楽園夢想アデュラリア 04

021:影の国へ

 魔族側に幾人かの死者を出したものの、被害は動いた兵の数を考えれば、本来想定されたものよりずっと少ない。これもベニトや村の者たちの尽力のおかげである。
「セレスティアル将軍のおかげで、グランナージュ側が有利でしたからね」
 パイロープはサンの剣の師。神器がなくとも魔族と渡り合っていたサンの師匠が、生半な魔族の兵に負けるはずもない。
 更に今回は、冒険者のフロー一行もいた。
 彼らはさすがに負傷した魔族の治療までは手伝わなかったが、村の者たちと一緒に人間側の兵士の治療は手伝っていたようだ。
「ありがとうな。お前たちのおかげで色々助かった」
 散らかった部屋を片付けながら、ベニトがサンに礼を言う。
「いや、もともとは俺たちが勝手に応戦したんだし……」
 魔族が仕掛けてきた時点で、サンたちは自ら戦いの渦中に飛び込んだ。最終的には人間も魔族も敵も味方も入り混じり、誰が何のために戦うのかも疑わしくなってきたところだ。
 ハーフが集うこの村の者たちは、穏やかに暮らしたいところを結局アルマンディンと魔王の思惑に巻き込まれて生活を壊されただけとも言える。
 その混乱の中でも、自分の目の前では誰一人死なせはしないと動いた聖者・ベニト。
 サンは彼をまっすぐに見上げて告げる。
「ベニト……あんたは本物の聖者だよ。俺たち勇者より、女王アルマンディンより、あんたが正しいと、俺は思う」
 アルマンディンのやり方は強引で正しくない。サンは誰よりわかっていたはずなのに、結局は利害が一致するからと、彼女の思惑に乗ってしまった。
 浅はかだったと思う。けれど、深謀遠慮して生きる程の価値もサンは自分の人生には見つけられなかった。
 愚かでいいと思っていたのだ。勇者という称号に価値などない。
 けれどこの村に来て、正しく聖者と呼ばれるベニトと出会ってサンの中にも少しずつある想いが芽生え始めた。
「これからどうするんだ?」
 村民に死者こそ出なかったものの、家々は壊され畑の作物もなぎ倒されている。更に魔王軍に目をつけられたのだ。もうここでは生活を続けられまい。
「アルマンディンはあんたらを追いはしないけれど、生活を保障もしてくれないと思う」
「ま、俺たちグランナージュの領土に住んではいるけど、正規の国民じゃないからな」
 この時代には戸籍を持たない人間も多い。激しくなった魔族の襲撃に社会的な機構のほとんどが駄目にされて、役所など真っ先に機能しなくなったのだ。王国に住みながら戸籍を持たないのは何もハーフだけではない。
「そう言う奴は人間にも少なくはないけど、やっぱり苦労するらしいし……」
 自分たちがこの村に争いを持ちこんだのではないかと思うと、サンの語尾は弱くなる。だがベニトは首を横に振ってそれを否定した。
「魔王軍は最初からああいうつもりで来てた。お前たちがいなかったら被害はもっと大きくなっていただろう。でも俺の出す答は変わらない。そうなると一方的な虐殺になったかもしれない。お前たちがいてくれて良かったよ」
 しかし、それでは彼らはこの先どうするべきか。ラリマールやフェナカイトも案じて口を挟む。
「これからが大変だぞ? 生活のこともそうだが、何より魔族はお前に目をつけているんだ。再び襲って来ないとも限らない」
「いっそ、今なら村ごとまとめて女王陛下の庇護下に入る? それはそれで一つの手だと思うけど……」
「いいや。言っただろ。それじゃ同じことの繰り返しだ。俺たちは誰の味方にもならないし、誰の敵にもならない。伊達で言ってる訳じゃないんだ。施しだけ受け取るなんて矜持が許さないね」
「では、どうするんですか? この地上にあなた方が平穏無事に生きていける場所は――」
 魔族の血を引くハーフたちを嫌うユークさえ、どこか痛ましい表情で村の者たちを見遣る。誰かを嫌うことと、罪のない者を傷つけることはイコールではない。
 だが、憎みあう者が近くいて争わずに生きることはとても難しい。
 それに対し、ベニトは意外な答を返した。
「じゃあ、この地上ではない別の世界に行くよ」
「え?」
「へ?」
 サンたちは呆気にとられる。
「別の……世界?」
「ああ、俺たちは地上を、この世界を去ることにする。自分が自分で居られない場所に居続ける意味はないからな」
 “別の世界”と聞いて呆然としていた四人の中で、ラリマールが真っ先にその言葉に反応した。
「まさか……“影の国”か? かつて創造の魔術師の名を継ぐ大魔導士が創り上げたという――」
「その通り、ここでも天界でももちろん冥界でもない、もう一つの世界」
「魔導を少しでもかじった者は聞いたことがあるというが――」
 ラリマールとフェナカイトはベニトの言う別の世界自体には心当たりがあるが、同時にそれはお伽噺めいた存在だとも認識しているようだった。
 剣と魔法の時代、勇者と魔王の時代とも呼ばれる魔獣の攻撃が最も激しかった時代に創られた新天地。伝説の魔導士は多くの人間と魔族と魔獣さえも引き連れて、その世界へと去った。
「行けるんだよ。俺は行ったことがある。あっちに行って帰って来たからこそ、俺の治癒能力はこんなに強いんだ」
「それって死にかけたってことか?」
 かつて魔導士たちは、死の世界に近づくことによってより強大な力を得たという伝説が残っている。
 中でも最も有名で最も強大な力を持つ魔導士が辰砂。黒い流れ星の神話によれば、今のこの時代を作り上げた元凶とも言える、悪名高い創造の魔術師。
 ベニトの人生にも色々あったということだ。
「俺は争いを望まない。本当ならそれを高々と叫んで人間も魔族も説得するべきなのかもしれないが――」
 ベニトは背後の村人たちを見る。
「……わかってるよ。あんたは、彼らを守らなくちゃならないんだろ?」
「……ああ。俺以外にやってくれる奴がいるならともかく、ここには俺しかいないしな」
 サンも考えてはいた。この村から、彼らからベニトを奪う訳には行かないと。ベニトに懐く子どもたちを見てそう実感したのだ。
 そしてベニトはサンに視線を向ける。
「なぁ、サン。……お前は、英雄クオ様の息子だな」
 今までそれに触れもしなかったベニトの突然の言葉に、サンは思わず呼吸を忘れる。
 この村でサンがクオの息子であることを話題に出す者はいなかったため、てっきり王都やそれに準ずる都市に近づかないハーフたちは、クオのことを詳しく知らないのだろうと思っていた。
 そうでもない、とベニトは首を横に振る。
 ハーフの中でも高齢で二つの種族が寄り添って生きていた時代を知る者や、姿かたちが人間とほとんど変わらない者は人と交流を持ったことがあると。
 彼も昔訪れた王都で、魔獣を倒した英雄として凱旋するクオの顔を見たことがあるのだと。
「お前が気にしてるならすまない。でも俺がこの道を選んだのは、正直なところ、クオ様のおかげなんだ。あの人が魔獣を倒して一時でも平和な時代を作ってくれたからこそ、俺はこうして自分のやるべきことを考える時間ができた」
「父さんは……偉大な勇者だったから」
 言いながらもサンは俯く。
 自分は父のようにはなれない。
「そうだな。でも」
 ベニトの言葉には続きがあった。
「その一方で、不満もある。あの人は魔王を倒して死んでしまった。美しい伝説だけを遺して地上の平和を維持できなかった。俺は、それでは勇者として不完全だと思う」
 サンはハッと顔を上げる。
 だが、父を責めるかと思われたベニトの言葉は、どこか遠くを見るように、少し悲しそうに微笑んで続けられた。
「あの人に生きていてほしかった。物語の終わりを英雄の死で締めるのではなく、俺たちと同じように生きて幸せになってほしかった。あの人が生きていれば、きっと今頃、世界はこんな風にはなっていなかったはずだ」
 強さの頂点として、争いの抑止力として存在することを期待されていた英雄はしかし美しい伝説だけを遺して死んだ。
 魔獣の王も英雄もいなくなった世界。
 クオが死んで僅か数年で今度は魔族が人間に宣戦布告し魔王を祀り上げ、再び争いの時代がやってきた。
 人は争いから逃れられないのだろうか? 本当に?
 恨みを生むのが怖くて、先んじて相手を殺しておかなくては保たれない心の平穏など――。
「平和ってのは難しいな。敵を倒してそれで終わりなのか? いや、俺たちが敵として見ている者は本当に敵なのか? 誰にだって人生がある。俺にもお前にも、魔族にも人間にも――だから」
 相手を武力で捻じ伏せるだけでは決して得られないものもあるだろう。
 そして聖者は告げる。
「お前はどうか、クオ様を超えてくれ」
「父さんを……超える?」
 いつも父親の存在を意識していながら、サンは考えたこともなかった。
 超える? あの英雄クオを?
 それはまるで天啓のようにサンに響いた。
 父とサンを比べ不出来な息子だと蔑む人々の中にいては、決して聞くことのできなかった言葉だ。
「ああ。お前なら、きっとできる」
 昔王都で見た冷たい瞳の英雄の端正な横顔を思い返しながら、ベニトは彼の息子の背を押した。
 魔獣殺しの英雄ではあるものの誰もが認める性格でもなかった英雄の息子にしては素直な少年と混血の聖者の行く道は、こうして交わり、再び離れていく。
「俺はこの道を行くよ。誰に何と言われようとな。いつか戦いに疲れたらいつでも俺たちのいる場所に来て羽を休めてくれ。そう言う場所を、俺は作る」
 生きる場所を求め争い合うのはもうたくさんだ。その言葉通り、ベニトは彼の選んだ道によって、新しい国を作るのだ。
「色々とありがとうな」
 そして彼は魔族と人間のハーフたちを連れて、影の国へと去って行った。

 ベニトアイト=レムリアン。その名は争いを否定し新たな道を切り開いた聖者として、地上と影の国双方の伝説に刻まれることとなった。