楽園夢想アデュラリア 06

032:ラリマール

 サンたちはこれまでの経緯と、彼らの決意からなるこれからの行動予定をパイロープに連絡した。
「……ってことで、俺たちはこのまま王都に戻らず森の方に向かおうと思う」
『……了解。女王陛下にお伝えしよう』
 通信機の向こうから伝わってくる疲れた声に、思わずサンは尋ねていた。
「そっちは何かあったのか?」
 パイロープが厳しい声音で語り出す。
『魔族たちが噂を流布している。勇者がターフェ将軍を殺害したという噂だ』
「!」
『彼は魔族の中でも非常に人気があったらしく、いきり立つ魔族たちの抵抗が激しくなっているんだ。私の部下たちも鎮圧のために出陣している』
「そうか……ひょっとして俺たちはそっちを手伝うべきなのか?」
 ターフェを殺したが、魔王まで一網打尽に出来なかった。それが中途半端に魔族たちの怒りに火を点けてしまった。サンたちがあの時魔王を倒せていれば――。
『いや、お前たちはラリマールの方へ行くといい。魔族を抑えるのは我々でもできるが、ラリマールの説得はお前たちでないと意味がないだろう』
「パイロープ……」
 元よりこの戦いがどうなろうと、魔族と人類の戦いはいよいよ活発になることが決定していたようなものだ。王国側はすでに十分な戦力を動かしていた。
『女王陛下から、もしもお前たちが判断に迷うような出来事が起きたらこう言えと指示されている』

『“好きにやれ”と』
「……」

『陛下はお前たちの判断を信じている。後背を脅かす者が有れば、私たちが取り除こう。お前たちは勇者だが、一人で世界を背負って一人で戦う必要はない』
「ありがとう、パイロープ。……そうだな、アルマンディンは結局そういう奴だ」
 サンが昔馴染みの傲岸な女王と結局親しい付き合いを捨てきれないのは、彼女のこういう一面からだ。
 あのアルマンディンが、勇者に頼りきって世界の平和を託すなどある訳がなかった。人間は誰しも己の欲望のために世界を居心地良くするために動くと言って憚らない女だ。
 英雄クオはたった一人で大陸の命運を背負っていた。けれどサンたちは、四人揃ってこその勇者だ。アルマンディンもそれを知っている。
「だから肝心なところでは信じられる」
 通信機の向こうからパイロープのくぐもった笑い声が届いた。
『珍しく素直だな、サン。その言葉、陛下にお伝えしておくよ』
「いや、言わなくていいって」
『伝えておく』
「だから言わんでいーっての!」
 女将軍はそれには頷かず、通信を切った。

 ◆◆◆◆◆

 この季節には少し冷たい風が吹いている。グランナージュの中心部から見て北側に位置する有翼族の――魔王の棲む城が存在する地域。
 ラリマールは一人とぼとぼと魔王城近くの森の中を歩いていた。
 サンたちの前から姿を消したものの、他に行く当てはない。
 魔族を裏切って勇者に味方し、その勇者たちにも隠し事がばれてしまった。
 もうどこにも行く場所はないし、待っていてくれる人もいないのだ。……けれどそれは、ラリマールの元々の人生が振り出しに戻っただけとも言える。
 生まれた時、不出来子と呼ばれる程に弱かったラリマールは、最初から魔族の中に居場所はなかった。
 有翼族は、本来もっと南方で生活していた一族である。
 人間や他の種族との交流、魔獣の襲撃などとの兼ね合いでだんだんと北に移動してきたのだ。そのため時折一族の中に、寒い土地の気候が合わずに弱る者が出てきた。ラリマールはそれだった。
 兄であるアンデシンは、魔族を救う救世主である魔王になれと待望される程に昔から優秀。対してラリマールは、どうせ長くは生きられまいとすら思われていた。そして弱肉強食のこの時代に、そのような者に構うような者はいなかった。
 王城近くのこの森で、ラリマールはいつも独りでいた。
 今もまたその頃に戻るだけだ。
 サンと出会う前の境遇に戻るだけだ。
「……」
 ――ラリマールがサンと出会ったのはこの森の中である。
 この場所は魔王城に近いが、植生が複雑に絡み合っていて並の魔族では簡単には捜索できないポイントがいくつかある。
 ラリマールは力こそ弱かったが、森を移動する能力には長けていたため、誰にも見つからない場所で一人時間を潰すのに慣れていた。
 魔族ですら滅多に訪れないその場所に、クオとサンの勇者親子が入り込めたのはさすがというところか。
 魔獣の王を倒した英雄は並の魔族より余程強く、そして冷酷だ。ラリマールは魔族であることをすぐに見抜かれ殺されるかと思った。
 けれど、そこをサンが庇ってくれた。
 ラリマールを殺せという父親を説得してくれたのだ。と言ってもあの頃はサンも幼児。説得と言うには頑是ない子どもの我儘という形であった。
 とにかくそのおかげで、あの時ラリマールは生き延びた。
 サンはラリマールの命の恩人。そして家族や同胞ですらくれなかった愛情を、初めてラリマールに与えてくれた存在だ。
 そのサンが属する人類という種族を兄である魔王が滅ぼすと言うのなら、ラリマールは兄と敵対する。
 その思いで、勇者へと下った。
「アンデシンは……兄は魔族と人類はわかりあえない、どちらかがどちらかを滅ぼすまで戦いは終わらないと言ったが、私はそうでもないと考えている」
 背後で魔力の気配がした。
「お互いを滅ぼし尽くさなくても、わかりあえる時はいつか来るはずだ。私たちがそれを諦めないでさえいれば。――ベニトの存在だって、それを示している」
 森の梢をあえて揺らす気配を消さず、その人物は口を開いた。
「だが、その聖者は地上を離れただろう? 魔族と人間どころか、どちらかの種族とハーフでさえわかりあえない」
 愚かな子どもを憐れむように、常の彼女とは思えぬほど優しい口調で天空が話しかける。
 そして彼女をここへ共に連れてきたメルリナも、ラリマールに言い聞かせるように告げた。
「あなたの志はとても立派よ、ラリマール。けれどあなたはその理想のために、何人の人類と魔族を犠牲にするの? 魔族と人間はもはや簡単に和解の席につくことは不可能。あなたの理想のために死ぬ魔族も人間も、美しい理想より自分たちの命を選ぶでしょう」
 ラリマールは溜息を吐きながら振り返った。
「……やれやれ。スーあたりに見つかれば面倒なことになるとは思ったが、もっと面倒なお前たちが来るとはな」
「スーは今とても忙しいのよ。ターフェが死んだので、彼の分も将軍として部下をまとめ上げねばならないの。私と天空はあまり人望がないから」
「純魔族の坊ちゃんがハーフの将軍のために大泣きして謝り死を悼むもんだから、今魔族側はターフェアイト将軍の仇討ちをするんだ! って盛り上がってるところだぜ」
 女二人は、魔族の盛り上がりを冷めた様子で見つめる。
「人間の暗殺者と胡散臭い睡蓮の神官ではな」
 スーとターフェの二人は第一に魔族のために動いていたが、天空とメルリナはそうではない。魔王軍の将に勇者討伐以外の目的を持つなとは言わないが、魔族のことを第一に考えない者には部下たちもついては行かない。
 同胞を裏切ったラリマールでさえ、彼女たちに魔族の運命を託すのはどうかと思う程だ。
「だからここで提案だ」
 天空はそんな周囲の感情を疎むどころか楽しみながら受け止め、自分が生みだす争いと、自分を中心とした争いをいつも楽しげに観察している。
 だが今日の彼女は、彼女にしては酷く真面目に、魔王から与えられた勤めを果たすつもりらしい。
「ラリマール、お前、魔族に戻らない?」
「断る」
「少しは考えるとかしろよ」
「私は人間を滅ぼしたくない。サンの生きる世界を守りたい。アンデシンの志には賛同できない」
 ラリマールには考えるまでもなかった。
 人と共に生きる道を望むラリマールは、人間を滅ぼして魔族だけの楽園を望むアンデシンと同じ道は行けない。
 だから彼らの下を離れ、兄を倒すために勇者になったのだ。
「やれやれ、お前の説得は面倒そうだ」
「もう少し頑張ってくださいな、天空」
 相手の意志を変えさせる説得という行為にあまり意義を見出さない天空としては、これでも随分と頑張った方だ。
「メルリナこそ。自分たちの教えを布教してこその神官じゃないの?」
「睡蓮教はあまりそういうの関係ないんですよ。自分たちの欲望第一ですから」
「なるほどねぇ」
 そして天空は胸元に手をやる。彼女の神器がペンダントとして提がるその場所へ。
「まぁ、手っ取り早く行こうか」
 天空が神器を発動させ、青白く輝く大鎌が現れた。死神の武器がその手に顕現する。
「戻って来いよ、ラリマール。……さもなくば殺せ、そういう命令だ」
「それでも断る、と言ったら?」
 アンデシンがそのような命令を下すことは、聖者の村の一件でとうに承知済みだ。
「……仕方ないなぁ」
 ラリマールも。天空も。
「じゃ、やっぱり死んでもらおうか」

 ◆◆◆◆◆

 サンたちは魔王城近くの森へと再び潜入していた。
「本当にこっちなのか?」
「発信機の反応はこの森から発されています」
「とはいえこの鬱蒼とした景色の中だ。見落とさないようにしないとね」
 ユークやアルマンディンの疑心暗鬼もたまには役に立つということか。ラリマールが最後に来ていた服、今サンたちが着ている服にも、密かに発信機が取り付けられていたらしい。
「まさかそんなもんがついてるなんてな」
「いつの間にそんな頑張ったんだ……」
 サンもフェナカイトも注意深い方を自負するが、まったく気づかなかった。近くの人間が不審な行動をとれば目につくだろうが、届けられた衣服にあらかじめ極小サイズで皮膚に付着すると同化してそのうち剥がれ落ちるタイプの超高性能発信機がとりつけられているなど、夢にも思うものか。
「科学技術の無駄遣い過ぎるだろうが」
「こんなこともあろうかと、ってわけ?」
「一応、僅か四人で危険に飛び込むからには何らかの事情でばらばらになったり自力での帰還が困難になった場合にすぐ居場所を調べるため、とお聞きしましたが」
「どうせアルマンディンがグロッシュラーに作らせたんだろ? グロッシュラーが女王に逆らわないのをいいことに、本当昔からろくなもん作らせねえな……」
 しかし今はそれが役に立った。サンたちも気づかなかった発信機の存在だ。ラリマールもきっと気づいていないだろう。
 神器さえも置いて行ったラリマールが発信機に気づいたらすぐに捨てられてしまう。それにこのタイプの発信機は長くはもたないとも聞いた。
 早くラリマールを探し出して合流し、説得せねばならない。
「ラリマールがもしも身を潜めていたら、見つけるのは困難だから――な?!」
 突然森の中に響き渡った轟音に、勇者たちは驚き思わず足を止める。
「なんだ?!」