楽園夢想アデュラリア 05

027:魔王たちの夜

 決戦の時は近づいている。
 魔王の城にも徐々に緊張が浸透し始め、魔王とその配下である四将軍の周囲は常に慌ただしい。
 ここで決まるとは言い切れないが、何かしら均衡が崩れるのは確実だ。
 世界は変わる、また。人間によって英雄と呼ばれるクオが魔獣の王を倒した時のように。
 けれどそれが良い方に変わるのかどうかはまだわからない。
 人間と魔族。対立する二つの種族が共に救われる道など、もう決してありえないのだから……。
「アンデシン陛下」
「ターフェ」
 珍しく酒を酌み交わしたいと、四大将軍の一人が、深夜に魔王の居室を訪れた。
「それで、何の用だ?」
「たまには主君とゆっくり酒でも飲みたいという臣下の我儘を聞いてはくださらんか?」
「お前がそんなことを言うタマか。用があって来たのだろう」
 ターフェとはアンデシンが魔王になる以前からの付き合いだ。こうして魔王として得た部屋で杯を酌み交わすのは初めてだが、それ以外の場面でなら何度も共に酒を飲んだことがある。
 だが今回は、今までのそれとは違うことを雰囲気で感じ取った。
「あなたとこうしてゆっくり話す機会を持ちたいというのは半分は本当ですよ。次の戦いでは――」
 気心の知れた者同士、ゆるやかに寛いだ空気の中で、ターフェはするりとその言葉を滑り落とす。
「恐らく私は生き残れませんから」
「――」
 僅かな沈黙の後、アンデシンは冷ややかな怒りを伴って瞳を閉じ口を開く。
「……馬鹿な事を言うな。我々は勇者を倒す。お前も生き残るんだ」
「もちろん私とてそうしたい。ですが、戦況は我々が不利だ」
「神器使いの実力、か」
「ええ。ラリマールは思いがけず相当な使い手になりましたな」
「……」
 魔王の頭を悩ませる一つの問題について、アンデシンは怒りを堪えターフェはそれすらも受け止めて静かに微笑む。
「陛下、勇者たちとの戦いが如何なる状況になろうと、私は最期までその場に残ります」
「退却する場合も殿で追撃を妨害する足止めを務めるということだな。確かにお前に任せれば我々は安心だ。だが……何故」
 人間とのハーフではあるが、穏やかな瞳をし寛容な人柄のターフェは魔族の間で人気が高い。
 戦士としての腕前は天空に劣るが、四人の将軍のうち、最も部下に人気のある男だ。
 よりにもよって、そのターフェを何故真っ先に犠牲にしなければならないのか。
 だが彼の決意は、アンデシンの想いよりも更に固かった。
「陛下、人間との混血である私をここまでお引き立てくださったこと、何より感謝しております。だからこそ、今こそ恩を返したい。私は、他の将軍より先に死ぬ訳には行かないのです」
「お前が誰よりも魔王軍に貢献することで、戦後のハーフたちの待遇を保障するためか」
「ええ」
 人間たちのハーフに対する感情程ではないとはいえ、魔族側にも人間の血を引く混血児たちへ不信の目を向ける者は少なくなかった。
 ターフェが純魔族の部下や他の将軍を犠牲にして生き延びれば、その疑惑はますます深まるだろう。
 あたかも人間たちが魔族と魔獣が結託している可能性に怯え、魔族を迫害し出したあの頃のように。
「……今更お前の魔族への忠節を疑う者などいない。考え直す気はないのか? ターフェ」
 殿など天空にでも任せておけばいい。彼女を人間だからと排斥したい訳ではないが、どうせあの女は殺しても死にやしない性格だ。
「いいえ。これは、私の役目です」
「……お前がいなくなったら、誰が魔族の心をまとめ上げると言うのだ。敬愛される将軍の喪に服す間に、全てが終わってしまうぞ」
 アンデシンだけでは求心力を維持できない。しかし将軍は魔王に対し、首を横に振る。
「スーがいます。あの若者なら、私が亡き後も立派に四大将軍としての務めを果たすでしょう」
「お前はスーを買っているな」
「ええ。魔族が人間たちに抗するためには、我々こそが正道なのだと信じぬく絶対的な正義が必要です。スーは魔族に必要な正義を誰よりも高く掲げ上げる。彼は、魔王軍にとってなくてはならない人材だ」
 スーは神器使いとしての腕は他の四人に一歩劣る。性格も粗暴で苛烈な、まだまだ少年らしさの抜けきらない青年だ。
 けれど彼は部下たちの信頼も厚く、誰よりも人間を憎み、同じ魔族を大切にする。
「スーは人間嫌いの急先鋒でありながら、同時に私のようなハーフを容認する寛大さや度量も持ち合わせている。実際、人間嫌いのスーがハーフである私を認めてくれている効果は大きい」
 猪突猛進なところもあるが、そういった単純で好き嫌いのはっきりしたところこそスーが支持を集める理由でもある。
 ベニトたち聖者の村のハーフたちは魔族を裏切った敵、ターフェたち魔族のために戦う者は味方。
 苛烈だとの声も上がるが、その苛烈さによって曖昧な処断を許さず、火種が大きく燻る前に消す役目を負っている。
「あいつなら、本当に大事なものを見失わないはずだ」
「……あらゆる虚飾で飾った建前で、あれが正義だこれが真実だと謳って、いいように配下を動かそうとする我々よりもな」
 いつの間にか随分と汚い大人になってしまったものだと、アンデシンは自重する。
「もしも彼に何かあったら、私はスーを庇うでしょう。ハーフの私が純魔族であるスーを庇って死に、スーがより一層人間への憎しみを募らせ魔族一丸となって人類を滅ぼすように同胞たちを導く」
「そのような計画を裏で立てねばならない程、次の戦いは不利だと言うのか?」
「今の所戦力は拮抗しています。ですが陛下、私は天空とメルリナの二人を信用していない」
 四大将軍のうち残り二人を信用できないと、ターフェは魔王に正直に告げる。
 彼女たちをその地位に抜擢したのは、他でもない魔王アンデシンだ。神器使いは適合者が限られる。優秀な魔族の軍人を選べばそれでいいという話ではない。
 天空とメルリナを登用するか、しないか。その判断は魔王に託されていた。
「天空は人間の暗殺者、メルリナは睡蓮教の信者。確かにあの二人は魔族内でも異端だ。しかし、今更我々を裏切ることはないだろう」
「ですが、心から魔族につくこともない」
「確かにな……」
「私は信用しきれないのですよ、陛下。私の中に流れるもう半分の血がそうさせるのです。疑り深く独善的な、人間の血が」
 アンデシンは何とも言えない表情になる。
「……お前の決意が固いことはわかった。だが最初から生を諦めることは許さん。その台本は、お前の胸の内にだけ仕舞っておけ。もしも本当にお前が勇者に殺されたその時は、俺が仇を取ってやる」
「……ありがとうございます。陛下。人の血を憎み続けた私ですが、それを受け入れてくれたあなたという主に部下や同僚、本当に恵まれた人生でした」
「まだそんな風に遺言じみた言葉を口にするのは早いぞ、ターフェ。勇者共を打ち倒し、全て杞憂だったと俺を安心させてくれ」
「御意」
 ターフェが魔王の居室を去った。
 ――その直後、今度は窓から白い髪を靡かせた人影が現れる。
「相変わらずターフェ将軍は真面目だねぇ」
「玄関を間違えているぞ天空。きちんと入り口から来い」
「こっちの方が楽なんだ。大体この城、元々人間に使いやすいようになってねーじゃん」
「文句をつけつつ窓から入ってくるなんてお前くらいだ」
 アンデシンは呆れながら、窓枠に腰かけた天空を振り返った。
 有翼族用の城はいくつか、普通の城にあるはずの階段や床がない。
 とはいえ、身体能力の高い魔族や天空のような者には問題のない話だ。
「私は別に裏切る気はないよ」
「だろうな。今我々を裏切り人間に寝返ったとしても、お前の居場所はない」
「居場所なんて、私が必要とすると思うのかい?」
 魔王の冷酷に対し、人でありながら人を殺す暗殺者は酷薄に笑う。
「……思えないな」
「私はいつだってやりたいようにやるだけさ。今お前らを裏切ったところで旨味はないね。それよりも、あの坊やと遊ぶ方が面白い」
「あの坊や? ……ああ、お前は勇者クオの息子と因縁があるのだったか」
 天空の言葉に、これまでラリマールの存在に気をとられ頭の片隅に追いやっていた相手のことを、アンデシンは思い出した。
 勇者側も魔王個人の事情など気にも留めていないが、魔王側もかつての英雄の息子に対し特別な想いを抱いてはいなかった。
 同族の手で祀り上げられた旗印たちは、おのれの役目を果たすことばかりに必死でお互いへの関心は薄い。
 ただ、直接彼と対峙した者たちから報告を受けてはいる。
「ターフェからかなりの使い手だと聞いた。お前と何度もやりあって死んでいない時点で相当な腕前だ」
「ああ、期待以上だろう?」
「俺たちとしては厄介この上ない。おかげでお前に任せるはずだった戦力を他の面子で抑えねばならなくなったじゃないか」
「悠長なことをやってるからさ。勇者が登場するまで待たずに、私を使って向こうの女王を暗殺でもすれば良かったのに」
「それでは、民の支持は得られない。魔王の正義として勇者を倒す構図に意味があるのさ」
「難儀なものだね」
 お伽噺では悪役扱いされる魔王もその配下も、ここではどうだろう。自らの同胞を守るために足掻いて足掻いて、時には自分自身さえ犠牲にして。
「ターフェもそうだけど、お前も最近死に向かっていないか? アンデシン」
「最終決戦を前に呑気にしていられるのはお前くらいのものだ」
「私は生きようが死のうがどうでもいいのさ。戦っているその一瞬、最高に楽しければそれでいい。だがお前らは違うんだろ?」
「生き残らねば意味がない。魔王は勇者を倒して、世界を平和にしなければならない」
 平和を取り戻すと彼らは言う。
 人間は魔族を倒して、魔族は人間を倒して。
 そうすれば平和になるのだと。
「弟のことはいいのかい?」
「意見が別れた以上、仕方ないな。人間と戦えないなどと言う者を身内としては認めん」

「俺は魔王なのだから」

「背負い込みすぎじゃないのか?」
「切っ掛けはともかく、俺は望んでこの地位についた。もはや生温い和解など実現しない。魔族と人間の戦いはどちらかがどちらかを滅ぼすまで終わらない。そのために、魔族には強い王が必要だった……」
 昔にはもどれないと、アンデシンは自嘲する。
 祀り上げられた魔王はその役目を果たすために、人間の勇者と戦って勝たねばならない。
「お前が……お前たちが」
 天空がぽつりと呟く。いつになく彼女は考え言葉を選びながら紡ぎだす。
「お前たちが書いた台本は、本当にお前たちの望む筋書きなのか?」
「天空?」
「……いや、なんでもない」
 桜色の唇が紡いだ、らしくない言葉にアンデシンはその真意を聞き返す。けれど天空は、それ以上この話を続けようとはしなかった。
 暗殺者であった天空が彼らに近づいたのは数年前。魔族を迫害したとある人間の屋敷を、アンデシンが魔王として襲撃した時のこと。
 依頼主が殺されようとまったく動じることのない女は、そのまま魔族の配下に加わった。
人間の小娘が生意気なと、捻り潰そうとした当時の重鎮たちを神器の力で返り討ちにして。
 これまで共に地上で暮らしてきた人類と戦端を開くことを躊躇う魔族たちの前で、同じ人間を人間とも思わない調子であっさりと殺す悪魔のような女。
 過去を問えばそんなものはないと答える暗殺者の、その真意は魔王でさえも知らない。
 彼女の立場が異端であるが故に、こうして他の者に対してはできない話をする面もあった。しかしアンデシン自身はいまだに天空のことを何一つ知らないのだ。
「天空、お前――」
「なんだい? 魔王様」
「いや――」
 続ける言葉を探しあぐね、伸ばしかけた腕をアンデシンは静かに下ろす。自分が彼女にどんな言葉をかけたかったのか、彼自身にもよくわかっていない。
「なんでもないなら私はもう部屋に帰るぜ。じゃーな、魔王様。また明日」
 藍色の服を着た細い体は夜の闇に溶け込むようにひらりと舞って、白い髪の残影をなびかせながら再び窓から姿を消した。