雑なものはあるが、そのおかげでサンはここ何日か、密かに悶々としながらも平穏無事に鍛錬の日々を送れて来たのだが……。
サン、ユーク、フェナカイト、ラリマールの四人揃って、勇者としての呼び出しが今日かかった。
そしてアルマンディンがいきなり話し出したのが、国の西方に存在する小さな村に住むという“聖者”の話である。
「で、それがどうしたんだ?」
「と言うか、それが次の私たちへの命令に関係あるのか?」
「もちろん。あるから話したに決まっている」
どうやらアルマンディンはその聖者を自分の陣営に取り込みたいらしく、フロー一行に勧誘を頼んだらしい。
だが。
「結果が芳しくないらしくてな」
今回は田舎村とはいえ、普通に人が住んでいる土地だ。前回のように遺跡近くで電波も届かない山腹ではない。女王たちもフロー一行と連絡をとり、報告も受けている。
しかし、肝心の任務の進捗はいまいちらしい。
「説得には相性があるからなぁ。曲者だらけのお前たちよりは、万人受けする冒険者一行の方が聖者の心を掴みやすいかと思ったのだが」
「悪かったなぁ、人から嫌われることに定評のある曲者で」
「誰もそんなことは言っていないぞ。適材適所という話だ。そして恐らく聖者の説得に最も向かないのはこの私だな。命令を下すのは好きだが、誰かにわざわざ『お願い』するのは好きじゃない」
「女王陛下……」
微妙な顔になる勇者たちの反応を無視して、アルマンディンは話を続ける。
サンたちはどうにも面倒なことになる予感を振り払えず、それは女王の言葉で確かな現実となった。
「お前たちもフローたちに加勢し、聖者の説得を補佐してやってほしいのだ」