楽園夢想アデュラリア 06

第6章 願いの果て

031:夜明け

 パイロープに連絡を入れて事情を説明し、サンたちは一度近くの街まで引き返してきた。
 魔王側の戦力の一人を削ったものの。こちらもラリマールの離脱は痛い。神器があればいいと言うものではない。
 ラリマールは神器使いとして申し分のない実力者だった。その力で何度もサンたちを助けてくれた。
 それを、彼が魔族だからという一言でなかったことにするわけにはいかない。
 宿の一室で、三人はラリマールのことについて話す。
 誰かと顔を突き合わせていたい気分ではないが、これ以上自分たちの仲間のことも知らずにすれ違うのは御免だった。
「……ラリマールは、僕たちを裏切っていた」
 安物の寝台に腰かけたユークが力なく呟く。
「裏切り……って、言うのかな? 彼自身は魔王の勢力から離反して、本気で僕たちと一緒に勇者として戦うつもりだったと思うよ」
 フェナカイトは控えめに擁護するが、その口調にはいつものような、穏やかでありながら有無を言わせぬ迫力が伴っていない。
「……」
 サンは二人の話し合いを聞くともなしに聞きながら、これまでのラリマールの様子、態度、彼についての様々な出来事を振り返っていた。
 そして魔王の城へ出立する数日前、一緒の寝台で眠りたいとねだられたことを思い出す。
 ――サンの力になりたいことは確かだが、魔王と戦いたい理由もちゃんとある。……その理由はまだ言えないけれど……。
 ――何故、魔王と戦いたい?
 ――止めたいからだ。彼を。
 ――サン。一つ頼みがある。もしも戦況に余裕があるようだったら、私に魔王アンデシンと戦わせてくれ。
 この頼みと宣言通り、ラリマールはまっすぐアンデシンへと向かって行った。
 魔王アンデシンはラリマールの兄。彼が止めたかったのは、実の兄である魔王のことだったのだ。
 家族のことに関するラリマールの口は重かった。サンはそれでいいと思っていたし、ユークやフェナカイトもそれで一応受け入れていたはずだ。
 素性がなんであれ、ラリマール自身に本気で魔王と戦う気があれば良いではないかと。
 彼は本当に裏切ったのか? サンを、ユークを、フェナカイトを。
「……いや」
「サン君?」
「ユーク、フェナカイト」
 小さな呟きに反応した二人を真っ直ぐに見つめ、サンは言った。
「ラリマールを探そう」
「ッ!」
「……!」
 フェナカイトが目を瞠り、ユークが息を呑む。
 二人とも全力で驚いてはいるが、それと同時に、その言葉を待っているようでもあったとサンは思う。
 ここで落ち込んで項垂れていたところで、何も解決しないのだ。
「何を考えているんだ、サン」
「あいつを連れ戻すこと」
 苦しげなユークの表情を見据えて、サンははっきりと言い切った。
「馬鹿な! だってラリマールは、魔族じゃ――」
「魔族だけど」
 これ以上ユークに言葉を続けさせるべきではないと、サンは彼の言葉を遮った。
「魔族だけど、俺たちの仲間だ。違うか?」
「……!」
「ユーク、お前はこれまでラリマールと一緒に戦ってきて、あいつが俺たちに攻撃を仕掛けたり人間を傷つけたりするなんて思ってるのか?」
「それは……」
 ユークにも本当はわかっているのだ。ラリマールが例え何者であろうと、彼にサンたちと敵対する意志などなかったこと。
「お前だって、もうそんなこと、思ってないんだろう? だから“裏切り”なんて言葉が出るんだ」
「信じていない相手は裏切るも何もないからね」
 フェナカイトがそっと目を伏せる。
「俺たちはまだ少し動揺しているんだろう。ラリマールのことだけでなく、あの戦いの色々なことに」
「ターフェがスーを庇ったこと、それで彼が死んだこと、ラリマールが魔王の弟だとわかったこと、それでラリマールが俺たちの前から姿を消したこと」
「……魔王側が」
 まだ動揺は隠せないながらも、だからこそ考えたことをユークは口にする。
「ラリマールのことをずっと認識していながら、呼び戻そうとする様子もなく、平然と敵対し続けたのが理解できません」
「そうだな。まさか魔族とはいえ十歳の子どもが天空みたいな暗殺者とも思えないし」
「最初に出会った時にラリマールがアンデシンの弟だとわかっていれば、俺たちももっと不審に思っただろう。けれど向こうは言わなかった」
「――彼らには、ラリマールを連れ戻す気がなかったということですね」
 ユークは強情で融通が利かないが、愚かではない。
 ラリマールの行動の意味も、魔王たちの行動の意味も、本当は全てわかっている。
「魔王たちにとって弟だろうがなんだろうが、ラリマールは敵なんだ。敵の敵は味方って訳でもないけど、俺たちにとってラリマールは仲間だった」
 本当にラリマールが神器を持って勇者側に送り込まれた間諜ならば、素性が割れたあの時にサンたち勇者側に魔王と一緒になって攻撃を仕掛けてきたはず。
 否、そもそもそういう手筈であったならば、スーが激昂してラリマールの素性を盾に問い詰めることもなかったはず。
 スーを標的とし、結果的にターフェの死に繋がったラリマールの容赦ない攻撃を見れば、彼が魔王を本気で倒そうとしているのは明らかだ。
「要するに、問題は俺たちの意識なんだよね。――魔族の一員であり、魔王の弟だと知った今、ラリマールを受け入れる気があるのか否か」
 フェナカイトの言葉に、サンはユークと顔を見合わせる。
「……俺は、ラリマールを探しに行く」
 サンの答は先程と同じだ。迷いなんてない。けれど隣からは、刺々しい皮肉が飛んできた。
「そうやって、異種族を差別なしに受け入れる懐の広い人間にでもなったつもりですか?」
「ユーク……」
 窘めようとしたフェナカイトが何かを言う前に、サンが口を開く。
「俺の懐が深かった時なんて一度もないぜ。父さんが生きてた頃は周囲のやっかみや陰口が鬱陶しくて、父さんが死んでからは同じ人間である天空を仇として殺すために追っていた。むしろ自分と相容れない存在を嫌う、世界で一番心の狭い人間だよ」
 サンが勇者として戦う理由は天空への復讐。人類を救うなんて大それたものではない。顔も知らない誰かのために一方的な正義と言う看板を掲げて戦えるほど信念のある人間などではない。
「ただ、ラリマールは最初から俺の味方でいてくれた。だから俺も、あいつの味方でありたいだけだ」
「……馬鹿ですね」
 ユークの言葉は続くが、今度のそれはただの嫌味や皮肉や弾劾とは違うようだった。
「あなたはいつまでそんな苦労を背負うつもりなんです? 人間と魔族が共存なんてしていける訳ない。僕ら勇者と魔王との戦いが終わったら、どちらの種族が勝っても相手を滅ぼすための殲滅戦が始まる。結局いつかは彼と敵対する」
 今彼らがこうして話し合っているのは、現在の問題であり、同時に未来にまで続いて行く問題なのだ。
「敵対なんてしないよ。ラリマールが俺の敵に回らなければ、俺だってあいつを傷つける気はない」
 アンデシンを倒すのを任せて欲しいとラリマールは言った。彼は自らの手で兄を殺そうとしている。それは彼なりのけじめであり、他の誰かがアンデシンを殺すことで生まれるわだかまりを避けたいからだと思われる。
「……共に生きようとすれば、それ以上の険しい人生がずっと続くことになる。出会う相手出会う相手全てに事情を説明して、説得なんてする気なんですか? この先一生?」
 ユークのサンへの問いかけは、これまでにない程真摯だった。
 それは彼自身の答でもあるのだろう。
「この先のことなんてわからないけど……そうだな。ずっとずっと何があってもそうし続けるなら、そのまま一生が終わるかもな」
 信念は、貫かなければ意味がない。
 将来その志が折れてしまうくらいなら、ここで足掻いても無駄だと。ならばこの選択を無駄にしないために一生を足掻き続ける覚悟が、お前にあるのかと。
 けれどサンは、元々そんな大層な覚悟を持って行動しているわけではない。
 いつだって、自分は自分にしかなれない。自分の信じるものを信じるしかないのだ。
「誰かを信じたり疑ったりって言うのは、他人にそう言われて揺らぐものなのか? ユーク、お前は他人が女王に対して根も葉もない噂を喚きたててもそれを信じるのか?」
「――」
「お前がそう言う人間ならここでお別れだ。俺はラリマールを探す」
「俺も行くよ」
 結論は出された。
 ラリマールのことが信じられなければ、この先勇者として共に戦うなんてできるはずがない。
「僕も……行きます」
 サンとフェナカイトだけではなく、最後にはユークもしっかりと頷いた。
「……あれだけ言っといてなんだけど、無理しない方がいいぞ」
 サンは自分の行動は自分で決めるが他人の選択にまで責任を持つことはできない。ラリマールを気にかけているのは本心だろうが、重度の魔族嫌いも真実であるユークは彼自身に無理を強いているのではないかと、少しばかり気遣ってみる。
「デリケートな問題だからね。他人の理屈で無理に自分を納得させれば、いつかは歪みが生まれてしまう」
 フェナカイトもちょっと心配そうに言う。しかしユークははっきりと言い切った。
「いいえ。ラリマール――彼は女王陛下の認めた勇者。陛下の御前でもないこんなところで、勝手にその任を放棄するのは許しません!」
 女王の忠実なしもべである彼らしい理屈に、サンとフェナカイトはもはや呆れてしまった。
「ユーク……お前……」
「うーん。ここまで来るといっそ見事だよね」
 けれど、自然と笑みが込み上げる。今までよりずっと晴れやかな気持ちで、三人は決意を新たにする。
 彼らは、最後の仲間を迎えに行く。

 ◆◆◆◆◆

 魔王との戦いで疲れた体を癒す休息時間。浅い眠りの中、サンは夢を見る。
 今では懐かしい父親の姿が傍にある――小さな子どもの頃の夢だ。
 森の中の小さな花畑で、傷ついた小鳥を見つけた。
 父が何かを言っている。
 サンはいやいやをするように、小鳥を手に乗せたまま首を振り続けている。
 最後には父の方が根負けしたのだったか。諦めたように溜息をついて小鳥の手当てをしてくれたのだった。
 ――いつか後悔するぞ、サン。
 水を通したように朧気に蘇る父の言葉。
 自分は、小鳥を助けたことを後悔していない。それともこれからするのだろうか。
「サン。時間ですよ。起きろ」
 答は出ないまま、ユークの声に目覚めて上体を起こした。