020:ベニトアイト
「余計な手出しをするんじゃねぇよ! メルリナ!」
勝負に割り込んだメルリナをスーは怒鳴りつける。しかし常に穏やかに微笑んでいる魔導士の女は、どこ吹く風と言った様子だ。
「あら、ごめんなさい。あなたがピンチに見えたもので」
「なっ……!」
「兵の数が減って来たわ。魔王軍としてこれ以上の損害は許されない。そろそろ撤退しましょう」
「畜生! こいつを殺すチャンスだったろうが!」
次にスーが口にした言葉が、ユークを密かに戦慄させた。
「お前が控えていたんなら、なんで俺ごとでもこいつを撃ち殺さなかった!?」
自分ごとでも相手を殺せればそれでいい。
「あまり過激なことを言わないでくださいな」
それは魔王の意志ではないとメルリナは微笑んでいる。
この期に及んで尚穏やかな彼女は、それ故に激昂するスーよりも恐ろしい。
「過激? 当然の判断だろうが! ここでこいつらを削っておかなかったことが原因で、他に被害が広がったらどうする?!」
「その時はその時よ。さぁ、行きましょう」
闇の顎に引きずり込んだスーを、半ば強制的にメルリナは黙らせる。
虚空そのものが消えた時、ユークは一人、静かに溜息をついた。
◆◆◆◆◆
フェナカイトは村人たちを守るために、ベニトの家の前で襲ってくる魔族の兵に応戦していた。
最後の敵を倒し終え、ほうと息を吐く。
村の中央部ではまだサンたちが戦っているのだろう。剣戟の音は絶え間ないが、戦況に不穏な変化はないようだ。
村人たちの治療もそろそろ終わったことだろう。彼らの様子を見るために小屋の扉を開ける。
「勇者さま。どうした?」
「すぐ近くに敵はいないよ。そっちはどう?」
「怪我人はあらかた癒やし終えたぜ」
避難が素早かったことに加えフェナカイトたちの助けもあって、ここで治療できないような重傷を負った者はいないと言う。
村人の保護に関してはこれで一段落かと思ったが、次の瞬間、ベニトはフェナカイトにとって予想外の行動を見せた。
「村人の治療は終わった。他に怪我をしてる奴は?」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
村の者たちが助かったなら、他に癒すべき怪我人などいるのか?
一人の少年が、おずおずと口を開く。
「あの、さっき僕らが逃げるのを助けてくれた、人間の兵隊さんの腕から血が……」
「わかった、すぐ行く」
フェナカイトは思わずその手を掴んで引きとめていた。
「待っ……外は危険だ! 魔族たちが狙っているのはあなたなんだぞ!」
「だからって、怪我人がいるって聞いて行かないわけにもいかないだろうが。何のための治癒術だよ」
まるでそれが当然のことだとでも言うように、ベニトは言い放った。
「今までだってずっとそうしてきたんだ。俺が出会ったどんな人間だって魔族だって治してきた」
彼は“聖者”なのだ。
人も魔族も分け隔てなく救う。その意思は例え彼自身の命を狙ってきた相手にも変わらないらしい。
「ベニト。だが、今回は……」
村の者たちも今回ばかりはと複雑な顔をしているが、ベニトの意志は変わらない。
「これが俺の意志で、戦いだ。人間にも魔族にも味方しない。その代わり敵にもならない」
「あなたは……どうしてそんなに……」
「相手の意見を力で捻じ伏せるだけじゃ、何も変わらないだろ? それに抵抗を示すなら、同じことをしてはいけないんだ」
相手のやり方が正しくはなくても。
一方的に争いを仕掛けてくるような相手であっても。
聖者はその敵意を受け流し、全てを救う。
「俺はそういう生き方を選んだんだ。これからもそうして生きていく。少なくとも俺の目の前では誰も死なせねーよ」
「ベニト!」
窓の外を眺めていた子どもたちが駆け寄ってくる。人より身体能力に優れた魔族の血を引く彼らには、遠くの戦況もよく見えた。
「怪我してる人、いっぱいいるよ」
「魔族も、いっぱい血が出てる」
「僕たち、他にも怪我してる人探してくるね!」
「あ、おい!」
大人が止める暇もなく、子どもたちは小屋の外へと駆け出して行った。
「お前たちどうして」
大人の呟く声に一人だけ残った子どもが答える。
最初に人間の兵士の負傷を伝えた子だ。
「だって、ベニトいつも言ってる。どうしても耐えられない痛みは、絶対に、絶対に治すからって。僕たちには、ベニトがいてくれるから」
「よし、これから順番に回るけど、いくら俺でも走りっぱなしじゃ先に体力が尽きちまう! 今すぐ命に別状がなさそうな奴は、動けるやつがここの軒先まで運び込んでおいてくれ! 頼んだぞ!」
そうして子どもたちが呼ぶ方へ、救急鞄を担いだベニトも駆けていく。
フェナカイトには、聖者をもう一度引き留めることはできなかった。
「……彼の言うとおり、軽傷者はこちらまで運びましょう。手が空いている方はいますか?」
村の者たちに問いかけると、幾人かがおずおずと頷き始めた。
◆◆◆◆◆
「退却よ、天空、ターフェ」
「あらら。スーが落ちたか」
「負けてねーよ! 勝手に回収されたんだよ!」
「はいはい。もうそれでいいから」
残念なことに宙に空く黒い顎にももはや慣れてしまった。メルリナの神器と魔導により、天空とターフェが撤退する。
結局、決着はつかないままだった。
「少年、英雄の息子よ。我らの選択のどちらが正しいのかは、来る日に魔王陛下の御前にて決着をつけよう」
ターフェはサンにそう言い置く。
魔族の兵士たちも、生きている者は皆例外なく回収された。僅かな死体だけが取り残される。
「サン、ラリマール」
魔導を使わない分だけ、サンたちと合流が遅れたユークもやってきた。
連れてきた兵士たちとフロー一行を指揮して魔族の兵士たちと戦っていたパイロープたちも、全てを終えて戻ってくるところだった。
「なぁ、村の人たちは?」
サンが思わず誰にともなく尋ねた頃だった。
「戦いは終わったようだね」
「フェナカイト、ベニトたちはーー」
「彼らは敵味方なく怪我人の救助と治療に勤しんでるよ。手の空いてる人は手伝って!」
その言葉に勇者たちは顔を見合わせた。
救助? 治療?
相手は自分たちを脅し、襲ってきた魔族や人間の兵なのに?
「ベニトは言ってたよ。これは自分の意志で選択だって。詳しい理由を聞きたいなら後にして、今はとりあえず動こう。魔族なんか助けたくないって人も。とりあえず邪魔だけはしないでくれ」
そう言ってフェナカイト自身はてきぱきと、また治療に戻っていく。
彼自身も治癒術を使える。ベニトの手が追い付かない部分は、フェナカイトがフォローを入れているらしい。
「どうして……」
フローが呆然と呟く。まるで理解できないと言いたげに。
その傍ら、ラリマールがさっぱりとした顔で笑い、サンは張り詰めた気持ちが解けていくのを感じた。
「ベニトは全てを救うつもりなのか。やれやれ、さすがに聖者と呼ばれるだけあるな!」
彼は紛れもなく聖者なのだ。それを今、彼らも理解した。
「そうだな。あともうひと踏ん張りだ」
「……手間のかかる人たちですね」
ユークが苦々しく口にし、再び溜息を吐く。それでもやらないとは言わないのが彼らしい。
サンとラリマールは、自分にできることをするために駆け出した。