026:勇者たちの夜
「サン、頼みがあるんだが」
「なんだ、ラリマール」
サンに与えられた客室を訪ねた子どもは、自分の部屋の枕に顔を埋めながら、いつになく弱気な上目遣いで親の機嫌を伺うかのように言った。
「……一緒に寝て欲しいのだが……だめ?」
しばしぱちくりと目を瞬かせていたサンは、ふっと息を吐くように笑って頷いた。
「いいよ。おいで」
部屋の灯りを消すのと入れ替わりに、天窓を覆っていた雨戸を開く。光源を目印に魔族が襲撃をかけてくるとまずいと、人々は夜間もほとんど建物の外に光を漏らさない。
夜の街は死んだように火が消えて、人々はひっそりと息を潜めている。
こんな生活が、魔王を倒すまで続くのだ。
人々の生活の灯りが再び夜を飾るようになるためには、サンたち勇者が魔王を倒さねばならない。
今日は天窓の外に月が覗いている。その青白く柔らかな光だけが、今は静かに室内に差し込んでいた。
「でも、なんでだ? ラリマール。急に一緒に寝たいなんて」
十にも満たぬ見た目よりもずっと大人びている少年にしては珍しいと、サンは一つの寝台に枕を並べて隣に横たわった小さな体に問いかける。
「深い意味は別にないのだ。誰かと一緒に眠るのを、一度やってみたかった。だから、サンに頼んだんだ。……迷惑だったか?」
「そう思うなら、初めから頷かないよ。俺が他人の頼みごとにノーと言えない性格に見えるか?」
「まったく見えない。……ありがとう、サン」
ラリマールはにっこりと笑う。
寝台には入ったものの、お互い眠りに着くには目が冴えてしまっているようだ。
「思った以上に心地良いものだな。こうして隣に他者の体温を感じていられるのは」
「ラリマールは……人とこうして眠ったことがないのか?」
「ああ、ない。私は家族と折り合いが悪かったから」
ラリマールの過去について、サンは何も知らない。
ユークは彼の素性を何度も質そうとしたのだが、サンはそれを止めた。事情を話したくない様子なのはラリマールだけではない。
フェナカイトも過去を話したくないようだし、サンだとてここでこそ誰もに英雄クオの息子として知られているが、本来はおいそれと自分の事情を人に話したくはない。
ラリマール自身に妙な企みがあるわけでもなし、今は話したくないと言うのならそれでいいだろう。
けれど、それとは他に知りたいこともある。
今日は少しずつ話す気分になったのか、ラリマールがぽつぽつと自分の話をする。
「私は昔、弱くて誰にも目をかけられない存在だった。ある日一人で危機に陥ったところを、サンが救ってくれたんだ」
「……お前のそれは、刷り込みめいたものじゃないのか。俺はお前を覚えていないのに」
何度も人違いではないかと確かめた。けれどラリマールは、あれは絶対にサンだったと言い張るのだ。
「刷り込みだっていいじゃないか。私は確かにお前に救われた。今度はその恩を返したいと思う」
「お前が俺にそうして執着するのは、そうすればお前を受け入れると思っているからか?」
「違うよ。……私は確かにサンのことが大好きだ。でも、お前に執着して依存して、何もかも預けるつもりはないんだ。サンの力になりたいことは確かだが、魔王と戦いたい理由もちゃんとある。……その理由はまだ言えないけれど……」
魔王の話になると、ラリマールは途端に語尾が弱くなる。
「何故、魔王と戦いたい?」
「止めたいからだ。彼を」
具体的な理由こそ口にしないものの、ラリマールが魔王と戦う意志自体には嘘偽りも迷いもない。
「サン。一つ頼みがある。もしも戦況に余裕があるようだったら、私に魔王アンデシンと戦わせてくれ」
「……!」
「サンは天空を倒すことが目的なのだろう? ならば、私はアンデシンと戦う」
「俺は構わないけど……」
サンとしては問題ないが、ユークとフェナカイトがどう言うのかまではわからない。
一瞬目を閉じた脳裏を、翻る白い髪の幻影がよぎる。
「無理にとは言わない。四人の将軍に守られる魔王を優先して倒そうとも言えない。けれど、もしもアンデシンと一対一になる必要があったら私にやらせてほしい」
「……ああ。わかった。少なくとも俺の希望とは一致している」
しっかりと目を開いたサンは、小さく頷いた。
サンは何としてでも天空を討ち、クオの仇をとりたい。けれど魔王を放置するわけにもいかず、誰が魔王を担当するのかというのは、密かに頭を悩ませる問題だった。
複数の武器を使い分けることのできるラリマールなら、確かにどんな相手でも相性は関係ない。
勇者たちは薄々察している。四人の中で見た目は一番子どもであるこのラリマールこそが、彼らの中で最も強いのではないかと。
「……なぁ、ラリマール。少し聞いていいか?」
「なんだ?」
「お前、この前天空と戦った時どんな話をしたんだ?」
サン自身はターフェと剣を交えていたハーフの村の一件。あの時、天空を抑えていたのはラリマールだった。
「え? 特には何も……相手の油断を誘うような、挑発めいたやりとりだけで……」
当のラリマールは何故そんなことを気にするのかと言うような顔になる。
「サンは天空のことが気になるのか?」
「だってそりゃ……」
「本当に仇としてか? 今のサンの様子はそうは見えなかったぞ?」
「へ?」
今度はサンが驚く番だった。
少し考えてから口を開く。
「……向こうに少し毒されたかもな。あのスーって奴は人間を嫌う分、魔族の仲間に対しては情が厚い。ターフェとかいう男は、下手な人間より余程理性的で、なのに地上から全ての人間を殺すなんて馬鹿げたことを本気で願っているようだった」
聖者の村で、サンはターフェと話した。その時の影響が強く残っているのかもしれない。
「天空は……あいつは何故父さんを殺したんだろう。それは一体誰の依頼だったんだろう。なんで今……魔王について人間を殺したりしているんだろう……」
「それは本当にわからん。あの女は謎の塊だ」
天空の名に、ラリマールは心なしか嫌な顔をする。
「サン……お前はわかりあいたいとでも言うのか? あの天空と」
「そんなことは……」
「自分が殺す相手の心理なんて、そんな詳しく知りたくなるものだろうか。望まぬ仇討ちなら尚更だ」
サンはこれまで人間を殺したことはない。
天空は人間だ。
彼女を殺して、サンはきっと一生消えない罪を負う。それを止める気は――。
「それとも、天空とでさえ、話し合えばわかりあえると思っているのか?」
「――いいや」
ない。天空とは絶対にわかりあえない。
考えるまでもなく肌で魂で理解している。
自分がこのようにしか生きられぬように、彼女もまたそういう生き物なのだと。
「……」
サンの様子を注意して観察していたラリマールは、そっと目を閉じる。
「魔王を倒そう……多分、そうすれば全てが上手く行く。今は言えないことも、きっと口にできる」
「……ああ」
けれど倒せずに自分たちが死ぬ場合は、ラリマールやフェナカイトが抱えている秘密は墓場まで持って行くこととなるだろう。
それでいいのかと、どこかでもう一つの自分の声が囁く。サンはその声から目を背けるように、現実でも眠りにつくために目を閉じた。
魔王を倒す。今の彼らには、それしか選択肢は存在しなかった。
◆◆◆◆◆
「寝ないんですか? フェナカイトさん」
「ユー君こそ。ダメだよ、育ち盛りなんだから睡眠はしっかりとらないと」
「そういうフェナカイトさんだって働き盛りでしょ」
挨拶代わりのやり取りを終えて、ユークがふっと息を吐きフェナカイトを真正面から見つめる。
「……それで、何の用だい?」
「あなたの覚悟を聞きたくて」
「覚悟?」
「相手の魔族を、殺す覚悟です」
フェナカイトに割り当てられた貴賓室の一室。ユークはわざわざこんな時間に、彼を訪ねて来たのだ。それを問うために。
「サンは父親の仇をとるために暗殺者の天空を殺す気でいる。ラリマールには何か魔王と因縁があるらしい。僕はもちろん魔族は皆殺しにすべきだと思っています。では、あなたは?」
「……」
四人の勇者たちは、戦闘時の連携はともかく、それ以外の面で連帯感があるとはとても言えない。過去を隠していたり、本音をさらけ出せなかったり、他人に合わせる意志を持たなかったり、様々な問題を抱えている。
それに文句をつけることはできない。他者に迷惑をかけない限り生き方などその人の自由だろう。
けれどこうして共に戦う間柄であるならば、少しぐらい意思の疎通を目指してみてもいいはずだ。ユークはそう考えた。
「勇者として戦いながらも、今まであなたは誰も殺して来なかった。次の戦いは今までのような生易しいものではない。あなたに、相手を殺す覚悟があるんですか?」
「それは……」
「殺さなければ、死ぬんですよ?」
前回のスーとの戦闘で彼の殺意が本物であることを感じ取ったユークははっきりと告げる。
この点はサンとも一致している。サンが相手をしたターフェも、人間を滅ぼすと言う気持ちは本物だったと。
「……駄目かもしれない」
迷いに迷った末、フェナカイトは正直に告白した。
「ここで殺すと決意したところで、いざその瞬間を迎えたら、手が震えて動かないかも」
「……そうですか。ならば」
彼の答を聞いたユークは、はっきりと告げる。
「いざと言う時は、ちゃんと逃げてくださいね」
「ユーク……」
「死んで目的を叶えたところで何の意味もありません。そのくらいなら、逃げて体勢を立て直しましょう」
「責めないのかい? 君たち年下の少年三人が手を汚す覚悟をしている横で、こんな臆病な事を言う男を」
「あなたのそれは臆病なのではなく、単にその道が一番正しいと信じているだけでしょう。けれど、その信念を守りたいのであれば、相応の動きはしてください。殺せば簡単に終わる話なのに別の道を選ぶなら、その信念を貫くにふさわしいだけの努力をするべきです」
相手を殺す覚悟に年齢は関係ない。少なくともユークはそう思っているからこそ、この年齢で軍人などやっているのだ。
殺せる人間が偉い訳でも、殺せない人間が臆病な訳でもない。
けれど敵を殺せないことが原因で自分自身や、仲間を死に至らしめてしまうのは本末転倒だ。
ユークは軍人として、自分と仲間が目的を完遂しかつ安全に帰還することを第一に考える。
「……君は、本当にしっかりしているよ」
融通が利かないとはよく言われるが、彼は誰より女王に、そして自分自身の信念に対して忠実だ。
誰かに正しいと判定してもらわなくたっていい。他人に言われてころころ変わる意見なんて上っ面だけのものにすぎない。
本当に正しいと思うことは、自分で行動することでしか貫けないのだと。
「生きて帰りましょう。それが全てです。死んで英雄として葬られても何も続かない」
魔王がいなくなれば、本当に平和な世界が戻って来るのか?
そうではないとユークは知っている。
クオは自らが取り戻した平和を維持できなかった。それは確かな事実だ。そしてサンを見ていれば、英雄の死はまた別の悲劇を呼び寄せるだけだということも……もうわかっている。
「そうだな。……今の俺にはそのくらいしかできない。――生きて帰るよ、必ず」
フェナカイトもそれは同感だと頷き、ユークの頼みにもしっかりと頷いた。
魔王との戦いなら、死んでも仕方ないとは考えている。けれどそれはあくまでも最後まで絶望に抗った結果でなければならない。自分から命を捨てるようなことはしないと。
自分の心に背くことはできない。フェナカイトには魔族を――もちろん人間も、殺せないかもしれない。
けれど、それならそれで、自分が正しいと思うことをするべきだろう。いつだって。
話を終えて部屋を辞そうとするユークと共に、フェナカイトも何処かに出かける様子を見せた。
「出かけるんですか? こんな時間に」
「うん。ちょっと寄らなきゃいけないところができたみたい」
フェナカイトは聖堂へと足を向ける。
神に祈るために歩みだした男の背を見送り、ユークはそっと踵を返した。